紫紺のやかた

紫紺のやかた

喫煙者から受動喫煙者になって22年今思うこと!(その8)

2024-08-11 20:58:07 | クラッシック
 猛暑が続いていますが、皆様健康状態はいかがですか?水分補給、休養、栄養補給、運動、趣味活動をやられているかと思います。
 喘息、肺気腫の診断を下された医師から、詩吟や合唱など積極的に発声をすることを勧められた。
 それと前後して、市内の知人の誘いで、年末恒例の第九演奏会の合唱に誘われて、気楽に参加の意思を示してしまったが、医師の勧めもあり、やる気にスイッチが入った。すでに、初心者講習を結コミュニティーホールで2回受講した。初心者は、どうやら私だけであったようだ。高校の音楽の時間(55年ぶり)以来、何もしてこなかった。クラッシック音楽の楽譜を見て、まるで分らないことだらけで、都合の悪いことにドイツ語は、初めてで歌詞の読み方から始めた。大変なことに取り組んでしまったと思ったが、ドイツ在住のプロの方のネットでの講習を受けて、何とか読める(発音できる。)ようになった。あとはメロディーを覚え、遅れず、早からず合唱することと発声量を増やすことが必要だと思う。更にオーケストラやソリストとの兼ね合いを考慮し歌うことが重要になってくると思う。第九のパート別練習用CDを二種類購入して、練習をしている。12月まで練習、リハーサルが月1~2回あるので、おちこぼれないように努力して行きたい。
       2024.8.11       tko

尾道市にある生口島瀬戸田の新聞記事に思う

2024-08-11 17:20:11 | 回想
 今日8月11日(日)の読売新聞日曜版の「旅を旅して」に広島県尾道市にある生口島瀬戸田の記事が写真と共に掲載されていた。耕三寺の未来心の丘の写真は懐かしく記憶から蘇ってきた。
             右から2人目 故T.H.先輩

 夏は亡くなった人を思う時期でもあり、昨年1月に亡くなったT.H.先輩を思い出した。あれは17年前の2007年(平成19年)明治大学全国校友広島大会が開催された時に逗葉の地から13名が参加し、広島市内や倉敷そして山陽路を観光旅行したが、その際にT.H.さんの案内で“”しまなみ海道”をバスで旅し、T.H.さんの故郷瀬戸田の実家も訪ねたことが思い出された。



 
 新聞の記事に石井好子さんが1989年歌手として初めてこの島を訪れ、翌年ベルカットホールで「せとだパリ祭」を始めたことが記されていた。今年も7月15日に「せとだパリ祭」は開催され石井さんが島に残した遺産ははかりしれないと末尾に記していた。また石井好子さんはマスターズ水泳選手権大会(1987年台湾)で50m平泳ぎで新記録優勝されていたことも紹介がされていた。
 私が瀬戸田を訪れた時は石井さんのパリ祭や石井さんが水泳選手だったことも頭に無かった。ただ瀬戸田が平山郁夫画伯の生まれ故郷で蜜柑を栽培するT.H.さんのお兄さんのもてなしを受けたので暖かい果樹栽培に相応しい場所としての認識しか無かった。
 現在パリ・オリンピックが開催中なのでやはりフランスの新聞記事には目が行く。フランスのシャンソン歌手として石井好子さんや弟子の岸洋子さんや加藤登紀子さんは私の年代ではすぐ頭に浮かぶ名前です。かって明大クラスメイトのK.Y.君がフランス政府から農事功労章シュバリエを叙勲された時にお祝い会の案内状の発起人が石井好子さんだったように思う。パリ・オリンピックの開会式がセーヌ川で行われサン・ルイ島の名前が出てくれば逗葉地区のフランス菓子店と共にこの島に岸洋子さんが住んでいたことも記憶から蘇ってきた。岸洋子さん歌う「夜明けの歌」はカラオケ会で故K.B.女史が持ち歌にしていて広島大会でも倉敷の珈琲エルグレコで一緒に撮った写真が残っている。私も当時63歳で現在の腰が曲がった状態は想像できない。

 私と同年生まれの加藤登紀子さんはシャンソンコンクールで優勝して褒美にフランスを旅され帰国して待っていたのは、シャンソンではなく歌謡曲だったそうです。登紀子さんの歌は同年のよしみで以前はカラオケ会でよく披露したが最近は歌わなくなっているが昔聞いたドーナツ版のレコードは残っている。          (yoo)