紫紺のやかた

紫紺のやかた

東京五輪について

2021-07-27 15:03:01 | 日記
yooさんの1964年の東京五輪の投稿を読ませていただきまして、大変懐かしくなり、筆をとりました。あれから57年の歳月の経つのが早いものかと感じています。私は、当時中学2年生の14歳でした。ヨット会場になった江の島ヨットハーバーは江の島を波の浸食から防ぐ目的もあり、ヨットハーバーが建設されました。建設工事会社は、スーパゼネコンのS建設、浚渫工事(港湾土木)大手のT港湾(現 T建設)、中堅ゼネコンのN建設、地場工事業者さんが突貫工事で仕上げて行った。
 岩場で浅い海底を掘る為に、頻繁にダイナマイトを仕掛け発破作業が行われていた。それが連日続き、多くの住民が耳について離れなかったようでした。
 しかしながら、地元民にとって良かったことがありました。今では水洗トイレは当り前になっていますが、高度経済成長期の中、首都圏でもいち早く下水道が整備されて、水洗トイレが設置されました。外国の方々を迎えるにあたり”おもてなし”をしたものと思われます。
 但し、水洗トイレ設置には、それなりの個人負担があり、経済的に苦しい家は、バキューム式含む汲み取り式を選ばざるを得なかったようで経済格差が認められました。水洗式だと定期的に汲み取りを依頼しなくて良いし、排便の匂いも防げるのは大きなメリットのようでした。
 それから、勇気ある若者が、発破した後に気絶した魚が浮き上がってくるのを取りに行く姿が見られた。今、思うと発破に巻き込まれたら生命の危険にさらされてもおかしくない状況であった。
又、現在の駐車場、ヨット置き場を埋め立てする為に、海底の砂や岩をバキューム機械で運び込んだ際に、魚介類が跳ね上がってきたのを島民は目ざとく取りに来ていました。特に、高級品のアワビは、先を争って取りに行った。
 先の東京五輪で五輪音頭が作曲されましたが、その替え歌ではないですが、三波晴夫さんのヨット音頭なるものがありました。今でもありますが江の島の入り口の左側にある噴水の周りを地元の有志が盆踊りを楽しんで、五輪を盛り上げていた。江の島ヨットハーバーの防波堤にも国立競技場と同じように聖火台が設けられていて、湾内を照らしていました。
 57年後の東京五輪は、コロナ禍の中、賛否両論あったが、官民の協力で何とか開会式を迎えることができた。このまま進行して行くことが望まれるところであります。
 次に今回五輪の開会式のパフォーマンスについて触れてみたいと思います。                            
  開会式のパフォーマンスをみんな驚いたかと思います。その驚きは、おおまかに見て二つあったかと思います。
 一つは夜空に咲いた地球儀で、二つは動くピクトグラムだったと思います。
前者は、1,800個のドローンを使い、それぞれに照明器具がセットされて、はじめは平面的な動きで、それは参加各国、地域、難民チームをイメージして、照明が灯されていたが、最後は、ドローンを立体的に動かして、地球儀に仕立てたものだった。
 アイデアを出すのも大変だったと思うが、1,800個のドローンを動かすのは大変高度な技術が必要だと思います。その解決策は、コンピュータを使ったシステムを作成したものと推察されます。そのプログラム作成に相当な時間と労力がかけられたものと推察しました。空間に映像を映し出す技術は稀にみる技術で高い評価が与えられるものと考えます。確かに、何か媒体がないとできないものと薄々わかっていても、実際、やるとなると考えこんでしまう。
 後者は、普段我々が、目にするピクトプログラムは固定していて動かないですが、今回は、二人で動くピクトプログラムを体現したもので、これも今まで見たことがないものでした。
 ここでピクトプログラムに触れてみたいと思います。これは1964年の東京五輪で世界の人々が多く来るので、トイレ等施設を誰でもわかるようにした図柄を世界で初めて考案したもので、大変評価されるものであります。それを、今回の五輪で更に進化させることができた訳であります。これも、世界に誇れるものと考えます。
 これらを考えた人たちの内一人が、身近な人でした。私の家族の友人の関係者がその中心人物でした。
 その方は、高校時代、神奈川県内の高校で野球をやり、卒業後、美術大学のデザイン科で勉強された方でした。学生時代に起業され、大変ご苦労されましたが、今回の東京五輪に大いに貢献されて今後の更なるご活躍が期待されるところであります。                                                                tko

