コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

衝突が始まった

2010-12-17 | Weblog
銃声が聞こえ始めたのは、午前11時20分頃だった。ついに来た。さきほど11時前くらいから、私の公邸の前の道路から、いっさいの車と人の通行が無くなっていたので、なにか始まりそうな気配はしていたのだ。

この道路は、今日にかぎって、とても重要な道路となっている。ゴルフホテルから国営放送局まで、ソロ首相たちが「行進」をするとなると、この道路を通らざるを得ない。しかも、私の公邸は高台にあって、庭からこの道路の様子が、手に取るように分る。私は、時折道路の様子を覗いては、ソロ首相たちの「行進」がやってくるのだろうか、と気をもんでいたのである。

しかし、「行進」の人影はまったく見えないままに、銃声が始まった。はるか向こうの、ゴルフホテルの方角から、聞こえてくる。タ、タ、タ、タという、カラシニコフ銃特有の、リズムのある銃声に混じって、時折ドーンという迫撃砲のような音が響く。誰が誰に向かって撃っているのだろう。音だけで、何も分らない。ゴルフホテルは、ここから3キロくらいは離れている。前に見える道路は、相変わらず空虚なままである。

ソロ首相の「行進」が、昨日あたりから、ただ事では済まないことが明らかになってきた。私は必要な措置をとった。まず、翌日つまり今日(12月16日)は大使館を閉ざし、必要最小限の大使館員を除いて、自宅待機にした。事態が悪化して電話回線などが切れる事態を予想し、無線連絡装備を、各人に渡してある。自宅待機でも、連絡や情報が漏れないようにするためである。

その無線連絡は、すでに数時間前から頻繁に交信を始めている。自宅待機といっても、大使館員で手分けをし、海外放送を見て情報を入手する係、東京の本省と連絡する係、在留の日本人の方々と連絡する係、取材などの問い合わせに応える係と、分担を決めている。それから、各人が自宅の周辺で見聞きする様子を、お互いに連絡して、少しでも正確な情報を集める。

大使館として最も重要な仕事は、コートジボワールに住む在留邦人の皆さんたちの安全確保である。今日のような日に備えて、密接な連絡網を構築してきた。これは、ただ連絡表を作るだけでは駄目だ。領事担当から、日ごろから何度も連絡を繰り返し、必要な場合は自宅訪問まで行って、万全の備えを築いてある。

私の公邸は、ゴルフホテルに比較的近いので、銃声などが大きく聞こえる。銃声が聞こえるというだけでは、どこまで重大な事態なのかがよく判断できない。はじめのうちは、ヨプゴン地区から市内の中心街までの交通など、まったく平常通りだ、という情報である。ところが、そのうちに、市内各地で、人々と軍隊とが衝突して、何人も死者が出ている、という情報が来るようになった。ウワタラ大統領とソロ首相を支持する人々が、「行進」に参加しようと歩き始めたところを、撃たれているらしい。これはもはや、ゴルフホテル周辺だけの話ではない。

私は、すぐに指示を出した。
「12月16日正午、日本大使館に、緊急対策本部を立ち上げる。」
対策本部長は、私である。そして改めて、在留邦人全員の安否を確認するようにした。
「全員の安全を確認しました。」
と、しばらくしてから連絡が来た。これからは、情報や経過を、小まめに東京の本省に伝える。

携帯電話はまだ妨害されていない。しかし、ケーブルテレビは切られてしまった。だから、フランス24、CNN、BBCからの情報は遮断された。それで、フランスの日本大使館と連絡し、パリで手に入る情報を逐一送ってもらうようにした。騒乱などの大事件の時には、現場よりも遠隔地の方が、報道を通じて、何が起こっているのかをより良く把握できることが多い。海外メディアの情報は、とても重要だ。

銃声や砲撃の音は、1時間ほど激しく続いた。静かになったかなと思ったら、また激しく再開する。それも、比較的近かったり、ずいぶん遠方だったりする。午後1時くらいになって、銃声は散発的になった。そして、やがてぱったりと止んだ。戦闘の決着がついたのか、双方が引き下がったのか。でも、公邸で閉じこもっている限りでは、何がどうなったのか一切分らない。ソロ首相と一緒に「行進」に参加しているはずの、私の知り合いの政治家たちは、いったい今頃どうなっているのだろうか。携帯電話をかけても繋がらない。心配である。

