きょうは祐天寺に行きました。
ここには6代目尾上梅幸、15代目市村羽左衛門丈、5代目清元延寿太夫師が大正15年に建てた
「かさね塚」があります。
歌舞伎の「色彩間刈豆」(いろもようちょっとかりがね)という演目を上演する時は
必ず詣るべし、といわれている塚です。
下総羽生村に起こった醜女、累(かさね)の事件を、鶴屋南北が脚色したドラマなのですが、
「必ず詣るべし」という先達のお言葉の通力に縛られ、
今日なおお祓いに訪れるというわけです。
私たちは、来月国立劇場の自主公演「稀曲の会」で
「累道成寺」を演ります。
清元は歌舞伎の地として演奏するのですから、当然でしょうが
長唄の「累道成寺」は所作の地です。
しかし、何かあってもいけませんので全員でお払いを受け、お塔婆をおさめてきました。
明顕山と書かれた仁王門をくぐり、本堂に向かいます。
本堂でのご供養の後、累塚でお塔婆をおさめます。
手前は今藤の家元、奥は美知さんです。
ここには6代目尾上梅幸、15代目市村羽左衛門丈、5代目清元延寿太夫師が大正15年に建てた
「かさね塚」があります。
歌舞伎の「色彩間刈豆」(いろもようちょっとかりがね)という演目を上演する時は
必ず詣るべし、といわれている塚です。
下総羽生村に起こった醜女、累(かさね)の事件を、鶴屋南北が脚色したドラマなのですが、
「必ず詣るべし」という先達のお言葉の通力に縛られ、
今日なおお祓いに訪れるというわけです。
私たちは、来月国立劇場の自主公演「稀曲の会」で
「累道成寺」を演ります。
清元は歌舞伎の地として演奏するのですから、当然でしょうが
長唄の「累道成寺」は所作の地です。
しかし、何かあってもいけませんので全員でお払いを受け、お塔婆をおさめてきました。
明顕山と書かれた仁王門をくぐり、本堂に向かいます。
本堂でのご供養の後、累塚でお塔婆をおさめます。
手前は今藤の家元、奥は美知さんです。