「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         "甘薯(さつまいも)先生” 有難う

2011-06-23 06:38:23 | Weblog
一年で昼の時間が一番長い夏至の昨日、東京でも寒暖計は軽く30℃を超えて31・9℃の真夏日となった。その暑さの中、63年前、同じ中学(旧制)の学窓を出た旧友5人と母校近くの目黒不動尊を参詣、お寺の裏にある"甘薯先生”こと青木昆陽の墓にも詣でた。

僕らの古い記憶の中には、中学に入学してまもなく、この"甘薯先生”の墓に詣でた想い出がある。しかし、なぜ詣でたのか判らなかった。が、昨日参詣してみてそれが解かった。"甘薯先生"の墓横の標識に「昭和18年5月1日文化財指定」と記されていた。僕らはその文化財指定の直後に団体で詣でていたのだ。

昭和18年5月といえば、巷(ちまた)には大東亜戦争緒戦の勝利の余韻がまだ残っていたが、一方ではそろそろ、食料物資が欠乏し始め配給制が強化されてきた。おそらく時の政府は、そんな時代背景の中で、江戸時代の飢饉のさい救荒食料として甘薯(さつまいも)の普及に功のあった青木昆陽に着目し、その墓地を文化財に指定することによって、食糧難の到来を国民に知らせようとしたものだったのだろう。

それからまもなくして戦局は悪化し、銃後は想像を絶する食料難に陥った。米の配給はスットプし、代用食としてさつまいもが登場、してきた。配給所まで大きな袋を持って行き行列して有難く頂戴したが、そのさつまいもは"沖縄”という銘柄の大きいだけが取り柄のものだった。

80歳の傘寿を越えた僕らは、その時代弁当箱に芋ご飯(といっても芋の方が多い)を入れて勤労動員先の工場へ通った。しかし、さつまいものおかげで、ここまで長生きできた。改めて"甘薯先生"有難うだ。(写真は青木昆陽の墓)