紫紺のやかた

紫紺のやかた

喫煙者から受動喫煙者になって22年今思うこと!(その7)

2024-07-05 21:12:23 | 日記
 五月の連休中、咳や痰で1週間静養し、医師による点滴もやり、大きな症状は治まったが、それ以降も咳がたまに出ている。かかりつけの医師からは、そのうちに治るといわれたが、一向に治る気配がなかったので、呼吸器科の医師に診察~検査を行ってもらった。セカンドオピニオンを初めて求めた。その結果は、前記の後遺症もあるが、30年間喫煙したことが原因だと指摘された。一日、3箱60本吸っていた。内訳は、午前中、午後、夜飲み屋でそれぞれ1箱ずつだった。恩師のS教授からは、たばこは大人として吸うのは当たり前だと言われたこと、仕事でのコミュニケーションツールだとして、30年間も吸い続けた結果が喘息、肺気腫(これが進んで行くと肺がんになる)になってしまった。後悔しても何もならない。親戚の叔父は、酸素ボンベを携帯したり、義父は吸入器で薬を摂取していたのを見ていたが、自分は大丈夫だと思っていたが・・・・・・!
 二日前から、一日2回の吸入器を使用し、就寝前に薬を一錠飲む羽目になってしまった。皆様方の周りで、喫煙家がいましたら、将来のリスク回避の為に、禁煙を勧めてください。
                                                                           以上 tko
                                                  2024.7.5


お彼岸のお墓詣り

2023-10-11 19:32:59 | 日記
  秋のお彼岸にお墓参りに行けなかったので、10月1日の日曜日に、妻と私の実家の菩提寺のある茅ヶ崎、藤沢のお墓をお参りしてきた。今回は、孫の誕生の報告をするために、孫も一緒に家族全員でお参りした。yooさんのブログで、触れておられましたが、今夏の猛暑の影響なのか彼岸花が、例年はもっと咲いているはずだが、数本しか咲いていなかった。自宅の庭にも例年咲いている彼岸花は猛暑のせいで、1本も咲かなかった。
 茅ヶ崎のお寺のお庫裏さんから、その宗派の新聞9月号、10月号をいただいた。開祖してから850年の記念すべき年が来年訪れることで、充実した誌面である。帰宅してから、新聞を斜め読みした。まず、お彼岸の意味と普段使っている言葉の由縁の記事が目に止まった。我々が生きている迷いの世界を此岸(しがん)と言い、彼岸(ひがん)は煩悩(ぼんのう)を超えた先にある「さとりの境地」を意味し、この宗派では、西方にある「極楽浄土」を例えた言葉として用いられるそうだ。私見だが、極楽浄土に行かれたご先祖様に会いに行くのが、彼岸の目的なのか?お盆ではご先祖様が帰って来られ、そのお返しで、お彼岸ではご先祖様に会いに行くのかと勝手に思った。お彼岸は年2回あるが、春分、秋分の日は、太陽が真西に沈む彼方に極楽浄土があると説いている。西遊記でも、三蔵法師さまと孫悟空他の一行は西方の「天竺(今のインド)」に行って、お経の本をもらいに行くと言う話に通じるものがあると思った。また、日頃よく使われる『経営』と言う言葉について、誌面にあった。「経」は、「物事の筋を通す。正しい道理に基づく」、「営」は、「怠ることなく励む」と言う意味だそうだ。日頃の経営で私の所属していた会社の社是に『損得ではなく善悪が大事』と言ったものがあった。会社経営であるから、収益の確保が必須だが、法令順守と公序良俗に反することはしないことが求められている。だから、社是を口にするのは簡単だが、実践するのは、本当に難しいものと思っていた。ほとんどの事業者は『経営』を全うしているが、中には法令順守しないで悪いことをする事業者がたまに見られるのは、非常に遺憾なことだ。我々個人も『経営』と言うものを行っており、日々、道徳感を持ち、勤勉に仕事をして、他人に迷惑をかけないようにしているかと思う。とかく、自分だけ良ければ良いと自己中心に考え、行動しているような人もいるが、これまた遺憾に感じる。自分もそうならないように気を付けて行きたい。藤沢のお墓参りを最後にした。理由は、亡き母とのお墓参りの際、必ず同じファミリーレストランで食事をしていた。母の好きな料理を今回も食べた。これも供養の一つかと思っている。
                  以上  2023年10月11日
                                 tko

