家光のお墨付きもあってか、大名や武士の間で若衆狂いが流行だし、
風紀が乱れはじめた。
若衆かぶきといっても、とどのつまりは女かぶき同様売色だ。
女がだめで男ならいいという理屈は通らない。
それでも家光が健在の間は、将軍様のお好みならば、
とお目こぼしされていたのだろう。
家光が病死すると((慶安4・1651年)翌年の年明け早々に
若衆かぶきに営業停止命令が出された。
追って若衆の膨らませた前髪が禁止となり、
7月に入るとついに若衆かぶきそのものが全面禁止となった。
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photo by 和尚
風紀が乱れはじめた。
若衆かぶきといっても、とどのつまりは女かぶき同様売色だ。
女がだめで男ならいいという理屈は通らない。
それでも家光が健在の間は、将軍様のお好みならば、
とお目こぼしされていたのだろう。
家光が病死すると((慶安4・1651年)翌年の年明け早々に
若衆かぶきに営業停止命令が出された。
追って若衆の膨らませた前髪が禁止となり、
7月に入るとついに若衆かぶきそのものが全面禁止となった。
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