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なんともあっさりと延期してしまったものだ。11月29日に実施が決まっている大統領選挙にむけて、今日(8月29日)、「暫定選挙人名簿」が公表されるはずであった。ところが、8月25日に大統領令が発布され、この公表期限を10月末まで延期するということになった。
先月(7月)23日に「工程表」が明らかにされた頃からすでに、有権者登録作業で集められたデータを集計・処理する作業が、どうも順調にいっていないら . . . 本文を読む
貧困といっても、必ずしも悲惨とはいえないのではないか。そう問いかける私に、アントニオ神父は答える。
「それはもちろん、たとえ質素な生活であっても、家族で助け合って、日々順調に過ごしていければ、明るくて楽しい生活ですよ。しかし、いったん問題が起これば、たちまち悲惨が始まります。」
現代社会では、解決にどうしても現金が必要という問題がある。病気や事故はその一つだ。現金がなければ、解決を諦めるしかない . . . 本文を読む
ヨプゴン(Yopougon)という地区がある。アビジャンの一部であり、庶民が密集して住む町が広がっている。大使館の事務所があるプラトー地区や、公邸があるココディ地区は、市街や高級住宅の連なる街である。これに対して、マッチ箱のような家々や出店が重なるように並ぶヨプゴンこそ、「真のアビジャン」と呼ばれている。そのヨプゴン地区にあるカトリック教会である「聖ロラン教会」に、アントニオ神父を訪ねた。神父とは . . . 本文を読む
ジュネーブから友人がやってきた。アビジャン空港に迎えに行った私に、彼女が言う。
「あら、ずいぶん涼しいわね。」
ジュネーブは今猛暑で、ここ1週間ほど、日中の気温が35度に上がるという。8月といえば、東京だって焦げ付くような暑さで、今頃は蝉がうるさく鳴いているだろう。ところが、この赤道直下の熱帯にあるコートジボワールで、毎日秋のような涼しさである。気温は20度から25度が続く。
実際のところ、6月 . . . 本文を読む
はっきりした年代は分らないのであるが、およそ11世紀から13世紀にかけての、いずれかの時代である。今のガーナとブルキナファソの国境をまたぐ地域に、ガンバガ(Gambaga)という王国があった。ガンバガ王国は、もともと猟を生業とする民族ながら、時には戦士となって周りの部族から略奪などを行っていた。
さて、このガンバガ王国のネデガ王(Nédèga)には、一人娘がいた。名前 . . . 本文を読む
バグダッドで殉職したジャンセリムの葬儀は、パリのノートルダム寺院の近くにある、古い教会で行われた。私は、当時パリの大使館に勤務していたから、参列することが出来た。ジャンセリムの妻ラウラが、喪服を着て静かに立っていた。私たちが皆コソボで働いていた時、ラウラも国連職員として、オビリッチという町の「市長」を務めていた。ラウラも、私のコソボの戦友であった。
国連の旗に覆われたジャンセリムの棺が、静かに入 . . . 本文を読む
「無関心との僕の戦争」という本がある。私の書棚の、大切な一冊である。著者のジャンセリム・カナンは、この本を出した時(2002年)に、まだ30歳すぎ。それでも、他の誰より、現場で経験と業績を積み重ねてきた。常に問題解決の最前線に出ようとした国連職員であった。そして目の前の問題を処理する知恵と力には、並はずれたものがあった。私たちは彼のことを、コソボで「ブルドーザー」と呼んでいた。
私が彼のことを書 . . . 本文を読む
日本で皆既日食があったと聞いて、思い出した。あれも皆既日食のあった日だった。「日食、フランス」と検索すると、すぐ出てきた。1999年8月11日。なんとちょうど10年前である。この日、私はパリにいた。街の角々で、観察用のサングラスを売っているのを見て、午後にフランス本土で皆既日食があることを知った。私には、残念ながらこの世紀の天体ショーを楽しむ暇はなかった。この日私は、パリを発って新たな任地に赴任し . . . 本文を読む