よろしくお願いします。
滋賀の旅、昨年秋に走った記録は今回が最終回となります、前回は東近江市から近江八幡市へと入り中山道へ、その後は国道8号線を進んで野洲市へと入りました。そろそろ帰りの時間を気にしなければならないところ、どの駅で輪行をするかを考えながらの走りとなっています、できれば料金を抑えたいところですが果たしてどこまで行けるでしょうか・・・。
まずは野洲市の中心部、朝鮮人街道との分岐点を通り過ぎると旧街道の雰囲気が漂う町並へと差し掛かる。先を急ぎたいところなのにこの辺りでもお地蔵様があれば止まっては写真、小寺院があれば止まっては写真の繰り返し、しかも空模様もちょっと怪しくなってきた感じ、雨も心配になってきた。酒蔵が建つ所からJR東海道本線の下をくぐりぬけると県道が合流してきて交通量も多くなってくる、その合流点にも写真下2枚目にあるお堂があるが、車線の反対側にあり上り坂の途中、車も多くてここは写真を撮るだけでスルーするしかなかった、さあ、先を急ごう。
守山市に入ると中山道は車の多い通りから外れるが、旧街道の方が県道151号線を名乗っている。吉身の町並もいい雰囲気、更に進んで行くと守山宿の中心部、緩やかにカーブした道が旧街道のいい雰囲気を醸し出している、この辺りでもお地蔵様や道標など見るものには飽きない。癪場町の終わる辺りにあるのが東門院↓↓↓
「延暦年間(782-805)、「比叡三千坊」といわれる比叡山の僧坊のひとつとして最澄<サイチョウ>(767-822)が開き、正確には「比叡山東門院守山寺」といいます。桓武天皇(737-806)から「比叡山を守る東門」としてこの名を賜り、寺領5村350石を賜ったという縁起が伝えられる寺院です。」
とのこと、仁王様が立つ立派な山門が印象的な寺院です。ああ~、とうとう雨が降りだしてきた、予報では雨なんて言ってたかな・・・などと思いながら先へと進んで行くとここでもよく取り上げたことがある焔魔堂交差点、ここを通り過ぎてすぐの所にあるのが十王寺、ちょっと雨がきつくなってきたのでここで雨宿りとするか。山門の小さな入口をくぐるとお堂が建っている、これが閻魔堂なのか、その横には看板が立っていて何体かの閻魔様の写真がかかげられているが怖い顔もあれば穏やかそうな表情のお顔もある、地獄で悪の裁きを降す閻魔様は怖いイメージがあるがこれを見るとイメージも変わってしまいそう。
草津市に入って雨も止んだ、まだ空は明るい、こうなりゃもう大津市まで行ってしまうか、と言うことで草津市の中心を抜けて朝に通った浜街道へと向かう。旧東海道を行くと遠回りになってしまうが近江大橋経由なら大津市もあっと言う間にたどり着ける、大津駅からなら奈良まで千円札1枚だけで帰ることができる、自分的には上出来な走りだ。空は曇っていて普段の夕暮れ時より少し薄暗く感じる中、近江大橋を渡って大津市へ、旧東海道へと入ってJR大津駅を目指す・・・はずがなぜか大津を通り過ぎて国道1号線の逢阪越えの上りを走っている。大津に着いたところでまだ時間に余裕があったし体力的にもまだ余裕はある、こうなりゃ一気に京都まで行ってしまおう、となったわけである。最終目的はJR宇治駅、逢阪を過ぎるとそこから宇治までは基本下りが続く所、山科を過ぎて外環へと入り、六地蔵からは旧街道を経由して宇治へとたどり着いた。空はもう真っ暗になっていて最後はちょっとヘトヘトになってしまったが、金欠が続く状態でここまで走れたことは自分でも「よくできました!」状態、宇治駅からは急ぐことなくゆっくりと座れる普通に乗ってそのままzzz・・・、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち
