紫紺のやかた

紫紺のやかた

第74回 鎌倉市展 「第66回鎌倉市民文化祭」開催さる

2022-09-28 17:58:33 | 写真館
表題の件 写真展 
9月29日~10月3日迄 開催されます。ご興味のある方ぜひご来場ご高覧ください。
  
                (ysa)
       2022/10/04  追加添付
  ysa  出展作品 No.23     
  
  作品名「暮れ合い」 (撮影場所:森戸海岸)

平良敏子さんの死去で木内 綾さんを思う

2022-09-16 23:20:24 | 回想
 このブログに「沖縄との縁は平良敏子さんとの出会いで始まったかな(本土復帰50年に思う)」と題して投稿したのがついこの間の4か月前です。昨日この平良敏子さんの13日死去をテレビのニュースで見ました。本土復帰50年の節目や沖縄県知事選挙の結果も見届けての101歳の大往生だったと思います。


 平良さんの記事が載ったブログによると波のように風に揺れる芭蕉が茂る沖縄北部喜如嘉(きじょか)で生まれ育った平良敏子さんは、昭和19年、戦争中に倉敷で女子挺身隊として働いていて、戦後しばらく沖縄に帰ることができず、倉敷紡績に就職。同社の社長・大原總一郎氏は、柳 宗悦氏から紹介された外村吉之介氏を招き、平良さんをはじめとする喜如嘉出身の4人に染織の基礎を教授させました。その中で柳 宗悦著の『芭蕉布物語』を知った平良さんは強く影響を受け、大原社長からも戦争で途絶えていた琉球王朝時代からの芭蕉布を復興させて欲しいと言われたのを機に沖縄に戻り芭蕉布作りを始めたとのことです。99歳の白寿の時は琉球王朝の迎賓館とも言われる識名園で白寿記念作品展を開催していました。
 芭蕉布は多年草の糸芭蕉の幹の繊維を用いるため平良さん達は糸芭蕉の栽培から始めたそうです。逗子市役所前に今は廃業しましたが「志ま三」という染物屋があり裏手に芭蕉の木がありますが良く実を付けています。糸芭蕉なのかなと思いたくなります。

 織物では沖縄の大宜味村喜如嘉の平良敏子さんと北海道旭川市の優佳良織(ゆうからおり)の木内 綾さんを思い出します。26年程前地元明大のT.H.先輩の企画で数人の仲間と旭川の優佳良織工芸館を見学し綾さんにはお会いできませんでしたが、お会いした息子さん宛のお礼状に編物技術一筋に生きた父が喜寿の時に作った『新しく我にみなぎり来るものを歓びて歌う夜早く明けよと』という短歌を添えて出したためか綾さん(当時72歳)ご本人からお手紙と優佳良織のサンプルをいただきました。数年後日本橋三越での作品展の案内をいただき行って会い話もしています。




 織物は時間のかかるもので一時期製作に行き詰まりを感じたことから、芭蕉布の平良敏子さんを訪問し神業のような作業に衝撃を受けた経験もあったようです。何かを掴もうと沖縄を訪れたはずでしたが、逆に自分の十数年間の仕事の未熟さ、粗雑さを嫌というほど感じ、心中では織の仕事をやめようとすら考え始めたそうでしたが、漆器工房へ案内され80歳の工房の漆器職人から「本州の漆器に近づこうと努力してきましたが、まだまだです」と語るのを聞いて綾さんはその言葉に、自分のことを言われたような思いがして「まだまだです」の言葉に救われ「一からやり直そう」と誓ったとのことです。

 芭蕉布は平良さんが死ぬまで現役で後継者を育て、一方創作織物の優佳良織は後継者が育つ前に木内さんが82歳で死去、あとを継いだ息子さんも亡くなり、工芸館の破産と共にその後を気にはしていましたが、2018年(平成30年)、元職人たちにより、旭川市内に優佳良織工房が設立されています。現在30歳の廣島亜衣さんがこの工房に挑戦して3年が経ち優佳良織の伝統を残そうとしています。また2016年に倒産してしまった、元の拠点「優佳良織工芸館」の復活に向けて、地元企業が資金援助をしようと、2019年10月に新たに財団を立ち上げて動いていますが寒い北の大地のためとコロナの影響もあり道や市との交渉も難航が続いているようです。建物は旭川を創業とするツルハ(鶴羽)ホールディングスやエスデー建設が買い取ることになったようなので鶴羽社長がドラッグストアと優佳良織の伝統をどのように計画しているかも関心ごとです。(yoo) 



わの会

2022-09-08 22:14:50 | 音楽
久々の投稿です。2021年10月16日にリヒャルトシュトラウスのレクチャーコンサートの投稿をしました際に、日本には著名な作曲家の協会があることについて触れました。その内の一つの協会である日本ワーグナー協会が後援するコンサートが来る12月15日に新宿角筈区民ホールで「わの会」が開かれますのでお知らせいたします。ワーグナーの頭文字”わ”から取ったものかと思われます。ご興味ありましたらアクセスしてください。https://teket.jp/4480/15447
あとそれから「角筈」(つのはず)と言う地名が、以前ありましたが、今は無かったような気がします。新宿区1丁目五番3号など昔の地名がわからなくなっていますが、少し寂しい気がしております。地元の方々の強い要望によって、区民会館に「角筈」の名前を付けたのかと勝手に思っております。
 この協会のホームぺージによりますと、19世紀を代表する作曲家リヒャルト・ワーグナーの芸術を探求し広く紹介すること、それによって日本の芸術文化に貢献することを目的として1980年4月に設立されたそうです。東京で開催される月例会、関西・名古屋などの定例会の活動を中心に、テーマ別に専門家を講師に招き講演会、レクチャーコンサート、ヴィデオ鑑賞会、パネルディスカッションなどを開催し、ワーグナーの作品をあらゆる角度から研究、分析し多岐にわたるワーグナーの芸術を正しく紹介するように努めておられるようです。また、来日中の著名な演奏家、演出家等のトーク、彼らを囲むパーティなど多彩なプログラムが企画されているようです。
 各協会とも、作曲家のファンや演奏者、研究者等で構成されて、同様な活動されているようです。
 12月は、コロナの感染状況がまだまだ不明ですが、感染対策を講じての開催になるかと思いますが、無事にコンサートができますように願っております。    tko

