まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.1403 お地蔵様で都巡り・・・藤原京編(2)

2020-08-16 19:33:02 | 
よろしくお願いします。



















藤原京のあった場所をお地蔵様をメインに巡っています、まずは写真2枚目、3枚目にある桜井市から橿原市へと至る大和長寿道から少し外れた所にあるお地蔵様から。位置的にはこの辺りが藤原京の一番東になり、西へと進むと藤原宮跡、大和三山が正面と左右に見える場所で旅人を案内してくれているかのよう。ここから左側に天香久山を見ながら進んで行くと、藤原宮跡の入口の辺りに古い石の道標が立っている、そこに刻まれた八釣山地蔵尊との文字、指の向きに進んで行くと古い町並の外れに静かな雰囲気の寺院があった↓↓↓

「585年に、物部守屋(もののべのもりや)が仏法を嫌い、飛鳥の「橘寺」(たちばなでら)に火を放って焼いたとき、金堂に安置してあった地蔵菩薩が、火から香具山(かぐやま)の頂上に逃れて行き、それを知った聖徳太子が香具山の山麓に寺を建立して地蔵を祀ったと言われています。また、聖徳太子が夢のお告げで御体顕されたいう御夢想の名灸があり、リュウマチや神経痛などに良く効くそうです。」

写真4枚目~6枚目にある寺院、名前は興福寺だが、奈良にある興福寺とは関係はなさそう。その後は奈良文化財研究所へと向かう、ここでの目的はもちろん見学、なわけではなくこの施設の前を通る道が元は藤原京の頃にあった道だとのこと。位置的には東一坊大路になるのだが、その辺りの詳しい表示はなくただ道路跡や建物跡とだけ記されたあまり愛想のあるものではなかった。藤原京を囲む橿原市ではあまり都に関わった地名は見かけない、国道24号線沿いには四条と言う地名があるが、そこも四条大路・・・藤原宮は都の中央部にあったので、そこを境にして北と南に2つの四条大路がある・・・とは関係ない位置であり、町の中心部付近は都の痕跡などほとんど伺えない所となっている。
















町では藤原京の跡は見つけられなくても、明日香村付近ではまだまだその跡はいろいろな所で見つけることができる。写真4枚目、5枚目にあるのは以前廃寺巡りでも訪れたことがある日向寺、聖徳太子所縁の寺院と言うことだが、何か見た感じは普通の民家みたい、境内、と言うか敷地に立ち入るには気が引ける感じだった。入り組んだ集落を抜けると、目の前には飛鳥の風景が広がり、背後には天香久山、ここはちょうど橿原市と明日香村の境界に当たる。写真上から8枚目にある道は藤原京の時代には条の通りだった所、先の方には自分(一人称)が骨折中、心の拠り所にさせてもらっていた大安寺の前身である大官大寺の碑が見えている。大安寺や興福寺、元興寺、薬師寺もそうかな、平城京にあった寺院は元は藤原京にあった寺院が前身となっている、都を移しても仏教の教えはそのまま残したいと言う気持ちがそうさせたのだろう、奈良がまあ斜陽的になってはいるものの、世界的な観光地であり続けられるのは、藤原京時代の人々の努力が礎になっているとも言える。だからこそもっと藤原京をいろいろと知りたいと思うのだが、その謎も痕跡もみんな1400年以上の歴史に埋もれさせてしまっている感じ、天武天皇も持統天皇も飛鳥の地で悲しんでおられるのかも・・・。

















藤原京以前は天皇が変わるたびに都も移されていた、と言う話は前にお伝えしました。しかしそのほとんどが飛鳥や藤原京に近い場所であり、当時の政治の中心はやはりここでなければと言う気持ちがあったのでしょう。豊浦宮、御墾田宮、田中宮、岡本宮、厩坂宮などなど、近鉄橿原神宮前駅近くには、それらの宮跡が集中している、しかし当時は条坊制の都ではなく天皇の邸宅があっただけ、現在となってはその痕跡もほとんど見つけることはできないしここだと仮定するしかできない、ここでの写真はそんな場所を巡ってのお地蔵様巡りです。写真6枚目にある道は一応位置的には朱雀大路に当たる道、都を貫く幹線道路も今は住宅街に阻まれて途切れ途切れになっている、往時は奈良と当地をつなぐ中ツ道の方が道の幅は広かったとか。最後に訪れたのは本薬師寺跡、誰もいないひっそりとした境内の木々に囲まれた薄暗い所にはお地蔵様に上半身が切り取られた仏様の姿も、何か不気味です・・・。さて、ここで残念なお話が、毎年夏から秋にかけてこの寺院で見頃となるホテイアオイですが、今年は感染症禍のために植え付けをしていないとのこと、まあある程度は予想していたしこの状況なので仕方がないところ、でも残念です。一方これも気になっていた藤原宮跡の蓮の花、この間行ってきたのですがこちらの方は見事に咲いていました、その模様についてはまた別の機会にお送りしたいと思います、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました・・・・・・・・・・・まちみち


