紫紺のやかた

紫紺のやかた

フリーマーケット初体験(1)

2021-01-23 11:31:35 | 日記
 昨年9月25日(金)に逗子駅前の亀ヶ岡八幡宮の「フリーマーケット」に初参加した。81歳の老人となってこれまで海外在住や旅行で趣味的に集めたものがかなりあり、この処分が目的だった。品々への思い出もまだ記憶にあるうちにと、思い立った次第である。記憶が薄れてしまったら残った趣味で集めた品々はただのガラクタになってしまう。記憶を蘇らせながら説明して見に来てくれた客に販売できるのは意義あることと手伝ってくれた妻にも感謝している。

 魅力ある品を通常より安い値段で大量に購入したり、高額商品を仕入れるわけではないので、経験もなく大金を失って妻と離婚して慰謝料支払いの心配もまず無いだろうとの思いで新たなチャレンジでこれまでと違う体験ができればと思いが強かった。
 境内の1坪で午前9時から午後3時まで参加料2,000円払えば6時間お客との会話で楽しめる。前日自宅で商品全ての値段を確認して、値段交渉へはどう対応するか、試験的に並べ、また包み紙も準備したら大きなスーツケース2個にも詰めるのは困難だった。8時半には自宅を出てバスに乗り、会場で15分掛けて商品を並べようと前日夜は22時に床に就いた。25日には予定通り8時45分から展示を始め手際よく行ったが天気が怪しくなってきて、残念ながら10時半にフリーマーケットの幹事から午前中で撤収するように言われた。最初の時は出店を誰にも伝えていなかったので知人も知らず顔出しもなかった。この場所でのフリーマーケットは毎月1回で、その後10月28日(金)、11月27日(金)、12月11日(金)と続けて出店した。近くに住むyooさんに出店の話をしたら、数人の明大OBの方に新型コロナ対策厳守(マスク着用等)で顔を出されたらとの案内をしていただいたので10月~12月にかけ10名程の方が顔を出された。


 yooさんの話によると、過去2回、地元校友会で逗子市民まつりでのフリーマーケット参加出店したことや、亀ヶ岡八幡宮でのフリーマーケットにも紫紺のやかたに投稿している方が出店されたことがあったそうです。

 私にとってフリーマーケットの原点は戦後の物々交換の「青空市場」が頭の片隅にあり、また趣味で集めるようになった変わった日本人としての海外在住勤務についても次回の投稿で紹介できればと思っている。(kazu)






今朝、七草粥を食べた。

2021-01-07 18:12:17 | 近況報告
朝食の食膳に出てきた茶碗をふと見た。妻が言うには今日は七草粥の日、これを食べてことしも健康に過ごしましょう!と・・・ よく中を見ると七草が細かく刻まれて暖かいお粥に仕上がっていた。一年に一度の行事の事、七草の名前が出てこない。昔から何回食してきたことだろうか?困っていたところ、七草の入っているパックの中に生産者の説明書きがあるからと出されたものを読むことになった。なるほどと再認識したのだった。尚、この粥の中に小さなお餅が一つ入っていたことが、私の心をさらに豊かにしてくれた。
黙ってお代わりを1回して堪能したのだった。

七草について調べてみた。
この「七草」には一年を通じ「春の七草」「夏の七草」「秋の七草」「冬の七草」があり、古来日本の風習として受け継がれている。1月7日に食す「春の七草粥」のみ伝統行事の一つとして受け継がれている。
七草粥の語源(由来)によると、七草粥の風習は中国伝来のもので、平安中期ごろに始まったようだ。この七日は人を占う日「人日」といい、七種の采を暖かい汁物にひたしたものを食し、邪気を避ける習慣から始まった。
七草粥の意味とは、正月七日に無病息災を祈って、春の七草(セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ)を入れて炊いた粥。
正月に疲れた胃袋を整えるために食べる「七草粥」としるしてある。

七草の惣菜で市販されていた七草パックの中に入っていた説明書き(三島函南農業協同組合さんの了解を得て)を添付させていただいた。
ご高覧頂ければ幸甚です。
 

 
                             (ysa)

















“新型コロナにうちかってお互い元気で次の慶事を迎えましょう”