青い実を訪ねて散歩を開始しました

2022-09-08 18:38:23 | 樹木観察散歩
 猛暑の中、8月までは殆ど家の中にいて椅子やソファの御厄介になっていたため、腰を伸ばすのは夜寝ているときだけとなり腰の曲がりが目に見えて顕著になりました。万歩計の記録も1日1,000歩~2,000歩以下と早く涼しくなって散歩をしなければと思いつつ、9月に入っても蒸し暑さが残りなかなか外歩き出来ません。

 9月3日(土)早朝比較的涼しさを感じたので、夏の海水浴場の人が去った名残を求めて逗子海岸までゆっくり散歩に出かけました。なんと海岸の海の家はまだ営業していて4日(日)が最終日とのことで、海の家の解体が昔から秋の訪れと体感している私にとっては1週間早かったようです。

 それでも家から亀ヶ岡八幡宮、八幡通り、海岸通り、海岸中央から渚橋の下をくぐって富士見橋に出て橋を渡って直進、蘆花公園(脇村邸跡)、前の細い道を通って、バス通りに一旦出て再度横道に入って六代御前の中の横道から桜山トンネル前に出る細い道を暫くぶりに選びました。田越橋前で右に曲がって川沿いに仲町橋に出て逗子葉山駅南口からバス通りを横切って亀井児童公園に出て市役所方面へと帰ってきました約2時間散歩もゆっくり歩いたせいか万歩計も7,000歩に届いていませんでした。

 散歩は決まって樹木観察で今の時期は青い実の観察です。ただ青といっても青空の青ではなく、青葉の青で緑色の実の観察です。余談ですが江戸時代中頃迄、緑色の表現は無く緑も青と言っていたそうです。
 我が家では玄関を出ると木通(あけび)と鼠もちの実が大小極端な比較で目に入ってきます。隠蓑、万両、千両、南天などまとめて付ける実、よく見ないと分からない桧榊、水蝋木(いぼた)の実、垣根に這わした郁子(むべ)は暑さで1つも実が残っていません。






 八幡宮では当然銀杏の実が高いところに付いていますが首が痛くなるので観察はパスです。榊、柾が青い実を付け海桐花(とべら)、車輪梅がやや大きい実を付けていました。社務所脇の柘榴の実は既に赤みを帯びていました。八幡通りでは最近よく見かけるランタナが花と青い実と黒い実を同時に付けていました。合掌造りの向い側の家にある喜樹はバナナのような実を沢山付けて見頃でした。花梨(かりん)が大きな実を付け,蜜柑類の木も今はこれから大きくなる実を付け、まだ軽いので上を向いて付けている実(檸檬、金柑)もありました。海岸通りでは休憩の長椅子の脇に黒鉄もちが沢山実を付け、花蘇芳はさやが裂けて青い種子を見せていました。槙の大木には多くの団子状の実を付けています。夏蜜柑、柿の実なども見ました。柘榴も見ましたがやはり赤みを帯びていました。田添川添いで栴檀のような木が多くの実を付け、犬枇杷の実も見かけました。路地の家では枇杷、柘植、そして紫式部の青い実も見ました。白式部や白万両も白い実になる前は青色です。
 脇村邸は日本学士院院長を務めた脇村義太郎さんの旧宅で、弟の礼次郎さんの妻が美智子皇太后の叔母さんにあたるため皇太子妃の時代から来られていたという歴史をもっています。一時期関東財務局が競売に出す前に市に買い取ってもらい保存しようと動いたグループに参加していた思い出もあります。車道の突き当りは山頂に続く階段になっていて中腹の海の良く見える見晴台は昔日慶応大学の清岡教授が別荘を構え、その跡他を当支部会員のK.Ⅿ.さんが所有していたことなど思い出も深い場所です。階段は草に覆われ今は知る人もなく脇村邸の庭には梔子(くちなし)が青い実を付けていました。

 青(実際は緑)い実はこれから或るものは黒へ、白へ、赤へ、黄へと色を変えるため月日が経つまでの一時の仮の色です。なおこの時期、珊瑚樹や山帽子が赤い実を付けているのは違和感がありました。また野草竜の髭が緑ではない真っ青の実を付けていました。
 6日、清水橋脇の歯科医院でオリーブの丸い実を見て、逗子小学校裏の教会側で桜の木に挟まれて海桐花や車輪梅と共に姫譲葉を見上げると実が僅かに確認できました。また学校裏出口側塀際にある槙が青い実を付け、延命寺入口向い側の丸い椅子で休憩して見上げるとホルトの実が青空に浮かんで見えました。セブンイレブン斜め前にあるレモンハウスではレモン、金柑、温州蜜柑の実も見ています。8日の今日は台風11号の影響で八幡宮の銀杏もやや黄色の実を落としていましたので付記しておきます。(yoo)