紫紺のやかた

紫紺のやかた

金沢区須崎町の龍華寺に牡丹を見に行ってきました

2024-04-29 14:19:14 | 樹木観察散歩

 世間ではゴールデンウイークで旅行の報道を多く見ますが高齢になりもっぱら電車利用を含む近場の杖散歩程度になっています。学生の頃青春18切符は当然無く、その後トクトク切符や割引切符、ジパング割引等でJRが宣伝するなかゴールデンウイーク等に幾分かは恩恵に与かったかなと思います。

 数日前に妻から金沢八景に牡丹で有名な龍華寺がある話を聞きました。花を見に鎌倉の寺には昔から良く行っていましたが、金沢八景方面は何故か行動半径の外で遠い感じがして金沢文庫にある真言律宗の称名寺以外はほとんど行っていませんでした。考えてみると長谷や大船の寺に行くより近い場所にある鎌倉の外港として栄えた地に佇む古刹でした。

 今年は辰年で龍の名の付く寺は逗子山の根にある以前カナダで暮らしていたという住職の浄土真宗龍渓寺奏庵や鎌倉植木にある芍薬で有名な曹洞宗龍寳寺そして藤沢片瀬にある日蓮宗龍口寺がすぐ思い出しますが金沢区須崎の龍華寺は知りませんでした。

 行く前に地図で場所を調べ金沢八景駅からシーサイドラインで「海の公園南口駅」まで行き、あと杖散歩で町屋町界隈の住宅地や金沢小学校周辺を徘徊してどうにか龍華寺に着きました。

 真言宗御室派である知足山龍華寺は縁起によると鎌倉時代に源頼朝が六浦山中に創建した浄願寺を起源として、室町時代に現在の地にあった光徳寺と併合され、移築されたという歴史ある寺でした。金沢区は牡丹を区の花にしていることも知りましたが龍華寺の“ぼたんまつり”は既に終わっていましたが半面訪問者も少なく、ゆっくり残った白・黄・赤・ピンクの牡丹を見ることが出来ました。金閣寺垣風の透かし垣が庭の風情を引き立てていました。

14種200株あるとのことでした。この時期多くの花が咲いていて樹木観察趣味の私としては牡丹以外に八重桜、躑躅、藤、小手球(こでまり)、唐招霊(とうおがたま)、ひとつばたご、青だも、青文字、常盤満作の花はもとより、桜や梅の小さい実や立派な黒松や蘇鉄の樹形も見ています。この寺が御室派であるため京都の総本山仁和寺にある御室桜もありましたが残念ながら遅咲きとはいえ既に花は終わっていました。紫露草、紫蘭、菖蒲、極楽鳥花などの草花も咲いていましたが木の下の蛍袋などの野草の花はこれからです。

 大きな葉で瑞々しい楸(ひさぎ・きささげ)の木も見て八重桜傍の縁台で休憩し、暫くカメラ持参の年配夫婦の方々の様子をそれとなく見た後、ボケ封じ観音をお参りして帰路は金沢八景駅方面に歩いて帰ってきました。(yoo)


今年のお花見会 桜咲いているかな

2024-03-22 14:34:07 | 樹木観察散歩
 2月末か3月初め、今年の東京の桜の開花が3月20日頃との報道があったように思う。昨年は開花が3月11日で満開は3月22日だった。逗子は東京と同じか2~3日遅いので、早々と予定を早め3月24日(日)に明大校友会のお花見会をすることに決めている。
 昨日は春のお彼岸でお墓参りに行った。前日の20日の春分の日に多くの方が墓参されたようでどの墓にも新しい花が供えられていた。花に風車を添えているものもあり幼い子でも亡くなったのかと思われた。延命寺前のバス停脇の桜はまだ茶褐色の堅い蕾のままで我が家の墓の近くの桜も同じ状態だった。共にソメイヨシノの古木です。帰りに田越川沿いの桜の開花状況も杖散歩がてら見ました。ソメイヨシノは悉く堅い蕾のままで、古木の枯れた後に植えた神代曙桜は開花が間近を思わせ一部の蕾が赤みを帯びていました。仲町橋傍の教会横の大島桜は葉と花が同時なので全体的に緑色を帯びて1か所のみ5枚花が開いていました。思い出してその先にあるアンズの花はどうなのかと思って行ってみると沢山の白い花を付けていました。
 仲町橋に戻って長椅子で休憩し対岸に花蘇芳のようにまっすぐ伸びた枝に赤い花が沢山ついているのが目に留まり見に行きました。この花は花桃で八重咲きではなかったので矢口という雛祭りに使われる桃と思う。そのまま逗子4丁目の車道を通り逗子小学校裏に出て帰ってきましたが、途中雪柳、ボケ、赤い椿、紅白絞り椿、常盤万作、海棠、1本の木から紅白の花が付いている源平桃の花を見ました。狭い路地にある阿部さん宅の大山桜が赤みを帯びた若葉を付けてほぼ満開だったのには驚きました。
 現在我が家の木の花はピンクの乙女椿と暗赤色の三つ葉あけびの小さな花ぐらいです。今は木の新芽を鑑賞する時期で、ガマズミやイボタノキは既に気持ちの良い黄緑の葉を広げ、桜の時期黄色の花を咲かせるレンギョウやヤマブキはやっと花芽が確認できる状態です。
 お花見会での桜の花鑑賞は難しく飲食で桜の花をカバーしたい。(yoo) 