まだ分らないことだらけであるけれど、ひとつ明らかなのは、ソロ首相の「行進」は、私の公邸の前に現れなかった、ということだ。ソロ首相は、ゴルフホテルからの道路を、ここまで辿り付けなかった。そして、国営テレビは、1時のニュースを始めた。相変わらずバグボ政権の話ばかりしている。人々の「行進」が、国営放送局に乗り込むという目的を達成していないことも、また明らかだ。1時のニュースの最後に、国営放送局の局長が、建物の庭で皆と握手しているような映像が続けて流された。ソロ首相の「行進」はうまくいかなかったのだ、ということを、殊更に宣伝しているようである。

いったいぜんたい、国営放送局まで歩いて行って、建物を乗っ取るなどという計画が、うまくいくとは始めから思えなかった。その「行進」を、ソロ首相がなぜ強行したのか。その目的や意図は分らない。アビジャンの各地で、「行進」に参加しようとした人々のなかから、十数人といった規模で、死者が出たということは確からしい。また、コートジボワールの北部と南部の境界地域あたりで、北部の「新勢力」軍と、南部のバグボ政権の軍とが、交戦をしたらしい、という情報も伝えられている。アビジャンでの「行進」だけでなく、何か大がかりなものが、コートジボワールの国全体で動いているのだろうか。とにかく情報を集めて、何が起こっているのかを、できるだけ正確に把握しよう。そして、危険の度合いを正しく判断して、どういう対策をとるべきかを、決めていかなければならない。

まことに騒がしく不安な一日であった。日が落ちて夕闇が訪れつつある。もう銃声も騒ぎ声も聞こえない。前の道路には、いまだに一台の車も走らない。誰もが声を潜めている。普段よりはるかに静かな、一日の終わりを迎えている。

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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2010-12-17 14:28:49
がんばってください。
心配 (ヒロコ)
2010-12-17 14:55:30
夫が16日,エールフランスでパリからアビジャンに入る予定でした。携帯電話がつながらず,予定通り移動しているのかどうか,わかりません。
安否を心配しています。
Unknown (リン)
2010-12-17 15:36:20
以前から、ブログは拝見していましたが、
コメントは初めてです。
ここ最近は緊迫した情勢のためブログは毎日見ていました。
日本のメディアでは、今貴国でなにが起こっているのか詳しくは分かりません。
西アフリカの情勢は私にとって身近なだけに気になります。
今は、大変な状況の中にいらっしゃると思いますが、
これからも、
最新情報や、大使(日本?)の考えや立場
そしてコートジボアールで実際に起こっていることが
リアルタイムで分かる情報を待っています!
いつも、ありがとうございます。
一刻も早くコートジボアールで生活している人々にとって
安息・安眠できる日がきますように
心から祈っています。
「ヒロコ」さんへ (筆者)
2010-12-17 15:52:19
大使館から調べますので、ご主人のお名前、宿泊予定ホテル、到着フライト便、など分かれば、下のメールアドレスにお伝えください。
お名前だけでもいただければ、当地の主要ホテルに連絡して、ご到着されているかを確認いたします。

zoge1@mail.goo.ne.jp
岡村善文 様 (ヒロコ)
2010-12-17 16:55:49
ありがとうございます。
今,夫の携帯電話につながり無事アビジャンに到着したとのことです。
荷物を受け取っているところで,大丈夫と言っております。
無事,仕事を終えて帰国してほしいと思います。帰国予定は23日です。
ご心配をおかけして,本当に申し訳ございません。
ご心配いただき,ありがとうございます。
無事をお祈りいたします (ちりちり)
2010-12-17 21:46:25
初めて拝見させていただきました。
2000年の最初のクーデターの時、Bouakeにいた物です。
大事に至らなければと思います。
北部地域にいる方の安全確保が難しいとも考えます。
また、新しい情報御座いましたらWEB上でのご報告お願いいたします。
心配です (ふじわら)
2010-12-18 00:05:56
コートジボアール日本大使館職員(ですよね)
カディオさんの友人です

13年前コートジボアールに一ヶ月滞在し
この国の人と踊ったり笑ったりした日々が
懐かしく思います

そしてまた平和で穏やかな国に戻る事を
心から祈ります

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