都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

六本木1丁目・偏奇館跡あたり

2014-12-20 | 港区   

 六本木1丁目再開発により1999年に無くなった階段周辺の街並み。

 撮影時、既に再開発の準備が始まっており、住民は立ち退きつつあり、周辺の住宅やアパートには空き家が多い状況だった。大谷石でできたこの階段は、クランクしていて幅や傾斜にも変化があり、複雑で魅力的なものだった。

六本木1丁目界隈の案内地図
所在地:港区六本木1-4
Photo 1994.9.2

 この階段の少し南には作家永井荷風が昭和初期に住んでおり、偏奇館と呼ばれた洋風住宅(戦災で焼失)があった。隣接地にはアークヒルズもあるなど、周辺は都心のオフィス街だが、エアポケットのように残っていたこの場所は、昭和30〜40年代の風景を残す数少ない場所だった。

泉ガーデン建設予定地全景
所在地:港区六本木1-4
Photo 1995.5.27

 当時、南北線が建設中で、駅及びその出入口の工事が付近で行われており、仮設の階段も造られていた。そして一連の家屋群の跡地には2003年に泉ガーデンが完成した。

谷地の最下部から東方向
Photo 1995.5.27

 多くの家屋が既に無人だったため、雑草などが伸び放題になっており、都心とは思えない独特な雰囲気の空間になっていた。

御組坂を西へ入った先の場所
所在地:港区六本木1-4
Photo 1995.5.27

 住人がほとんどいないため人影も少ない。道はこの奥で右へクランクするが、その角に高台から上写真の谷地へと下る折返し階段があった。


六本木1-4の階段・中段部からのパノラマ Photo 1996.4.23

 左方に見えるのは首都高速都心環状線。左端は旧 日本IBM本社ビル。六本木プリンスホテルに隣接して建っていた日本IBMは2012年に解体され、跡地では再開発が始まっている。中央のビルも解体されたようで、同所に現在あるのは、六本木ティーキューブ(2003年竣工)。従って、この画面内で現在も残っているのは首都高速のみ。十数年でこの近辺の景観は激しく変化している。


泉ガーデンの建設が始まった頃の様子 Photo 2000.3.8

 基礎工事のため、土地全体が掘られ、元々の地形は跡形もない。右側は高台側で階段状に土が残されているが、階段その他は全く無くなっている。

東京の階段 DB > 偏奇館跡そばの階段
2009.1.12記

 この記事は「Site Y.M. 建築・都市徘徊」内から移設し、写真を追加しました。

#階段・坂 港区  #失われた建物 港区  #街並み 港区  #夕景・夜景 
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新宿西口七福小路

2014-12-18 | 新宿区  
七福小路入口
所在地:新宿区西新宿1-1
備考 :1999(平成11)に解体消失
Photo 1997.1.18

 新宿駅西口には小田急百貨店本館や新宿パレットが南北に建ち並ぶ。この二つの建物とJRの線路の間に新宿西口七福小路はあった。思い出横丁の東南からJR高架下を通って東口へ抜ける通路(角筈ガード)があるが、七福小路はその通路を脇にそれて少し上ったところにあった。

七福小路入口ゲートの看板
Photo 1996.12.23
Photo 1998.1.7

 線路との間の一間ほどの場所には6軒の平屋店舗(主にバー)が並んでいた。狭い場所なので、店に入ると対面する位置(線路に平行)にカウンターがあり、その向こう側のスペースに店の人が立つのがやっと、という状態だった。

ロシアバー コーシカ
Photo 1997.1.18
同 夜景  Photo 1996.12.23

 七福小路は、思い出横丁と共に、新宿駅周辺に残る戦後の闇市の最後の名残と言われていた。店自体は闇市時代のものとは限らなかったが、昔の街灯が残っていたりするなど、随所にその面影が見られた。

昔の街灯  Photo 1997.1.18

 1999年に新宿パレットビル(この建物も闇市の店舗群をとりまとめて造られた再開発ビルだった。)の建て替えが始まり、その際にこの小路は無くなった。写真家の荒木経惟氏もこの路地の風景を撮影しており、新宿にエアポケット的に残された数少ない空間だった。

行き止まりの袋小路奥の側から、居酒屋ポンタ
Photo 1997.1.18
2013.8.21記

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#失われた建物 新宿区  #街並み 新宿区  #路地  #夕景・夜景 
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彦左小路

2014-12-16 | 新宿区  
彦左小路
所在地:新宿区百人町1-9
備考 :2004頃解体
Photo 2002.1.20

 西武新宿線新宿駅の近くの線路沿いの一角にあった小さな飲屋街。当初は二つの建物が路地を挟んで向かい合って建っていた。西武線に乗る度に車窓に見えていたので、撮りに行こうと思っていたが、ある日突然、南側の建物が取り壊されてしまい、近くなのに撮っておかなかったのがひどく悔やまれたのだった。