涅槃会の頃の観梅に思う

2024-02-17 18:05:23 | 樹木観察散歩
 昨日2月16日のタウンニュースに延命寺の「絹本著色仏涅槃図」が逗子市の重要文化財に指定された記事が載っていた。八正道が自分の教えの要であるといった釈迦、この釈迦の亡くなった2月15日の涅槃会のみに掲げられ見ることができると記載にもあった。檀家寺ですが見た記憶がありません。過ぎてしまったので来年は拝見したい。
 以前は毎年この頃、北鎌倉に寒さを求めて梅の花を見に行っていた。寒梅の花に仏の眼睛を見るといった高僧の言葉が頭にあったからだ。ただコロナ禍と高齢になり暖かくないと足が向かないようになった。14日、風もなく暖かい日だったので、妻と北鎌倉の東慶寺に観梅杖散歩に行ってきました。
    入場料はありませんでした。本当に数年振りの東慶寺でした。今年は暖かいせいか白梅・紅梅も見頃を過ぎた感じをうけましたが幹や枝の観察です。




 庭の改造ということで地に落ちた枯葉はそのままで、荒れた風情でわずかに残った蝋梅(和蝋梅と素心蝋梅)の花も艶を失い、赤い寒椿の花も見ています。福寿草と金縷梅(まんさく)の花が黄色を濃くしていたのは救いでした。山野草の芽吹きはこれからです。



 






 東慶寺といえば文化人の墓が多いことで知られていて、行くと必ず妻は日曜稽古の縁で太極拳の楊名時の墓を詣で、私は左にある父と同郷だった画家の前田青邨夫妻の墓で手を合わせます。境内奥の小高い所にある作家の高見順や逗子披露山中腹に住んだ作家の堀田善衛の墓にも寄りますが、読売新聞の13日夕刊記事に掲載されて知った「校長室より輪島高等学校のホームページ(平野校長のブログ)」を遡って1月20日迄見た直後だったので石川県出身の哲学者西田幾太郎の墓にも寄りました。平野校長の1月9日のブログには送っていただいた西田幾太郎の言葉として「非常時なればなるほど 我々は一面において落ち着いて 深く遠く考えねばならぬと思う」とありました。

 山門出口手前にあった雲南素馨(一般に黄梅)の花も見て帰ってきました。


 なお平野敏(さとし)校長のブログは1月3日から毎日に変更されて地震後からの学校と生徒の状況・全国からの支援状況を発信しています。昨日迄に2月分も全部見ました。日本が災害に対する復興力(被災者と支援者の力)が強いことを感じさせます。当面毎日見ていこうと思います。(yoo)



