紫紺のやかた

紫紺のやかた

朝日新聞社/文芸社 第三回Reライフ文学賞に応募

2023-09-29 20:14:58 | 日記
 性懲りもなく、叉、主催の新聞社は異なりますが文芸社が実質的取りまとめで、10月末日締め切りになっているものに応募した。応募内容は第二の人生に巻き起こる家族の物語を記述することで、賞の趣旨に沿って、「孫との生活」と題し、毎日の生活、お食い初め、ハーフバースデイ等本ブログに投稿した内容で、原稿用紙8枚にまとめ、短編部門に応募した。今まで審査委員長を明確にされていなかったが、今回の審査委員長を明確にしているのは、珍しく思った。
今回も、ダメもとでの応募だが、主目的はいつもの終活の一貫である。最終結果は、2024年3月上旬(予定) 発表予定である。本文学賞の詳細についてご興味ありましたら、タイトル写真をクリックして、ご覧ください。
     以上           2023.9.29  tko

映像文化時代の中、音声文化も生きている!

2023-09-29 15:37:40 | 日記
  みなさん、昔の話になりますが、昭和30年代だったと思いますが、ラジオの朗読劇がありましたね。はっきりした記憶はありませんが、『バス通り裏』とか、『赤胴鈴之助』の番組名をかすかに覚えています。近年は、映像番組がほとんどですが、NHKFMで、平日の夜間に「青春アドベンチャー」と言う番組がラジオドラマとして行われています。私も以前風呂に入っている時に聴いたことがあります。音声だけでも、充分話の内容がわかった。映像文化に慣らされている現代人にとって、新鮮な感じがするかと思います。音声による文化や芸術と言えば、寄席で落語、講談など聴くことがありますね。聴衆は落語家、講談師の話を聞き、どんな場面で、どんな人がどんなことを喋ったり、行動しているのかを思い浮かべることができる。映像がなくとも人間の記憶・想像力で、文化や芸術を理解できるのはすごいことだと思う。映像を見なくて済むと目の休憩ができることも小さなメリットかも知れません。
 話を戻しますが、今回のNHKFMの「青春アドベンチャー」は、以前放送されましたが、『カラメン』(オペラカルメンをもじったもの)に続き、2作目の『あたふたオペラからふる物語』をある日本の昔話のストーリをオペラの歌曲数曲を歌いながら物語を進めて行くようです。どんな放送番組になるのか期待しております。落語家、オペラ歌手他の出演が予定されているようです。10月8日(月)夜9:30から1週間の放送です。ご興味ありましたら、下記URLにアクセスしてください。
https://www.nhk.jp/p/rs/X4X6N1XG8Z/blog/bl/pA1EPjlLrA/bp/p0VBwLABr0/
      以上  2023.9,29  tko

秋のお彼岸でお墓参りをしました

2023-09-26 23:03:27 | 日記
 昨日は逗子市内にある寺に父母姉妹兄が眠る墓があるので妻とお彼岸の墓参りをしました。この寺は昔からの墓が多くあって、この時期こういう墓には彼岸花が咲いていました。しかし昨今土の見える場所がめっきり少なくなって彼岸花も目立たなくなりました。
 そういえば猛暑が続いて散歩中にもまだ一度も彼岸花にお目にかかっていません。この花の根には毒があって土を掘り起こすモグラが寄り付かないようお墓や土手に植えたという話も昔聞きました。
 一般の家にはあまり植えないようですが、赤や白い花もあって燃えるような赤い花は秋のお彼岸の郷愁のようなものを感じます。年のせいか、やはりこの花を見ないと季節感が薄れてしまうのではと思います。(yoo)

夏野菜に異変が起きた!大きなナスの葉が出現 (続々編)

2023-09-18 12:26:40 | 野菜つくり
 毎日、朝夕に水やりをやりながら観察している。写真の通り、髙さが地表から137cmの高さになりました。実は23cmになりました。実の色が通常の色ではなかった。かって、福岡県の天満宮の近くの八百屋さんで見たナスは40cm位のものだったが、ナスにはいろんなサイズのものがあるのは興味深い。実の形になったのはこの1本だけだが、同じ枝に花が数個つけてきた。申し遅れましたが、ナスの種類は、長ナスです。百円均一のお店で、種子を購入したものだが、どこまで大きくなるのか観察を続けたい。
 同じ生産ロットのナスの成育状況を見たら、やはりものすごく大きい葉をつけていて、花を数個ずつつけ出した。プランタと培養土や肥料の空き袋を土のう袋にした苗は、水分の蒸発がプランタより少なくて良いと言う事がわかった。空気に触れる面積が少なく、それだけ水分の蒸発が減るものかと思われる。プランタの水 分の蒸発を少しでも減らす為、落花生を寄せ植えしておくとその葉が日よけになり、水分の蒸発をある程度防げるとの公共放送の野菜の番組の教えに従った。しかし、土のう袋ほどの水分蒸発の防止にはならないことがわかった。
 落花生の実が熟してきたものを収穫して、茹でて酒の肴にした。
懐かしの味であった。触感は、通常ピーナッツや殻付きの落花生より柔らかいものです。首都圏では、私の経験だけですが、茹でた落花生をつまみに出す店はなかったが、福岡に出張した際に、中州のスナックで、茹でた落花生を食したが、新鮮な味を経験したことがあった。ナスの話から、脱線しまして失礼しました。
 順次、ビッグサイズのナスの収穫が見込まれるのが、今から楽しみにしている。食べ方もいろいろあるようなので、ネットで検索して、自分で料理するのも楽しみの一つだ。
       以上  2023.09.18
                   

