紫紺のやかた

紫紺のやかた

今日・沖縄復帰50周年の日・5月15日。

2022-05-15 13:26:26 | 日記
 沖縄に住み、涙したフォークソングがあります。

 それは、沖縄のシンガーソングライター”佐渡山 豊のドゥチュイムニー”と言う歌でした。ドゥチュイムニーは“ 独り言”という意味です。

 沖縄の方言でフォークソングを歌う佐渡山 豊の歌は、沖縄の歴史に深く根差した沖縄県民の感情を切々と歌い上げている最高のメッセージソングです。
 ユーチューブで検索して聞いてみてください。
 
 沖縄人の心情を垣間見た一瞬でした。 (fisherman) 


沖縄との縁は平良敏子さんとの出会いで始まったかな(本土復帰50年に思う)

2022-05-13 17:47:19 | 回想
 テレビニュースや沖縄の新聞記事が多くなっている。沖縄県が1972年(昭和47年)5月15日に日本本土に復帰して今年が50年になるためだ。

 私は明大を1967年(昭和42年)に卒業したのでこの時、沖縄はまだ米軍の統治下だった。先の太平洋戦争で地上戦を経験した沖縄の受けた歴史は、今もって沖縄の人に言わせると本土の人には判らないというのが実情のようだ。今も多くの米軍基地が残り宜野湾市の普天間飛行場の名護市辺野古への移転問題がなかなか解決していない。

 本土復帰の翌年の昭和48年11月10日の技術の日。東京中野駅前のサンブラザの国際会議室に労働省から選ばれた「現代の名工」として102名の職人の方々が集まっておられた。繊維関係の名工の中に沖縄の芭蕉布織物の平良敏子さん、山梨の染色の名工白須 恵さんに交じって編物の縫製技術、染色堅牢度の技術者として私の父も名工の栄に浴していた。父から平良敏子さんを紹介されたのが、私の沖縄との出会いだったかなと思う。

 私は戦後生まれと殆ど変わらないが沖縄は観光地の思いが強い。沖縄の地を初めて踏んだのは、明大でのゼミ同期のM君が旅行会社にいて沖縄旅行を企画していたため勧められて妻と行った1997年(平成9年)の5月だった。本土復帰後25年が経っていた。琉球王国の歴史を残す王府首里城、玉陵、琉球村等の観光名所やひめゆり平和記念資料館など大戦関係地、また新たな観光地としてのホテルでホテル所有のサンゴの砂浜など歩き、水中観光船に乗ってガラス越しに海底を覗いたりした。フォードのレンタカーで観光地の飲食店やナゴパラダイスにも行ったが多くの赤い花に囲まれ南国の明るい雰囲気が強く残っている。

 沖縄はもともと琉球王国といい、真偽のほどは判らないが保元の乱で敗れ伊豆に流された源為朝が追手から逃れるため沖縄本島(運天港)に渡り、その子が初代琉球国王舜天になったとされており正史として扱われているという。

 琉球王国の時は日本の鎖国時代も清国に限らずアメリカ、フランス、オランダとも修好条約を結んで薩摩藩と清国に『両属』する体制となっていた。両国の中継貿易地としての役割を担い、交易を通じて独自の文化と自治を保っていたという。15~16世紀にかけて、琉球王国の領域は、奄美諸島から与那国島までの広大なものとなり、明や清といった中国王朝に対して、他のどの国よりも多く、頻繁に朝貢をおこなっていたが明治12年沖縄県設置で県令就任と共に琉球王国は終わりを告げた。日清戦争後に清国との関係を断ち名実とも日本領になったとのことです。

 手元にある沖縄みんさー織の筆入れを見ながら、今後台湾有事を想定した沖縄の米軍基地の役割など気にかけることになると思います。沖縄に移住したブログ投稿者 (fisherman) さんの途切れない投稿を期待しています。(yoo) 

大型連休中の逗子海岸と「ラジオ体操」「逗子海岸フイルムフェスティバル」2022年5月4日(日)

