紫紺のやかた

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2021.6.28「台風一過」久しぶりの快晴の「逗子海岸」

2021-06-30 15:59:49 | 日記
「台風一過」梅雨の合間の久しぶりの快晴「早朝の逗子海岸」 
                                                                                             2021年6月28日(月)
 逗子海岸では急ピッチで海の家の建設が進んでいる。ジョギングやラジオ体操がやりにくい。いつも同じ場所で体操を行うが、その場所が海の家の建設現場となり重機を使うため足場が悪い。
  今日はラジオで一応「台風一過」の晴れ間と言っていた。空も夏空になってきた。日が当たるとかなり暑い。
 海水浴エリアのロープとブイが張られ、逗子海岸に海水浴シーズンが到来直前…

 お隣から三浦から送ってきたという大きな「金目鯛」を頂いた。釣りをするので慣れてはいたが、こんな大きなのは初めて!捌くのに参ったが、刺身とアラ煮、潮汁に。最高のビールの友だった。       ロングさん

日本の伝統文化にふれて(その3)

2021-06-29 23:19:02 | 音楽
前回(その2)は、雅楽の三つの形態と雅楽とオーケストラの大きな違い、雅楽の歴史について、 簡単に触れました。込み入っているので、なかなか理解しづらいところでありますが、6月27日雅楽の演奏会とそのプロデューサーの解説を見聞きしまして、私なりに理解したところをお話ししたいと思います。
雅楽には主に、「管弦」「舞楽」「歌謡」の三つの形態を代表的なものがあり、それらを見ることが出来ました。「管弦」は、壱腰調(いちこっちょう):“レ”ではじまるもので演奏を聴きました。これは、他の調は各季節しか使えませんが、これは一年中使えるとのことでした。Yooさんのコメントで、君が代が壱腰調(いちこっちょう)で歌われると言うものがありましたが、君が代は季節を問わず歌われるので、壱腰調(いちこっちょう)は当然のものと言えるかも知れません。楽器について、その楽器の並び順ですが、客席から見て、前に三鼓(打楽器)が、その後ろに両舷(弦楽器)が後ろに菅楽器の順番に並びます。
オーケストラの並びは、客席に近い所にバイオリン等弦楽器、その後ろにフルートなど管楽器、後ろにティンパニーなど打楽器の配置になっていて、明らかに異なっています。
演奏終了後に行う聴衆の拍手するタイミングは、クラッシックの場合は、聴衆は慣れていますが、雅楽の場合は、前列の右端で演奏している打楽器の奏者がお辞儀をするのを合図に聴衆が
拍手をします。その際に、奏者全員が背筋を伸ばして正座していたのも興味深いものがありました。
「舞楽」とは、舞のことです。                                
それも二つあります。舞台の左から4名で出て来て、舞う左舞(さまい)でこれは、中国からきたもので、ボールをたたいてイギリスのポロというスポーツを模した舞で、騎馬でマレッ
トと言うスティックを持って、プレイをするような舞を行います。ポロと言う競技も四名で戦うもので同じ4名で舞います。左舞では、毬打(ぎっちょう)とうスティックを右手で持って舞います。左利きの人を左毬打(ひだりぎっちょう)と言いますが、そこからきているようです。
右舞は、舞台の右から2名で出てきて、舞うもので高麗(朝鮮)から来た舞です。これも金属製の短い棒を持って舞います。
すなわち、前回お話ししましたが、雅楽の由来は、朝鮮半島や中国大陸などアジア大陸の諸国からもたらされた音楽や舞ですが、時の政権が840年律令「樂制改革」を発した結果、音楽をまとめて一つのものにした訳で、二つの舞もそれぞれの音楽のものと思われます。舞についても、それぞれの文化を否定せず、尊重した結果、二種類の舞になったと勝手ながら私は推察しております。
「歌謡」についてですが、朗詠二星(ろうえいじせい)と言い、織姫様と彦星さまの年に一度、七夕の日にお会いになると言う話を歌にしている。構成は、一の句、二の句、三の句で、1オクターブずつ上がって行くので、腹式呼吸をして発生していないと、歌っていけなくなります。『二の句を告げない。』と言い方がありますが、活きずまったことの表現に使われる語源となっているようです。
今回の歌謡について、年に一度だけしか会えない織姫様と彦星様の本当の話をプロデューサーが申されていました。お二人は、機織りの仕事、牧童の仕事を熱心にやっているので、近所の人々が天帝にお願いをして結婚させてもらったが、結婚後二人は仲が良くて、朝になっても起きて来なくて、仕事に出てこないので、近所の人は、天帝に頼んで、天の川をつくり、一年に一度だけ合わせることに天帝はしたとのことでありました。今まで、織姫様と彦星の話の解釈とは大きく離れていたことに、私も含めて当日の会場にいた人々は驚いていたようです。
雅楽とオーケストラの違いは何か?について、前回(その2)でオーケストラには指揮者がいるが、それとは違い雅楽には指揮者がいない。それで、よく演奏がされるものかと不思議な感じがしたと記述しましたが、当日の演奏の場面を見ていたが演奏者同士の 阿吽 ( あうん ) の呼吸によって演奏されていたことを目の当たりにしまして、驚きました
しかしながら、先ほど言いましたが、拍手のタイミングの合図を送るのが打楽器奏者であるので、それが影の指揮者と勝手に思いました。常日頃、オーケストラの奏者が指揮者の方を見ていないような感じを私はいだいておりますが、仕事仲間でコントラバスの奏者に『奏者は指揮者を見ていないのではないか?』と質問したが、『瞬時に指揮者をみている。』との回答が返ってきた。ある意味、阿吽の呼吸が働いているのではないかと勝手に推測した。
ここで、雅楽とオーケストラの違いを私なりに理解しましたものを下表にまとめました。
今回はこの辺でおわりにします。
               雅楽とオーケストラの違い

