紫紺のやかた

紫紺のやかた

十三夜

2020-10-31 21:42:08 | 近況報告
カレンダーの一週間を見ていた時、ポツンと「十三夜」という書き込みが目についた。少しお月さんの事を知りたかった。
太陽太陰暦で、《十五夜》(旧暦8月15日)10月1日 別名:「中秋の名月」又は「芋名月」という。尚、《十三夜》(旧暦9月13日)10月29日で少し欠けた月は「豆名月」or「栗名月」とも呼ばれている。尚、この二つの月で《十五夜月》は「前の月」、《十三夜の月》を「後の月」と言い、二つの月を合わせて「二夜の月」と呼ぶこともあるそうだ。ここで一方のみの月を「お月見」するのは片見月と言って縁起があまりよろしくない謂れもあるそうだ。残念ながら《十五夜の月》を見過ごしてしまった。しかし、記念すべき十三夜が近ずいていたので一週間10月25日から10月31日迄の月の形の移動を追ってみた。最後の10月31日が満月の日であったので「二見月」と称して自分なりに納得したいと思った。
   
 10・25 九夜月(小潮)月齢8.3    10・26 十夜月(小潮)月齢9.3
      
                      
10・27 (曇り)宵月 月齢10.3 この日は雲り空のため月は撮影できず。
昼間ヒヨドリが庭先に群れをなし、さえずっていたのでシャッターを押した。

   
   10/29 十三夜(中潮)月齢12.3    10・31「満月」(大潮)月齢14.3

「十三夜の月見」謂れについて
宇田法皇が九十三夜の月を愛で「無双」と賞したことからか?
醍醐天王の時代(延喜十九年:西暦919年)開かれた観月の宴が風習化したものか?  等の風習が現在もなお続いている。

自然の作り出すものは、決して人間の作ることのできない実に崇高なものだと思う。しかし、その美しさ尊さをどのように受け止めるかは、その人の持つ感性なのであろう。その様な感性を私も大事にしていきたい。
これらの資料は「歴と天文の雑学」を参考にした。
                            (ysa)



幻の交響曲(7)最終編

2020-10-31 12:00:00 | クラッシック
バリークーパー博士の講演 続き(5)
「ベートーベンのスケッチから交響曲第10番が復元されるまで」

「アンダンテの反復」
スケッチによるとこのアレグロはハ短調で結びホ長調の大きい和音がその後に来て、又アンダンテに戻るという風になっている。この反復の間、アンダンテのテーマの飾りに弦楽器がアレグロの楽節の6/8のリズムで続くことになってる。従ってここで必要なのはアンダンテの別のバリエーションであよるように思われた。ご承知のようにベートーヴェンは後期ではこのバリエーションを常に好んでいた。・・・
「その後への繋がり」
ベートーヴェンの他の作品の中で登場する「通常の繰り返し」とそれらに関連する小節をもとに、これは最初のアンダンテのすべてとアンダンテの反復の殆どのメロディ・ラインで作曲されている。この中で大きいギャップを埋めなければならなかったのは「アレグロ」であった。・・・
従って、この第1楽章の復元はベートーヴェンの第10自体を聞くのに最も近いものと言えるのである。この復元は勿論ベートーヴェンが作曲したものと同じレベルのものになりえないで、いくつかの所では彼の方がもっと想像力を働かせたであろう。しかし、私の想像に任せるよりも、当時ベートーヴェンの頭の中で何が描かれていたかを現すために、なるべくスケッチに忠実であるように努力した。そして、復元された楽章が、ベートーヴェンの交響曲楽章の中で最も優れた楽章の一つになったに違いないという、納得のいく印象を与えてくれることを信じている。
                             以上

