孫のお食い初めを5月21日に行い、早3か月弱経過し、今月ハーフバースデーをめでたく迎えた。今、若い世代では、生後半年をハーフバースデーと言って、お祝いするそうだ。
祖父として、何をしようかと考えたが、娘の幼児時代に子供用のピアノがあったことを思い出した。
誰がプレゼントしたのか覚えていないが、どちらかの祖父母の誰かかと思っている。
ピアノ演奏を身近で聴いていた娘は、見よう見まねでピアノを弾いていた。その後、知人の先生にレッスンをお願いした。3歳で、ピアノ発表会に出た。
この思い出により、娘の子供ピアノと同じ大手ピアノメーカK社の子供用ピアノを購入して、お祝い品にした。
まだお座りもできないが、手を添えてピアノの鍵盤を押させた。音を聴いて少し驚いている様子だった。
育休を推進すべく、政府、自治体等が政策の立案、実行しているが、子育ての現場は大変だとそばで見ているとよくわかる。
小職は、現役時代は営業職で、夜は仕事の接待、プライベートな付き合いで外食するのがほとんど毎日だった。自宅に居る時間は、極少で子育ては、妻に任せきりだった。子育てに参戦したのは、子供が歩きだしてからで、一番大変な時期を過ぎてからだが、さほどやった覚えはない。
ある休みの日に娘から『パパは、今度いつ来るの?』と言われる始末だった。何か、平安時代の妻訪婚(つまといこん:夫が妻の家に通ってくる婚姻形態。)の様相を呈していた。妻に大変なご苦労をさせてしまい、謝っても、『今更、何をか言わんや?』である。
例え、当時、育休制度があっても、なんだかんだと理由を言ってやっていなかったと思う。なぜならば『営業とは、酒を飲むことと見つけたり!』を信条にやってきたからだ。男の身勝手な論理である。
2月中旬に、病院を退院し、私の自宅に来てからは、孫中心の生活のサイクルが始まった。家族の子育て支援が始まった。慢性の腰痛、体の固い私のできることは、限られている。洗濯、食器洗い、ゴミ出し、買い物補助、野菜つくり、家族の早朝、夜間の時間帯の自宅と駅までの送迎が役割である。オムツ交換、入浴などはできないがソファー、イスに座っての抱っこは、何とかできるようになった。日に日に成長して行く孫の姿を見るのは、嬉しく思い、楽しい気持ちになる。
こうした気持ちを長く持ち続けて行くために、健康に留意し、少しでも体力を維持していくことが肝要かと思うこの頃である。
以上 tko