福原義春さん死去のニュースに接して

2023-09-07 23:11:50 | 日記
 9月5日のテレビニュースで資生堂名誉会長の福原義春さんの8月30日の訃報が報じられた。翌日6日の読売新聞朝刊一面に「福原義春さん死去 資生堂名誉会長 文化振興 92歳」の見出しで出ていた。評伝と関連記事も他の頁に掲載されていた。
 福原義春さんは逗子に住む著名人だったことと、海岸への散歩の途中に家の前を通ることもあったので、面識は無かったが郷土史に触れた人にはお爺さんの福原有信翁の別荘が昔養神亭の傍にあって皇后陛下や皇太子の行啓を仰いだということでも知られていた。明大の大先輩藤原楚水氏の随筆「藻塩草」に資生堂の設立までの簡単な経過が記載されていて、薬学の研究に励んだお爺さんが薬局資生堂を開いたことに由来するという。
 今は廃部となってしまったが地元明大校友会に写真クラブがあり私は会員ではなかったが行事には参加したことが何度かあった。この縁で逗子開成学園の理事長・校長で東京都写真美術館の館長であった徳間康快氏の死去により後を継いで館長になった福原義春さんの新聞記事を取っておいた。思い出して探すと2000年11月15日読売の記事で当時69歳、資生堂会長になっておられた。薬局から化粧品会社に転進させた初代資生堂社長を務めた福原信三氏と福原信辰(路草)氏の二人の叔父は芸術写真家で、その影響で大学時代から本格的にカメラを手にしたと述べておられた。叔父たちと同じものを撮っても模倣にしかならないと、興味があった自然科学の知識を生かし顕微鏡を使った科学写真にのめり込んだとも語っておられた。「一枚の記念写真の中にも詩がある」と思っています。との言葉も出ていた。
 また1997年日経に掲載された私の履歴書福原義春㉗の記事も取ってあった。「企業文化も経営資源 社会支援・日仏交流務める」という見出しでこの記事の中で資生堂の由来が易経の「至哉坤元 万物資生」(地の徳のなんと優れていることか、万物はこれを元に生まれる)のくだりから「資生」をとったと語られていた。
 2012年の12月9日福原義春さんの講演を聞いて直接話をする機会があった。これは地元校友会のK.F.支部長が主宰する会で料亭魚勝2階で行われた時に、私に参加するようにとの要請があった。この会の会員では無いので手伝い参加だった。どうも主旨は校友会での講演者に福原義春さんをK.F.支部長は考えていたらしく講演・アトラクションの後の懇親会の時に名刺を渡し明大校友会の話を少しして機会が有ったら講演をお願いしたい旨伝えている。慶大卒の会員がこの席に福原さんを呼んだのかなと当時思った。80歳を越えておられたが「このごろ思うこと」と題した講演だった。講演内容は思い出せないが明大卒の方も他におられたので福原義春さんの訃報を知って当時のことを思い出している方もおられるかもしれない。講演の後のアトラクションで在逗葉若手音楽家の歌と演奏があり、「見上げてごらん夜の星を」ほか日本の歌披露があった。このソプラノの山瀬香緒さんと電子ピアノの池浦七菜子さんのお二人には翌年の逗子駅前ビル2階にあったイタリアレストラン・イルノンノでの校友会新年会に出演していただいたので記憶によく残っている。
 その後2017年3月に校友会の仲間10名程で鎌倉に眠る著名人のお墓参りをしたことがあるが、東映の俳優だった鶴田浩二の墓のすぐそばに福原家の墓があったことも思い出す。
 6日の読売の記事に編集委員の高野清見さんが評伝の最後に「企業トップが利潤の追求だけでなく、本気で文化交流を図った時代があった」と述べておられるが昨今の社会環境を考えると的を得た言葉と思う。福原義春さんのご冥福をお祈り致します。(yoo)