日本の伝統文化にふれて(その4)

2021-07-26 12:07:40 | 音楽
 オリンピックが始まりテレビ観戦で応援に熱が入っていると思います。
(その4)の投稿が延び延びになってしまいましたが、今回は、2021年6月6日、東京文化会館でオペラ『Only  The   Sound  Remains』(和名;余韻)を見てきましたことをお話しします。日本を題材としたもので、フィンランドのカイヤサーリアホさんと言う現代の作曲家で、パリを活動拠点としている方が作ったものです。
 二部構成になっていて、第一部は能楽の『経正』、第二部も能楽『羽衣』を題材にしたオペラでした。日本を題材にしたオペラは少ないですが、皆様がご存知のものとして、『蝶々夫人』
『夕鶴』などを思い浮かべることかと思います。 
初演は 2016年にアムステルダムで、日本では、2021年6月6日東京文化会館が初演で、私は、世界で二回目のオペラを見る機会を得た訳です。
オペラの構成は、第1部: Always Strong(経正)第2部: Feather Mantle(羽衣)キャストは1部、二部とも三人だけで、カウンターテナーのミハウ・スワベッキさんが平 経正役及び天女役を、バス&バリトンのブライアン・マリーさんが僧侶の行慶役、及び漁師の白龍役を、もう一人はコンテポラリ・ダンスの世界で唯一無二のダンサーの森山開示さん。森山さんは、カイヤサーリアホさんのご依頼で、全体の振り付けとご自身もダンサーとして出演されました。
合唱団は新国立合唱団で、テノール、バリトン、ソプラノ、アルトの4名と通常では考えられない少ない人数でした。年末に行われるベートーベンの『第九』のソリストも四人ですが、これは余り関係がないですが。又、オーケストラのメンバーも極々絞られていて、オーケストラピットのスペースが余っていました。構成は、第一バイオリン、第二バイオリン、ヴィオラ、チェロ、カンテレ、フルート、打楽器と指揮者の8名と極少で、見ていて、この余っているスペースはもったいないと思っていました。
 あまり耳慣れないコンテンポラリーダンスについて、ここで触れてみたいと思います。これは、歴史もまだ浅いようで、20世紀に新しく誕生した芸術舞踊です。時代の流れにのり、現在進行形で進んでいるジャンルのダンスとのことです。バレーなど一定の動きがありますが、形式を持たない自由な身体表現をするダンスと定義されているようです。実際どんなものがあるかとネット調べましたら、見なさんご存知の女優の夏木マリさんが演出を務める『印象派NEO vol.4「ピノキオの終わり」』が コンテンポラリーダンスが該当するものとわかりました。グリム童話のピノキオを題材にしたものです。
子供さん向けのコンテンポラリーダンスの教室もあり、子供さんの成長に役立つようです。
 又、印象派と言う言葉も絵画でよく聞きますが、同じくネット調べたら、impressionism. 19世紀後半, フランス におこった新画風で、 マネ,モネ,ドガ,ルノアールらが代表的画家 。写実主義 に対して光線の効果を重んじ,大胆に事物の印象を描いたものと理解しました。 
コンテンポラリーダンスも自由に感じたことを表現するもので、同じ考え方とわかります。
 オペラのイメージは、華やかな感じや悲喜劇ですが、今回の『Only  The   Sound  Remains』(和名;余韻)は、何か幻想的で前衛的な感じを受けました。これは、二つの演目の内容からきていると思われます。第二部の終わりの方に来ると、三名のキャストは歌わないで、合唱団の歌のみになっていて、舞台から合唱団が階段を下りてきて、オーケストラピットに入り込んで来た時は、大変驚きました。オペラでは、合唱団がオーケストラピットで、場所もないこともあるが、歌う事などあり得ないものです。このオペラの3名のキャストが動きにあう合唱をして、興味深い貴重な場面を見ることができた。
 オーケストラピットに余裕があって、先ほどもったいないと記述しましたが、その余裕の目的が理解できた。
 少し、話がそれてしまいましたが、カイヤサーリアホさんは何度も来日して、歌舞伎、文楽、狂言、能楽など日本の伝統文化の舞台を多数鑑賞され、大変興味を持たれた。
 その中で能楽「経正」、「羽衣」の古代の神秘さを感じ取られ、それに魅かれて、このオペラを作曲された。ストーリーのせいかもしれないですが、従来のオペラに感じる華やかさ、悲哀感を感じることも無く、ただ神秘的で前衛的な音楽かなという思いでした。
 前回お話しした雅楽も能楽と同様に海外公演されていることを見ますと、日本の伝統文化は、むしろ外国の方々にも非常に興味を持たれているように感じます。私も洋楽等に目を向けがちですが、日本の伝統文化をこれからも機会があれば、ふれて行きたいと思います。                                                tko

