紫紺のやかた

紫紺のやかた

第九の合唱団に参加して

2024-09-18 22:29:51 | 音楽
  喫煙者から受動喫煙者になって22年今思うことで!(その8)で、記しましたが、知人の勧めがあったことと、喘息、肺気腫の診断を下された医師から、詩吟や合唱など積極的に発声をすることを勧められ、地元の第九合唱団に参加するに至りました。
 既に初心者講習を結コミュニティーホールでテノールとして、2回受講した。初心者は、どうやら私だけであったようだ。高校の音楽の時間(55年ぶり)以来、何もしてこなかった。クラッシック音楽の楽譜を見て、まるで分らないことだらけで、都合の悪いことにドイツ語は、初めてで歌詞の読み方からで、参加したことを後悔した。ドイツ語の読み方は、ユーチューブでドイツ在住の日本人歌手(テノール)SYさんの講義を受講して、何とかできるようになった。文明の利器に感謝である。
 事務局のご配慮により、初心者は前列に配置され、後方に経験者の方が配置され、その歌声がいやでも初心者の耳に届き、お手本になり、かつ曲に慣れさせてくれた。
 8月から経験者を含めた練習がはじまった。総勢130名。K芸術館での第九演奏会がコロナ前に日本語で、第九演奏会が行われたことがあったが、男性が少なく女性が多くを占めていた。
  オペラ、歌曲、オーケストラ等楽器演奏会に来場者の内、数えた訳ではないが、7~8割は女性で、男性は本当に少なく、女性の方が音楽芸術への興味や関心が高いものだと常日頃思っている。又、ソプラノが少なく、アルトが多いこともわかった。
 既に初心者講習含めて3回練習が行われた。楽譜の見方、ドイツ語の発声など戸惑うことが多い。これから、継続できるか心配だったが、3回の練習を通じて、少し場に慣れてきた。
 ベートーベンの第九は、素人ながら難しいと思う。何故ならば、1オクターブの音程差があったり、ドイツ語を早口で歌うのについて行かれないこと、息のつき方が難しいこと、転調も少なからずあり、半音上げたり、半音下げたりすることで、高校時代の音楽授業で歌っていたが、55年のブランクで、その時のやったことを覚えておらず、素人同然の私は、七十の手習い状態である。
 又、30年間の喫煙で発声量が少なく、息が続かなくなっていた。
練習用CD、仲間の艶のある元気な歌声を聴いていると、それに張り合うわけではないが、自然と喉に力が入り、歌っている。高音がかすれたり、裏声になったり、息が続かない状態に陥ってしまった。その為に、テノールからバスのパートに変更せざるを得ないかと考えてしまった。
 そこで、ピアノが弾ける妻から、人それぞれ声の音質が異なるので、自分の音質で歌えば良いとのアドバイスをもらった。更に、半年くらいでそんな簡単にうまく歌うことはできる訳がないと言われ、少し気が楽になった。 
 地元で数年前まで、ソプラノの二人とピアノ伴奏者一人のグループがあり、演奏会を聴きに行った記憶があり、同じソプラノ歌手でも異なる音質だったが、ハーモニーの美しさを私は感じていた。その歌声は、今でもユーチューブにアップされている。
 実際、高音を果たして出すことができるかを、自分で確かめることにした。
ピアノを弾けない私は、指一本で、複数の高音を弾き、発声したら、出ていることがわかった。これからは、自分の音質で歌いこんで行けば、喉に力を入れず、何とか歌えそうかと思った。
 これからの練習で、新たな発見、困ったこと、良かったことがありましたら、続編として投稿して行きます。         
                            2024.9.18
                   以上 tko 


大船観音の初お参り(その2)

2024-04-08 21:35:15 | 音楽

 その1で触れましたイベントとは、あるアマチュアのMオーケストラの首席奏者『バイオリン、ビオラ、チェロ』の弦楽三重奏によるベートーベンとモーツアルトの曲の演奏会であった。弦楽四重奏は、よく行われるそうだが、弦楽三重奏はめずらしいそうだ。

演奏会とは別に、お参りするご高齢の方が多くおられたが、坂道の角度が20度くらいの急こう配の坂道を歩かれていた。急こう配の坂道を歩くのが慣れている方のように見受けられた。早く行こうと思い高齢者より早足で歩を進めたが、相当しんどかった。やはり、坂道はマイペースで歩を進めるのが良いと感じた。

知人によると、急な坂道は、昔は石段であったとのこと。境内に一台の軽自動車があり、自動車を通す為に坂道にしたと思った。

 若い頃、地元の石段だったところが坂道になり、その時は、石段の方が坂道より歩くのが楽だったという記憶がよみがえった。

演奏会は、観音菩薩の本堂で行われた。僧侶による朝のお勤めが行われたようで、本堂はお線香の匂いと煙であふれていた。

しかし、音楽愛好家はお線香の匂いをあまり気にせず、開演を待っていた。

来場者は約100名と相当な人数で驚いた。

西洋のクラッシック音楽と東洋の仏教の場で、ある意味融合まで行かないが、違和感なく演奏を聞かせてもらった。演奏後、アンコール曲が演奏されたが、よく知られている日本の歌曲で緊張感がほぐれたのは私だけではないか?演奏終了後みんながよく知っている曲をアンコールにするのは、私の数少ない経験ですが、定番になっていて、嬉しい。この演奏者たちは、鎌倉の地元のお寺で演奏会を行うのは第1回目で、続けて、6月30日(11:00と14:00)と浄智寺で2回目の演奏会を行なう予定で、次回は弦楽五重奏で、ブラームスの作品2曲で、年内更に3回、4回と続くそうです。

