「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

     「ハ二ホへト」とマレーシア国歌

2007-09-25 05:30:14 | Weblog
朝のラジオ体操では出来るだけ大きな声で「ラジオ体操の歌」を歌う
ことにしている 。大声で歌うと何故か身体によい。子供の頃の「ラジ
オ体操の歌」は”踊る旭日の光を浴びて・・・・ラジオは号ぶ一二三”
だったが、今は”新しい朝がきた希望の朝が・・・・”に変わった(昭和
31年制定)。僕らには”ラジオが叫ぶ”の方が懐かしいし歌いやすい。

戦争中「ドレミファソラシド」の音階は外国語だという理由で禁止された。
(実際は当時同盟国だったイタリア語だったのだが) 変わって「ハ二ホ
へトイロハ」が採用された。国民学校令が施行された昭和16年4月から
終戦まで音楽教育は「ハ二ホ」で行われた。試験には「ハヘイ」「ハホト」
の和音の聞き分けがあった。敵機の爆音の聞き分けに役立つというのが
目的だった。

わが母校は昭和16,17年度の東京都吹奏楽コンクールの優勝校だっ
たせいか音楽教育には熱心で、普通僕らの世代は楽譜が読めないの
だが、僕でさえ、今でもトオン記号が正確に書ける。当時わが吹奏楽団
が演奏した歌の一つに「月の光」(terang bulann)がる。戦争で南方へ
従軍した世代には懐かしく、日本国内でも一部だが歌われた。

戦後62年、いま「月の光」はマレーシアの国歌「わが祖国」(negaraku)
に制定された。国歌として歌詞は変わっているが、この歌を聞くと、
緒戦の勝利で沸き立っていた頃の「時代」を思い出す。シンガポールは
昭南と呼ばれていた。