紫紺のやかた

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三遊亭金翁さんの訃報に音羽美子さんを思い出す

2022-08-29 14:23:23 | 回想
 8月も末になって先週落語家の三遊亭金翁さんの訃報を新聞記事で見ました。訃報欄を見ると記憶にある人だと昔のことが色々連想されて認知症の予防になるような気もしますが、一方問題は高齢で新しいことが記憶に残らないことです。
 金翁さんは享年93歳で令和期まで生きた唯一の戦中入門の落語家で最後の高座は2月20日、孫弟子・三遊亭金朝(46)の誘いで出演した千葉・成田の「成田駅前寄席」での「ねぎまの殿様」だったそうです。自宅で就寝中に息を引き取ったとのことで大往生でした。
 戦前生まれの私にとって金翁、その前の四代目金馬というよりはやはり小金馬時代の「お笑い三人組」にテレビ出演していたイメージが強い。他の江戸家猫八、一龍齋貞鳳の両氏も高齢まで生き既に亡くなっていますが、ある出来事から「お笑い三人組」というとあまから横丁のラーメン屋“満腹ホール”の金ちゃん(小金馬)の妹役をしていた音羽美子さんを連想するようになりました。

  

  
 
 それというのもS.T.部長やA.Ⅰ.さん他の逗葉駿台会麻雀クラブが中心になって日本麻雀連盟逗子葉山支部を結成する際に、同連盟の二代目総裁に鎌倉ペンクラブ初代会長を務めた文士の久米正雄さんの名を見つけたことに起因します。
 平成17年久米さんのお墓参りを思い立ち、瑞泉寺に趣旨を説明して電話を入れたところ、墓は一般の人は入れない場所にありますが参拝者が帰った後ならご案内致しますとのことで約束の日時に行って修行僧に案内してもらいました。山側の登り坂の途中にありました。時節柄、墓は群生する藪茗荷の白い花に囲まれてあり修行僧は気を利かせたのか先に帰り暫しその場に佇んでいた記憶が蘇ってきます。帰りに事務所に寄って日本麻雀連盟の支部をつくるため墓参した旨の遺族宛の手紙を置いてきたところ息子さんのお嫁さんから電話をいただきました。これが何と音羽美子さんで本名久米和子さんでした。広い瑞泉寺の境内で作った短歌が残っています。「碧旻に 聳ゆる芙蓉 丘に見つ 陽射し和らぐ 夏のおわりに」 8月末だったと思います。

 その後、平成20年逗子商工会館で健康麻雀大会を開催した際に久米和子さんに来ていたきご挨拶もいただきました。

 当時、郡山市久米正雄記念館の名誉館長をされておられましたが、ご自宅は鎌倉市二階堂にありました。最初の縁から既に17年の歳月が過ぎていますが、縁というものは僅かなことから出来るものをまさに実感した出来事でした。(yoo)

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