 

入場料は無料ですが、申し込みが必要ですので、視聴ご希望の方は、次のアドレスにアクセスして予約をしてください。musikspillen@gmail.ありcom

尚、寺院の参拝料(参観料)は、別途必要になりますので、お含み願います。

鎌倉に近い逗子に住んでいるので、いつでも行けると思って、鎌倉の寺院に行かない私にとって、お参りするきっかけを作ってくれた演奏会にただただ感謝である。  以上 2024年4月8日  tko 


大船観音寺の初お参り(その1)

2024-04-07 14:23:03 | 音楽

大船観音寺の初お参り(その1)

2024年4月6日朝10:30に初めて、観音様お参りした。電車の窓から、いつも大きな観音像をみていた。すごく立派なものだと思いがあったが、いつでも行かれると思っていた。しかし、なかなか足を運ばなかった。今日あるイベントに参加するためのお参りでした。出演者のご挨拶の中で、『地元鎌倉に長年住んでいたが今日が初めて来ました。』と言われて、ある意味ほっとした。私だけでなかったのかと安心したのかも知れない。曹洞宗總持寺の包括下にあるお寺であることをインターネットで知った。観音菩薩像は、台座30尺、身長100尺、今の単位で約10メーターの台座、33メーターの高さの菩薩像を見上げ、満開の桜の渦の中に、真っ白に浮かび上がった像を見て感動した。鎌倉市には、大きな像が二つあって、長谷の大仏さまへの小学校の遠足は、出身の小学校では恒例だったが、大船観音さまへは、遠足はなかった。

 以上 2024年4月7日  tko   


蓄音機でSPレコードを聴きました。

2023-07-20 16:01:51 | 音楽
   7月17日海の日に、晩年鎌倉に暮らしていた詩人『中原中也』さんが愛でていた歌曲をK芸術館で横浜市立大学のS教授の解説で78回転のSPレコードを聞いてきた。曲目は「楽しき吾が家」(ビショップ作曲)、「子守歌」(モーツアルト作曲)、「月光」(ベートーベン作曲)、「月の濱邊」(島田芳文作詞、古賀政男作曲)、「流浪の民」(シューマン作曲)で、混成四重唱。歌手は、井崎嘉代子、四家文子、藤山一郎、徳山王連各氏。他。アンコール曲はチゴイネルワイデンでした。コンサートのプログラムが終わると、必ずと言っていいくらいアンコール曲をやりますが、それに倣ってS教授がやられたのは、レコードと言えどもコンサートであると言うこだわりを持たれたのかも知れない。参加者は約100名で、3割は高齢者、2割は20歳代、和服の女性が参加していて中原中也の書籍を持ち込んでいた。参加者の多くは中原中也さんのファンが大半かと思われた。私は、中原中也さんの名前は中学の教科書にあったのを覚えていたことと,単純に蓄音機でSPレコードが聴けるので参加した。実家に蓄音機があって、軍歌のレコードがあり、聴いていた。「荒鷲の歌」歌詞は「見いたか銀翼この雄姿、日本男児が精込めて作って育てたわが愛機、来るなら来てみろ赤とんぼ(米軍のB29のようです)ブンブン荒鷲ブントと飛ぶぞ。」 私は軍国主義者ではなかったが、たまたま家にあったので聴いていた。小学校時代のバス旅行でそれを歌ったら担任の先生が驚いていた。その先生は最後の特攻隊員だったが、終戦で出撃をしなかった。戦後の小学生が歌っているのを見て、平和国家に生まれ変わった日本で軍歌を歌う子供がいる驚きと先生の青春を懐かしく思っていたかにように今思える。
 しかし、終戦により価値観が激変した時代であったので、先生の心境は非常に複雑なものかと今推察している。
 話が本題から逸れてしまったが、自宅の蓄音機の音質が良くなく、雑音があり、何かかすれた音がしていた。今回のものは、音質が格段と良いのに驚いた。自宅の蓄音機の品質が低級だったのかも知れない。古賀政男先生のギター伴奏、ピアノ、バイオリン、オーケストラの音色が良かった。
 S教授は蓄音機を楽しみ、詩人とその愛でた曲を研究なさっている。詩と音楽の共通点と言うか、相通ずるものとして『メロディアス』と言う言葉で、表現されていて、なるほどと思った。
 日本歌曲の詩を読むと人間の喜怒哀楽の心を表現していて、それにメロディー(曲)を付けて歌うと、更にそれらの感情をより理解できるものだと思う。
 蓄音機は、ある意味でSDGSの最高のレコードプレーヤであると言えるかも知れない。ぜんまいが動力で、ハンドルを20回程度回し、レコード針は鉄製を使用いている。子供の頃、コマの心棒にその鉄針を埋め込んで、仲間とのコマ回しの競争を有利に展開していたことがあった。なつかしい思い出だ。
 今でも、蓄音機とSPレコードを取り扱っている専門店があるとのことで驚いた。根強いファンが相当数いらっしゃるようだ。
                         了    tko