とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

メモ:○○にもとる

2016-01-02 23:51:46 | 文章・日本語・言葉
「マシュマロ・テスト」という書籍の中で、倫理にもとる、という表現があって、「ああ、なんか悪いことやった人を非難したいんだな」くらいに思ってスルーしそうになった。

しかし、「○○にもとる」という表現がされても、今の今まできちんとその意味の定義を調べたことが無かった。

ので、メモとして、ここに記載しておく。


もとる【悖る/戻る】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/219690/meaning/m0u/

もと・る【×悖る/▽戻る】

[動ラ五(四)]

1 道理にそむく。反する。「人の道に―・る」

2 ねじり曲がる。ゆがむ。また、ゆがめる。
「故 (ことさら) に己が口を―・りて」〈霊異記・中〉


ということで、「もとる」自体が動詞、「に」は助詞で、「○○」には人間社会の守られるべき基本的な倫理規範の語句が入り、それが破られた時に、その状態を起こした当人を批難する意味で使うようだ。
この「倫理規範の語句」であるが、若干その選定が難しい。

用例:

信義にもとるの同義語 - 類語辞典(シソーラス)
http://thesaurus.weblio.jp/content/%E4%BF%A1%E7%BE%A9%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A8%E3%82%8B

・信義にもとる
・道義にもとる
・正義にもとる


この他、「マシュマロ・テスト」では、倫理にもとる、という表現があったので、「人間社会の守られるべき基本的な倫理規範」というのはやはり正しい。

もう少し細かくいうと、この傾向を見ると、「○○」に入るのは、
・伝統的社会から生成される倫理規範
・人間が生来持つべき文化的倫理規範
に通じているように思われる。


なので、次の語句は使用例として不自然になる。

・コンプライアンスにもとる
 →伝統社会の道徳倫理から生成されているわけではなく、近代社会での契約上のモラルであるから批難の意として若干弱い。

・ルールにもとる
 →ルールは、倫理規範と別方向で意味する「判定の為の定規」として使用される。生来の文化的な人間が持つべき倫理規範とは同一でないので、使用としてはNG。

・愛社精神にもとる
 →何かあったらリストラするくせに、何都合良いこと言っとんねん。
  使ってもいいが、社員のしらけもセットという雰囲気になる。
  つまり、「○○にもとる」を言う場合、その言葉の裏には批難対象者の自制を促す、倫理的な行動基準の一般解が無ければならない。

・おもてなし精神にもとる
 →こっちが親切でやっているのに、そのアラを探すとかありえない。


次のは若干自然か。
その人が履行しているべき社会的信条、理念や倫理を、あなた自身が履行していませんよ、どうなっているんですか? と言う形で使用する。

・スポーツマンシップにもとる。
・職人気質にもとる。
・人としての精神にもとる。
・人間愛にもとる。
・家族愛にもとる。
・パトリオットにもとる。(日本で愛国精神と言うのはNGに近い・・・)
・動物愛護精神にもとる。(但し、それは人間社会の歴史を見る限りずっと通底していた訳ではなく、一般通念としては絶対的に使用できないようなので、使用を限定的にすべき。)
・仲間意識にもとる。
・騎士道精神にもとる。
・武士道にもとる。
・フェア精神にもとる。
・道徳にもとる。

という感じか。
コメント (3)
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派遣労働、その過酷な実態

2016-01-02 21:19:40 | 国内社会批判

「人材派遣業」の闇 ~あまりにブラックすぎる実態を潜入レポート  | 現代新書カフェ | 現代ビジネス [講談社]
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/46867

現代新書カフェ
2015年12月15日(火) 中沢彰吾
「人材派遣業」の闇
~あまりにブラックすぎる実態を潜入レポート


日本の労働市場に寄生し、ピンハネで肥え太る悪質な人材派遣業者。彼らの増殖と繁栄は、底辺の労働者のさらなる困窮と表裏一体である。知られざる人材派遣業界の闇と、「一億総活躍社会」を掲げながら平然と労働者をモノ扱いしつづける政府・厚労省の欺瞞を暴く。

文/中沢彰吾(ノンフィクションライター)
口をつぐんでうつむく500人の中高年

「静かにしろ! 私語厳禁だ」

やせて神経質そうな銀ぶちのメガネをかけた、長身のダークスーツ姿の若い青年の怒声が超高層ビル街の谷間に響いた。彼の前に並んだ普段着姿の中高年の男女はそれまでにこやかに世間話を楽しんでいたが、叱られた子供のように口をつぐんでうつむいた。

