紫紺のやかた

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ベートーヴェンってどんな人?

2020-11-28 12:15:21 | クラッシック
下手な横好きというか、私の部屋には山のようにベートーヴェンのCD・LPがある。一休みする時にバックミュージックにしたりして、しょっちゅう耳にしている音楽である。
今年12月16日(頃)はルートヴィッヒ・ヴァン ベートーヴェンの生誕250年記念に当たる。楽聖「ベートーヴェン」の人柄に少しでも触れてみたいと思った。幸い入手した資料に「ベートーヴェンってどんな人?」の振出しで彼の生涯を書いた記事を読んだ。正に「波乱万丈の人生」であった。自分として馴染みの深い音楽家であったが、意外と知らないベートーヴェンの人生について考えさせられた。
ここにそのエピソードを記した文面を転記した。その人柄に触れていただければ幸いである。

①〈ベートーヴェンってどんな人?〉転記文
ベートーヴェンの生涯については多くの人が同じ感慨を抱くのではないかと思う。たとえば、音楽家の生命である聴覚を失い、苦悩・絶望と闘いながら厳しい芸術の世界を生き抜いてきたことや人間を愛し、愛されたいと願いながらいつも孤独であったこと。音楽でしか自己主張できなかった恵まれない私生活などが知られるところである。ここで改めて少々長くなるかもしれないが、楽聖ベートーヴェンというより、一人の人間ベートーヴェンとして少しでも感じていただけるなら幸いである。

②〈父の英才教育〉転記文
父ヨハンは祖父ほどの教育は持ち合わせていなかったらしい。しょっちゅう居酒屋に入り浸り、飲んだあげく、夜更けに幼少のベートーヴェンを起こしてピアノを弾かせたこともあった。当時、モーツアルトが「天才」の名をほしいままにしていたが、父ヨハンは息子ルートヴィッヒを第2のモーツアルトに仕立て上げようと必死だったのである。3人の子供の中からルートヴィッヒを家業である音楽の道に進ませたのは父ヨハンの功績であろうが、眼前の成功に目を奪われてしまうあたりがモーツアルトの父レオポルトとは役者が違っていたようだ。ルートヴィッヒはモーツアルトのような早熟な天才ではなく、もっと遅れてのそれであることを見抜けなかったのだ。ヨハンはルートヴィッヒを天才少年として2歳も年を若くして人々の前に発表した。ベートーヴェンが8歳の時である。コンサートは成功したが、このころから父はこれ以上息子の音楽教育は自分では手にあまると悟ったらしい。自分の友人、知人にルートヴィッヒの教育をどんどん任せていった。現代でいうとさしずめ「モーレツ教育パパ」ということであろう。                        (next)1/5
















速報!! 今田美穂さん「今年の世界の女性100人」に日本から1人選ばれました

2020-11-26 10:23:20 | 日記
 イギリスの公共放送BBCは、世界の人々に影響を与えた「ことしの女性100人」を発表し、このうち日本からは、酒造りの職人、杜氏(とうじ)として活躍する広島県の今田美穂さんが選ばれました。
 昨年11月17日(日)に開催した西日本豪雨災害復興支援を目的とした明治大学マンドリン倶楽部チャリティーコンサートの際に入場者に配布したプログラム30頁に「西日本豪雨災害復興支援について」と紹介文を掲載していましたが、この明治大学1985年法学部卒の今田美穂さん(株式会社今田酒造本店 代表取締役・杜氏)にも触れていました。
 プログラムの記事と明治大学機関紙“明治2019年夏号”の記事を掲載します。お酒に興味のある方は是非ご覧ください。 










        以上。(かじとり)

コロナ禍の中の音楽界の動き(補足編その3)

2020-11-24 15:50:38 | 音楽
  皆様、11月19日は、歌芝居«良き報せ»をご視聴できましたか?
 今一度、ご覧いただきたい方やお時間がなく、ご視聴出来なかった方へ
 お案内いたします。
(1) コロナ禍の中の音楽界の動き(補足編その2)でお知らせしました
                        ~ベートーヴェン生誕 250年記念~
     110 TWILIGHT CONCERT 歌芝居«良き報せ»が11月19日(木)に
 無料配信されましたが、引続き3か月無料でご視聴いただけますことが
 わかりましたので、ご案内申し上げます。
  アクセス先は次のとおりです。どちらでも良いです。
  https://pr.iij.ad.jp/tc110/
  TWILIGHT CONCERT(大手町コンサート) (iij.ad.jp)

(2)『ぶらあぼ』と言う音楽の小冊子をご存知の方もおられるかと思いますが、そのブラアボが無料コンサート・オペラの映像配信日程を提供しているサイトを見つけましたので、ご参考までご案内いたします。
 https://ebravo.jp/archives/63048
                    以上 tko

「世界一小さな科学館」を訪れた。

2020-11-23 15:42:23 | 近況報告
別名:理科ハウス 神奈川県逗子市池子2-4-8
先日「yoo」さんの「小柴さんを偲ぶ」のブログを見て新めて身近な存在として心に残った。20201120付けの「タウンニュース」No.366号に「小柴さんの業績紹介」の記事が目に留まった。早急に訪ねてみたくなった。運動公園にある駐車場に車を止めて11/22 PM3:00~「理科ハウス」を訪ねた。
    
