農園で収穫され、実から取り出され、発酵の上乾燥されたカカオ豆は、村々を訪ね歩く仲買人に売られる。仲買人は、買付けたカカオ豆を、トラックに載せて、大手食品加工企業に売る。この大手企業は、大概の場合、コートジボワールの南西部にあるサンペドロ港から、カカオ豆を積み出すのである。
カカオ豆がその後加工されて、チョコレートなどになるのは、欧米の大手食品加工企業の手に渡ってからであり、その加工処理は、ほとんどが欧米で行われる。コートジボワールはカカオの大産地なのに、人々はカカオ豆がチョコレートになる過程を知らない。そもそも、カカオ農園に働く人々は、チョコレートというものを、食べたことがない。村の雑貨屋にも、チョコレートはない。暑さで溶けるからだ。アビジャンの大型スーパーに行けば、冷房の効いた売り場にチョコレートが並んでいる。でも、これらのチョコレートは、欧州から輸入されたものが殆どである。豆で海を渡り、チョコレートで里帰りしている。
コートジボワールでカカオ豆を扱う多国籍企業は、次の会社である。
バリ・カルボー社(Barry Callebaut、スイスの総合食品会社)
カーギル社(Cargill、米国の穀物大手)
ADM社(Archer Daniels Midland、米国の穀物大手)
こうした、ほんの一握りの数の企業だけが、カカオ豆の流通を独占して、その加工を手がけている。日本の製菓会社も、これらの企業を通してカカオ豆を買い、あるいはチョコレートの原料となるカカオマス、カカオバターなどを仕入れている。世界中の人々が、とくに世界中の淑女たちが、日々食べているチョコレートの量の合計たるや、膨大な量であろう。ここに挙げた多国籍企業が、そうした世界中のチョコレートの需要を引き受けているわけだ。カカオはビッグビジネスなのだ。
そんなの、多国籍企業に持っていかれる前に、カカオ豆をコートジボワール国内で加工して、付加価値を付けてから、輸出したらいいじゃないですか、と私は言う。せっかく世界中のチョコレート好きを相手に、大きな商売ができるのに、みすみす目の前の商機を逃して損をしていませんか。そう言うと、多くのコートジボワール人がこう応えるのである。
「カカオ豆の処理方法は、高度の企業秘密なのだ。我々には、決して知りえない。」
あるいは、こうも言う。
「カカオは巨額の資金が動くマフィアの世界なので、下手に手を出せば酷い目に遭う。」
本当かいな、と私は思う。コートジボワールの人は、ときどき根拠のない理由で、何かをすることを怖がる。例えば、バンコの森には、1999年のクーデターで脱獄した殺人犯たちが徘徊しているから、行ってはいけないとか。この神話など、殆どのアビジャン市民が信じている。実際には、バンコの森に10年間も住み続けている殺人犯などはいない。コートジボワール人にはチョコレートは作れない、というのも、神話の一つに違いない。私には、チョコレートなど、自分で作れそうに思える。豆からチョコレートの香りを出すところまでは、自分で出来たのだ。
ということで、自分でチョコレートを作ることにした。といって、私一人ではなくて、公邸の料理人君に手伝ってもらう。まず、焙煎の済んだ豆を、すり鉢に入れて砕く。粉々になるにつれて、粉どうしがくっついて、セメントが固まったようになる。どうも脂分(カカオバター)が強くて、要領が悪いようである。すり鉢の内側に固まった粉を、フォークでがりがりと剥がし、また擂粉木で擂る。また固まる。再びがりがり剥がし、擂粉木で擂る。腕が疲れる。公邸に遊びに来た館員にも、手伝ってもらう。テレビを見ながら、意地になって擂り潰している。
こうして時間をかけて粉々にしたものが、カカオマスと呼ばれる原材料である。このカカオマスに、白い粉砂糖と、黄色いカカオバターを加える。味付けに粉ミルクも入れる。カカオバターは、カカオマスに強力な圧力をかければ、滲み出てくる脂分である。搾り取るのは、人力では無理で、機械がないと出来ない。それで、今回は市販のカカオバターを使う。混合した材料を、湯煎にかけたすり鉢で混ぜる。50度くらいの温度で、カカオバターが溶けて、団子になる。腕が疲れる。さらに練り続けると、餅状になっていく。丁寧に練る。腕が疲れる。
できた餅を、裏ごしすると、より滑らかなどろどろの液体になる。それをさらに、擂粉木で練る。腕が疲れる。どれくらい練ればいいのか、と調べたら、製菓工場などでは1週間から10日、休みなしに練るのだという。とても、それと同じことは出来ない。1時間くらいで練るのをやめた。もう腕が疲れてがくがくである。出来上がった液体を別の容器に移して、温度を微妙に加減しながら、安定させる。そして、最後にもう一度50度くらいまで温度を上げて、型に流し込んだ。
冷蔵庫で10分も冷やすと、板チョコが出来上がった。割って口にすると、味も香りも、紛れもないチョコレートだ。舌触りは、少しざらつく。これは、1時間で練るのを止めたのだから、仕方がない。1週間練り続ける根性があれば、市販のチョコレート並みに、滑らかになるのだろう。でも、とにかくチョコレートが自分で出来た。どこが高度の企業秘密だ。やれば出来るではないか。
自家製チョコレートとは嬉しいものだ。日本大使公邸特製のチョコレートとして、もっとたくさん作って、お客さんにも出すようにしよう、と言った。
えっ、とわが公邸料理人君は、少しひるんでいる。
「また、この作業を繰り返すんですか。」
たしかに、あまりにも腕が疲れて、家庭で簡単に出来る作業ではない。でも、コートジボワールでは出来ない作業、というわけでもない。むしろ、このコートジボワールの魂とも言うべき農産品を、ぜひともコートジボワール人自身の手で、最終製品のチョコレートに加工してほしいものである。私は、それが国の自立精神に繋がるような気がした。マハトマ・ガンジーが、植民地時代のインドで、自ら海に出て塩を作り、英国の塩の専売に対抗したように。
焙煎した豆を磨り潰して出来たカカオマス
チョコレートの香りがする。
こちらはカカオバター
カカオマスを強力な圧力で絞ったら得られる。
今回は市販のものを使う。
カカオマス、カカオバター、粉砂糖、粉ミルクを混合する。
湯煎に掛け、50度に温めながら、ゆっくり練る。
やがて餅状になる。
裏ごしして、液状にする。
それを更に練る。
製菓工場では、機械によって1週間以上練り続けるらしい。
そんな暇はないので、1時間くらいで断念。
それでも、すでに滑らかになっている。
練った液体を、一旦冷まして安定させ、更に温め直して型に入れる。
型に均一に広げる。
冷蔵庫に入れると10分くらいで固まる。
型から外して、できあがり。
すこし舌触りがざらつくけれど、立派なチョコレートである。
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一次産品価格の問題を論じるにしても、このような原点からの体験があると、説得力が違うでしょうね。
大使自らチョコレートを作ったのだから、コートジボワール人にも自国でやってみろと言卯にしても、やはり迫力と説得力があります。
また、ニュースの断片的な情報しか得られなかったのですが、2000年以降の紛争の背景など詳細に解説くださり、こちらも活動の助けになります。
ありがとうございます。