紫紺のやかた

紫紺のやかた

昨日の昼トレと今朝の逗子海岸「いよいよ春めいてきた」 2024年2月27日(火)・28日(水)

2024-02-28 15:09:07 | 
昨日の昼のトレーニングは暖かかった。帰ってきたら近くに住む長女が孫をつれて遊びに来ていた。
今朝は冷え込んでいい写真が撮れそうな予感がした。いつもの時間の5時半にカメラを持って逗子海岸へ。「トレーニング」と「ラジオ体操」に出かけた。
「富士山」の前方に「江の島」がすっきり見えた。
この時期は6時過ぎに、朝日を浴びて富士山頂が「あかね色」に染まる。潮が引いていたのでいつもより海岸線が広く開放的で、波もなく穏やかで清々しかった。
「ラジオ」を聞きながらトレーニング。スポーツ、ニューヨークダウ、日経平均株価、最新ニュース、健康等短時間にいろいろな情報が入ってくる。「ラジオ体操」では世間話で町の情報が色々入ってくる。大変面白い。こんな広い海岸で「ラジオ体操」をする場所が決まっている???
終了後は「ランニング」で「波子不動」へ・・・     ロングさん

涅槃会の頃の観梅に思う

2024-02-17 18:05:23 | 樹木観察散歩
 昨日2月16日のタウンニュースに延命寺の「絹本著色仏涅槃図」が逗子市の重要文化財に指定された記事が載っていた。八正道が自分の教えの要であるといった釈迦、この釈迦の亡くなった2月15日の涅槃会のみに掲げられ見ることができると記載にもあった。檀家寺ですが見た記憶がありません。過ぎてしまったので来年は拝見したい。
 以前は毎年この頃、北鎌倉に寒さを求めて梅の花を見に行っていた。寒梅の花に仏の眼睛を見るといった高僧の言葉が頭にあったからだ。ただコロナ禍と高齢になり暖かくないと足が向かないようになった。14日、風もなく暖かい日だったので、妻と北鎌倉の東慶寺に観梅杖散歩に行ってきました。
    入場料はありませんでした。本当に数年振りの東慶寺でした。今年は暖かいせいか白梅・紅梅も見頃を過ぎた感じをうけましたが幹や枝の観察です。




 庭の改造ということで地に落ちた枯葉はそのままで、荒れた風情でわずかに残った蝋梅(和蝋梅と素心蝋梅)の花も艶を失い、赤い寒椿の花も見ています。福寿草と金縷梅(まんさく)の花が黄色を濃くしていたのは救いでした。山野草の芽吹きはこれからです。



 






 東慶寺といえば文化人の墓が多いことで知られていて、行くと必ず妻は日曜稽古の縁で太極拳の楊名時の墓を詣で、私は左にある父と同郷だった画家の前田青邨夫妻の墓で手を合わせます。境内奥の小高い所にある作家の高見順や逗子披露山中腹に住んだ作家の堀田善衛の墓にも寄りますが、読売新聞の13日夕刊記事に掲載されて知った「校長室より輪島高等学校のホームページ(平野校長のブログ)」を遡って1月20日迄見た直後だったので石川県出身の哲学者西田幾太郎の墓にも寄りました。平野校長の1月9日のブログには送っていただいた西田幾太郎の言葉として「非常時なればなるほど 我々は一面において落ち着いて 深く遠く考えねばならぬと思う」とありました。

 山門出口手前にあった雲南素馨(一般に黄梅)の花も見て帰ってきました。


 なお平野敏(さとし)校長のブログは1月3日から毎日に変更されて地震後からの学校と生徒の状況・全国からの支援状況を発信しています。昨日迄に2月分も全部見ました。日本が災害に対する復興力(被災者と支援者の力)が強いことを感じさせます。当面毎日見ていこうと思います。(yoo)



