まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

湯浴みⅡ

2007年11月24日 | Weblog
ついこの間まで、神社おたくを、自称もし、他称もされていたんだけど。

今は、温泉おたく。

その理由は、温泉は神社だからである、と。

寺社仏閣の壮麗な建物を眺めていると、温泉地にたつ、豪華絢爛な建物とアナロジカルな思いにかられる。

根っこはひとつだ、と。

建築で使うコンパネというベニヤ板があるけれど、あの材料って、たしか、自分の重みで倒れてしまうほどの大木だったように記憶している。

大きくなりすぎて、倒れてしまう。

根を張るほどの準備期間もなく、外へ外へと張り出す、というしくみ。

これ、今に置き換えると、いろんなところで、見て取れるんだよね。


神社にしたって、神は細部に宿りたまふ、というくらいだから、ほんとは、奥の院の又おくの、小さな石ころに、本来のエネルギーがあるのかもしれない。

温泉にしたって、源泉のなかに凝縮した、地球のエネルギーが、そのご本尊なのだと思う。

その外側の構築物って、結局、その時々のパトロンがだれなのか、ということ。

貴族だったり、お侍さんだったり、するんだろうけど、いまは、お金を風呂敷包みにしょった、普通の人々、かな。


と、ここまでは、源泉原理主義的な、リクツなんだよね。

実際には、温泉を管理、運営していくのは、大変なんだろうな。

山村順次さんやいろんな方が研究しているみたいだけど、湯治オンリーの湯浴み客は、高度成長期以降、極端に減ってるようで、10%をきっているらしい。


これ、2007年4月24日に書いたものです。

けっこう、肩に力がはいっているね。

その時々で、心境やら感懐ってのは、変わるものだ。

だから、人生、おもしろい、というわけでもあるんだけど。
コメント
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