相手は自分たちの息子のような年齢だが、青年のご機嫌を損ねてはいけないと誰もがおどおどしていた。

2014年12月1日、西新宿にある住友ビル前の広場には異様な光景が広がっていた。小学校の朝礼よろしく整列させられた500人ほどの中高年たちを数十人の若い男女が監視している。彼らは銃や鞭こそ持たないが時折発する叱責の声は厳しく、北朝鮮の集結所(強制収容所)を彷彿とさせる光景だった。

間もなく中高年の集団は40階にある広大なオフィスに移動させられ、約50人ずつの島に分けられた。およそ100人の監視役の若者たちが島の周囲を囲んで立ち威圧的に見張る。

ものものしい雰囲気の中、業務研修が始まった。マイクを持った説明役の女性が電話のかけ方をレクチャーし、その指示に従って全員で唱和する。ニコニコしているだけで口を開けていなかったりよそ見をしていたりすると監視役に目ざとく見つけられて叱られる。

私の隣に座った62歳の男性は化学メーカーの元エンジニアで、電話でしゃべるのが苦手な人だった。一方、私は放送局でアナウンサーとして勤務したことがあり、しゃべりの専門的な訓練を受けている。彼に発声法や間の取り方、受話器の向こうの相手の気持ちをほぐす言い回しなどをアドバイスしていると、監視役の若者が間に割って入った。

「何をしている」

「いや、この方に教えてあげていたんですよ」

「指導するのは我々だ。勝手なことをするな」

彼らからわたされた薄っぺらな話し方マニュアルは素人が思いつきで書いたとしか思えない稚拙なもので役に立ちそうもない。監視役の「指導」とはそのマニュアルを読んで聞かせるだけだった。


次に隣同士での対面練習を指示された。まず右側の人が左側の人に電話をかけたという態で話しかけ、あとは交互に繰り返す。ところが私の左側の元エンジニア氏は、「あんたは訓練の必要ないじゃないか。私に練習させてくれ」と言うので、私は右側だったが聞き役になった。すると、再び同じ監視役が血相を変えてとんできた。

「指示を聞いてないのか。右側が先だ」

「どっちからでもいいでしょう。交互にやれって言ってたじゃないですか」

「右が先だと言っただろう」
おどろきの某メディア「世論調査」現場

どうでもいいことに、なぜこれほどこだわるのか。しかもこちらは笑顔で穏やかに接しているのに、監視役の若者たちは目を三角にして常に暴力的な命令口調だ。得体の知れない恐怖を感じ血の気が引いた。

「この方がね、たくさん練習したいとおっしゃるから……」

「文句を言うな。指示された通り右からやるんだ」

「要は全体のレベルが上がればいいんでしょうが」

「うるさい。おまえは命令に従えないのか」

大学出たてのような青二才だが、まるでコミカルな戦争映画に出てくる、ものわかりのよろしくない上官のよう。

「私は君らの奴隷じゃないよ」

その途端、青年は黙って同じ島の若者たちに手をあげて合図した。すると、若い女性がさっと近寄ってきて小さなメモを私の前に置いた。

「お話ししたいことがあります。別室に来てください」

立ち上がると強烈な視線の圧力を感じた。島を囲んでいる若者たちが全員、私を憎々しげに見つめていた。

別室には背広姿の背の高い男たちが何人も待機していた。その中の一人が、あいさつもなく無表情で言った。

「すぐに帰宅するように。もうあなたは必要ありません」

翌日と翌々日も合わせて労働契約の一方的な破棄だった。解雇理由の説明などいっさいなかった。私の他にも呼び出された人が数人いた──。

2014年12月2日公示の衆議院議員選挙に合わせた某メディアによる世論調査会場での一幕である。集められた中高年は人材派遣会社に登録した労働者だ。

これのどこが「特別なスキルを生かした熟練労働」なのか?