雅楽
オーケストラ
備考
指揮者
いない。拍手のタイミングの合図をする打楽器の奏者がいる。
いる。バイオリン奏者のコンサートマスタがいる。
下線部の奏者が影の指揮者か?
舞う
あり。
なし。
奏者は兼ねる。
歌う
あり。
なし。
奏者は兼ねて、1~3の句で、それぞれ最初は独唱で、その後斉唱になる。
楽器の並び(配置)
前列に打楽器、真ん中に弦楽器、後方に管楽器。
前列に弦楽器、真ん中に管楽器、後方に打楽器
両者とも、前列に影の指揮者がいるのが共通点か?
              
次回は、日本を題材にしたオペラ『Only  The  Sound  Remains』(和名;余韻)について、お話ししたいと思います。            
                                                 以上
                                 tko

立花 隆さんの死去に思う

2021-06-23 21:52:37 | 回想
 6月23日読売新聞の夕刊1面に立花 隆さん死去の記事が出ていた。4月30日に急性冠症候群のため亡くなっていたとのことで8面にも「知の巨人」というべき80年の生涯だったと大きく取り上げられていた。有名だった東京小石川にある事務所のネコビルで立花さんが膨大な量の本に囲まれている写真も載っていた。
 立花さんの文章は広範囲にわたる話題について、その知識の豊富さには昔から驚かされていた。正しい情報と豊富な知識は緻密な調査とその膨大な読書欲で得られたもの思うが、立花さんの文章を読む者に取ってはあまりにも専門的な内容に深入りすぎる面があって自己満足を追求しているように感じられていた。私はそれでも若い時は脳細胞が活発な状態だったので感心して知識を取り込もうとして立花さんの記事があると無理してでも最後まで読むようにしていた。教訓として自ら作る文章は他人に見せる前提で読んだ人が何か知識を得られるよう、1つでも知らないような知識を加えておくことが必要で、そのため「幅広くやや深く」知識を得ておくことが私の考え方の基本になった。この面では自己満足も得て立花さんに感謝している。
 ただ高齢化と共に知識欲は偏りがちになり、頭に記憶する意味も揺らいできて、新聞等の情報を取っておくことも無くなった。立花さんが亡くなられて私の考え方の基本も不要になりつつある。