No.1402 天理市の川巡り(4)・・・布留川北流

2020-08-14 23:04:16 | ふうけい
よろしくお願いします。













天理市内中心部を流れる水路を追いかけての4回目、まずは前回の続きで布留川の北北流を追っています。写真1枚目、3枚目の左側の道が中ツ道、川は道からカーブして離れて行き、間もなく布留川北流へと合流する。北北流が合流したのが北流、と言うことは次に巡るのはその北流と言うこと?そうなのです、何ともややこしいことなのですが、ここからが今回の本流である、布留川北流巡りです、川の流れとは逆向きに上流方面へと行くのですが、これもまたまたややこしいことなのですが、再び天理の中心部へと向かうことになります。




















川は中ツ道を越えて住宅地の中を緩やかに蛇行しながら東へと向いていて、東井戸堂町の集落を過ぎた辺りで90度北へと向きを変える、そこはちょうどビッグエクストラ天理店の裏側に当たる。元はイオンスーパーセンター天理店だった所、初めてこの店に入った時はちょっとしたカルチャーショックだった。広々とした店内はワンフロアーに食料品、雑貨、衣類、自転車屋があり、更にフードコートまで。2Fはどんなだろうと段差のないエスカレーターを上って行くとそこは駐車場、つまり1Fに店舗のすべてが集約されている、今までこんな形のスーパーは見たことなかった。調べてみるとイオングループがスーパーセンター型店舗の実験店として出店した日本で3番目の店舗だったとか、ちなみにうちの最寄りでよく利用させてもらっている大安寺店は日本で6番目のスーパーセンターであり、これまでは都市郊外にあったものが初めて都市部・・・とりあえず大安寺は奈良市の中では都市部に当たる・・・にできた店舗だと言うことです。あららら~、話が逸れてしまいましたね、布留川北流巡りに戻りましょう、川は天理署の脇でまた90度東に向きを変えて市道を越える。その先にあるのが写真下4枚にある川薬師寺と言う小寺院、薬師寺と称した寺院は至る所にあるが、その上に「川」と言う字が付いているのは目の前に北流があるからか・・・。


















川薬師寺を過ぎると北流は蛇行して丹波市小学校の脇を通り過ぎる、と思ったら向こう側にももう一本、別の川が学校の脇を流れている。やがて北流はJR万葉まほろば線の下を通り抜けて丹波市の町並へと入って行く、よく見るとさっきのもう一本の川も100mほど南でJR線を越えているがこちらと合流はしそうにない。北流は丹波市幼稚園の脇を過ぎて上ツ道を通り過ぎる、写真の並びの真ん中辺りに中ツ道を写している写真があるが、50mほど先の方にもう一本の川が流れているのが分かると思います。その次の写真では2本の川が並行している様子も、どうやらここが最接近の場所となっていそう、このもう一本の川が布留川本流で天理市の川巡りシリーズでは一番最後にお送りすることになる、いわばメインの水路です。
そんなわけでまたまた天理市の中心部へと戻って来ました、話が逸れたりもう一本の川のせいで今回影が薄くなってしまった北流ですが、写真ではたっぷりの存在感でお伝えしてきました。その終わりが下から2番目にある写真、ここは国道169号線の川原城町交差点の南側で向かいには天理市役所がある所、布留川の本流は上流部から市内の中心部へと至ってここで北流を分岐することとなる。分けられた水は北流へ行っても本流へ行っても最後は大和川へとたどり着くが、見れる風景は変わってくる、その運命を決めるのが写真にある菱形の白い仕切・・・人生だってほんのちょっとしたことがきっかけで右へも左へも分かれてしまう、そう思うとあの仕切が何か切ないものに見えてしまいます。さて、北流巡りが終わりました、となると次回は南流となるのですが、あれれ?スタートはどこなんでしょうか、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました・・・・・・・・・・・まちみち