2022-05-05 15:09:08 | 日記
 何時ものように家を5時40分に出発。海岸に行くと連休中ともあって、何人かがシロギス釣りをしていた。穏やかな海で人出も多かった。
 最近、田越川の浚渫工事のため走りにくい。春霞か「江の島と富士山」はうっすら。
 3年ぶりの「逗子海岸映画祭」も「ビーチクリーンデー」も大詰め。ラジオ体操の参加者も多かった。いよいよこれからはシロギス釣りの季節に・・・今年は「海水浴場開設」「逗子海岸花火大会」が実施されるか???ロングさん

3年振りの対面での「駿台体育会理事会」開催。お茶の水が懐かしかった!!! 2022年4月25日(月)

2022-05-05 14:55:38 | 日記

 今まで「新型コロナウイルス感染対策」のため、リモートやメールで行っていた「駿台体育会理事会」が3年振りに対面で開催された。何よりも「お茶の水」に3年振りで行って来た。懐かしい!!!
リバティタワー1階1013教室(リバティホール)で行われた。18時から始まり、通常は弁当がでて約2時間の会議時間も、弁当はなく約50分で閉会した。帰りの超久し振りの通勤ラッシュも体験し、懐かしかった。ロングさん


久しぶり晴天に恵まれ亀岡八幡宮へ参拝し新緑を愛でてきました

2022-05-02 17:07:00 | 近況報告

  
    
             
 霊験あらたかな「亀岡八幡宮」でその鎮守の森を守る「ケヤキ」と「銀杏」の大木 が今を盛りと新緑を披露してくれていました。

 近況報告⓷ この投稿はいつも私のプライバシーに関する事なので気が引けますが、ご理解ください。
 今年になって「今は暇」と思いきや、思いもよらぬ所要に巡り合うこととなったのでした。それは三年毎の運転免許証更新時期が迫ってきていたからです。公安委員会からの通知で「認知機能検査」の予約をしパスすれば「高齢者講習」を予約受講し、さらにパスすれば更新手続きに、この三段階の検査をクリアーし始めて新規(以後三年間)の更新手続きが完了となったのでした。交通の便の解りやすい「鎌倉自動車学校」を選び、最後に鎌倉警察署にて更新手続きをすることで終了となりました。最後の更新手続きの際、若干視力の衰えを指摘されましたが、両眼で0.7で何とか規定をクリアーし、顔写真を撮影の後新規免許証が授与されました。ものの一時間の間に新規運転免許証が交付されたのでした。
 前々回(6年前)の更新おり、視力調整をしメガネレンズの入れ替えをしたのでしたが、今回は少し視力が落ちているので再度近くの「ア〇〇メガネ店」で検眼してもらいレンズの入れ替えをしたのでした。
 折しも道路を隔てた向かい側が市役所・「亀岡八幡宮」境内で足を運ぶうち新緑が目についたのでした。苦しいときの神頼みとでも申しましょうか、祈願をこめての参拝でした。神域の入り口である石造の大きな鳥居の右側には樹齢何百年かのケヤキの大木が、又「アン・ウン」の両狛犬さんの後ろには樹齢何百年経ったのであろうか銀杏の大木が今なお立派な新緑をつけて頑張っていました。左の銀杏の木をふと見上げると先端が少し剪定されていました。思わずあの鎌倉八幡宮の左石段もとに君臨していた銀杏の老大木を思い出し、ここの大木たちにいつまでも頑張れよと心で叫んだのでした。
 私は5月に入って「MM」治療の為、再度入院することになりました。K検査の一部アベレージが平均値よりH・Lで+-0近くまで戻すためです。(私自身、老齢の為体力減退かもしれません)
 さて、私の予定では5月中にミニ写真展を企画予告していましたが日程の都合で今回少し延期とさせていただきます。又様子を見て予定が付き次第開催したいと思っています。
 ミニ写真展「予告」にありがたいコメントを頂いた方には深くお詫び申し上げます。 (ysa)

2022/11/19(土)
亀岡神社もこの時期紅葉の頃かと思い参拝してきました。 
  
 帰り道 京急踏切を渡り田越川・逗子橋にさしかかった時、いつもの白鷺(いやアオサギ)が狩りをしている風景に出会った。ys