    立花 隆さんで思い出す身近な出来事が8年程前にあった。中学時代の恩師である黒田康子先生が山の根に住んでおられたが、自宅を訪問した際に雑誌「文芸春秋」で立花 隆さんが黒田先生のことを紹介した記事のコピーを渡された。内容は立花さんが日本経済新聞に掲載された興福寺の仏頭の発見者(若くして戦死した黒田先生のご主人)の記事を目にして東京芸大美術館で開催されていた「興福寺の仏頭特別展」は絶対見に行かなくてはと思い行かれた後に「文芸春秋」に寄稿した経緯が述べられていた。思った通り仏頭にまつわる大化の改新の歴史的事情が豊富に述べられていた。





 著名な評論家・哲学者でもあった立花 隆さんに夫や自身を紹介してもらい先生も良い思いをされたようだった。なおこの仏頭の特別展には先生家族が招待され記念写真も取られていた。先生が100歳で亡くなる2年前の出来事だった。
 平成27年10月24日に美術鑑賞クラブの仲間と東京芸大美術館を訪ねた際に、受付に当時のチラシがまだ有ったのでもらい、一緒だった小坪在住の仏像趣味のH先輩にも渡したことなどが思い出される。yoo



あじさい寺「明月院」

2021-06-19 14:10:37 | 写真館
 紫陽花と花菖蒲の時節「明月院」を訪ねてきました。2021・06・16
 少し曇り空の午前中であり、意を決してカメラを片手に歩いてきました。北鎌倉駅を下車しひたすら明月院迄の道を、途中道すがら左手に「北鎌倉古民家ミュウジアム」の中庭に あじさいの小径とあじさい展 のイベントにであった。
 
 「円覚寺」の前をいつものコースで北鎌倉駅から歩くこと15分、谷戸の
「明月院」にたどり着く。
 
 明月院の瀟洒な参道と木戸口を入る。又ここ明月院のメインスポットである、木戸口をくぐり山門までの登り石段の両脇に紫陽花が今を盛りに競演していた。
 
 ウィークデーであるが、この日も観光客でにぎわっていた。ひとけの途絶えた一瞬を待ってシャッターを切る。
 
奥庭園にはさらに木戸賎を払っての入場となる。花菖蒲が見頃を迎えていた。又今日は表からの「悟りの窓」は閉じられ奥庭側からのみ開かれていて、いつもと変わった光景にシャッターを押した。室内の畳の上にトラであろうか2匹の置物が目についた。
  
 三色の花菖蒲をアップで写してみました。
  
菖蒲畑の一番奥に若干の紫陽花が目立って見えた。花菖蒲を背景に記念写真を 写して楽しんでいた娘さんにお願いして2~3枚写真を写させていただいた。 
  花菖蒲に囲まれとても幸せそうでした。
  
 奥庭の紫陽花の小群れ畑の一角に「姫あじさいのさし木」について明月院庭園部一同のコメント看板。
 暫く明月院の庭園を拝見し別れを惜しんだ。    

 因みにアヤメ類の見分け方について箱根湿生花園の資料がありますので添付します。
   
                            アヤメ  カキツバタ  ノハナショウブ
         
                                                               花菖蒲                    
                                              (ysa)

