紫紺のやかた

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明大ゼミの最終回総会に出席しました

2023-10-15 22:21:52 | 回想
 昨日10月14日(土)は6年前のホームカミングデー以来久しぶりにリバティータワー23階に昇り明大ゼミの最終回総会に出席した。   
 明大商学部交通論の石井ゼミナール同窓会「石井会」は、石井常雄先生を名誉会長として事務局を3年生が担い毎年1回総会を開催してきた。在校生の共同研究論文や写真を添えたゼミの年度活動報告及びOBの特別寄稿を掲載した機関紙「わ」も発行していた。1期が1961年(昭和36年)3月卒業なので先生が70歳を過ぎて定年で退職された1998年(平成10年)3月まで何期まであったか断言できないが手元に残る石井会会報第33号(平成9年2月発行)によると37期(平成10年3月卒業見込み)の方達が最後と思われる。会報末尾に一部、二部を含めて777名の会員名、住所、勤務先記載がある。ただ卒豪論文を提出しないと名前が載らないので、卒業後出した人を考えると実際は多少幅があると思う。
 在校生がいなくなった後も、「めいせき倶楽部」と名を変えて学生の事務局に変わる代表幹事を決めて毎年1回総会案内が出され継続開催していた。最初は3期のⅯ.T.さんの家が事務局で「めいせき」というB5の4頁ものを発行していた。先生が亡くなったあとも「めいせき倶楽部」は存続し毎年1回総会を開催してきたが、先生の没後10年を今年迎え今回で一堂に会する行事は終わりにすることになり、この最終回総会に出席した。

 代表幹事は21期のH.H.君でコロナでしばらく開催出来ない中にも会員の近況をまとめて発信してもらったりして感謝している。10年前に代表幹事11期のⅯ.S.君から先生の2013年(平成25年)10月24日86歳での訃報連絡をもらっていた。
 
   石井先生が還暦を迎えた1987年(昭和62年)には11月に祝賀パーティーが盛大に行なわれた。私は東京会館11階での祝賀に参加したが、大阪でも太閤園で開催されました。発起人は東京トラック研究会(代表:平野耕太郎)、大阪トラック研究会(代表:木村文俊)、新物流懇談会(代表:松尾雄)、明治大学石井会(代表:立花正幸)でこれらの代表の方が運営副委員長で運営委員長は3期二部の五味鼎和氏でした。トラック輸送事業の近代化問題に20年余り努力し人材育成などの研究機関を組織し全国のトラック事業の方々にとって先生は理論および経営実践の指導者でした。
   石井先生が1997年古稀を迎え定年で翌年3月大学を去る際に逗子に住んだ浅田毅衛明大名誉教授が「石井常雄献呈の辞」(検索で読めます)で石井先生について詳しく述べておられた記憶があり改めて検索して読み返している。

 ゼミは3年からなので学生時代実際活動を共にしたのは1年先輩と1年後輩だけだが、ゼミの同窓会があるのでこの年代を超えて懇親を深めた先輩後輩もいる。3期先輩のⅯ.T.さんは家が鎌倉だったので総会のあとよく同じ電車で会話しながら帰ったが故人となられた。同じ3期で総会で会って顔馴染みになっていたK.E.さんは最終総会に出席したいと連絡があったそうだがコロナ肺炎で急逝されていた。先輩に誘われ後輩共々長野旅行をしたこともあったし、後輩で総会後帰りが遅くなって我が家に泊まり翌朝に帰っていった人もいた。
 同期には17名いたが4名は故人となっている。同期の纏め役Ⅿ.Ⅿ.君のおかげで同期会も何度か開催して会う機会があった。札幌に2名同期がいて北海道で同期会を行い定山渓ホテルで蟹を何種類も食べたり、小樽の鰊御殿や旭山動物園を訪問した思い出も残っている。

 今年8月Ⅿ.Ⅿ.君から同期の仲間にメールが入り「昨年末より糖尿病の数値が極端に悪化し、原因究明のため検査入院したところ初期のすい臓癌が見つかり、それが原因でした。癌のある場所が外科的に摘出しにくく、暫くは抗がん治療を施して経過観察をして摘出手術のタイミングを探ろうという事で、3月中旬から抗がん治療を開始しています。まだ治療を開始して数か月、この先の事はまだ未知数なことばかりですが幸いにも「がん研有明病院」での治療を受けられることになり、がん治療に関しては最先端の技術と実績を持つこの病院に全てを任せることにしました。」とあった。ゼミの中で一番元気と思っていたⅯ.Ⅿ.君だったので高齢になると何があってもおかしくないと痛感した。K.S.君からは「腰、膝、足首にサポーターをして歩ける状態で、薬害を心配しながらも、5種類の薬を飲み、昼は焼酎のお湯割り、夜は、日本酒、又はウイスキーを楽しんでいる不健康な毎日です」と近況の知らせをもらっていた。S.K.君からは「70歳台になってからボケ防止を兼ね、地区の労働界を中心とした友の会(会員約650人の老人クラブ)の役員と60代半ばから始めた農業で米作りと果樹(みかん、柿、桃)、さらに冬場は薪ストーブ用に木を切る毎日です。年齢を重ねるとともに持病とゴルフの点数も増し、そろそろ終活を始めようかな?と、思っています」とのこと。T.U.君からは「緑内障がすすみ、視力が落ちておりますので、普段は家で静かに暮らしております。目が不自由なので、新聞やテレビなどは見れませんので、ラジオを聴いたり、月に2,3回仕事先に従業員と出かけたりしております。以前のようにお酒を飲んでカラオケしたり、ゴルフや旅に出かけた時代が懐かしいです。」と秘書の方からメールをもらった。
 