派遣労働者は朝7時集合を命じられマニュアルを読まされたが、時給がカウントされたのは8時から。労働者派遣法と労働基準法では、派遣労働者が派遣先の指揮命令下に置かれる7時から賃金が発生するはずなのに……。

労働者を問答無用でクビにするのも違法ではないか。労基法では解雇事由を就業規則の絶対的必要記載事項と定めている。そして、労働契約法では、使用者が解雇権を行使する場合、就業規則上列挙されている解雇事由に該当する事実をあげ、かつ当該解雇が社会通念上相当であると認められない限り、解雇権濫用法理として、無効とされるのだが……。

近年解禁された派遣労働について、政府・厚生労働省は「特別なスキルを有し」「十分な実務能力を持った」「熟練労働者」を「労働者の希望する時間に」「適材適所で」派遣し、高度なスキルに見合った報酬と待遇が保証される、「労働者にとって有益な雇用形態」としている。

だが、それは詭弁に過ぎない。あとに詳しく記すが、製菓工場の塩素ガスがたちこめる密室で6時間にわたって「イチゴのへた取り」をさせたり、倉庫内でカッターナイフを振るう「ダンボール箱の解体」を1日中させたりする仕事のどこが「特別なスキルを生かした熟練労働」なのか。

今や人材派遣は「使いたい人数を安価に、必要最低限の時間だけ単純労働に従事させ、人事責任を負わない」という派遣先企業にとって、すこぶる好都合な制度になっている。数々の違法待遇に加えて、労働者の経験やスキル、人間性、人権をも無視した奴隷に近い労働形態が横行している。

私は過去1年間、一般人材派遣業許可を有する多くの人材派遣会社に登録して就業した。人材派遣会社や派遣先の違法行為を指摘するたびに「派遣のクズが……」と罵倒され、ほとんどの場合、即時解雇となった。

「蟻の一穴」という言葉がある。巨大な堤防も蟻が開けた微細な穴から崩れていくというたとえだ。人材派遣会社は労働者集団がおとなしければこそ、好き勝手に搾取して利益を上げられる。このため、一人の労働者の反発がまわりに伝染して多くが反抗的になることを彼らは最も恐れる。だから私のような人間は不満分子と見て早めに排除する。そこに遠慮やためらいはない。

人材派遣会社と、それに密接につながる企業相手の人減らしコンサルタント、インターネット職業紹介企業の3社が協力して編み出した違法なシステム「奴隷派遣」が日本社会に広まっている。

労働者を隔離して自由を奪った機械のような単純労働。より困難な業務の場合はマニュアルによる同一行動。緊張感を持たせて能率を上げるために私語を禁じ、手先の業務でも立ちっぱなしで座らせない。さらには監視役を立てての行動規制……。

先の世論調査では労働者を40階の職場集合とせず、いったんビル前の広場に集合させエレベータや通路を移動する間もずっと監視していた。休憩時間になってもほかのフロアや地下の飲食フロアへの立ち入りは厳禁とされた。ほかのフロアへ行けないように、通路や階段には事件現場のような規制線のテープが張られ、常時、監視役の若者が立っていた。
ターゲットは若者ばかりではない

非正規労働者の処遇改善が叫ばれて久しい。そもそもこの世論調査は3日間だけだから30日以内の「日雇い派遣」にあたる。あまりに短期の派遣労働は人材派遣会社と派遣先企業双方での適正な雇用管理がなされず、労災等の弊害も発生しやすいという理由で、2012年10月1日施行の労働者派遣法改正で原則禁止になった。

だが、人材派遣会社は法律など眼中になく、日雇い派遣を拡大させるとともに賃金や待遇を悪化させている。彼らのターゲットは今や若者ではない、日々増加する働き口に恵まれない中高年が利用されている。

民主国家における健全な労働とは、雇用主と労働者との間に信頼関係があって初めて成立する。人材派遣会社は派遣労働者の雇用主だ。だが、信頼関係を築くどころか、仕事内容や待遇面で嘘をついて、健康に問題がある人でも過酷な労働現場に送り込み、支払うべき賃金を踏み倒す。

極めて違法性が高く、労働者からの救済を求める訴えがあるにもかかわらず、各都道府県の労働局や厚生労働省の労働基準監督署は一向に対処しようとしない。いったいなぜなのか? 悪い冗談に聞こえるかもしれないが、中央官庁や地方自治体の多くが違法な人材派遣会社のお得意さまだからだ。

この問題が根深いのは、経費削減や税金の無駄遣いの防止、法律遵守や公共の福祉への貢献を求められる多くの団体、企業が、事業入札に安値で臨む人材派遣会社を「歓迎」していることである。落札させる際、その人材派遣会社が労働者をどう処遇しているかはまったく考慮されない。