博士のベートーヴェン「第10交響曲・第1楽章」復元の「趣旨の講演」を掻い摘んでここに記してみた。途中、メロディ(ピアノ説明)を取り入れての講演(CD)であったものの、ペーパー上では表現もできなかったし、あまりにもメロディーの綾の表現の難しさを理解に苦しむ面もあった。
しかし、彼の意志がこれを復元するに当たり、どのように動いたかを我々は理解する必要がある。そしてベートーヴェンの生誕250年記念に当たり、「幻の交響曲」が今でも現世に存在していることを我々は忘れないで心に留めておきたい。          ・・・end 
                            (ysa)

                           




幻の交響曲(6)

2020-10-31 12:00:00 | クラッシック
バリークーパー博士の講演 続き(3)
「ベートーヴェンのスケッチから交響曲第10番が復元されるまで」

正しい学術的な厳密さが維持されていればこの楽章を完成させることによっていくつかの利点が得られる。・・・
ベートーヴェンの生涯の中、彼は少なくとも合計11もの交響曲のスケッチを残している。その11の内3つはニ短調であり、第9交響曲の調整の前兆となる。しかし最も長いスケッチは変ホ短調であり、それは第10の前兆である。・・・
第10交響曲のために書かれた初めての実質的なスケッチは1822年10月の頃のものであり、これは現在ベルリンにあるスッケッチブックの中にある。それは変ホ調2/4拍子のアンダンテで、その主題の最初の3小節は「ピアノ・ソナタ(悲愴)」の真ん中の楽章とほとんど同じである。・・・
ベートーヴェンのスケッチの中には、このような計画の変更はよくあることである。だから草稿作成は難しいのである。
いろいろ計画の変更資料と1812年の初期の曲を含めると第10交響曲のスケッチが合計350小節位ある。そのうち250が第1楽章用、残りはその後の楽章用に使用するためのものである。・・・
ベートーヴェンが頭の中でどんな楽章を描いていたか、又それをなるべく正確に再現するためには各スケッチが何を示し、どんな意味を持つかを確立する問題は非常に複雑である。・・・
これらスケッチは作品の5つの異なった部分に属する5つの範囲に分けることが出来る。それは「序奏部」の小節、「変ホ調」のアンダンテ、「ハ短調」のアレグロ、そして「アンダンテの反復」、そして「その後の楽章への繋がり」である。・・・
「序奏部」ベートーヴェンの殆どの楽章は何らかの「序奏部」から始まり、それは主題の前のカーテンとも呼ばれている。第10交響曲のアンダンテの前にこのようなカーテンを考えていたことは少なくとも3つのスケッチに示されている。
「変ホ調」アンダンテ、少なくともアンダンテの出だしは木管楽器のソロで始まり、一つのスケッチではこれが2部に分かれていることがはっきり示されている。ベートーヴェンの場合通常そのスケッチは楽章が複縦線により、はっきりと分かれており、もしかしたら繰り返すことを意味する2部形式を考えていたことは明確である。・・・
「ハ短調」アレグロ、アレグロでは全体の形ははっきりとした変わり目はなく、連続した楽章である。・・・
又、アレグロのあるスケッチに書かれた言葉であるが“onne zwei Telle"「二つの部分はない」従ってアレグロには中間に複縦戦も反復記号も置くべきではないのが持論であるが、この場合ソナタ形式をとる指示が含まれていて、アレグロ開始の主題は何種類か存在する。・・・
                             (next)



幻の交響曲(5)

