コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

真の首長

2010-05-19 | Weblog

私が招待を受けて、「名付け親」になったドドコワ村の式典は、ナナン・ドドの首長就任21周年を記念するものである。だから、私の前に演説をした人たちは、ナナン・ドドがどれだけ賢明に、そして数々の苦難を乗り越えて、村を発展に導いてきたかを讃えた。これまでの村が、発展と人口増加で手狭になった。ところが、村を広げようとすると、コーヒーやカカオの農園を削ることになる。それはよくない、とナナン・ドドは決断をした。数百メートル離れた広い空き地を整地して、そこに皆で引っ越しするのだ。今日の式典は、その移転予定地で行われ、新開地の紹介を兼ねている。21年を経て、ナナン・ドドは新しい村に変貌させる計画を進めている。

私も演説の中で、そうしたナナン・ドドの精力的な働きを讃えることに、やぶさかではない。でも、私はここに赴任してまだ1年半だし、そもそも外国人だから、地元の事情について知ったふりをするのも如何なものか。だから、素直に伝統社会の力について、自分の仕事の中で知り得たことを語ることにした。そして、伝統社会の力を村の発展につなげ、全国規模で糾合して平和のために働こうとする考え方は、とても大切なものである、と訴えることにした。

「私は、着任早々に、ベテ族の村に行きました。そうしたら、その村の人が私に言うのです。出身部族がちゃんとあって、その一員であることを意識している人は、決して悪事を働かない。むしろ、誇りに満ちた節度正しい生活を送ろうとする。たとえ村を遠く、フランスなどに出稼ぎに出ていても、部族の誇りがあれば立派な人間でいようとする。」

これは、私がはじめて村に出かけたときの、夕食の話題であった。
「その人はまた言いました。コートジボワールに部族がたくさんある。だから国が分裂していて弱いと言われるけれど、そうじゃない。いろいろな部族が知恵と力を合わせるから、国が強くなるのだ。部族は車輪のスポークだ。スポークがたくさんあれば、車輪もしっかりして、自転車が頑丈になる。そう言いました。この考え方には、大いに賛同したいです。」

「先日は、ここにご来臨のアニニビレ2世陛下に、アニ族のヤム芋祭にお招きいただきました。そこで、私は戴冠を受け、ヌダ・クワシ2世という名前をいただきました。その祭りを通じて、私は、王様という存在が、名前や名誉だけではなくて、地域社会の伝統的な制度のなかで、行政・司法・治安維持・福祉向上の、さまざまな機能を果たしていることを学んだのです。」
そして、私はコミアンの踊りの話をした。コミアンというから、単なる呪術師の集団かと思ったらそうではない。王様の耳であり、王様の司法官である。コミアンが、村の正義の秩序を支えている。

「また別の機会には、エブリエ族の世代祭に招かれました。そこで、エブリエ族が「世代」という独特な知恵で、自分たちの支配者を決めていることに感心しました。この「世代制度」によれば、常に社会の中で一番活力のある人々の世代が、社会の決めごとと実行を掌ることになります。そして、政権交代も世代から世代に、つまり確実かつ円滑に、行われていくのです。そして、村にいる間は、誰もがどこかの世代の、どこかの組に属しています。そして、組の中では互いに生活扶助を行っています。だから、世代制度のなかでは、誰も孤独になることはありません。誰も生活苦に陥ることはありません。」

そうした実例を挙げてから、私は、このようにコートジボワールの伝統社会には、政治や社会の素晴らしい知恵が満ちている、と述べた。それなのに、コートジボワールの人々自身が、こうした伝統社会の優秀さを忘れている。歴史だって、部族社会の歴史を物語った本は、ほとんど見当たらない。歴史というと、植民地化、独立、そしてウフエボワニ大統領の物語である。植民地化以前から存在する、部族の国造りや英雄の物語などは、今のコートジボワールの人々は、重きを置いていない。これはとても残念なことだと思います。そう述べた。