~人生100年時代の実際と思うこと~

2024-02-12 23:53:18 | 日記
  新年を迎え、早1か月を経過しまして、月日の経つのは早いものかと思う今日この頃である。
 勤務していた会社の社報が昨年末に送付されて来た。会社の業容報告と退職者の祝い事や訃報も知らせてくれる。訃報の中に百歳の方があった。
 よくよく見ると、私が、新入社員として配属された事業所のナンバーツーの方だった。身近な方で、百歳の方は存じあげなかった。私の定年近くの時代の上司二人の訃報も知った。77歳、83歳と人生百年時代にしては、若いと思うが、思い出してみると、お二人とも営業管理職を長年やられていた。77歳の元上司は、夜の世界でも頑張っておられた。接待で、会社の施設(白山にあった)や銀座の割烹六四亭やクラブにお供した親しみのある重電設備系の営業マンだった。83歳の元上司は、本学の先輩でもあり、H本社紫紺の会を10名で1974年に神田の藪そばの二階席で創設したメンバーの一人であった。 
 例年、二人の上司にOB,OG会でお会いするのが楽しみだった。二つの会合が都合により開催しなかったのは、残念であった。
 訃報欄をよく見ていると、3年~5年先輩の営業職でも、よくお酒を飲んでいた先輩諸氏(私も一緒に飲んでいた。)は、70代後半で生涯を終えていることに気が付いた。『営業とは酒を飲むことと見つけたり。』で、やってきた小職も同じ道をたどるのかと思うが、昨年、初孫に恵まれて、その子が20歳の成人式を迎えるまで、生き永らえたいと思うこの頃である。
 そのためには、お酒を控えてと思うが、日本酒換算で2合も飲むと目いっぱいになってしまうので、飲みすぎはないのが現状で安心だ。
 現役時代を思うとこんなはずではなかったと思うが、これが自然の成行きかと思うと少し悲しい感じだが、これが自然の成り行きなのかと思う。
 昨年の春、政経学部のSゼミの同期会を品川の中華飯店でやったが、瓶ビールをみんなグラス3~4杯飲むのがせいぜいであった。これが、70歳代の呑む量かなとお互い苦笑いであった。日頃、グループライン(GL)をやって、近況報告をやっているお蔭で、久々に会ったと言う感じは無かった。GLの効用だと思う。
 健康管理の為に、従来通り、年一回の人間ドックを受診して、健康の維持管理をしていこうと思う。この1月に地域医療センタで、胃カメラ含む人間ドッグを受診した。昨年までは、最先端医療設備を有する大船の総合病院で十年来、受診していたが、設備費用をかけているので、費用もそれなりのものだが、受診後の昼食はどこかの割烹料理屋の仕出し弁当で、非常にうまかった。やはり高いだけあった。今回受診したところはおにぎり二個にお茶のペットボトルだった。どこを受診してもよいかと思うが、問診をしっかりやってくるところがベストと思う。現役時代から、所属した会社の総合病院から、地元のYメディカルなど3つの医療施設を経験して、今度4つ目の医療施設での受診になったが、検査データ確認と言うものに何ら変わりはないので、近くて安いものが良いと思った。
 最後は、かかりつけの医者の診断をしていただき、ご指導を仰ぐのが良いと思う。
 健康管理と言えば、いつもすばらしい富士山と江の島の映像を掲載されるロングさんの参加される逗子海岸のラジオ体操は健康維持に良いお手本になるかと思っています。
  2024.2.13  tko

辰年の節分と立春に思う

2024-02-05 15:14:12 | 日記
 亀岡八幡宮の節分豆まきは平成31年以来コロナで4年間中止で一昨日の2月3日(土)実施でしたが、舞台設置は無く、以前のような年男が舞台の上から豆の入った福袋を投げる風景はありませんでした。大イチョウの前のテーブルで並んだ多くの人に2袋ずつ配布という形になりました。従って福袋を入手できなかった人はいなかったようです。
 私のもらった福袋には黄色の紙に7と8が記されていて神社入口脇の小屋でごみ袋とスポンジ、妻は4でティシュペーパーをもらい、他の一つはスズキヤに行って伊藤園のおーいお茶600mlを1本もらってきました。堅い煎餅に入っている大豆は残念ながら入れ歯で避けているので、香ばしい大豆を食べるのは節分の豆ぐらいです。
 昨日2月4日(日)は当然辰年の立春を迎えました。「辰」という漢字は語源を紐解くと「農」という字から分かるように農業と関係があったようです。
 草木が芽を出し変化、雷が震うことを言ったようです。貝殻の中から肉が出ている形とも言うようで「龍」とはもともと関係なかったそうです。

 1月1日日没前に能登半島で震度7の大地震がおき、今も多くの方々が避難生活を余儀なくされています。輪島の朝市通りの賑わいは大火で消失してしまいました。今日はみぞれ降る寒い日ですが、電気、水道が止まって十分な食べ物もなく避難されている能登の避難所の方々を思うと寒いなどと言ってはいられませんが、辰の月は旧暦3月(概ね新暦4月)のようなので早く暖かくなればと思います。(yoo)