とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

オニャンコポン「俺たちは求められたから存在する」

2021-02-11 20:12:12 | 雑感
この話は一から説明するとかなりややこしい。
丁寧に説明するには順序立てて書く必要がある。

だがそれを書いていこう。

1.
まずオニャンコポンから。

オニャンコポン - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%9D%E3%83%B3

オニャンコポン(Onyankopon、偉大な者の意[1]; アカン語: Onyankopɔn)は西アフリカ・ガーナのアシャンティ人(英語版)に伝わる神であり、天空神[2]である。オニャンコポンは同じくアシャンティ人などに伝わる神ニャメ(英語版) (Nyame) の別名とされることが多いが、オニャンコポンの神としての位置づけには曖昧な部分が多い。アカン語話者の神とされることもある[3][注 1]。


と言うことで以前もオニャンコポンについて記載したが、この冗談のようでいて、しかも誰しもが梅干しを用意して、出てきた唾液を眉に塗りたくるようなこの記事の説明では、オニャンコポンはガーナの神様の呼称らしい。
(発音的にはアシャンティではなくてオシャンティを期待したが、発音そのものはエシャンティに近いようだ(/ˈæʃɑːnˈtiː/ ))。

呼吸するごとにネタを発しているんじゃないか(オニャンコポン/アカン語/アシャンティ人)とどこまでも疑わしいこの記事のオニャンコポンはオクスフォード・イングリッシュ・ディクショナリーに登録済みである。


Onyankopon - Oxford Reference
https://www.oxfordreference.com/view/10.1093/oi/authority.20110803100250749

Literal meaning: ‘the great one’. According to the Ashanti, the universe is ‘full of spirits’, but as Bore-Bore, ‘the creator of all things’, Onyankopon was the god who made them all. Below the pantheon of gods, abosom, and minor deities, asuman, are the lesser spirits which animate trees, animals, or charms; and then there are the ever-present nsamanfo, the spirits of the ancestors. Onyankopon is Otumfoo, ‘the powerful one’; Otomankoma, ‘the eternal one’; Ananse Kokroko, ‘the great wise spider’; and Onyankopon Kwame, ‘the great one who appeared on Saturday.’


日本では元々あざとく演出した女性や可愛らしい子猫を指して、幼稚語のように表現して「おにゃんこ」と言う語感が存在した。ただこれは2021年のトレンド的には完全に古い。仮にそういう日本語のネーミングがあっても80年代のセンスだろう。使い古された超古代のオヤジ達のネーミングセンスである。
また、ちょっとふざけてあだなの下にオノマトペ的に接尾辞である「ちん」「みょん」「ぴょん」「ぽん」「ちょぱ」「ちん」など感覚的に湧き上がるフレーズをつけることがあり、この「ぽん」もそんな感じである。これがつくと日本人的には妙な親近感が沸くのだ。

なので、このオニャンコポンとは「おにゃんこ」+「ぽん」で、日本人的には失笑付きの親近感が沸くが、一方においてスムーズに受け入れられる素地があるネーミングであり、更にそれが格式高い神様の名前と言うギャップも日本人のハートをキャッチした遠因である。
(類例としてロシア大統領のプーチンなどが挙げられる/「プー」+「チン」で親近感が沸く:但し、ロシア本国の官僚の間ではとにかく死神だと恐れられるプーチンが、日本語語感だと子供時代のあだ名を想起させるというギャップから好意的に捉えられていると言う、プーチンその人にとっては神がかり的運命である)。


さて、この名前をモチーフにして、現在の人気漫画・アニメである「進撃の巨人」には、同名の黒人キャラクターが登場した。

当然ながらこのキャラクター名称の「オニャンコポン」に、日本人読者の心は展開の全てを持ってかれた。勿論、作者の諫山氏は日本語話者の日本人なのでそれを狙っただろう。


2.
海外ではちょっと勝手が違い、日本人とは違って「オニャンコポン」の名称には特に引っかからなかったようである。
一方で重要視されたのは、彼の言ったセリフである。

オニャンコポンは黒人なのだが、進撃の巨人でのそれまでのストーリーはマジョリティとして白人、マイノリティーとしてアジア人しか出てこなかった。

その邂逅で、白人人種のとあるキャラクターは「オニャンコポンはどうして肌が黒いの? 」と聞く。
現在の現実世界ではこの質問は完全にタブーだ。

例えばアジア人に向かって「なんで目がつりあがっていて目が小さいの? 」だとか、白人に向かって「どうして鼻が鷲鼻なの? 大きいの? 」と聞いているようなものだ。
あるいは赤毛の人に向かって「どうして髪が赤いの? 」と聞くのも同じだ。

コンプレックスや差別迫害史はそれぞれにあり、自分自身が持ってはいるが触れられたくないと言う特徴は誰しもが持っており、それに対して触れないと言うのが人種に関係なく世界共通のマナーである。

ただこの作中でオニャンコポン自身はかなりクレバーでクールな回答をした。





と言うことで、人種の多様性をポジティブに考えて肯定し、その社会や世界での地位を独自に確立する、と言うセリフはもっと肯定されていい。

私自身がそういうリアクションしか見ていないだけかもしれないが、現在の海外視聴者(特に黒人だが白人も含めて)に対して、この件はかなりポジティブに捉えられているように見えた。


3.
私自身も振り返ってみるとこの言葉に救われたような気がする。
以前の記事「ブサイクは死んではならない」で、一つの基準に到達しなかったからと言って、その種は淘汰されるべきではない、と言う旨で記載してはいたが、それを補強する形になったと思う。

私は今まで社会に必要とされていなかったし、落胆や失望ばかりを周囲に与え、自身はそれを受け続けていた。ある時は私は他者を傷つけたし、ある時は傷つけられた。振り返れば学校教育の環境はかなりのサディズムで構成されていた。子供とはそういうものなのだろう。
サディズムとは、他者を傷つけても良いと言う非健全な集団精神活動を肯定的に是認する社会形態とその精神文化思想のことである。

そうした中、私は自分の人生の中で自分は生きているべきではないと思ったが、一方で存在もしていたいというジレンマに悩まされ、その双方の綱引きで常に精神的なスタミナを摩耗していた。
ただ、「求められたから存在する」と言う言葉はそれを解決する一手段であるとも思う。
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