そして私は、ナナン・ドドに話を戻す。そうしたなかで、ナナン・ドドは、伝統社会の首長たちに呼び掛け、伝統社会の知恵と力で、国を良くしていこうという運動をしている。そのために一番重要なことは、それぞれの部族が、お互いの歴史や価値観を尊重し、認め合っていくことではないか。このドドコワ村は、もともとアティエ族の村でありながら、他の部族の人々や、外国からの労働者など、異なる社会文化の人々を受け入れ、共存して来た。コートジボワール紛争の間も、どこかの部族の人々を迫害するといったことはなかった。こうしたことは、ナナン・ドドの優れた見識と指導力があってこそのことであった。そういうふうに話をして、ナナン・ドドのことを、私は褒め称えた。

「真の首長というのは、人々の困難にあって、困難を和らげて、行くべき道を示せる人です。真の首長というのは、団結力を作り上げる人であり、分裂や対立を導く人ではありません。真の首長というのは、真実だけを語り、けっしてその場しのぎで誤魔化すことのない人です。そして、常に人々の言い分を聞き、人々の幸福を第一に考える人のことです。そして、ナナン・ドドは、21年間の治世を通じて、ドドコワ村の人々にとって真の首長であることを示しました。これからの治世も、真の首長として、必ずや新たな発展に力を尽くして行かれるでしょう。」

そう演説を締めくくった。私は、ナナン・ドドの席に赴いて、互いに祝福し、そして貴賓席に行って、大臣たちに挨拶をし、そして来臨の王様以下伝統社会の首長たちと握手をした。そのあと新開地の一角に移って、チークの苗を何本も記念植樹した。あと10年すれば、この苗が大きな木に育って、村人に日陰を提供してくれるはずだ。その後、遅めの昼食会が始まり、そして昼食会を終えたころに、突然大雨が滝のように降り出して、式典は自然散会となった。アフリカでは雨は祝福のしるしだ。ナナン・ドドは大行事を終えて、満足そうにしていた。

さて、アビジャンに戻って数日後、この式典の模様が新聞に載った。私の写真とともに、こう書いてある。
「日本大使が、コートジボワールの指導者たちに、教訓をたれる。」
私は偉そうに「教訓をたれた」ような覚えは毛頭ない。

さっそく記事をよく読んでみた。
「日本大使は、ナナン・ドドのことをたいそう褒め称えた。日本大使によれば、コートジボワールは、民族的な多様性が大変豊かな国である。そして、この多様性は、幸福な目的のために活用されなければならない、と言う。」
そう、私が言いたかった趣旨が、正確に伝わって載っている。

「私にとって、真の首長とは、人々の困難にあって、困難を和らげて、行くべき道を示せる人のことです。真の首長というのは、団結力を作り上げる人であり、分裂や対立を導く人ではありません。そのように日本大使は強調した。」
私の演説が、そのまま載っている。これで、なぜコートジボワールの人たちに、偉そうにお説教したという書きぶりになるのだろう。よくよく、言い方には気をつけたつもりだったのに。

そう反省の弁を述べたら、コートジボワール人の友人が教えてくれた。
「ほら、首長と言って、あなたは村の長などの伝統社会の首長を指していたつもりでしょうけれど、聞いていた多くの人々には、そのままバグボ大統領以下の政治指導者のことを述べたように聞こえたのですよ。それに、コートジボワールの人々は、あなたが首長に期待すると並べた資質を、ほんとうに今の政治指導者に求めている。だから、日本大使は、まさに言うべきことを言ってくれたと。そう捉えたに違いないですよ。」

ああ、なるほどそういう理由だったのだ。日本大使は言いにくいことも、すっぱりと言うという、評判と期待がありますからね、とその友人は付け加えた。私が述べた内容が、私の意図にかかわらず、紛争を経験し、混迷する現状を憂える人々の琴線に触れたということのようである。

<新聞記事>

5月11日付「ル・マンダ」紙(画像クリックで拡大します)
「日本大使がコートジボワールの指導者に教訓」


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