2020-10-30 12:34:50 | クラッシック
バリークーパー博士の講演 続き(2)
「ベートーヴェンのスケッチから交響曲第10番が復元されるまで」

しかし、ベートーヴェンの第10交響曲を完成することは他の作品よりはるかに複雑で難しい。残っている資料は全体的に少なく非常に断片的である。各断片の中に30小節以上続いた音楽はない。大半はハーモニーが欠けており、オーケストレーションに関する指示はたまにしかない。しかし、少なくとも最初の楽章は想像の世界に頼らずに完成することは可能であった。・・・
未完成の作品を完成することにどれほどの意味があるのかについてはいくつかの要因が考えられる。先ず、その作品は歴史上どれほどの重要性を持っているのか?・・・
一番目:は、ベートーヴェンの9つの交響曲は今では演奏のもっとも重要なレパートリーで10曲目も興味深いものであるに違いないのである。
二番目:には、作曲家自身がその曲を完成させる意思があったのだろうか?もし、ベートーヴェン本人が完成できなかったか? 完成するに値しなかったとおもっていたのならば、他人が完成しようとしても無駄であろう。
しかし、彼の死の8日前に書かれた手紙の内容で解るようにベートーヴェンが第10交響曲を完成させる意思を持っていたことは明らかである。そして完成できなかった理由は彼の死であったという事である。
三番目交響曲は完成までにどれくらい近ずいていたのかベートーヴェンがもし交響曲の出だししか作っていなかったのならば残りを完成させるのは、ほぼ不可能である。しかし、スケッチをよく調べてみると第1楽章の中には重要な新しいテーマとかモチーフを作らずに楽章そのものを完成させる基本的な資料が充分あることが解った。・・・
四番目:に抜けている資料をどれほど正確に推測することが出来るのだろうか?恐らくはそんなに正確ではないかも知れない。しかし、もしベートーヴェンの音楽的スタイルの知識を持ち、それ以上に彼の通常の作曲法を知っていれば人が想像していたような楽章に近いものを創ることは可能であるはずである。ベートーヴェンの創造的プロセスに関する本を書くため研究していた時に私はすでに彼のスケッチと、数々の他の作品の作曲法を綿密に調べた。そして彼の通常の作曲方法も大体把握できた。
従って、それらの方法を第10交響曲の第1楽章に応用すれば、他の人よりは完成することは有利に違いなかった。そして最後に、残っているスケッチの質はどんなものなのか?完成するに価値があるのか?私が思うにはベートーヴェンの実績や音楽性の高い水準から見てもその質は非常によく、完成した楽章に仕上げたいという誘惑に駆られる大きな要因があった。
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幻の交響曲(4)

2020-10-30 12:31:51 | クラッシック
この幻の交響曲第10番が世界に向けて発表された時、バリークーパー博士は草稿のスタートから完成までの経緯を講演で発表されています。かなり専門的なトークであります。
ピアノ演奏の説明は省略し、主な意志の抜粋を取り上げてみました。

バリークーパー博士の講演(1)
「ベートーヴェンのスケッチから交響曲第10番が復元されるまで」
1980年代まで、ベートーヴェンの交響曲「第10交響曲」は伝説的な漠然とした所在と考えられていた。・・・(省略)
それまで、その交響曲と思われる草稿・スケッチの存在は確認されておらず、それ以降に発表された二つの論説 一つはジーク・ハート・ブランデンブルグが著書、 もう一つは私が書いた論文の中で、ベートーヴェンが1822年から1825年の間に作曲した、かなり数のスケッチは明らかに第10交響曲のために書かれたものであるとわかっている。・・・
1827年ベートーヴェンが亡くなる8日前に書かれた手紙の中には「机の中に新しい交響曲が入っている」とある。そして彼の友人カール・ホルツは「ベートーヴェンが第10交響曲の第1楽章全部をピアノで弾いているのを聞いたことがある」と言っている。・・・
最近になって確認されたスケッチは明らかに交響曲のためのものである。その中にはホルン・弦楽器・ティンパニー、そして第1楽章の終わりなどと書かれてあり、その次のページには「新しい交響曲」と書かれている。しかも、それは第9交響曲以降の曲である。しかし、決定的な証拠はこれらのスケッチの内容とホルツがこの楽章を聞いた時の独特の記述と完全に一致していることである。編ホ長調のやわらかいイントロの後に力強いハ短調のアレグロが続く。
このスケッチの発見によっり第10交響曲の全部でなくても、一つの楽章を演奏できる形にする可能性が生じたことになる。作曲家が残した未完成の作品が他の者によって完成されることは珍しくない。
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