ごんべいさんの『布団で寝ているお地蔵さん』を読んで

2021-10-04 11:45:52 | 日記
 物知りの京都市出身者の知人に話をしましたところ、京都には無いお地蔵さまだと大変珍しがっておりました。その時に、面白い話を伺いました。京都では地蔵盆(じぞうぼん)と言う行事があることを伺いました。子どもたちが主役の行事で、地蔵菩薩の縁日を中心に行われる行事とのこと。私の出身地の藤沢市ではその行事はなかった。皆さんの出身地でありましたか?知人の情報とネット情報によりますと、日本では古くから地域や子どもの守り神として、お地蔵さんが信仰されて、仏教に属する地蔵菩薩は人々を救済する存在で、それが民間にも地蔵信仰となって広がり、路傍(ろぼう)の神である「道祖神(どうそしん)」の信仰にも結びついて、道端に地蔵さんが増えていったと言われています。このお地蔵さんを供養するのが地蔵盆というもののようです。地蔵盆が行われるのは、基本的に8月23日、24日の地蔵菩薩の縁日のころです。地蔵盆が近づくと、地蔵さんの像を洗い清めて、新しい前掛けを着せ、化粧をするなどして飾り付けるようです。古くから赤には魔除けの意味があり、子どもたちを守って欲しいという願いが込められていると言われているそうです。地蔵尊と子どもの名を書き入れた提灯を飾るようです。提灯は白と赤の二種類があり、名前を入れるのは、地蔵尊と子どもの両者の縁を結ぶという意味があるとか言われているようです。また、その年に生まれた子供の名前を書いた提灯を奉納し、それらを毎年地蔵盆に飾る地域もあるとのこと。お地蔵さんには、お花やお菓子などをお供えし、お供えものを子どもたちに分ける「お接待(地域によっては「おさがり」)」が行われ、子どもたちはお菓子を食べたり、ゲームなどの遊びや福引きなどをしたりして、楽しく過ごす子供さんにとっては楽しい行事のようです。又、夜には縁日や盆踊りなどが開かれる地域もあるとのこと。夏休み最大にして最後のイベントとして、楽しみにしている子どもたちも多いようです。地蔵盆は、近畿地方を中心とする地域で古くから親しまれてきた行事で、北陸地方や新潟、長野市周辺でも行われています。東海や関東では、ほとんど定着しておらず、これは地蔵信仰の歴史の違いだと思われます。京都では室町時代に地蔵盆が大流行したが、東京でお地蔵さんが作られたのは江戸時代になってからと言われています。お地蔵さんを祀った祠の前や空き地、集会場などで開催され、町内単位に行われることがほとんどのようです。地蔵盆が近づくと、町内の人たちはお地蔵さんを祠(ほこら)から出して、お化粧(彩色)したり、新しい前掛けを着せてから、祭壇に祀ります。地蔵盆で行われる伝統行事の一つが「数珠まわし」です。これは、直径2~5メートルの大きな数珠を囲んで輪になって子どもたちが座り、僧侶の読経にあわせて順々にまわすというもので、この大数珠を身体に当てると、邪気を払い除け、身を清めてくれると言い伝えられています。いずれにせよ、仏教への信仰心と子供の楽しみと近所の人たちの交流・親睦が一体化していて、興味深く思った。
 布団をかけたお地蔵さんが横たわっている姿は、涅槃仏(ねはんぶつ)の1種類かと思う。新型コロナの身代わりになってもらいたいと言うごんべいさんのお言葉がありましたが、私も同様な理解宇をしました。
涅槃(ねはん)とは仏教の最終目標を意味する言葉で、仏教の最終目標とは「苦しみから解放され、楽しく安らかな世界」にたどり着くこととされているとのこと。涅槃仏は横たわっている仏像とのことで、我々をコロナの苦しみからお救いいただき、安らかな生活をとりもどしたい気持ちの表れと理解しました。煩悩の解脱を意図した年末の除夜の鐘も同じ仏教の目標の一つであることは、ご承知の通りです。
 話は全く変わりますが私の子供の頃の行事で、道陸神(どうろくじん)さまと言う石材の神さまをゴザの上に乗せて、子供が十人くらいで縄で結わえて、引っ張っていたことを思い出した。『道陸神(どうろくじん)と言う人は、おかしな人よ!酒さえ飲めばご機嫌だ』と繰り返し歌いながら、道を練り歩いた経験がある。子供は何の意味か解せず、ただただ、終わるとお菓子がもらえるのを楽しみにしていた。今、ネットで調べたら道陸神(どうろくじん)さまは道路の悪霊を防いで旅人を守護する神と言う事がわかったが、歌の歌詞とはかけ離れたもので、関係性がわからないものでした。ただ、有名な神さまを祭っていた神社に各地から参拝にくる旅人の安全をはかったもので、酒を飲ませておけば道路の悪霊が防げるものだと勝手に推測している。
    以上  tko

ついに緊急事態宣言が発令された「逗子海岸」と「ラジオ体操」2021年8月3日(火)