私の小さな写真館 <私の写真izm>⑤

2021-07-24 23:43:13 | 写真館
 昨日は特別なイベントデーである。
 今日は 2020年 第32回 オリンピック東京大会開催日となった。開会式会場無観客にて午後8時前から実況生放送となる。新型コロナウイルス感染症の世界的バンデミックで史上初の延期に会期は2021年7月23日(金)~8月8日迄と決定になり今日を迎えた。
 ここでオリンピックにちなんで歴史とか精神を今一度理解しておく必要があると思った。私どもがオリンピックと呼んでいるのは「近代オリンピック」の事であり、オリンピックのルーツは紀元前に始まった「古代オリンピック」にさかのぼる。古代オリンピックの起源は紀元前の世紀頃にギリシャで開催された「オリンピア祭典競技」と言われている。当時はヘレニズム宗教行事で多くの神々を崇拝するために神域で体育や芸術の競技祭を行っていた。当時も現代と同じく4年に一度の開催で太陽暦との関りからであると思われる。
 古代オリンピックの初競技は191mを走る「競走」であった。第1回大会から第13回大会(紀元前776年~728年間)はこの競技の1種目であった。後に競技が追加され最終的には18種目にまでなった。
 古代オリンピックの終結
 オリンピックの祭典は大人気となり、多数の観客を熱狂させた。しかし紀元前1464年にギリシャがローマ帝国に支配されたことで世情が大きく変わり、古代オリンピックの進行が下火となった。393年に開催された第293回大会を最後に1169年間の伝統に幕を下ろし終結を迎えた。
 近代オリンピック
 古代オリンピック終結から約1500年後の事、フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵によって1894年パリ国際アスレチック会議において「オリンピック後興計画」賛同を求めた。そこで世界に認められ2年後の1896年に古代オリンピック発祥の地「アテネ」にて「近代オリンピック」第一回の開催が実現した。
 近代オリンピックの精神
 クーベルタン男爵が「オリンピックの精神(オリンピズム)とはスポーツを通して心身を向上させ文化や国籍の違いを乗り越え、平和な世界の実現に貢献すること」でこの精神は現代にも受け継がれている。尚、オリンピック「憲章」(根本原則・規則・付属細則)はIOCによって示されている。
 開催の目的
 上記オリンピック憲章には「スポーツを通して、青少年を教育することによって、平和でより良い世界作りに貢献し、スポーツと文化を通して世界の人々の健康と道徳の資質を向上させ相互の交流を通して互いの理解を深め友情の輪を広げることにより、住みよい社会を作り、世界平和の精神と確立に寄与することを主たる目的とする。」とある。
 近代オリンピックの歩み
 1896年 近代オリンピック第1回がアテネにて開催された。
 1912年 第5回大会 ストックホルム(スウェ-デン) 日本初出場
 1916年 第1次世界大戦の為中止(ベルリン・オリンピック)
 1940年 第2次世界大戦の為中止
 1944年 同上
 1948年 日本不招待の為、不出場
 1964年 第18回東京オリンピック大会 アジア初のオリンピック
 2020年(2021年)第32回東京オリンピック大会
                       以上
WEBサイトを参考