No.1401 大安寺の風景を見て思うこと

2020-08-13 19:56:33 | 日記
よろしくお願いします。

















今回もまずは甲子園の話から、一昨日の天理に続き昨日(12日)は智辯学園も負けてしまいました。相手は昨秋の神宮王者中京大中京、対戦が決まった時には今回は交流戦で良かったと思ったほどでしたが、いやいや、なかなかいい試合を見せてくれました。初回に3点取られた時にはああ~、案の定やな~、と思ったのですが、4回に同点に追い付きその後は2年生投手の西村君が力投。息詰まる投手戦は好きなんですが、さすがに地元となるとそうは行かない、結局両チームともその後は点が入らず延長戦へ、しかも今回はタイブレーク方式です。10回表、智辯学園は強行策も・・・自分(一人称)はこの選択は良かったと思いますよ、送りバントと言ったセオリー通りに行く必要はないし点数を狙うには一番、ただうまく行かないことも多く案の定無得点で終わってしまう、こうなると裏のチームは圧倒的に有利、最後は中京大がサヨナラインフィールドフライと言う珍しいプレーでサヨナラ勝ちしました。智辯のセカンド、なぜあそこで落とすかな~、前に鳴門に負けた時のことを思い出してしまった、守るべきところはキッチリ守らなければ。まあ最後は落球よりもホームでのタッチプレーが勝負を決めることになったわけだが、さすがに2年生投手西村君、ここまで強豪を追い詰めたなら最後は勝ちたかっただろうな~、試合後は号泣してました、来年があるから、と言ってもあまりにも悔いの残る試合でした。奈良県は両方とも負けてしまいましたが、残念さよりも楽しみの方が残った感じ、これは来年、どうなるかな?案外空気読まずに奈良大附が来たりして・・・。












写真の方は地元、大安寺界隈の風景を並べました、自分(一人称)の家からは近い所ばかりと言うことで、どれも自宅療養中に撮ったものばかり・・・自宅で療養なのに外の風景とはこれいかに?・・・です。甲子園は春夏中止で今は違う形で行われ、プロ野球も開幕が2ヶ月遅れ、テレビではドラマが休止して再放送ばかりになり、大河、朝ドラはいまだに再開していない状態。そう言えば『監察医朝顔』は秋冬で6ヶ月やるとのことで、樹里さん、大河から久々の長丁場、大丈夫かな~。そんな何もかもが変わってしまった世の中で自分(一人称)は変わるつもりはなかったんだけどなあ、一寸先は闇、何が起こるかわからない、突然目の前が真っ暗になった感じで1ヶ月、仕事を休まなければならなくなってしまいました。
休んでる間は家にいるのが嫌だった、最初の1週間はギプスを巻いた状態で気が狂いそうだった。だからサポーターに変わった後は晴れた日にはスマホとカメラを持って近辺へ出かけては、何気ない風景の写真を撮りまくった、今回はそんな写真をズラリと並べました。5月末から6月初めの田植えが終わった頃、まだ暑くなくいい気候だったのが自分(一人称)にも幸いしました、気が狂いそうな日常を回避できたのは、この風景に気分を紛らせることができたから、でももう2度と経験したくないことだから、この写真を見るとあの頃のことを思い出してしまいますね、ちょっと辛いです・・・























