2004年の2月10日から、11月まで、年表を作ってみた、のは、以前にアップしたかもしれない。
読み返してみると、おもしろい。
その日にあった出来事、そして、そのときの、いろんな人のコメントを書き留めてある。
過去、というわけだから、過ぎ去ったものなのだけど、生きているように感じる。
けっして、過去は、なくなったわけでも、ひからびているわけでも、ないのですね。
ヴィヴィッドに、まざまざと、そこにある。
すぎさったできごとの再解釈、というのが、ま、トラウマからの脱出の、一つの方法でもあるらしいけど、うなづけるものがある。
過去も未来も、今、というこのときに、集まっている、かな。
それはともかく、年の暮れが近づいたせいもあり、最近、まわりでは、時間のたつのは早い、早い、というのが、なにか、はやり言葉のように、とびかっている。
なぜ、そんなに早い、早いと思うの、と質問すると、あんたは、ろくに、仕事、してないから、そんな、のんきなこといっているんだよ、なんていわれる。
でも、僕の身近な、エブリデー・サンデー、つまり、サンデー毎日さんたちも、もう、こんな時期になっちゃったの、なんていうんだからね。
かくして、師走、近し、というわけです。
読み返してみると、おもしろい。
その日にあった出来事、そして、そのときの、いろんな人のコメントを書き留めてある。
過去、というわけだから、過ぎ去ったものなのだけど、生きているように感じる。
けっして、過去は、なくなったわけでも、ひからびているわけでも、ないのですね。
ヴィヴィッドに、まざまざと、そこにある。
すぎさったできごとの再解釈、というのが、ま、トラウマからの脱出の、一つの方法でもあるらしいけど、うなづけるものがある。
過去も未来も、今、というこのときに、集まっている、かな。
それはともかく、年の暮れが近づいたせいもあり、最近、まわりでは、時間のたつのは早い、早い、というのが、なにか、はやり言葉のように、とびかっている。
なぜ、そんなに早い、早いと思うの、と質問すると、あんたは、ろくに、仕事、してないから、そんな、のんきなこといっているんだよ、なんていわれる。
でも、僕の身近な、エブリデー・サンデー、つまり、サンデー毎日さんたちも、もう、こんな時期になっちゃったの、なんていうんだからね。
かくして、師走、近し、というわけです。