紫紺のやかた

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富士山で思い出す(余談)

2023-05-31 17:35:43 | 回想
 富士山といえば小さい頃、童謡に「ふじの山」という歌があって児童のため”ふじ“と平仮名を使用したというが、我が家に残っている昭和32年野ばら社発行の童謡唱歌集(100円)には「富士山」と漢字になっている。『あたまを雲の上に出し・・・富士は日本一の山』の巌谷小波の歌詞は今でもすぐ出てくる。日本一というのは高さが日本一という意味で、標高3,776m(ミナナムサンと覚えた)という数字も自然に覚えた。

 ただ明治生まれの父母の時代は、生まれた時から明治28年~昭和20年の50年間台湾を日本が統治していたため台湾にある玉山が3,952mで新たに高い山ということで新高山(にいたかやま)と呼んで日本で一番高い山だった。逗子海岸から江の島を見ると、ここに台湾総督だった児玉源太郎を祭った児玉神社があり、日本の神社ではお目にかかれないような狛犬があるのも脳裏をかすめる。台湾には3,000m級の山が200以上あるのに、朝鮮半島で一番高い山は南北経済交流で良く話題になる北朝鮮の白頭山が2,774m、韓国では済州島にある漢拏山(ハルラサン)の1995mで半島には3,000m級の山は無い。

 以前仕事で台湾の桃園県に長期出張していた際に、かって日本一高い山だった玉山を実際に見てみたいとの思いが湧いてきて、蒸気機関の阿里山森林鉄道で阿里山に赴き見に行った。民宿で泊まって翌日さらに奥の延長線の最終駅石猴(スーホウ)に行った。延長線は原生林の中を山また山を越え1時間弱の距離でトンネル12箇所と、断崖絶壁に掛かる鉄橋が24箇所程あり、1日2往復だったと思う。帰りの鉄道に乗り遅れてしまい、翌日迄待つ訳に行かず、1人6~7時間かけてトボトボ線路の上を歩いてトンネルを越え鉄橋を渡って帰った。同じ民宿に2泊することになってしまったが,玉山を見ることが出来たこととトボトボの途中で一葉蘭の群生を見る機会もあったので自分ながら満足できた。

 民宿の夫婦に署名してもらった阿里山登頂記念の帽子が我が家の玄関に架けてあるが、その上の壁にはK.S.先輩から頂いた精進湖畔から撮影した赤い逆富士の写真を額に入れて飾ってある。

K.S.先輩の写真添書きも額に入れてある。添書きには、
  • 撮影者 : K.S.(66歳)
  •           *S32年政経卒で鎌倉の写真グループに入っておられた
  • 年月日:H11.2.7.
  • 場   所 : 精進湖 畔(山田屋ホテル前) 夕景色日没前
  • カメラ : ニコン90XD 50mm
  • 絞 り : シャッタースピード1/125
  • フィルム : リバーサルフィルム フジベルビア(50)
 当時玉山への登頂は容易ではなかった。長らく阿里山森林鉄道も途中の崖崩れだと思うが運転を休止していて再開後間もなくだったので運が良かった。現在、玉山は3,402mのところにあるは排雲山荘に一泊して登るとのことで富士山より簡単に登れるようになって世界から観光客が大勢来ているそうです。 富士山も今後は童謡2番の歌詞『青空高くそびえ立ち・・・富士は日本一の山』の美しさを外人に強調することになると思います。(yoo)

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