《また一昨日は「新型コロナワクチン接種」第2回目を受けてきました》
 5月上旬に接種の知らせが届いて 5月8日に予約電話を入れてみましたが、一回では繋がらず、ひと呼吸入れて二回目でやっと繋がりました。この頃、世間ではインターネットや電話予約がつながらず大騒ぎになっていた最中での早期予約決定に安心したのでしたが、予約状況は何と5月27日(木)が第一回目で第二回目はそれから3週間後の6月17日(木)となったわけでした。我々年配者はなるたけ交通が負担にならないようにとの計らいか、接種会場は逗子文化交流センターでした。1~2F広場を利用しての施設設定となっていて第1回目も第2回目も同様のスタイルでした。交流センター表玄関を入った右側のもと談話室コーナーに受付があり、先ずそこで両手を消毒の後検温し、受付を済ませると中廊下を床に赤テープの歩行指示に沿いEVで2Fへ。そこからさらに指示テープに従って広場に仕切られた診療用のキュビクルの中での受診となった。前も後ろも皆年配受診者で受診後、コロナ接種を終えると隣の広場で椅子に腰かけての15分間の休息をとり、のちに自由解散となった1時間でした。


新型コロナの第1回ワクチン接種に行ってきました

2021-06-17 09:21:57 | 日記
 77歳の私にも5月22日逗子市福祉部国保健康課から接種券が届いた。4月末に会った友人から80歳以下は接種は7月末か8月だろうとの話だったので急に早まったのを実感した。予約済のS先輩の話を聞いて、少し間をおいて5月25日(火)15時半過ぎに電話で予約を入れた。東京では電話は中々繋がらないと耳にしていたが、逗子ではすぐ繋がり6月16日(水)15:30~16:00の第一運動公園内の体験学習施設スマイルでの接種予約が出来た。メール番号を教えたらすぐ予約完了のメールが入った。その後6月13日と前日の6月15日にも「接種日程が近づいています」のメールが入っている。忘れたり無断キャンセルが無いようにワクチンの有効使用を配慮していることを伺わせた。

 当日は逗子市役所正面玄関前で検温と手の消毒を女性のボランティアの方から受け、会場行の15:05のシャトルバスに乗車、乗ったのは5名程だった。家を出る15分前にはバケツをひっくり返すような土砂降りの雨でお年寄りは来られないのではと心配したが15時少し前には小降りになっていた。
 バスが公園のテニスコート脇の入口から入ると右の会場の建物の入口前にコロナ接種会場の大きな看板が目に付いた。建物内には歩いても僅かなので土砂降りの雨でも大丈夫と感じられた。外から見てもこのスマイルの建物に入ったのは初めてだった。入口で再度消毒と検温を済ませ待機場の椅子に座っていると係の人が必要資料(接種券原本、記入した予診票、本人確認証、お薬手帳)の確認に来て受付番号(私はJ19番)をもらって待った。番号を呼ばれ受付場所(5カ所ほどあった)に行き、手続きし、小さい同じ受付番号の札をもらって、少し椅子で待ち、次いで診断室で医師の問診をうけ、次に接種室で看護師から接種を受けた。診断室と接種室は共に5カ所程あった。ワクチンはファイザー製だったので接種後椅子で15分体調に異常が出ないか様子見となり、その間に第2回接種日の予約を全員受けた。原則3週間後の同じ曜日ということで、私は7月7日(水)15:30~16:00予約となった。
 会場は広かったせいか、待機場、パーテーションで区切った受付、診断室、接種室、様子見待機場等よく整えられていて、係の人も多く当然初めてのことと思うが手際良く進められていた。市職員では出来ないので業者に委託やボランティアの方が参加していたと思うが短期間で日本全国このような形をとっているのではと思うとただ感心した。このブログに投稿している方からマスク顔ではあるが声を掛けられ近くの知人の住職も来られた。帰りは雨も止み散歩がてら歩いて帰ろうかと思ったが、妻からシャトルバスで帰るよう言われことを思い出しバスに乗った。暫くして雨が降り出したので正解だった。
 「梅雨空に 呼ばれる番を 椅子で待つ 受付診断 不安な接種』  yoo