コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

兵士の志

2009-05-30 | Weblog
兵士が戦争をもたらす、と多くの人は考える。実は違う。戦争が兵士をもたらす。戦争がなければ、兵士にはならなかった、そういう人々がたくさんいる。戦争の悲惨を経験した場所において、兵士たちは加害者であるとみられている。しかし、多くの場合には、戦争によって人生が捻じ曲げられた、被害者でもあるのだ。とくに若い兵士たちは、人生のはじめから戦争しか知らない。平和の中で生きることができなくなっている。 紛争が終 . . . 本文を読む

ご母堂の祝福

2009-05-29 | Weblog
マンで若者たちに対して、「君たちの潜在力をまず活かせ」と発破をかけたジャネット・クドゥさんは、全国職業訓練協会(AGEFOP)の事務局長として活躍している女性である。だから、今回私たちの北部・西部の職業訓練学校の視察旅行にも、ずっと一緒に同行参加していた。このジャネットさん、実はもう一つの顔を持っている。というより、そのもう一つの顔のほうが、人々に広く知られている。バグボ大統領の実の妹なのである。 . . . 本文を読む

統合と麻痺

2009-05-28 | Weblog
分裂していた国を再び統一する、という話は、普通は一方が他方を制圧するか飲み込むかである。かつてのベトナムがそうだったし、東西ドイツの統一もそうだった。ところが、コートジボワールについては、南北分裂の時期を通じて、どちらかがどちらかを圧倒するまでの優劣がついたわけではない。そこで武力ではなくて、話し合いで解決しようとしている。 そして、ワガドゥグ合意(2007年3月)が成立した。合意では、大統領選 . . . 本文を読む

職業訓練学校の視察(6)

2009-05-27 | Weblog
マンでも職業訓練学校を訪れた。他の学校と同じように、ほとんど全ての工作機械が動いていなかった。ここの問題は、機材の老朽化というよりは、紛争にあった。紛争が起こったとき、西の端にあったマンでは、政府軍が退却し、新たに入ってきた反乱軍によって町が占拠されたとき、略奪に遭ったのである。その際に、使えそうなものは全部持っていかれた。特に電動モーターは、反乱軍によってすべて取り外されて、奪われてしまった。 . . . 本文を読む

職業訓練学校の視察(5)

2009-05-26 | Weblog
マン(Man)というのは、コートジボワールの西部にある町、あと数十キロも西に走れば、リベリア国境に到達する。おおよそ平坦な土地が広がるコートジボワールで、この地域だけは険阻な山々が続く。森も豊かに残り、滝なども各地にあって、風光明媚な景色が広がり、国内有数の観光地である。 というか、観光地であった。紛争で南北分断になったとき、マンは北部の支配地域となった。それ以来、観光は消滅した。南北和解で人々の . . . 本文を読む

職業訓練学校の視察(4)

2009-05-25 | Weblog
視察団を率いているのは、ドッソ職業訓練相である。これは職業訓練学校にとってどういう意味があるかというと、いうまでもなく、またとない陳情の機会ということである。何と言っても大臣である。職業訓練に関する、中央政府の最高責任者である。これまでずっと放置されてきた、職業訓練の現場の問題を、大臣に直接訴えて、何とか改善を図りたい。そういう意気込みが、それぞれの職業訓練学校から伝わってくる。 当然ながら、事前 . . . 本文を読む

職業訓練学校の視察(3)

2009-05-23 | Weblog
視察では、職業訓練学校を修復するとすればどのような計画で進めるべきか、国連工業開発機関(UNIDO)からの助言を得ることとなっている。UNIDOは、開発途上国の工業発展を促すことを目的とした国際機関である。だから、世界各地の途上国で、産業開発にかかわる沢山のプロジェクトを実施してきている。今回の視察団にも、本部のウィーンから、専門家を数人送ってきてくれた。 その専門家の一人、シャキーブ部長は、私に . . . 本文を読む

職業訓練学校の視察(2)

2009-05-22 | Weblog
紛争の間分断されていたコートジボワールの北部で、職業訓練学校が荒廃している。日本に、その復興を手伝ってほしい。そう聞いたときに、私が思い浮かべたのは、荒れ果てた学校、生徒も教師も散り散りになっていなくなり、後には雑草の生い茂り、壁の崩れた校舎だけがのこる敷地を、呆然と眺める自分の姿であった。学校の校舎を修復・新築し、生徒と教師を改めて募って、職業訓練学校の活動を一から再開していく。そういう協力案件 . . . 本文を読む

職業訓練学校の視察(1)

2009-05-21 | Weblog
私たちを出迎えてくれたのは、布で頭から足の先まで身をつつんだ道化であった。頭の上に作物と、手には弓矢や人形を持った従者たちを従えている。太鼓の激しいリズムに合わせて、地面の上ででんぐり返りをする。傍らの人が、これはカバチャ(kavacha)といって、偉い人が来たときに出迎える儀式だ、と教えてくれる。 偉い人とは、他ならぬ私たちのことである。ここは、フェルケセドゥグ(Ferkesséd . . . 本文を読む