5年間で身長が5センチ低くなった

2023-12-14 21:51:08 | 樹木観察散歩
 今週 逗子市の高齢者健康診断とがん検診で池子米軍住宅前の逗子市保健センターに行ってきました。昨年までは自家用車で行っていたが、今年80歳になることを考え車検を止めて廃車にしてしまったので駅から池子十字路までミニバスで行き、あとは僅かだがセンターまで歩いた。朝8時15分からだったので終わって料金を支払った領収書の時間は9時02分だった。受診者も少なくほとんど待つこともなかった。
 結果は高齢者健康診断が12月中でがん検診は1月に届くとのこと。毎年受診しているが大腸検査で精密検査要と言われて別途検査して潰瘍性大腸炎といわれたこともあったし、内視鏡検査でポリープを切除したこともあったが、自覚症状が無くなってそのままになっている。胃のバリウムを飲む検査は高齢で以前数日体内に残っていたことから止め、昨年は初めて胃がんリスク検診に変えた。腰が曲がってお腹の凹みが気になるので胃の内視鏡検査をそのうち受けようと思っている。
 今回の測定で身長が166.2cmと平成30年検査時と5年間で5cm低くなっていた。測定時に腰をまっすぐ意識的に伸ばしたので測定誤りではないと思う。昨年はまだ杖を使用していなかったが167.8cmだった。私の身長は一番高かったのは173.4cmで中学から高校の頃で175cmまで伸びればと望んでいたがとうとう成長も173cm台で終わってしまった。それでも60歳直前の平成14年の検診まで173cmを維持していたし、170cm代を切ったのは4年前だ。有り難くないが総入歯に近い状態で大食いの食事もできず痩せ気味も平均体重の低下でそこそこの体型を保っている。
 センターへの行きは京急と貨物の線路を横切る踏切を越えてナンキンハゼの大木の白い実を見ての車道だった。何故か11月末に鎌倉本覚寺で見た栴檀の黄色の実が頭をよぎったが、共に葉を落として実だけ印象的だったからかもしれない。帰りは黒い実を付けた犬柘植を見ながら川沿いの細い歩道を通り、京急と貨物の踏切中間に出た。これまで車だったので気が付かなかったがこの歩道に市政50周年の際に米軍と逗子日米協会が共同して桜とベンチを寄贈した記念の表示板があった。よく会っていた2代目会長の名前も記されていて現在どうしているのかと思った。
 風もなく天気も良く午前中なので第一運公園の樹木観察杖散歩をした。公園北側の入口から入ると日当たりの良い場所なので銀杏の黄葉や1本楓の紅葉がまだ見頃だった。唐ねずみもちの大木が黒く丸い実をたわわに付けていた。この時期目に付くのは黒鉄もちの赤い実だが随所に見られ、檜や椹(さわら)の大木にも茶褐色の球果が午前の陽を受けて目立っていた。ヒマラヤスギの大木もかなりあり卵型の球果を付けていると思うが高所でハッキリ見ていない。大王松の大木は特色ある3本の枯葉を、また小楢の大木も枯葉を共にたくさん落としていた。道路際のハリエンジュ(ニセアカシア)の大木は既に葉を落として僅か一枝のみ枯れた葉を残していた。白樫の木の下には堅果(どんぐり)がたくさん落ちていたが、亀岡八幡宮で見るマテバシイの長い堅果やスダジイの小さな堅果とは異なる。若い頃 樫,椎、櫟(くぬぎ)などの実や葉を集めて違いを確認したことなどを思い出した。結局のんびり歩いて休み休み桜山地区の住宅の庭の木なども見て家まで歩いて帰ってきた。
 身長が5センチも低くなると目の位置がその分低くなるので漠然と見ていたものもしっかり見るようになった気がする。 (yoo)

季節外れの高温で草木への影響を観察散歩して思う

2023-11-12 21:04:12 | 樹木観察散歩
 11月7日東京都心で最高気温が27,5度と11月としては100年振りに更新したというニュースがあった。今年は11月に入っても逗子文化プラザ地下駐車場前の家の夾竹桃の花やボランティア清掃をしている逗子郵便局前の亀井児童公園の百日紅の花もいまだ咲いている。この盛夏を代表する花に限らず、我が家の庭も毎年秋を感じさせる盗人萩や杜鵑(ほととぎす)は僅かに咲いただけで縞薄もお月見の時には茎も伸びず花を開いていなかった。木槿や芙蓉の花も10月終わりまで咲いていたが郁子(むべ)は実を付けず、何故か木通(あけび)が3個実を付けて色を濃くしている。
 亀岡八幡宮の銀杏は小さい木のみやっと葉が黄緑色になったばかりで。欅も少し赤みを帯びたが黒い実を付けた榎の葉はまだ緑のままだ。
 ブロック塀の木通の実

 11月8日立冬の日を迎え、この異常気象で樹木や野草の影響を観察しに妻と杖散歩で北鎌倉円覚寺に出かけた。風もなく暖かい良い天気の日だった。
 昨年11月に来た時には山門前の楓の紅葉が見事で多くの人が写真を撮っていた。今年は紅葉はまだで妙香池の周りの楓も緑色のままだった。ただ10月29日に行われた約60年振りの洪鐘祭(おおがねまつり)行事で使われた張子の洪鐘が展示されていたので見た。この国宝の洪鐘は江の島から勧進した弁財天をご神体として江島神社と円覚寺の弁財天が洪鐘祭で60年に一度出会うそうです。
 レプリカ(張子)の洪鐘