滋賀の旅、昨年秋に走った記録は今回が最終回となります、前回は東近江市から近江八幡市へと入り中山道へ、その後は国道8号線を進んで野洲市へと入りました。そろそろ帰りの時間を気にしなければならないところ、どの駅で輪行をするかを考えながらの走りとなっています、できれば料金を抑えたいところですが果たしてどこまで行けるでしょうか・・・。
まずは野洲市の中心部、朝鮮人街道との分岐点を通り過ぎると旧街道の雰囲気が漂う町並へと差し掛かる。先を急ぎたいところなのにこの辺りでもお地蔵様があれば止まっては写真、小寺院があれば止まっては写真の繰り返し、しかも空模様もちょっと怪しくなってきた感じ、雨も心配になってきた。酒蔵が建つ所からJR東海道本線の下をくぐりぬけると県道が合流してきて交通量も多くなってくる、その合流点にも写真下2枚目にあるお堂があるが、車線の反対側にあり上り坂の途中、車も多くてここは写真を撮るだけでスルーするしかなかった、さあ、先を急ごう。
守山市に入ると中山道は車の多い通りから外れるが、旧街道の方が県道151号線を名乗っている。吉身の町並もいい雰囲気、更に進んで行くと守山宿の中心部、緩やかにカーブした道が旧街道のいい雰囲気を醸し出している、この辺りでもお地蔵様や道標など見るものには飽きない。癪場町の終わる辺りにあるのが東門院↓↓↓
「延暦年間(782-805)、「比叡三千坊」といわれる比叡山の僧坊のひとつとして最澄<サイチョウ>(767-822)が開き、正確には「比叡山東門院守山寺」といいます。桓武天皇(737-806)から「比叡山を守る東門」としてこの名を賜り、寺領5村350石を賜ったという縁起が伝えられる寺院です。」
とのこと、仁王様が立つ立派な山門が印象的な寺院です。ああ~、とうとう雨が降りだしてきた、予報では雨なんて言ってたかな・・・などと思いながら先へと進んで行くとここでもよく取り上げたことがある焔魔堂交差点、ここを通り過ぎてすぐの所にあるのが十王寺、ちょっと雨がきつくなってきたのでここで雨宿りとするか。山門の小さな入口をくぐるとお堂が建っている、これが閻魔堂なのか、その横には看板が立っていて何体かの閻魔様の写真がかかげられているが怖い顔もあれば穏やかそうな表情のお顔もある、地獄で悪の裁きを降す閻魔様は怖いイメージがあるがこれを見るとイメージも変わってしまいそう。
草津市に入って雨も止んだ、まだ空は明るい、こうなりゃもう大津市まで行ってしまうか、と言うことで草津市の中心を抜けて朝に通った浜街道へと向かう。旧東海道を行くと遠回りになってしまうが近江大橋経由なら大津市もあっと言う間にたどり着ける、大津駅からなら奈良まで千円札1枚だけで帰ることができる、自分的には上出来な走りだ。空は曇っていて普段の夕暮れ時より少し薄暗く感じる中、近江大橋を渡って大津市へ、旧東海道へと入ってJR大津駅を目指す・・・はずがなぜか大津を通り過ぎて国道1号線の逢阪越えの上りを走っている。大津に着いたところでまだ時間に余裕があったし体力的にもまだ余裕はある、こうなりゃ一気に京都まで行ってしまおう、となったわけである。最終目的はJR宇治駅、逢阪を過ぎるとそこから宇治までは基本下りが続く所、山科を過ぎて外環へと入り、六地蔵からは旧街道を経由して宇治へとたどり着いた。空はもう真っ暗になっていて最後はちょっとヘトヘトになってしまったが、金欠が続く状態でここまで走れたことは自分でも「よくできました!」状態、宇治駅からは急ぐことなくゆっくりと座れる普通に乗ってそのままzzz・・・、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち