紫紺のやかた

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今年の8月も終わりと!

2022-08-31 15:21:28 | 日記
 昨年盛夏の前に亡くなった福岡県出身のT.N.さんは、時折会話の中で福岡弁(博多弁か)を使っていたようですね。かわいい言葉が多い福岡地方の方言は男の人が使っても相手との距離を近くするアットホームな雰囲気を感じさせられましたよ。“そうやけん”、“そうたい“、“どげんしたと”、“飲みすぎて酒は終わりと”、そして最後は決まって笑顔で“よかよか”の言葉が口から出ていましたね。
 初秋の冷気を“びったりおどし”というそうですが、ぬる燗が好きだったT.N.さんからこの言葉はとうとう聞かれませんでしたね。

 言葉の花とも言われる方言、その代表でもある博多弁を思い、小倉生れで逗子に住んだ華道家が鎌倉の建長寺に建てた花塚の写真を添えておきますね。


 前回yooさんから語尾の解説有難うございました。
     今年の8月も終わりと!          (ごんべい)

三遊亭金翁さんの訃報に音羽美子さんを思い出す

2022-08-29 14:23:23 | 回想
 8月も末になって先週落語家の三遊亭金翁さんの訃報を新聞記事で見ました。訃報欄を見ると記憶にある人だと昔のことが色々連想されて認知症の予防になるような気もしますが、一方問題は高齢で新しいことが記憶に残らないことです。
 金翁さんは享年93歳で令和期まで生きた唯一の戦中入門の落語家で最後の高座は2月20日、孫弟子・三遊亭金朝(46)の誘いで出演した千葉・成田の「成田駅前寄席」での「ねぎまの殿様」だったそうです。自宅で就寝中に息を引き取ったとのことで大往生でした。
 戦前生まれの私にとって金翁、その前の四代目金馬というよりはやはり小金馬時代の「お笑い三人組」にテレビ出演していたイメージが強い。他の江戸家猫八、一龍齋貞鳳の両氏も高齢まで生き既に亡くなっていますが、ある出来事から「お笑い三人組」というとあまから横丁のラーメン屋“満腹ホール”の金ちゃん(小金馬)の妹役をしていた音羽美子さんを連想するようになりました。

  

  
 
 それというのもS.T.部長やA.Ⅰ.さん他の逗葉駿台会麻雀クラブが中心になって日本麻雀連盟逗子葉山支部を結成する際に、同連盟の二代目総裁に鎌倉ペンクラブ初代会長を務めた文士の久米正雄さんの名を見つけたことに起因します。
 平成17年久米さんのお墓参りを思い立ち、瑞泉寺に趣旨を説明して電話を入れたところ、墓は一般の人は入れない場所にありますが参拝者が帰った後ならご案内致しますとのことで約束の日時に行って修行僧に案内してもらいました。山側の登り坂の途中にありました。時節柄、墓は群生する藪茗荷の白い花に囲まれてあり修行僧は気を利かせたのか先に帰り暫しその場に佇んでいた記憶が蘇ってきます。帰りに事務所に寄って日本麻雀連盟の支部をつくるため墓参した旨の遺族宛の手紙を置いてきたところ息子さんのお嫁さんから電話をいただきました。これが何と音羽美子さんで本名久米和子さんでした。広い瑞泉寺の境内で作った短歌が残っています。「碧旻に 聳ゆる芙蓉 丘に見つ 陽射し和らぐ 夏のおわりに」 8月末だったと思います。

 その後、平成20年逗子商工会館で健康麻雀大会を開催した際に久米和子さんに来ていたきご挨拶もいただきました。

 当時、郡山市久米正雄記念館の名誉館長をされておられましたが、ご自宅は鎌倉市二階堂にありました。最初の縁から既に17年の歳月が過ぎていますが、縁というものは僅かなことから出来るものをまさに実感した出来事でした。(yoo)

8月のお盆休みも終わりました

2022-08-19 11:41:09 | 日記
 今年の夏はいまだ猛暑が続いていますが、それでも早朝網戸から寝ている2階のベットに入って来る風は涼しさを感じるようになりました。高齢で仕事を離れて毎日がお休みの身分ですが、8月13日~16日迄の4日間のお盆休みも終わりました。
 毎年この頃になると昔読んだ逗子在住の詩人高橋睦郎さんの新聞記事を思い出して、取ってある日本経済新聞の切り抜きを読み直すことがあります。
 直接お会いしたことは有りませんが以前逗子の歴史グループの仲間に誘われて「逗子の歴史的環境を守る会」が出来たときに賛同会員に名を連ねましたが、発起人に黒田康子先生や三浦澄子さん、泉名月さん(共に故人)と高橋睦郎さんの名前もありました。
 新聞記事は「餞暑送逝」という題で逗子に移られて1年後に投稿した昭和62年9月6日付、35年も前の記事です。『今年の暑さは特別だった』で始まっているのでまさに昨今と同様な思い出で読むことができ古くても違和感はありません。
 暑さは立秋を挟んで残暑、秋暑、また薄暑、大暑、溽暑について記され、古俳書にある餞暑についても述べておられる。『去るを送るを餞といふ、暑の去るを送る意なり』とあって夏の終わりから秋のはじめにかけての耐えがたい暑さの期間ほど人を送るのにふさわしい季節ではあるまいかと述べておられる。

 新型コロナ感染拡大のこの2年半の間に行動自粛もあり体力の激減で去った知人も多く、ほとんどがかなり経ってから知らされた。幸いこの猛暑の中で去った知人の訃報は届いていませんが、間もなく散歩復活等で体力維持は心掛けたいと思います。(yoo)