問題のある派遣会社の顧客リストには驚くほかない。最高裁判所、法務省、厚生労働省、国土交通省、財務省、総務省、文部科学省等の中央官庁。全国の地方自治体が運営する美術館や大ホール、運動場などの公共施設。新聞社やテレビ局などの大手マスコミ、大手通信会社、大手金融機関、大手小売、大手製造……世間から真っ当と見られている団体、企業がこぞって人材派遣会社の繁栄を支援している。

歪んだ労働市場に寄生し、中高年を低賃金の奴隷労働で酷使し、ピンはねで肥え太る人材派遣……彼らの増殖と繁栄は底辺の労働者のさらなる困窮と表裏一体であり、彼らの画一的、抑圧的なビジネススタイルは日本社会の創造的な活力を削いでいる。

人材派遣会社の社員は25歳で年収3000万円を豪語する。そんなピンはね手配師たちも含めて誰もが「平等かつ自由に」働ける社会にしなければならない。でなければ日本経済の浮揚などありえないだろう。これはまごうかたなき日本の「今」である。

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絵本とおとな

2016-01-02 20:13:33 | 雑感
絵本は無論幼児向けのものだが、大人が読んでも楽しめるものがある。

というより、その困難の解決に向けて、泣いたり、笑ったりすることができるのは、読んでいる読者の大人自身が、自分の人生で体験してきた困難をそこに重ね合わせて見てしまうからだろう。その意味において、子どもよりも大人の方が楽しめるケースも出てくるのではないだろうか。

以下に(私が未読であるものも含めて)、絵本を三冊紹介する。


1.
ぐるんぱのようちえん
http://www.ehonnavi.net/ehon/103/%E3%81%90%E3%82%8B%E3%82%93%E3%81%B1%E3%81%AE%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%A1%E3%81%88%E3%82%93/


いやもう、涙無しには読めない。
汚い小僧のぐるんぱが、とうとう社会に出て働きに出るのですが、どこへ行っても、やることなすこと大味すぎて、役立たず扱いで追い出されるんですね。
(あれ? どこかで聞いたことのあるような・・・? )

最後に幼稚園に行って、大味すぎて社会に無用の長物だったぐるんぱの作った作品たちが、皆に喜ばれるシーンが出てくる。これ書いてる時にも涙出てきたぞ・・・

2.
うどんのうーやん

痛いニュース(ノ∀`) : 【画像】 絵本『うどんのうーやん』がマジキチすぎると話題に - ライブドアブログ
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1809565.html


「川です。」
「わたるしかないやろ。」
に割り切らなければならんときには、さらっと割り切れ! という人生哲学が含まれる。

上記ブログにはありませんが、この後、
「山です。」
「のぼるしかないやろ。」

があります。なぜ私がそのストーリーを知っているかというと、この絵本を買ったから。大の大人が絵本を買うなんて・・・と思ったが、でも内容の面白さに勝てずちょっとビクビクしながら買いました。


3.
ちびっこきかんしゃだいじょうぶ
http://www.amazon.co.jp/dp/486332541X


「マシュマロ・テスト」と言う書籍の中で紹介されていたのでチラ見。未読ですが中身は良さそう。そして泣きそう。


きみにもきっとできるよ。
突然、ちいさな機関車がこわれてしまいました。
おもちゃたちは山のむこうのこども達にすてきな荷物を届けることができるでしょうか?


シュッ シュッ シュッ ポッ ポッ ポッ と山道を一生懸命のぼる小さな機関車。
故障した機関車にかわって、おもちゃやお菓子を子どもたちに届ける為に、
一度も登ったことがない山を超えようとします。
「きっと だいじょうぶ… だいじょうぶ…だいじょうぶ…」と自らを鼓舞しながら。

いかん、これも書きながら涙出てきた。

まだ見ぬ困難と社会的課題、それを乗り越える勇気。
これらはグレンラガンにも通じるけれども、絵本としてはこれらが最適のように思います。
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1/2動静

2016-01-02 19:44:57 | 最近の出来事
8:00起床
9:22家発
9:29駅着
9:34電車発
目的駅まで直通
10:20駅着
電車でどんぶらこ

で、昨日と同じ神社に到着した。
というのも、去年のお札とお守りを奉納し忘れていたので、電車に乗ってドンブラコとやってきたわけである。引取り所に賽銭箱があったので、1000円を入れた。

