コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

夢を動かす(3)

2009-10-31 | Weblog
さあ、いよいよ集めてきた絵の具で、絵を描くこととしよう。 まず、村の長たちから提供を受けた土地のうち、ギトリーの近くにあるバボコン(Babokon)村の周辺の、手近な湿地12ヘクタールを使うことにする。次に、日本の資金で、トラクターなどの農耕機械を購入し、稲作用地を整地する。日本の稲田と同じように、畦が付いて、水を管理できる水田を開発する。 婦人と若者たちの組合員100人ほどで、稲田を耕作し管理 . . . 本文を読む

夢を動かす(2)

2009-10-30 | Weblog
さて、日本が協力する大前提として、まずこの「デオ・グラシアス」に、ほんとうに日本の資金を管理して、農業の事業を実施していく能力があるかを確かめる必要がある。ずさんな資金の使い方になったり、購入した資材などが盗まれたりするような、弱い管理体制では困るのである。大使館の館員が何度も現地を訪れて、こういう点は十分調査をした。手間暇かかるけれど、この手順は欠かせない。そして、この協同組合が、きちんとした運 . . . 本文を読む

夢を動かす(1)

2009-10-29 | Weblog
自分たちの農業の近代化をはかり、生産性を向上したい。農作物を商品化して、市場に出せるようにしたい。そして農産品販売により現金収入を得て、村の生活改善を果たしたい。それがアワさんが設立し、その組合長を務める協同組合「デオ・グラシアス」の、大きな夢である。「デオ・グラシアス」は、ギトリ(Guitry)というアビジャンから200キロ離れた町を中心に、66の村落をとりまとめた。現在すでに、2018人の婦人 . . . 本文を読む

内戦を生き延びる

2009-10-28 | Weblog
ゴマの町に、そして難民キャンプに、平和は来なかった。それどころか、ルワンダで百万人以上を殺害したツチ族とフツ族の民族対立は、そのまま国境を越えて、隣のザイールに波及してきた。 ルワンダ虐殺(1994年4月-7月)からほぼ2年たった1996年4月、ザイールの東部、つまり難民キャンプのあったゴマを含む地域から、ロラン・カビラが率いる反乱軍が武装蜂起した。この反乱軍は、翌年までにザイールを東から西に攻 . . . 本文を読む

平和は必ず来る

2009-10-27 | Weblog
アフリカの奥地に住む人たちというと、これはもう随分私たちとは違った人たちなのだろう、と考えていた。現代生活からはいろいろな意味で取り残されて、文化程度も考え方もおおよそ異なっていることだろう。民族が違うというだけで、恐ろしい虐殺を平気で行ってしまう人々である。アフリカの深い森林の中では、きっと生死の価値も私たちとはかなり違うのだ。私はルワンダ難民の支援に出向く前に、蔑視というのではないにしても、そ . . . 本文を読む

心に旗を立てる

2009-10-26 | Weblog
一口に難民キャンプといっても、どういうものか簡単には想像がつかないだろう。1994年4月から8月までの間に、殺戮を逃れてルワンダから流出した難民の数は、ゴマ周辺の国境地帯だけで、約90万人に上った。ゴマの近くには、ニイラゴンゴ山という、後に噴火して溶岩を流す活火山が、美しいコニーデ型の威容を誇っていた。難民たちは、その火山の山麓に、3ヶ所に分れてテント生活を送っていた。 まさに見渡す限りのテント . . . 本文を読む

直線・直角

2009-10-24 | Weblog
ザイールのゴマに駐屯して、ルワンダ難民の救援に当たったわが自衛隊。その規律ある行動は、ゴマの人々に感銘を与え、やがて手本になり、人々の生活態度に大きな影響を与えた。時は1994年9月、中部アフリカの奥地に、指揮官として「ルワンダ難民救援隊」を率いたのが、神本光伸1佐(当時)であった。ゴマの自衛隊が規律正しい姿を示したのは、神本隊長の統率力の賜物である。 私は政府調整員として、神本隊長以下300人 . . . 本文を読む

仕事の文化を伝える

2009-10-23 | Weblog
ベナンのコトヌで、日本の無償資金協力により建設中のラギューン母子病院が、完成間近である。施工した「戸田建設」の本社(国際支店)から、建築工事部長の古賀孝三さんが、建物の出来映えを確認するために出張してきた。古賀さんは、コトヌで母子病院を視察した後、アビジャンに足を伸ばして、私のところに挨拶に来られた。 私が昨年12月に行った時には、まだ基礎工事の段階であった。今、母子病院は、コトヌの街の湖畔に、 . . . 本文を読む

立候補が締切られた

2009-10-22 | Weblog
大統領選挙の予定期日を11月29日に控えて、選挙人名簿の準備が進まない。8月初めに発表された「工程表」に従えば、10月22日には「確定版選挙人名簿」が出来ていなければならないのに、その前の段階の「暫定版選挙人名簿」さえまだ公示されていない。となると、これはもう、選挙までにはとても間に合わないと、殆どの人があきらめている。 ところが、「工程表」にはもう一つの日程の流れがあって、それは立候補側の日程 . . . 本文を読む