 というわけで、写真はこの頃にはまだ残っていた北側の建物。片方が無くなってしまうと、路地の雰囲気が全く無くなってしまい、がらんとした空き地にポツンと残る残骸のようで、なんだかひどく寂しい感じ。

 この北側の建物も、2005年には既に無くなっていた。建物があった場所は道路予定地で、周辺も道路予定地の看板が立つ空き地だらけだったので、いずれは無くなるだろうとは思っていた。この建物も、道路予定地でビルなどへの建て替えが認められなかったから残っていたわけで、都心ではこのようなものは今後も少なくなっていくだろう。

 古い建物がなくなるのは歴史を消し去るようでもあり、キラキラしたビルばかりの街並みは、後世に残すべきストックになり得るのかどうか不透明で、なんだかやや薄気味悪い。

2009.1.12記
201411.8修正加筆

 この記事は「Site Y.M. 建築・都市徘徊」内から移設したもので、修正加筆し、写真は別のものに差し替えました。

#失われた建物 新宿区  #街並み 新宿区  #路地
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神田須田町地下鉄ストア

2014-12-14 | 千代田区 
所在地:千代田区神田須田町1丁目
開業年:1931(昭和6)
備考 :2011(平成23)閉鎖
Photo 1996.2.20

 日本では1930(昭和5)年にできた上野駅の地下街が一番古いらしい。その翌年にできたのが神田須田町の地下鉄ストアで、これも初期の地下街だ。管理や店舗数はいろいろ変わったそうだが、2011年まで80年間続いていた。
 1996年時点ではまだ数軒のお店が営業中で、お客さんもそれなりにいるようだった。

Photo 2005.5.18

 しかし2005年に通りかかった際には、大半の店舗が既に閉店していた。

Photo 2005.5.18

 この床屋さんは営業を続けていた。この時点で営業していたのはたしかこれ一軒だけだったように思う。

 Wikipediaには、「2011年1月に残ったテナントが営業を終えて全て立ち退き・・」とあるので、数年前までにはこの店も営業をやめたようだ。

Wikipedia > 神田須田町地下鉄ストア
#失われた建物 千代田区  #街並み 千代田区  #地下 
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六本木6丁目(現 六本木ヒルズ)

2014-12-12 | 港区   
港区六本木6丁目
Photo 1996.5.15

 六本木ヒルズのオープンは2003年、再開発でピカピカの街に生まれ変わった六本木6丁目。2000年頃までは、小さな谷に面して、木造家屋が建ち並び、丘の上には、増築によって冷房のダクトが蛇のように這い回り複雑な形をなしたTV朝日の社屋が建っていた。大谷石でできた高い擁壁の下は、立ち退き跡地で、駐車場になっていた。

 上の写真は、東京都心部の地形調査などと称して、擁壁の高さを測ったり街並みの写真を撮っていたときのもの。この写真撮影の直後に、菓子折の手提げを持ったM社の社員に遭遇。「ここがどんな場所だかは御存知ですよね。話がややこしくなりかねないので、行動には注意してください。」と、慇懃かつ高圧的に言われたことがある。

 大学の人間を使って、開発予定地の事前調査をやっていると勘違いされるということらしく、有り体に言えば、ここで関係ないやつが調査なんかするな、ということだった。でもこっちは、なくなりそうだから調査してたわけで、そんなこと言われても困るのだ。

 変な調査をしたので、地元の方にはあらぬ不信感を与えてしまったかもしれぬ。それはすまんことだった。だけどそういう話は、開発をするときの宿命みたいなものだ。

妙経寺の東側にあった階段
Photo 2000.5.9

 旧麻布保健所の通りへ抜けるクランクした路地で、ややむくりのある階段を上って右へ折れると、また数段の階段があり、それを上って左へ折れると、建物の脇の50cmぐらいの隙間階段を上ることになる。

同じ階段を途中から。正面はテレビ朝日旧社屋。
Photo 1997.6.18
都立城南高等学校わきの巨大な擁壁
Photo 1998.5.23

学校側は再開発区域外だったので、右側の擁壁は現在も残されている。
左側の建物は取り壊されて再開発された。

観賞魚問屋さんの建物があった場所付近
Photo 2000.5.9

 玄碩坂(げんせきざか)を下った先の谷底道は、十数軒の戸建て住宅等が建ち並ぶ通りだったが、住民の立ち退き後、一括して建物群の解体が行われた。通常は、建物一つ一つが囲われて解体されるが、広範囲にわたる解体がほぼ同時に行われたため、複数街区全体を取り囲む格好で囲いが作られた。街がまるごと一つ解体されて消えていく途中ならではの光景だったわけで、考えてみれば、かなり異様な風景だった。