2021-01-07 10:00:07 | 回想
 新年にあたり今年も宜しくお願い致します。“新型コロナにうちかってお互い元気で次の慶事を迎えましょう”
 今日はモウー7日で年明けから早くも七草粥を食べて万病(新型コロナも)を除く日となりました。スーパーで七草を売っていますが高いので不足は梅干しとお茶を口にして厄を除きたいと思います。

 昨年暮れ妻が友人からもらってきた横浜市湘南台にある“のりとお茶”の「いしだ園」のつまみに人の慶事について記載が添えられていました。還暦(60歳)、古稀(70歳)、喜寿(77歳)、傘寿(80歳)、米寿(88歳)、卒寿(90歳)、白寿(99歳)とここまでは知っていました。私は喜寿、そして同居して1年半弱になる実姉は米寿の正月を迎えています。

 この年齢まで知らなかったのですが白寿の上に茶寿(108歳)、皇寿(111歳)が記されていました。確かに漢字をばらすと茶は十×2+八十+八で108です。皇は一の上下はありますが百+十+一で111です。かなり前に将棋を指される方は将棋盤の目数(9×9)の81にちなみ81歳を盤寿として祝うと記事で読んだこともありました。

 いずれにしても還暦から皇寿まで慶事を考えると喜寿はまだ1/3なので終活はまだまだ先かなと思います。高齢化の時代なので皇寿の上の慶事が出てくる可能性はあります。(すでにあるかもしれません)
 
  

(足るを知る者は富み、信言は美ならず、和光同塵、大巧は拙なるが如し、
 大器晩成、止まるを知ればあやうからず)

 逗子市の逗子フォトに逗子7丁目に住んだ明大の大先輩・藤原楚水(喜一)さん(明治13年~平成2年)の記事がありますが亡くなった平成2年(1990年)は109歳でこの時男子では日本の一の長寿者だったそうです。茶寿を既に祝い茶の十徳の十である臨終不乱の心境に達していたと思います。

 *茶の十徳:1諸天加護・2父母孝養・3悪魔降伏・4睡眠自徐・5五臓
 調和・6無病息災・7朋友和合・8正心修養・9煩悩消滅・10臨終不乱 
 *その他:朝、人の血液は酸性で気だるくぼーとしてフラフラしているの
 でアルカリ性の梅干しとお茶で中和して体調を整え朝食が頂けエネルギー
 源となります(「いしだ園」添え書きより)。(yoo)

大晦日・元旦~3日の「逗子海岸のラジオ体操」・「神社周り」・「初詣」

2021-01-05 17:10:13 | 日記
明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
大晦日から3が日の逗子海岸、神社、鎌倉の初詣・・・  
  大晦日は16時頃から逗子海岸へ行き、軽くジョギング。よく晴れていて「日の入」(4時30分頃)富士山のシルエットが奇麗だった。 
 元旦は朝5時に起床。5時45分頃から逗子海岸で軽くジョギングをしてかなり冷え込んでいた。体を暖め(今年は静かな海だった)、日課の「ラジオ体操」。逗子海岸は例年は多くの人で賑わうが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で少し控えめだった。歩いて「新宿神社」から「亀岡八幡宮」の初詣をして、海岸に戻ると間もなく初日の出が拝める。今年は雲一つない初日の出を拝んだ(7時20分頃)。
 2日は曇り空だった。早朝の「ラジオ体操」「神社めぐり」をして逗子海岸に戻ったが日の出は拝めなかった。残念ながら「小坪のみかん投げ」は中止。箱根駅伝大会をラジオで聞きながら「初詣」。「大塔宮正式参拝」「鶴岡八幡宮」と廻ってきた。こんな人が少ない初詣は初めて。「おみくじ」も何時もの竹ではなく紙にくるんだものだった。何時もよりかなり早く帰ってきた。
ロングさん

 3日は快晴。早朝の「ラジオ体操」「神社めぐり」をして逗子海岸に戻ると「日の出」が輝いていた。箱根駅伝大会をテレビで見ながら「年賀状」を整理した。孫3人とも我が家に来てくれて大変穏やかなお正月でした・・・