仕事は1ヶ月後に復帰、もう勘を取り戻すのに必死だった、出たからには痛いや休みたいなど言い訳はできないし、それは言わない自信もあった。しかし仕事には復帰できても自転車には更に1ヶ月間乗れませんでした、この間はずっと電車通勤、たった2駅とは言え往復を実費で言っていたから出費は結構きつかった。先生からのお墨付きも出て久しぶりに相棒君に乗った時は、懐かしさよりも怖さの方が大きかった、それでもまた生活の頼りにしなければならないもの、家に戻って来た・・・相棒君は2ヶ月間仕事場に置きっぱなしだった・・・翌日からは早速足慣らし、体慣らしで近辺を走り始めました。その後4連休もあって、来るべき夏の休みに備えて奈良市、大和郡山市周辺から枠を広げていってGo To オープン戦と称してトレーニング走り、その甲斐あってかこの盆休みには以前と変わらない状態で走ることができています、まあ金欠も以前と変わらへんのやけどね。先日は正月以来久しぶりに滋賀県へと行ってきました、以前のように早く走ったりはできないし上り坂もまだまだキツイ、暑くて長距離はしんどかったけどそれでも楽しかった、やっと自分的Go Toが始まったと言ったところです。休みはもう少し続くので、明日もまたどこかへ出かけようと考えています、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました・・・・・・・・・・・まちみち



No.1400 お地蔵様で町巡り・・・京田辺市、井手町編

2020-08-12 19:36:14 | まち
よろしくお願いします。



















甲子園交流試合、天理あっさり負けてしまいました、まあ広島新庄の先発の左投手がなかなかよかったのでこれは手こずりそうやな~、と思ったのですが、案の定な結果となってしまいました。これが本戦なら「近畿大会覇者が何してる!奈良に帰ってくんな!!」となるところですが、今回は1試合だけの交流戦、そこまでムキになることもないでしょう。試合後の監督も主将も晴れやかな表情、甲子園で試合が出来た嬉しさをあらわにしていました。9回には2年生、期待の達投手が登板、監督がうちにはこんな凄い投手がいるんや、覚えとけ、とでも言いたそうな感じでマウンドに上げたかのようでしたが、1イニングを3人で抑えてくれました、彼が来年も甲子園に登場して結果を残してくれることを期待したいところです。試合には負けましたがノーエラー、相手にはまずい走塁があり試合内容では決して負けてなかったと思います、まあここは温かい目で見守っていくこととしましょう、本番は来年です。そして今日は智辯学園が中京大中京との対戦、これについてはまた機会を改めて取り上げようと思っています、もう結果は分かってんだけどねえ・・・。



















写真の方は今年の1月に京田辺、山城方面を走った時の記録をお伝えしています、生駒市から交野市へと入り、その後津田から氷室路を経て京田辺市へと入りました。普賢寺界隈はよく自転車で行く所、生駒方面から程々高低差のある道を行かなければならないので、結構いいトレーニングになる所です。普賢寺川に沿って途中ではいくつかの寺院に立ち寄りながら、やがて平野部へと下りてきて近鉄、JR三山木駅へ、いつもなら自転車道へと入るところなのだが、今回はここからは普段あまり行くことのない丘陵部へと向かう。茶畑が広がり、小さな集落があり、界隈には古墳もあって見所が多い、普段は木津川自転車道を走るのでめったに立ち寄ることがない地域だが、ポイントになるものはいろいろと見つけることができた。古墳については別機会でのお伝えをと考えているのですが、これもまだ蔵に入ったまんまになってます、いつか日の目を見せてあげなければならないのですが、さて、いつのことになるのやら・・・。京田辺市は玉露の里と言うことだが、この飯岡と言う地域では高低差のある所に茶畑が広がっていて、大きな看板を掲げてお茶の産地と言うことをアピールしている。ここまで走ってきた道には側道に茶色のラインが引かれていて、「やましろ茶いくるライン」とちょっとふざけたネーミングのサイクリングロードとなっている。山城地域一帯を網羅しているサイクリングロードは、自分(一人称)も暇やからどっか走るか~、と思った時によく利用させてもらってます、ただ高低差が結構辛いんだよなあ。














玉水橋を渡って井手町へ、国道24号線の信号を渡ってJR玉水駅方面へと向かう。夕刻に差し掛かり寒さも増してくる頃・・・夏の暑さ真っ盛りの時期に寒い時の話をするのも変な感じだが・・・だが、日が暮れるまでにはまだ時間もある、輪行をするほどのことはなさそう。JR玉水駅周辺は割と民家が密集していてJR奈良線を走る快速も停車する駅、国道と木津川へと注ぐ玉川に囲まれた辺りの町並は旧街道の雰囲気が漂っていて、小さな寺院やお地蔵様もちらほらと見かける。元は奈良へと続く街道が通っていた所で、駅から南へ行った所にはその雰囲気を思わせる町並が続いているが、最近は東側の高台に住宅地が広がり、町の中心部だった辺りも影が薄くなってきている感じ。久しぶりにJR玉水駅へと行ってみると昔の風情のあった駅舎はなくなり、今風の橋上駅舎に改装されていた、快速が停まり町の玄関口としての役割を果たしているとのことで、更なる集客を見込んでの改装だろうが、何でそんなに何もかも新しくしたいんだろうかな~?昔の姿のまま残しておくのってもう流行らないんかな~?ちょっと残念な気持ちで駅を後にすることになってしまった、この後はもう少し時間もあることだし、お地蔵様巡りを続けながら奈良を目指すこととしましょうか、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました・・・・・・・・・・・まちみち


