紫紺のやかた

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無くなった表具店の取り壊しに思う

2024-07-21 14:06:56 | 回想
 逗子市役所から逗子海岸方面への八幡通りにかって長谷川表具店があった。もう数十年店を閉めたままだったが、この7月に建物が取り壊されているのを見て昔の薄れかけた記憶が蘇ってきた。
 昭和50年代の中頃、家を新築した際に既に亡くなっていた母の位牌を納めていた古い仏壇も新しい仏壇に変えることにし高校の同級生の父親が経営する仏具店に依頼した。この部屋は居間兼仏間としたが当時お茶を習っていたので炉を切って茶室まがいの部屋でもあった。風炉と釜は繊維技術者だった父が岩手の工業試験所に行った際に南部鉄器の浅田薫山窯を訪ね依頼して入手したもので既にあった。
 風炉先は無かったのでどうしようかと思っていたところ、この長谷川表具店に置いてあるのが通りから見えた。売り物だったので購入したが、風炉先は表は無垢も茶色の裏は何か貼ってもらおうと思って入手前に父親がまだ健在で囲碁好きだったので左裏に春日紫雲の「勝負の心理」の文章と呉清源の写真、右裏に室町左門の「囲棊と友誼」の文章と二人の写真を貼ってもらった。両方とも昔の囲碁雑誌にあったものと思う。出来上がって当時良くできていると自己満足した思いが残っている。写真二人の人物は名前を入れていないので誰だったか思い出せないが文章とは関係なく逗葉地区とも縁のある人物だったと思う。お蔵入りで無用同然となった風炉先を改めて見て張った紙が長い年月剥がれもせず皺も起きていないので腕の良い職人だったことが判る。
 亀岡八幡宮の通りを隔てたところにもかって土屋表具店があって奥様は1年前迄1人建物の2階に住まわれていたが今は引っ越されて焼鳥の鳥一になっている。昭和60年代頃からか逗子では表具店や経師店の看板を見ることが少なくなった。障子や襖の張替えは必要でも依頼は「何でも屋さん」にお願いすることになり、最近網戸の張替えと合わせて障子もお願いした。襖を除き若い頃は自分でやったが高齢になりできなくなったのでやむおえない。
  八幡通りに有った店をふと思い出したので記しておきます。昔、横浜銀行よりからクボタカメラ店、おかね、土屋表具店、相模屋豆腐店、島森書店、永井タバコ店、珈師部コーヒー店、酒食処万紫味、青木旅館、スナック・ラスト倶楽部、田村靴修理店、浅田眼科、万紫味支店があり、踏切寄りから石橋工務店、山口屋酒店スリーエフ、フランス料理フランボアーズ(その前は酒場春)、秋山眼鏡店、京染店志ま三、内田写真店、川端菓子店、八百亮、アリレイナ美容室、山本自転車修理店、大竹食料品店、小坂橋建材(菊池タイル店?)、貸本友愛堂、萩原肉店、陰陽洞、鈴木屋(駅前のスズキヤの前身)などもあった。田村靴修理店、自転車修理店、大竹食料品店、菊池タイル店を知る人は80歳をとうに過ぎている人と思う。菊池タイル店で買った睡蓮鉢が今も裏庭にある。(yoo)


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