 学生時代はゼミ長のE.O.君の頑張りで先生と共に鉄道関係施設(富山駅貨物取扱所や金沢鉄道管理局や広島鉄道管理局等)や東京交通局の施設(新谷町自動車営業所)やトラック関係施設の研修旅行を行った。京葉臨海工業地帯視察(旭硝子見学)、日産ディーゼル工業上尾工場見学も行いUDの意味も覚えた。
 石井会の会長もして東京での総会や関西地区での総会によく出席していて今回の最終総会に参加できなかったT.U.君を思って彼からの古いメールを一部紹介しておきたい。- - - 3年の時にゼミナール協議会が明治で開催されました。東京の大学を中心にして各分野に分かれてゼミナールの討議会が行われたのです。明治からは石井ゼミと麻生ゼミ、慶応は中条ゼミ、法政は中西ゼミ、東大からは佐竹ゼミとで交通政策をテーマとした討論会をしたことがあったのです。覚えていないでしょうね!実は石井ゼミのトップバッターは現在札幌で不動産業に手を染めている?同期のF君でテーマは「新産業都市(郡山を中心として)と交通隘路」と題してだと思います。3年の夏にこの研究のため国道49号線と常磐東線沿いにある新産業都市計画に沿った大企業の輸送実態調査をもとに、交通隘路になってしまっている問題点、或いは政治的な観点からも口角泡を飛ばしての論争は今でも記憶にありありと残っています。何故ハッキリと覚えているかと言えば、各大学の交通論を学ぶゼミに討論会を仕掛けたのは私なのですから。我がゼミほど国内研修をしたゼミは聞いたことがありません、研修と言っても大手運送会社、国鉄の管理局で昼食にあずかるだけで、記念写真を撮って列車の中では昼寝したぐらい、それが研修でした。- - - 

 私は覚えていないが、3年の時まだ、いわき市として合併する前の平市、磐城市、常盤市に研修旅行に行って平市にあった岡本ゴムの工場で若い女性の方が働く衛生ゴム製造ラインを見学した記憶は残っている。研修旅行が多かったのは訪問先に先生の薫陶を受けた知人がいたからで石井先生に感謝している。

 最終回総会は明治大学リバティータワー23階「サロン燦」で17時半~20時の時間帯で開催された。総会と言っても幹事から連絡事項と配布物の説明があり亡くなった方への黙祷をしてすぐ懇親会に入った。参加者は5期~23期の27名で女性は14期のC.W.さんが唯一人で講演を済ませて駆け付け乾杯をしていただいた。以前代表幹事もされていたので当会としては場の雰囲気がいるといないのでは大きく変わってしまう。同期のS.N.君が伊勢市から参加していた。彼は前に「染物の仕事と週4~5回の運動をしています。午前にキックボクシングの練習に行き、20代から50代の仲間とかなり激しく練習、モロに、腿にロウキックを喰らい20cm程の内出血で1か月医者から運動を止められる羽目となりましたが、楽しくてしょうがありません。乗馬も軽速足までマスターしたので馬場の外の海浜を足歩きで無く、一人で走ることが出来そうでわくわくしています。」と知らせてくれたが、会場でその後を聞くと体調に問題がありキックボクシングと乗馬はやめたとのことで1年先は判らないものだとこれも痛感した。私は70歳の時に脳血管に動脈瘤があることが判り場所も悪い場所とのことで仕事を辞めて、どうにか地域ボランティア活動は継続しているが、コロナにも早めにかかり、背中が曲がって目や耳にやや障害を感じつつ如何にか杖を突いて散歩している。杖を使うようになったのは昨年11月から。体調は高齢になれば人それぞれだ。
 欠席者の会員を含めて寄せられた近況がコピーして配られたが、記載のある32名中の半分ほどは出席者だった。懇親会で飲食歓談の合間に若い順に全員近況挨拶があった。参加者は22期(昭和58年卒)が一番多く、仕事も65歳定年まで残り2年ほど、次に多かったのは21期でやはりこの年代が明治の仲間と会うのを楽しみにしているように感じられた。代表幹事のH.H.君からは今回で幹事を下ろさせていただきますが、何らかの形で「めいせき倶楽部」を維持していくつもりですとの言葉もあり、こういう後輩がいるので先生亡き後10年間も続いてきたのかと思った。最後はC.W.さんから指を叩く5本締めの説明がありこの手締めをした後に肩を組んで明大校歌1番を歌い記念写真を撮って散会となった。


 杖を突いて参加した私としては上着を着て歩いても暑くなく、また家に帰るまで雨に遭わない日で幸いだった。(yoo)
 幹事から記念写真が届いたので追加で掲載しました。
 *長い文章になりましたが自分の記録の意味もありご容赦下さい。

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1 コメント

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ご参加いただき有難うございます。 (藤原宏信)
2023-10-24 15:38:39
石井ゼミの自分より過去の活動の一端をご紹介いただき有難うございます。
今後も近況報告の依頼や総会に替わる活動をご案内しますのでよろしくお願い致します。
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