2021-08-05 16:30:34 | 日記
 緊急事態宣言が発令され、ついに「逗子海岸の海の家」が全て閉鎖された。「逗子海岸ウォーターパーク」も片付けられていた。
 しばらく前から「海上保安庁の巡視艇」がオリンピック競技のため沖合に停泊している。今朝は久しぶりに「富士山」が顔を出していた。ここの所早朝は海風が心なしか涼しい。ジョギングにはこの時間帯が一番!  ロングさん

東京五輪について

2021-07-27 15:03:01 | 日記
yooさんの1964年の東京五輪の投稿を読ませていただきまして、大変懐かしくなり、筆をとりました。あれから57年の歳月の経つのが早いものかと感じています。私は、当時中学2年生の14歳でした。ヨット会場になった江の島ヨットハーバーは江の島を波の浸食から防ぐ目的もあり、ヨットハーバーが建設されました。建設工事会社は、スーパゼネコンのS建設、浚渫工事(港湾土木)大手のT港湾(現 T建設)、中堅ゼネコンのN建設、地場工事業者さんが突貫工事で仕上げて行った。
 岩場で浅い海底を掘る為に、頻繁にダイナマイトを仕掛け発破作業が行われていた。それが連日続き、多くの住民が耳について離れなかったようでした。
 しかしながら、地元民にとって良かったことがありました。今では水洗トイレは当り前になっていますが、高度経済成長期の中、首都圏でもいち早く下水道が整備されて、水洗トイレが設置されました。外国の方々を迎えるにあたり”おもてなし”をしたものと思われます。
 但し、水洗トイレ設置には、それなりの個人負担があり、経済的に苦しい家は、バキューム式含む汲み取り式を選ばざるを得なかったようで経済格差が認められました。水洗式だと定期的に汲み取りを依頼しなくて良いし、排便の匂いも防げるのは大きなメリットのようでした。
 それから、勇気ある若者が、発破した後に気絶した魚が浮き上がってくるのを取りに行く姿が見られた。今、思うと発破に巻き込まれたら生命の危険にさらされてもおかしくない状況であった。
又、現在の駐車場、ヨット置き場を埋め立てする為に、海底の砂や岩をバキューム機械で運び込んだ際に、魚介類が跳ね上がってきたのを島民は目ざとく取りに来ていました。特に、高級品のアワビは、先を争って取りに行った。
 先の東京五輪で五輪音頭が作曲されましたが、その替え歌ではないですが、三波晴夫さんのヨット音頭なるものがありました。今でもありますが江の島の入り口の左側にある噴水の周りを地元の有志が盆踊りを楽しんで、五輪を盛り上げていた。江の島ヨットハーバーの防波堤にも国立競技場と同じように聖火台が設けられていて、湾内を照らしていました。
 57年後の東京五輪は、コロナ禍の中、賛否両論あったが、官民の協力で何とか開会式を迎えることができた。このまま進行して行くことが望まれるところであります。
 次に今回五輪の開会式のパフォーマンスについて触れてみたいと思います。                            
  開会式のパフォーマンスをみんな驚いたかと思います。その驚きは、おおまかに見て二つあったかと思います。
 一つは夜空に咲いた地球儀で、二つは動くピクトグラムだったと思います。
前者は、1,800個のドローンを使い、それぞれに照明器具がセットされて、はじめは平面的な動きで、それは参加各国、地域、難民チームをイメージして、照明が灯されていたが、最後は、ドローンを立体的に動かして、地球儀に仕立てたものだった。
 アイデアを出すのも大変だったと思うが、1,800個のドローンを動かすのは大変高度な技術が必要だと思います。その解決策は、コンピュータを使ったシステムを作成したものと推察されます。そのプログラム作成に相当な時間と労力がかけられたものと推察しました。空間に映像を映し出す技術は稀にみる技術で高い評価が与えられるものと考えます。確かに、何か媒体がないとできないものと薄々わかっていても、実際、やるとなると考えこんでしまう。
 後者は、普段我々が、目にするピクトプログラムは固定していて動かないですが、今回は、二人で動くピクトプログラムを体現したもので、これも今まで見たことがないものでした。
 ここでピクトプログラムに触れてみたいと思います。これは1964年の東京五輪で世界の人々が多く来るので、トイレ等施設を誰でもわかるようにした図柄を世界で初めて考案したもので、大変評価されるものであります。それを、今回の五輪で更に進化させることができた訳であります。これも、世界に誇れるものと考えます。
 これらを考えた人たちの内一人が、身近な人でした。私の家族の友人の関係者がその中心人物でした。
 その方は、高校時代、神奈川県内の高校で野球をやり、卒業後、美術大学のデザイン科で勉強された方でした。学生時代に起業され、大変ご苦労されましたが、今回の東京五輪に大いに貢献されて今後の更なるご活躍が期待されるところであります。                                                                tko