「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「メーデー歌」 「軍歌」 「学生寮歌」

2016-05-01 06:09:27 | 2012・1・1
「メーデー」が来ると、何故か「聞け万国の労働者」の歌を想い出す。
♯ 「聞万国の労働者」(大場勇作詞 1920年)
「聞け万国の労働者 とどろきわたるメーデーの示威者に起る足とりと未来を告げる鬨(とき)声」
僕は若い駆け足記者時代、何回かメーデーを取材したことがあるが、”労働者”として参加したのは一回しかないが、この歌を今なお覚えているのは不思議である。

「メーデー」は、かっては参加者も多く、国民的な行事であった。これが今のように低調になったのは1989年、労組団体が分裂し「連合」が「メーデー」の催しを4月に繰り上げて実施するようになってからだ。1991年のソ連の崩壊も原因しているのかもしれない。昔、「メーデー」が盛んだったころは、会場の拡声器から絶えず「メーデー歌」「インターナショナル」と共に「聞け万国の労働者」の歌が大音で流されていたものだ。。
 
「聞け万国の労働者」のメロデイは、軍歌「歩兵の本領」(加藤明勝作詞 1899年年)と旧制第一高等学校の寮歌「アムール川の流血」(塩田環作詞 1901年)と同じで、作曲者は明治時代の陸軍軍楽隊隊長、永井建子(1865-1940)だとされている。
♯ 「歩兵の本領」「万朶(ばんだ)の桜か襟の色 花は吉野に吹雪吹く 大和男子と生まれなら散兵戦の花と散れ」
♯ 「アムール川の流血}「アムール川の流血や 凍りて恨み結びけん 二十世紀の東亜には怪雲空にはびこりつ}

明治から大正にかけての日本の近代史が、「メーデー歌」「軍歌」「学生寮歌」といった一つの旋律の中で語られていて興味深い。