No.1399 明日香村の水路巡り(2)

2020-08-11 09:43:49 | ふうけい
よろしくお願いします。
















明日香村での水路巡り、今回まずは岡寺へ向かう上り坂から始まります。まずは写真2枚目、左側に小さく見えている幟は岡本寺の旗、この間の『こころ旅蔵出しスペシャル』では目的地として行っていた所、ここでも天智天皇所縁の寺院として紹介したことがありました。水路は岡寺方面から流れてきて、道に沿って坂を下って鳥居が立つ場所へとたどり着く、バスが通る道が交差していてその向こう側には観光地とは隔絶されたかの雰囲気のようにある集落。水はコロコロと涼し気で小気味いい音をたてて、集落を取り巻くように張り巡らせている小さな水路を流れて抜けていく。



















集落を抜けると田園風景が広がる所へ、前方には天香久山、左手側には甘樫丘が見えている。写真2枚目、3枚目にあるのは飛鳥板蓋宮跡、大化の改新(乙巳の変)の舞台となった場所で、その時に殺された蘇我入鹿の首が飛鳥寺の今の首塚のある所まで飛んでいったとか。まあそれは言われとして、この前やっていたドラマ『大化の改新』でもそのシーンは生々しい感じでやっていたが、蘇我入鹿にもこの国の行方に思いがあっただけに志半ばで倒されたことには悔いもあっただろう。まあ見ている方にそう思わせるのは役者さんの力量に寄るものだろうが、この事変が日本の歴史の流れを変えたのは事実だし日本の政治の礎になったのは確かなことだ。そんな血生臭さの漂っていた飛鳥の地も、この時は自粛の真っ最中で静かな風景が広がっていた。追いかけている水路は農道に沿ってサラサラと流れている、観光地としてたくさんの人が訪れる明日香村だが、自分(一人称)はその観光の場所からは少し離れた所にあるここの田畑の風景が好きだ。人の動きなど我関せずってな感じでした動き続ける農家の人々、農機具の操作音、そしてここでもコロコロと涼しげな音を立てて水路は流れ続けている。板蓋宮跡から飛鳥寺へといつもの経路で進んで行くと、写真後半部にある、何やら人工的に整備された水路が現れる、そこに立っている看板には「吉野川分水」とある。

















「吉野川分水」・・・よく聞くようなこの言葉、よく目にするようなこの文字。どことなく懐かしい響きにも感じるのは、小学生の頃、社会科の授業で地元の産業と言うことでこの言葉を聞いていたからかも知れない。その時には何気なくボーっと興味もなしに聞いていた言葉だったのだろう、その文字が水路巡りをしているせいか、今回新鮮な感じで目に飛び込んできた。もしかしたら奈良県内をあちらこちらと走っていて、多分いろいろな場所でこの文字を見かけているかも知れないが、今回は水路を意識して走っているせいか、今回は思い切り興味を引かれて立ち止まってしまった。説明の
看板を見ると吉野川から奈良盆地に運ばれた水が、各地域の田畑に供給されているとのこと、なるほど、奈良の農業に吉野川分水は欠かせないものだったんだ。明日香村にある水路はその一部が姿を見せている所と言うことだが、吉野川分水の水路や施設は奈良盆地内でもいろいろと見ることができそうとのこと、もしかしたらこれまでにもどこかで見つけていたのかも知れない。さて、明日香村の水路巡り、今回は新たな発見があったせいで巡りが中途半端になってしまいましたが、次回もこの続きで長閑な風景を水路とともに巡って行きたいと思います、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました・・・・・・・・・・・まちみち