         
      「写真」逗子上空にて   月齢14.1 十五夜・満月(大潮)     2021/07/24 
    
           「写真」逗子上空にて  月齢12.1 十三夜(中潮)               2021/07/22
       
   
  逗子海岸より夕暮れ時 江の島の灯台にライトアップ
 これは飽くまでも私の我流・写真遍歴である。
    デジカメには①「モニターとして写し出される画像を見ながらシャッターを切るもの」と②「ファインダーとモニターの両方が使える機種で従来の一眼レフカメラ形式」がある。①も進展し性能的には甲乙つけがたいがそれぞれの特徴もある。自分で写しやすいのがいいか、もっと高度な技術を求めたいのかで上記の機種を選べるが私はいつも両方を持参している。①はコンパクトカメラでサブカメラとして歩行中いつも片手にぶら下げて歩いて途中で目についた被写体に出会った時、即座にシャッタを押せるようにしている。②は目的地に着いたときや肝心な被写体に出会った時、素早くバックから取り出しセットアップ出来るよう心掛けている。③他にカメラを装着した「スマートホン」があり便利だが、PC入力や記録に手間がかかるようだ。
 ①は大体レンズ角度が広角から中望遠迄のズームレンズがセットの便利性を重んじて製作されている。いわゆるコンパクトデジカメであるが、このタイプも中々の実力派だ。②は所詮いろいろな性質を持ったレンズをボディーにつけたり外したり交換できるようになっている。こういったカメラを使うにはレンズワークにも精通する必要があるのだ。レンズも明るい(F値)レンズほど絞りをきかせた時、深度がありキレイに撮れ大きく引き伸ばしたときノイズがなく引き伸ばせられる。しかしF値が少ないほど高価である。
 デジカメで気になるのが「画素数」である。「解像度」と似た使い方がある。「画素数」はデーター量の多い少ないを表し、「解像度」(単位はdpi)
はデーターの詰め込み具合(密度)を表している。よくこのカメラは1000万画素だとか1500万画素だとか必ず見出しにあるのが目につく。銀塩フィルムカメラは大1500万画素だそうだ。数の多い方が画質に緻密度がある。最近のデジカメは銀塩カメラの画素数に段々近ずいてきて現在はそれ以上の画質になっている高級カメラもある。特に大きく引き伸ばしたい時に効果がある。画素数だけでは画質の善し悪しは甲乙つけがたい。一般には500万画素位あればA4まではきれいに印刷できる。これは「解像度」の多い差から来ていると思われる。A3サイズ以上印刷したい時は、やはり1000万画素以上は必要だ。
                                                                                                          next   
   
   逗子海岸の夕焼け
       
        逗子海岸より 江の島の灯台に灯がともるころ
                                                                                                           (ysa)
     

東京オリンピック開会式に思う

2021-07-23 09:31:28 | 日記
 新型コロナウイルス感染拡大で1年延期された2020年東京オリンピック開会式の当日を迎えた。日本の多くの出場選手にとってオリンピックは4~5歳位から出場の夢を持ち続けて練習に長年励んできたことなどが、テレビなどの報道で流されている。小さい頃の記録ビデオなども出てきて、これは親も長年一緒に支えてきたことを感じさせられて、日本人のオリンピックへの思いの深さを痛感させられる。前回の東京オリンピックは57年前の1964年(昭和39年)で私が明大2年生の時だった。当然開催の2年程前から東京オリンピック音頭が流されて前宣伝がされていたし、新幹線の開通・大衆車の急速な普及前夜とあいまって日本経済復興の目覚ましい時期を迎えていた。

