都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

シャンゼリゼ通り

1993-03-05 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.5(Fri) Paris

 13:00 バスで凱旋門へ。シャルル・ド・ゴール広場(エトワール広場)で下車。

エトワール凱旋門(Wikipedia
竣工年:1836
高さ :50m

 とりあえず有名な凱旋門は見ておこう、写真を撮るなら1枚はシンメトリーな構図でと考え、道路を横断する途中でちゃちゃっと撮影。その際、屋上にちらちら人影が見えたことで上に上れるらしいことにようやく気付く。予備知識無しで適当に訪れると、そういうことをきっかけにどんどん予定が変わるが、この時はなぜか見学にはさして興味が無く、そこからシャンゼリゼ通りをルーヴル方面に歩くことの方が優先されたのだった。

シャルル・ド・ゴール広場からシャンゼリゼ通り

 大きなロータリーの中心に建つ凱旋門の足下までは行ってみる。シャンゼリゼ通り(Wikipedia)は幅70m。日本にはあまりない広幅員の目抜き通りで、しかもコンコルド広場まで約3km、一直線に続いている。また沿道の建物の高さなどが規制されているため、ほぼシンメトリーな街並みが視界の奥まで延々と続く。

シャルル・ド・ゴール広場からデファンス方面

 ルーヴル宮とは反対の方角、ラ・デファンス方面の様子。デファンスはパリ市外のため、市内のような記念的建築物に関わる高さ規制は受けないという。このためデファンスには近代的な超高層ビルが多く建ち並ぶ。
 エトワール凱旋門の周りのロータリーはいつも車がたくさん走っている。

 14:30 シャンゼリゼ通りをぶらぶら歩いて、コンコルド広場へ向かう。3kmもあるとは知らず、1kmほどのつもりで歩いていたので予想外に遠かった。

シャンゼリゼ通りの街並み

 シャンゼリゼ通りの街並みを構成する建物は、そのほとんどが白か明るいクリーム色の外壁。また、斜線規制を受けて上部がセットバックしている。一つ一つの建物の規模が比較的大きい、もしくは建物が連続していることもあって、比較的統一感があるゆったりとした街並み景観が創り出されている。

 3月上旬なので街路樹には全く葉がなく寒々しいが、そのぶん建物が織りなす町並みはよく見えた。

シャンゼリゼ通り・フランクラン D ローズヴェルト駅のある交差点付近

 途中には噴水のある広場が造られている。広幅員で真っ直ぐな道といい、ロータリーの交差点に面した噴水といい、日本とはスケールが違う。そのようなものを造らせてしまえる権力のすごさをいちいち感じ、そうならない日本の社会環境を残念に思ったり、逆にこういうことにあまりお金をつぎ込まない現在の日本の方が良いのかもと思ったり・・・。結果的には観光資源になっているからこれはこれで良いのかもと思ったり。。。

グラン・パレ(Grand Palais・Wikipedia
竣工年:1900

 グラン・パレは、1900年に行われたパリ万博万国博覧会のために建てられた大規模な展覧会場・美術館という。列柱が並ぶ古典的な外壁がある一方、鉄とガラスで巨大なヴォールトが造られているのが印象的。新古典主義のファサードを持つ巨大温室みたいにも見える。

 ロンドンのように雪は降らなかったが、3月上旬のパリはまだ寒く、シャンゼリゼを歩く人もまばら。彩りの少ない景色の中をコートを着た男性がひとり歩いている様子はモノクロ映画のワンシーンのようでもある。

 スケールが大きい景観は壮大で魅力的ではあるがが、これを向こうの方まで歩くのかと思うとそれはそれでややうんざりする。馬車かなにかに乗って、ある程度のスピードでもって優雅に移動する事を念頭において考えられた都市構造であり街並みなのかもしれない。

コンコルド広場とオベリスク
広場の設計年:1755

 ようやくコンコルド広場(Place de la Concorde・Wikipedia)に到着。広場中央に建てられているオベリスクは、ルクソールオベリスク(Wikipedia En)(クレオパトラの針・Wikipedia)と呼ばれ、1826年に、当時エジプトを支配していたムハンマド・アリーがフランスに贈ったものといい、1833年に広場に立てられたそうだ。
 先端部分が紀元前6世紀ごろに盗まれたとされており、1998年にフランス政府が金箔を施したキャップを先端に追加した。このため現在はこの写真より尖った形になっている。

 コンパクトカメラ(フィルム)なので、広角側で撮影すると周辺光量低下が起こっている。最近のデジカメはたぶんそのあたりも補ってしまっているのだろうが、昔のフィルムカメラはそのあたりの良し悪しがもろに出る。

 コンコルドと聞くと私などは昔の超音速旅客機を思い浮かべてしまうが、そもそもコンコルドは古代ローマ神話の女神コンコルディア(Concordia)に由来するもので「調和」を意味するそうだ。Wikiなどによると、フランス革命の時期の1795年に「コンコルド広場(調和広場)」と呼ばれるようになったという。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe

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