 宝物風入は3日~5日と終わった後だったが大方丈内に掲げてあった国の重要文化財の軸も見ている。中でも頭北面西で横たわる釈迦と四枯四栄の沙羅双樹で知られる「仏涅槃図」は釈迦が現在の私の年である80歳で亡くなる直前に、母親の摩耶夫人が天国から雲に乗って長寿の薬を持って見舞いに来る上段の箇所をじっくり見ました。薬袋は投げられ沙羅双樹の木に引っかかったという説があるそうです。摩耶夫人では 逗子に住んだ泉鏡花の養女で明大卒の泉名月さん宅を訪問した際に鏡花が傍に置いていたという厨子に入った摩耶夫人像の話を思い出す。
 鏡花が傍に置いた摩耶夫人像

 また大方丈裏で庭師が苔に水を撒いている場面と七五三の着物姿の3人の子供を母親?が写真に撮っているの情景に遭遇し、これらは昨年と大きな違いだった。

 そうは言っても目的の樹木と野草観察もしたので記しておきます。社務所入口からすぐ左手の桂昌庵(閻魔堂)前では赤い実をつけた棗(なつめ)か茱萸(ぐみ)のような木を見た。ついで隣の山野草で有名な松嶺院に入った。
 松嶺院は人の手が入って管理されている庭の雰囲気が強く植木鉢のムサシアブミの赤い実がすぐ目に入った。大きな植木鉢が多くあり変わった樹木も見たが地植えの花の盛りを過ぎた杜鵑(時鳥)が咲いていて名札のある野草は花も終わり枯れかかった葉を観察した。秋の暮れを思わせる雰囲気で藤袴の花や梅擬(うめもどき)の赤い実を見たりツワブキの蕾を見た後て石段の遍路みちを登った。途中ネリネの花を見て昨年男の庭師の方に教えてもらったことを思い出した。山頂の墓地入口の開高健の墓近くにある十月桜の花を見ると共に上から円覚寺境内を見下ろしている。坂本弁護士の墓でお参りした。亡くなった時に横浜弁護士会の会長だったⅯ.Y.女史は今も地元明大校友会会員で逗葉駿台会俳人の一人だった。また坂本堤弁護士は横高の十数期後輩であったこととⅯ.Y.女史のあと横浜弁護士会の会長になったのが横高の同級だったH.Y.君なので坂本弁護士というとすぐこの二人が頭に浮かぶ。随所で見られた野紺菊の葉脈も確認した。下の墓地に下る石段途中の崖に「拾翠巌佛」と記した江戸中期に作られた青銅の大日如来が据えられていて我が家の真言宗本尊でもあり、また“ひつじ・さる歳の守り本尊”と初めて知る説明書きに私も対象年なのでお賽銭を供えて傘寿まで生きられたことに感謝です。
 拾翠巌佛(青銅の大日如来)
 
 下の墓地から戻る途中に唐種招霊(からたねおがたま)の花がこの時期咲いていたので驚いたが、庭を管理されている女性の方から別名唐招霊(とうおがたま)のこの花はバナナの香りがしますと説明を受けた。嗅いでみたが判らなかったが考えてみると味わってもバナナの香りなど確認したことはなかった。妙香池の上の釈迦の歯が安置されている国宝舎利殿は3日早ければ拝観できたが入れず、奥の山野草で知られる黄梅院に入った。
 黄梅院は人の手を入れない雰囲気を保っている庭で、山を背にして地面に潤いがあり風当たりも少く日当たりもある場所で早春の草木観察も好きだが季節を通し風情がある。背の高い秋明菊や杜鵑はまだ花の見頃で、花をとうに過ぎた二人静がきれいな葉を残し、苔も瑞々しく縮笹(ちぢみざさ)も見られた。
千両・万両・実葛(さねかずら)・梅擬の赤い実や黄実千両、茶の木や椿の白い花や蝋梅の黒っぽい実も目にした。




 帰りに佛日庵で一服したがここでもネリネ花を見た。竜胆(りんどう)の花がちょうど見頃で、黄梅院や佛日庵では樹木と野草は異常気象の影響を受けていないように感じられた。

 
 北鎌倉駅改札前の「やま本きそば」で“盛りそば”を食べて帰ってきたが、3時間半ほどの杖散歩だった。八重咲の酔芙蓉の花もどこかで咲いているのを思い出したが芙蓉と違い開花時期が短い花として11月咲いているのは異常だった。(yoo)