まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.1085 世界の中心への旅(6)・・・琴電各駅巡りから屋島方面へ

2019-03-10 19:38:46 | 旅行記
おはようございます。














香川の旅、前回からあまり間隔を空けないでのお送りとしていきます、旅は後半戦に入って行くところ、早く終わらせないといけないシリーズなのでペースを上げて行きたいところなんですけどねえ。さて、まずは琴電琴平線各駅巡り、まずは写真1枚目~3枚目にあるのが栗林公園駅・・・ってあれ、前回の終わりの太田駅から一駅飛ばしているのではないか。なぜこうなったのかと言うと、初めは太田駅から線路に近い道を進んでいたのですが、途中の高松自動車道に道を遮られて線路から少し離れた道へと行かざるを得なくなってしまった。そこからは先へ進めども次の駅の案内はなく場所も全く分からないまま結局栗林公園付近までやって来た次第。もう戻っている時間も気持ちの余裕もないのでそのまま栗林公園駅へと向かうことに。駅はもう市の中心部に近い所まで来た町の真ん中にあり、写真1枚目には駅の向こう側に栗林公園の森も見えている、ちょっと洒落た感じの駅舎が観光地への玄関口と言うことを誇示しているかのよう。ここから真っ直ぐ北へと進んで行って高架のJR栗林駅の下を過ぎると次の瓦町駅、ここは琴平線、長尾線、志度線の3線が集まる駅で琴電の一大ターミナル、昔は特徴のある駅舎だったが今は駅ビルになっていてホームの様子は見ることができない。上の写真では真ん中の電車の写真3枚が駅から少し外れた場所で撮ったもの、琴平線と長尾線がこの駅で合流して高松築港駅へと向かう形になっているが、志度線は高松築港駅方面とは逆方向になってしまうので駅ビルのホームには入らず、少し離れた所にホームがあり2線とは独立した形で運行されている。さて、いろいろと苦しめられた琴電琴平線各駅巡りはとりあえず瓦町駅で終了、ここから先はこの駅の近くを通っている国道11号線を進んでこの旅の最終目的地へと向かうことにする。















時間があれば続けて志度線各駅巡りと行きたかったが、琴平線、別に甘く見たわけではなかったがこれほど苦労するとは思わなかった。琴平から高松市内までは約30キロ程、もう3度くらい走っている所で道もある程度は知っていた、その道に線路が沿っていたので各駅巡りもスッと行けると思っていた、がいざ実行となると駅間は長いわ、道は駅から離れている所はあるわ、川が行く手を阻んで迂回せざるを得ない所はあるわで、予定していた時間をはるかに遅くなっての高松到着となってしまった。帰りはフェリーと決めているが時間と自分(一人称)の脚力を考えるとまあギリギリか・・・と言うことで予定通り走ることにしました、行先は世界の中心で愛を叫ぶ町、庵治町です。







国道11号線は真っ直ぐで走りやすい道、所々では琴電志度線の線路も見えるが各駅巡りは次回の宿題として、まずは庵治町への入口となる八栗へと向かう。進行方向左手側に見えるのは屋島、まるで台形のような特徴のある形の山は元は島だったのが陸続きになったとのこと、それにしてもこんな形の山は滅多に見かけない、ホントは元は島だったと言うからよく特撮であるように頂上の平らな部分が海面の近くにあって、徐々に徐々に浮かび上がってきて山の高さになったのかも・・・ってそんなわけないか。やがて琴電八栗駅横の踏切を過ぎて牟礼の町並へと差し掛かって行く、この辺りでは至る所で源平合戦の文字を見る、屋島の源平合戦と言うと大河『義経』の弓矢のシーン、那須与一の役を今井翼がやってたんだっけ・・・な~んて歴史的な出来事も何でも大河ドラマに重ねてしまうわけですが、教科書よりもドラマの方がはるかに分かりやすい気はするんですけどねえ。まあ戦国時代や幕末はもう何度もやってるから、誰が誰と言うイメージとなるといろいろな人を思い浮かべてしまうが、平安~室町辺りはあまりやってないから結構印象に残るんですよね、例えば平清盛=松山ケンイチとか、源義経=滝沢秀明、源頼朝は中井貴一かな、北村一輝がめっさ悪い奴を演じてたのもありましたね。でも鎌倉後期~南北朝~室町時代の大河って自分(一人称)は見たことないんだよなあ、一度この時代をみっちりとやってほしいなあ、応仁の乱なんて10年以上続いたと言っても所詮はご近所トラブルが発端ですからね・・・ってまた話が逸れてしまいましたね、僕の悪い癖。ただ、今のうちに告知しておくなら次回のこの旅の話はもっと横に逸れて行ってしまうと思います、そんなわけで今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。         まちみち