   第1運動公園の銀杏が午後の陽射に反射してとても美しかった。  
   
      園内の京浜急行電鉄のデハ601号が今もなお歴史を刻もうとしていた。                        
             
教室に案内されると、中学生の子供たち5人が机を囲んで何やら皆で試作品を実験していた。私には研究課題は何やら分からなかったが、その活動記録が壁に記録されていた。つい私も一緒になってその活動に参加したいような気持ちになった。皆一生懸命に取り組んでいた。

森館長の案内を受けて理解を深めた。
「世界一小さな科学館」として知られている理科ハウス(逗子市池子)は今月12日に亡くなった2002年ノーベル受賞者の小柴昌俊さんの業績や、当「理科ハウス」との所縁を紹介していた。小柴さんの研究は物質のもとである素粒子の一つ「ニュートリノ」(陽子)の観測で世界初の発見成功を収めてのノーベル物理学賞受賞であった。翌年にその賞金などを基に「財団法人:平成基礎科学財団」を設立、小柴さんはその理事長に就任し、基礎科学の発展と次世代への科学の啓蒙活動に力を入れた。当「理科ハウス」は2014年同財団が主催する研究発表会に参加し、「第10回小柴昌俊科学教育賞」に応募。書類審査と現地調査を経て最終選考に残った。そして館長の森さんが日頃行っている企画展、子供たちが主体的に科学に興味を持つよう工夫している点の「プレゼンテーション」発表を行った。最終審査を経て優秀賞に輝いたとのことであった。授賞式後森さん達が小柴先生のもとにサインを求めに行くと「やればできる」とのメッセージをもらった。尚、直筆のメッセージ紙と頂いた表彰記念メダルや写真を展示している。又副賞も贈呈され当活動に貢献している。
   
   逗子池子にある理科ハウス     理科ハウスの「銘板」
 
第10回小柴昌俊科学教育賞「メダル」

授賞式後に頂いた小柴博士の直筆 サイン紙「やればできる」のメッセージ

ここに世界一小さい科学館「理科ハウス」の概要を添付します。
理科ハウスの概要①
理科ハウスの研究テーマ②
※ご興味のお子さんがいましたら未来科学者の卵の為に是非訪れてみてください。
                                                    (ysa)


ノーベル賞受賞の小柴昌俊さんの訃報に思う

2020-11-18 11:53:44 | 回想
 11月14日(土)NHKの「ブラタモリ」でタモリが飛騨高山と神岡鉱山跡にあるスーパーカミオカンデ内部を見学する放送を見た。
1987年自らが設計を指導・監督したカミオカンデによって史上初めて太陽系外で発生したニュートリノの観測に成功、この功績で2002年にノーベル物理学賞をもらった小柴昌俊氏が94歳で亡くなったのが2日前の11月12日だったのであまりにもタイミングが良すぎて驚いた。
 小柴さんは横須賀のどぶ板通り近くから現在の県立横須賀高校(当時は横須賀中学)に通い卒業すると明治大学(当時は東京明治工業専門学校)に入学しほぼ1年在学ののち東京大学に入学した経歴から明治大学の「アカデミーコモン竣工記念式典」の際に明治大学名誉博士の称号が与えられて記念講演もあった。私は小学校1年生時がどぶ板通り近くの汐入小学校だったことと同じ高校の先輩でもあり、明大との縁も重なって身近な人として頭にあった。横高はノーベル賞、総理大臣、オリンピック金メダルの人物を輩出した高校として有名で高校時代オリンピックで金メダルを取った柔道のⅠさんの妹さんが同級生だったことも印象深く記憶に残っている。
 陽子崩壊の検出を主目的に岐阜県神岡鉱山跡に「カミオカンデ」が建設された理由は飛騨片麻岩という強度の高い岩盤をもつことと坑内に豊富な湧水があるため観測に必要な純水を調達しやすく、さらに坑内の気温が年間を通して13 〜 14度と一定している為、観測に必要な環境の保持が容易という特性だったようだ。父母の出身が岐阜だったこともあり当然飛騨のニュースは昔から特別に関心事だった。「ブラタモリ」の映像で飛騨片麻岩が出来た地質学上の経緯を知って飛騨の地が二つの大陸がぶつかった場所だったことを始めて知った。国歌に歌われた“さざれ石”の産地が飛騨であることも頭をよぎった。またスーパーカミオカンデの上をいくハイパーカミオカンデが2027年に実験開始を予定していてその規模の紹介もあった。

 11月16日明大地元校友会のT先輩から『ノーベル賞受賞時に高校卒業生の朋友会の代表として、受賞のお祝いを兼ねて2003年(平成15年)1月31日に東大の研究室に伺ってお話をさせていただきました。高校時代の様子の一部が生の声で伺えます。CDに保存してありましたので聞いてください。』とのメールをいただき当日そのCDが届けられた。先輩からの有難い話で、私は直接お会いしたことはなかったが音声CDを通して笑い声がより身近に感じられた。なおS君と2人で訪問したこのインタビュー時の記録が出てきた際は後日掲載したいと思っている。明大校友会横須賀地域支部のⅯ前幹事長と小柴さんとの対談のブログ記事を以前呼んだが、小柴さんの訃報に接し思い出して再度ブログも読み直している。
 現在NHK大河ドラマで“麒麟がくる”が放映中だが明智光秀と神岡城の接点は確認していない。同時代なので興味のある方は調べられたらと思う。

*参考検索資料:<タモリと小柴昌俊><神岡城が呼び寄せた未来への希望の施設><小柴昌俊さんとmakisimaさん>(yoo)