下手な横好きというか、私の部屋には山のようにベートーヴェンのCD・LPがある。一休みする時にバックミュージックにしたりして、しょっちゅう耳にしている音楽である。
今年12月16日(頃)はルートヴィッヒ・ヴァン ベートーヴェンの生誕250年記念に当たる。楽聖「ベートーヴェン」の人柄に少しでも触れてみたいと思った。幸い入手した資料に「ベートーヴェンってどんな人?」の振出しで彼の生涯を書いた記事を読んだ。正に「波乱万丈の人生」であった。自分として馴染みの深い音楽家であったが、意外と知らないベートーヴェンの人生について考えさせられた。
ここにそのエピソードを記した文面を転記した。その人柄に触れていただければ幸いである。
①〈ベートーヴェンってどんな人?〉転記文
ベートーヴェンの生涯については多くの人が同じ感慨を抱くのではないかと思う。たとえば、音楽家の生命である聴覚を失い、苦悩・絶望と闘いながら厳しい芸術の世界を生き抜いてきたことや人間を愛し、愛されたいと願いながらいつも孤独であったこと。音楽でしか自己主張できなかった恵まれない私生活などが知られるところである。ここで改めて少々長くなるかもしれないが、楽聖ベートーヴェンというより、一人の人間ベートーヴェンとして少しでも感じていただけるなら幸いである。
②〈父の英才教育〉転記文
父ヨハンは祖父ほどの教育は持ち合わせていなかったらしい。しょっちゅう居酒屋に入り浸り、飲んだあげく、夜更けに幼少のベートーヴェンを起こしてピアノを弾かせたこともあった。当時、モーツアルトが「天才」の名をほしいままにしていたが、父ヨハンは息子ルートヴィッヒを第2のモーツアルトに仕立て上げようと必死だったのである。3人の子供の中からルートヴィッヒを家業である音楽の道に進ませたのは父ヨハンの功績であろうが、眼前の成功に目を奪われてしまうあたりがモーツアルトの父レオポルトとは役者が違っていたようだ。ルートヴィッヒはモーツアルトのような早熟な天才ではなく、もっと遅れてのそれであることを見抜けなかったのだ。ヨハンはルートヴィッヒを天才少年として2歳も年を若くして人々の前に発表した。ベートーヴェンが8歳の時である。コンサートは成功したが、このころから父はこれ以上息子の音楽教育は自分では手にあまると悟ったらしい。自分の友人、知人にルートヴィッヒの教育をどんどん任せていった。現代でいうとさしずめ「モーレツ教育パパ」ということであろう。 (next)1/5