こちらをクリックしてください⇒ . . . 本文を読む
「十年一昔」というとおり、10年という歳月は一区切りなのだろうか。2009年の年末は、10年という歳月の「重さ」を考えてみるのに、いい機会ではないか。10年前は、1999年の12月。いよいよ2000年代を迎えると言う、千年紀の変わり目だった。何かしら新しい時代が開けるような高揚感が、街々に満ちていたから、誰しも何かしら思い出があるであろう。1999年の年の瀬を、どこでどのように迎えたか。
私は、 . . . 本文を読む
大使会議を終えて、東京からパリ経由でアビジャンに戻ることになる。さて私は、乗り継ぎのパリのシャルル・ドゴール空港にて、飛行機に向かう前に、まずネクタイを締める。アビジャン行きに搭乗したら、もう機内から、大使の格好と心構えに戻らなければならない。案の定、ゲートまで来ると、やぁと声をかけられる。見ると、マンベ選挙管理委員長である。
「休暇から戻られるところですか。」
と彼が訊くから、私は答える。いや . . . 本文を読む
東京の外務本省で、アフリカ大使会議(12月16-17日)が開かれた。アフリカに駐在する日本の大使が、一堂に会して、アフリカの各国に共通の問題について、情報や意見を交換する。また、本省から、政府の政策の方針や、さまざまな連絡事項の伝達がある。この大使会議は、日本を離れて仕事をしている大使にとって、本省側の担当者や、仕事で関係する諸方面の方々と直接面談して、いろいろな打ち合わせをする、とても貴重な機会 . . . 本文を読む
南大西洋でも、たくさん魚が獲れる。漁港に行くと、水揚げされた新鮮な魚が手に入る。ところがアフリカでは、こうした魚を食べることは、少し内陸部に入るだけで、もう難しくなる。電気がないか、あっても供給が安定していないから、冷蔵ということが難しい。また、流通に時間がかかる。新鮮な魚を、内陸部に届けることは、極めて困難だ。その一方で魚は、とても重要な蛋白源として、大きな需要がある。そこで、海で獲れた魚を、燻 . . . 本文を読む
村に行くと、感謝のしるしとして、羊をおみやげに頂戴する。食べてくださいということなのだけれど、とても公邸で殺生はできない。だから、たいがいは訪問先の学校とか、孤児院とか、あるいは警備で世話になった警察部隊とかに、置いてくる。ところが、そいつは置いてくる機会を見つけられず、わが家までやってきた。
仕方なく、いざという時のための備蓄食糧だと思って、しばらく置いておくことにした。そうしたら、羊というの . . . 本文を読む
クリスマスは、どの子供にも訪れる。どんな気の毒な境遇の子供たちにも、サンタクロースは、ちゃんと来なくてはならない。それで、地元のロータリー・クラブが、孤児院でクリスマスプレゼントを配る。日本大使に行事の「名付け親」になってほしい、と頼まれた。いいですよ、私で務まるならば、と引き受けた。その孤児院は、エイズに関係した子供たちの孤児院である。両親がエイズで亡くなった子供、そしてかなりの場合、子供たち自 . . . 本文を読む
さて、大統領選挙の投票日だったはずの11月29日は、とうに過ぎてしまった。騒ぎが起こるわけでもなく、新聞などで激しい批判がでるわけでもなく、天下泰平のままである。とはいっても、大統領選挙をこのまま箪笥にしまって、忘れ去るというわけにはいかない。延期は仕方がないとして、いつに延ばすのか。
それには再び、関係する責任者たち、つまり、バグボ大統領、ソロ首相、ウワタラ元首相、ベディエ元大統領の4人が、 . . . 本文を読む