さて、この引取り所であるが、どの神社でも「ぬいぐるみ、人形、家庭ゴミ、家電は引き取りません」と書いてある。ここでもそうだ。

まったく、そんなもん出すなとは思ったが、まあぬいぐるみと人形はちょっと分からないでもない。若干分からなくも無い。家から出す時に抵抗あるからね。まあそれでもNGですな。
それでも家庭ごみ? 家庭ごみとかひどい話じゃないか。一体神社を何だと思っているのか。
最近ね、韓国人が中国人がと言っているけれども、日本人も大概にして笑えませんや。
家電? 家電なんてもってくる人いるの? と思ったがフィクション作品の中で実例を思い出した・・・アニメ作品「シュタインズ・ゲート」でIBN5100が柳林神社に奉納されているという設定があって・・・あれ普通に神社側に断られると思うのですが、設定に無理が・・・

さて、そうこう言ううちに今年二度目の参拝。「あれっ? あいつまた来たの? 」みたいな。神様も苦笑いでしょうに。

屋台も並んでいるので見て行くと、いつもの見慣れた屋台の中に、ドネル・ケバブ屋がある。
私が子供の頃はこの屋台は無かった。大体において、日本人が一般的にドネル・ケバブを知ったのは、1990年8月に単行本発売されたジョジョの奇妙な冒険の17巻でなかったかと思う(その当時も、やはりケバブ屋はなく、出てきたのはここ10年くらいじゃないかな? )。
ケバブ屋さんがあるのはいいけれど、あんたんとこはどっちかって言うとイスラム寄りなんじゃないかとって言うツッコミは何人かしていると思う。
が、神様はそんなに器小さくないよな、器が小さいのはいつでも人間の方なんじゃないのかと言う。

ヒマラヤ岩塩屋もある。誰が買うんじゃ。
タイ式ラーメンもある。もう何がなんだか。

あと舞台で剣舞をやっていたが、元旦と比較すると、元旦は真剣だったが、1/2は木刀なのね、と。
それと演舞されている方が女性で、「あ、女性も舞台に上がれるのか」と思ったが、これは女性差別かな? そもそもアニメ作品「神様はじめました」で、主人公の女の子が神楽舞を踊っていたし、ノープロブレンノープロブレン。

10:51駅着
10:53駅発
電車でどんぶらこ
11:30駅着
買い物して、12:00ジャストに家に着く。
いつもの通り昏睡。私には体力がないのだ。
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マシュマロ・テスト --心理学的考察からの人間の心の成長理論メモについて

2016-01-02 19:13:36 | 哲学・社会
メモ。引用のみ。

1.
自制と成功の相関について。


マシュマロ・テスト ウォルター・ミシェル P134 より

セリグマンは次のように述べている。「大学の入学試験は才能を測定するものです。一方、説明のスタイルからは、粘り強くことに当たる人物かそうでないかが分かります。成功へと導いてくれるのは、適度の才能とら、失敗に直面したときに進み続ける能力の組み合わせです。・・・・・・人について知っておくべきことは、思うに任せぬ状態になったときにも、その人がやり続けられるかどうか、なんです」。



同著 P124 より

実行機能は、他者の心や感情を理解する能力とも強く結びついており、子どもが、触れあう相手の意図を推測したり反応を予測したりするための、いわゆる「心の理論」を発達させるのを助ける。私たちは実行機能のおかげで、他人の感情や動機づけや行動を理解し、それを考慮に入れ、彼らの認識や反応が自分のものとはまったく違いうると気づくことができる。実行機能は、他人が考えたり意図したりしているだろうこと、を私たちが把握して、彼らが経験していることに共感するのを可能にしてくれる。



同著 P135 より

成功に対してより大きな期待を抱く子どもは、新しい課題を与えられても、すでにそれで成功していることがあるかのように、自信を持って取り組んだ。彼らはしくじるとは思っていないので、それに「立ち向かう」ことを望み、進んで失敗の危険を冒した。彼らの見通しは、ただの夢想以上のものだった。過去に積み重ねた成功体験に基づいているからだ。それまでの成功が彼らのポジティブな期待をふくらませ、それが今度は、さらなる成功の可能性を高める行動や態度を奨励した。それがすべて合わさって、楽観主義者をなおいっそう微笑ませる結果を生む。