2009.1.12記

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#失われた建物 港区  #階段・坂 港区  #街並み 港区
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成城学園前

2014-12-10 | 世田谷区 
成城大学正門前の銀杏並木
世田谷区成城6−13
Photo 2014.11.23

 成城学園前駅周辺の住宅地は、成城大学建設の捻出のために学園が土地を購入して住宅地として販売したものだという。地区内には銀杏並木や桜並木があり、秋になると美しい紅葉を見せるが、これは昭和初期の分譲の頃に、成城学園の生徒も参加して植樹されたものだそうだ。

 

成城学園前駅入口
世田谷区成城6−14・19
#街並み 世田谷区  #ヴィスタ  #道  #花・紅葉
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新井天神 北野神社 酉の市

2014-12-08 | 中野区  
所在地:中野区新井4-14
Photo 2014.11.22

 中野駅から10分ほど中野通りを北へ歩いた場所にある北野神社。新井天神とも呼ばれ、基本は天神さま(菅原道真公)を祀る神社。 また、江戸期には近くの梅照院(新井薬師)が別当寺だったという。

 新宿の花園神社ほどにはお店が出ていないが、それでもかなり賑やか。

 お札同様、熊手も御焚き上げをするようだ。 酉の市にあまり行ったことがなかったので、これは全く知らなかった。

 境内社として大鳥神社があって日本武尊が祀られている。ふだんは静かだが、この日は長蛇の列。

 二の酉の夜なのでもう売り切れに近い露店も。 境内にはおでん屋なども出て、冷え込みの中、呑んで上機嫌の人も。。

新井天神 北野神社
#祭  #神社  #夕景・夜景 
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鳩の街のアーケード街

2014-12-06 | 墨田区  
所在地:墨田区向島5-49
備考 :1998〜2000頃の間に消失
Photo 1995.6.11

 墨田区の鳩の街商店街のはずれにあった、小さな飲み屋街のアーケード。

 日本のアーケード商店街は、建築基準法上の制約のため、基本的に両脇の建物の構造体とは別になっている。(近年の大型再開発などで見られるアトリウムの場合は、建物本体とも接続されている。)しかしここのアーケードには、見たところアーケード独自の柱がなく、両側の建物に載っているようだった。基準法以前のものなのか、法律など関係なしに勝手に屋根を掛けちまったのかは不明だが、この歩行者のみのスケール感はなんともよい。

Photo 1995.11.12

 半透明の塩ビ波板で屋根が掛けられていたが、ところどころ穴が空いていて、補修されたりされてなかったり。かなりぼろい感じだったが、当時はまだ手前の「プローン」というバーは営業していたようだ。しばらくぶりに訪ねてみたらこの路地自体が消滅していて、どこにあったのかサッパリ判らなくなってしまっていた。

2009.1.12記

 この記事は「Site Y.M. 建築・都市徘徊」内から移設し、写真は別のものに差し替えました。

#失われた建物 墨田区  #商業系 
#夕景・夜景  #アーケード  #路地 
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花沢の里

2014-12-02 | 静岡県  

静岡県焼津市 花沢の里
2014年に重要伝統的建造物群保存地区に指定された山村集落のまちなみ。

所在地:静岡県焼津市花沢   Google Map
Photo 2014.9.21

 焼津市内から静岡市へ向かって北上する国道150号の新日本坂トンネルの入口手前から北側にそれ、高草山東側の谷あいを進んだ場所に、花沢の里と呼ばれる山村集落がある。 写真左の門内には、集落内に一軒だけのCafeがあるが、夕方に訪れたらもう終了していた。

 道沿いにはやや高い石垣が築かれ、その上に黒っぽい板張りの住居や納屋が建ち並ぶ。またそのところどころに隙間があり、そこが邸内へ入る道になっている。

 山あいから流れ下る川が道の東側を流れ、家屋の多くは道の西側に建ち並ぶ。

 渡り廊下になっているのだろうか、それとも門の上も収納スペースになっているのだろうか。 自動車でもくぐれるぐらいの入口。入口わきには立派な松の木が。

 比較的小規模な集落ではあるが、木造家屋が谷奥へ向かって点々と並ぶ風景は印象的。 静岡県内でもまだあまり知られておらず、観光客もあまり多くない。 静岡と焼津の間の山を越えるハイキング客が通りかかることの方が、むしろ多いぐらいかもしれない。 土産物屋も皆無。伝建地区の残り方としては、このくらい素っ気ない方が自然だ。

静岡の街並み
#古い建物 静岡県  #街並み 静岡県  #山  #重要伝統的建造物群保存地区 
コメント (2)
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