 東京オリンピック音頭で記憶にあることを記すと隠岐の島出身の宮田隆さんが東京オリンピック音頭の歌詞募集に応募して見事1等となり採用された。宮田さんは戦争や捕虜になった体験から平和の祭典への願いを込めて歌詞を作られたそうです。当時日本歌手協会会長だった明大卒の古賀政男さんが作曲、三波春夫、三橋美智也、橋幸夫、坂本九さん等が歌い、三波さんの歌が一番売れたため三波春夫さんの歌となっています。学生時代にオリンピックがあった証に3年の時、広島でゼミの集まりがあった際、現地集合だったのでその前に1人で宮田さんの生まれた隠岐の島(海士町)を訪れたことなどが思い出される。
 先の東京オリンピックの開会式の際は幸運にも会場で見ている。開会宣言は体操の小野喬さんだった。入場券入手がそれほど難しくなかったためか、私が中学、高校と体操部に所属していたため小野喬さんは憧れの人でもあり開会宣言が小野喬さんと知った父が手配してくれたのだと思う。当時の日誌の一部が捨てるにしのびず残っていたので、記して開会式の記念としたい。

On the opening ceremony of the 18th OLYMPIC GAMES 1n
TOKYO - - - the most important thing is not to win but to take part 
just as the most important thing is not the triumph but the struggle- - - flashed on the notice-board

 私はここに全競技者の名においてオリンピック競技大会の規約を尊重、順守する競技者として、またスポーツの光栄とチームの名誉のために騎士道精神をもって、大会に参加を願う競技者として、われわれがこのオリンピック競技大会に参集したものであることを誓います。 
       1964年10月10日 選手宣誓 選手代表 小野 喬

 それは聖火最終ランナー坂井義則君によって国立競技場最上段の聖火台に点火され、ついで選手代表・日本選手団主将小野喬選手によって選手宣誓が行われたあとだった。競技場の真っ赤なアンツーカーのまわりに胸にOLYMPICのマークをつけた真っ赤なブレザーを着た役員につきそわれ、空色の箱の中で彼らは待っていたのだった。彼らの前をギリシャの選手団を先頭に最終の日本選手団まで94か国6,500人を超える各国の選手役員が足なみをそろえて通っていった。あるものは手を振り、またあるものは70、000人の観衆の前に自国の衣装を誇るかのように、からだをゆさぶるのであった。そしてたった2人でこの東京大会に参加するというのにもかかわらず堂々と彼らに目をやる余裕さえみせたものもあった。彼らはこの大行列と熱狂とまではいかなくとも大観衆のザワメキの中で空を見上げ雲一つないこの青空に対して深く感謝するのであった。もし薄曇りであったなら彼らのはたす役割は半減したであろうから。彼らは飛び出た。そして整然とした選手団の列をとりかこみまた幾重にもとりかこんだ。彼らの輪は大きくなった。そして再びその環が小さくなると観衆の目から選手団の姿を奪った。観衆はグリーンのフィールドの中に白い雲のかたまりを見るだけで、ながいあいだ選手団を見ることができなかった。彼らはなかなか競技場の外へ去っていかなかった。彼らの真っ白なはだは、空の青よりも、フィールドの緑とアンツーカーの赤を惜しんでいるようであった。やがて彼らのうち群れからはなれていたものも手を振る大観衆の目から遠のいていった。成功を信じて。(yoo)

梅雨が明け初めての日曜日「逗子海岸のラジオ体操」 2021年7月18日(日)

2021-07-18 18:23:55 | 日記
 いよいよ梅雨が明け初めての日曜日。早朝の海岸は比較的涼しい風が吹いていた。久しぶりに「富士山」が顔を出した。
 ジョギング・ラジオ体操にはこの時間帯が一番!日曜日のためカヤックを使っての釣り人も多かった。
 今年も沖合には「逗子海岸ウォーターパーク」が出現!(大人45分1,200円、小・中学生800円)。「海の家」をパチリ!逗子海岸の夏の風物詩だ。ラジオ体操が終わるとジョギングで帰ってくるが良い汗をかく!!!やはり暑くなってきた。
 道すがらにあるKKR(国家公務員共済組合保養所)「松汀園」も宿泊客が少ないのか多角経営に乗り出した。(「松汀園ヨガ1時間1,000円・「縁側パル」 16時~20時生ビールおつまみ3品1,100円・「リモートワーク応援プラン」9時~17時 1人1室3,300円・「牛の日特集」葉山牛ローストビーフ1,620円等々)                 ロングさん