余談ではあるが、この本では下記の部分について翻訳が、日本語の文章としてかなり読みにくい(英語原文がそう言う構成だったのだと思うので、英語原文が悪文であった可能性が高い)。若干英文から日本語訳の直接的翻訳に重きを置く構成にしたためであると思う。
と偉そうに言ったはものの、私は英語が読めません。

同著 P135 より

私たちはスタンフォードでいっしょに実験を行ない、成功の見通しが、先延ばしにされた報酬を得るために努力して待つのに必要な自制や意欲にどのような影響を与えるかを調べた。すると、自分がやらなければならない具体的な課題を目にする前にでさえ、たいてい自分は成功するだろうと見込んでいる八年生(一四歳)の男の子たちは、ただ待つだけではなくうまくやり遂げないと、多いものを先延ばしにされた報酬が手に入らない、そんな認知的課題に進んで取り組むことがわかった。これは、少ないもののただちに手に入る報酬では手を打たないということであり、彼らは成功をあまり見込んでいない子どもと比べて、この選択肢を選ぶ割合が二倍近かった。

上記では若干分かりにくいので、私が文章の編集を下記に行った。
翻訳の際には文章を分割するなど工夫して読みやすくするなどの処置が稀に施される。リップマンの著作「世論」が丁度そんな感じだったらしい。Amazonレビューを読むと、英語原文は長文で難解だったが、日本語翻訳の際に分かりやすいレベルで文章を区切った為に日本語翻訳での「世論」は読みやすかったと言う。私は日本語しか読んでいない(英語が読めない)ので、特に意識はしなかったが、確かに「世論」は分かりやすかった。

ただ、どこまで分かりやすく文章を再構成するかというのは、あまりに改編しすぎると「元々の文章と全く違うじゃないか! 」という指摘も出てくるので難しいところだし、本書の翻訳の部分でもここはかなり悩んだのではないだろうか。
ただ、ここはインターネット、自由な言論の場なので、私が厚顔にも苦情を受け付けない形で再形成してみた。お前の文章の方が分かりにくい! という話しもあろうが、勝手に載せておく。翻訳の再構成というより、原文をこうした方が良いという感じなので、翻訳者を批難したいわけではない。むしろこの文章の原文であったであろう英語文章を翻訳した翻訳者の苦労に同情する。


私たちはスタンフォードでいっしょに実験を行なった。

その実験では、被験者の「成功の見通し」そのものが、同じく被験者の「自制や意欲」に対してどのように影響を与えるかを調査した。
とりわけ、その「自制や意欲」の内容を具体的に言うと、「直近で得られる報酬よりも、より遠い未来に設定された報酬を得る。そんなシーンで「努力して待つ」際に必要な『自制や意欲』」というのがこの実験での調査対象である。

被験者は八年生(一四歳)の男の子たちだ。彼らの性格的特徴は、大体のシーンで自分は成功するだろうと思っていることである。
実験課題は、それまでの「より長く待ってより多い報酬を貰う」という、幼年期の子どもたちを対象にした従来の実験課題から一歩進み、八年生向けとして、「課題を上手くやり遂げる」という目標が設定された。

すると、被験者の男の子たちは、自分の具体的な課題を目にする前にでさえ、この認知的課題に進んで取り組むことがわかった。

これは、「直近で貰える少量の報酬」を提示しても、彼ら自身の中ではそれに対して納得や合意をせず、「後になってより大きく貰える報酬」を自発的に選択したという、更に前進的な結果が得られたことを示している。
結果の統計的数字を分析したところ、成功を見込む彼ら被験者の数字は、成功をあまり見込んでいない子どもと比べて、この選択肢「後になってより大きく貰える報酬」を選ぶ割合が約二倍程度に膨れ上がったのが分かった。


2.
この欲望の先送りである自制についての同様の文章が、別の書籍で引っかかったので引用しておく。

世界の壁は高くない 鳩山玲人

P214
 時間はかかってもいいのです。自分なりの志や長期的な目標をしっかり定め、短期的な不安を恐れないことです。
 それがゆるぎない自分をつくってくれるでしょう。
 そうすれば、余計な壁にも、惑わされなくなります。
 一歩一歩、向かうべきゴールに向けて、進んでいくことができると思っています。

P216
 人生は短い。しかし、ときには長い目で見ることも必要です。
 本当の結果は、すぐに出てくるものではありません。







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