9月5日(昨日)最高裁第1小法廷で、東京都小学校・中学校教員10名が04、05年に受けた「君が代」不起立処分の不当性を訴えていた裁判と、中学校元教員が07年、08年、09年に受けた処分(累積加重処分)の不当性を訴えていた裁判の判決がありました。
この国では、教員には人権は保障されないのしょうか。教員に人権が保障されず、教員に対する人権侵害が放置されるなら、学校では必ずや児童や生徒に対する人権侵害が起こり得ます。人権とは、一人ひとりに保障される精神的生命のようなものです。それがいやしくも法の番人である最高裁によって疎んじられるならば、この国に生きるすべての人の人権は軽んじられます。
私はさらに声をあげていこうと思います。それが、38年間の教員生活のなかで「人権」を語って来た責任だと思います。
差別とは、するしないの問題ではなく、そこに差別があるならそれを何とか変えていこうとする姿勢の問題なのですから。
レイバーネットから転載します。(T)
予想されていたとはいえ、9月5日の二つの「君が代」処分事件(東京小中「君が代」裁判・近藤順一裁判)最高裁判決は、むなしいものだった。わずか10秒「上告を棄却する」を告げるだけの門前払い判決。「もっと説明をしてくれ」の声を無視して立ち去る最高裁裁判官の後ろ姿が、この国のいまを示していた。
「司法は行政のいいなりか」「都教委の暴走を止めるどころか後押しだ」、最高裁前の報告集会では怒りの声が続いた。石原都政下、東京の教育現場で「日の丸・君が代」強制が2004年から始まってすでに10年が経つ。今回の小中「君が代」裁判もその長さだけ続いてきた。2006年9月21日に東京地裁・難波裁判長が明確に「君が代強制は違憲・違法」と断じた以降は、反動的判決ばかりだった。
原告代表の秋山良一さん(写真上)は「この10年で、日の丸・君が代が踏み絵になって物言う教員がパージされた。間違っていることを間違っていると言えない教育現場はすさみ、自由がなくなった。その犠牲は子どもたちだ。都教委の強権を止めてほしいと思い提訴したがひどい判決。司法は死んでしまったのか」と憤る。
判決内容は、昨年1月16日の最高裁判決を維持したもので、「(1)起立を求める職務命令は合憲(2)戒告より重い処分は慎重に(3)秩序を乱す場合は重い処分も可」というものだった。つまり戒告処分の7名はそのまま、減給処分の2名は(2)を適用し減給を取り消し。しかし根津公子さんについてだけ(3)を適用して減給・停職処分を維持した。吉峯弁護士(写真上)は、「判決全体は評価できないが、戒告処分以上は問題だという基準はかろうじて立ちつつあり、それはゼロではなく第一歩」と話した。
また原告の田中真弓さん(写真上)は「暗い気持ちだ。裁判官は現場で何が起きているか見ていない。君が代強制は、ものを考えないでただ従う人間を増やしていくことになる」と語った。根津公子さんの重処分認定については「ずっと長く教育的見地からやっているのが根津さん。本当にたたかっている人は累積『不起立』してしまうのは当然。それを見せしめにするのは許せない」と述べた。
根津公子さん(左から2番目)は記者会見で、「今回も私の停職処分が維持され妥当とされたが、とても不当だと思っている。これは私だけの問題でなく、これから不起立を続けようとする人たちに影響することだ。実際、都教委によって不起立前後の態度が問題とされ、再発防止研修が繰り返されているケースが起きている。最高裁判決のこの問題点をきちんと批判するべきだ」と語った。
記者会見は、裁判所の中にある司法クラブで行われたが、マスコミの無関心ぶりには驚いた。会見(小中10人裁判)には、マスコミで最後まで出席したのは幹事社を含め2社で、あとは『週刊金曜日』などのフリージャーナリストだった。ガラガラの記者席で約30分の会見。その上、フリーの記者が質問したいと手を挙げたが、「時間だから」と一つも質問を受けずに幹事社は会見を打ち切った。「質問ひとつくらい・・」だれともなくつぶやく。都教委の暴走を許しているのは、けして司法ばかりではなかった。(M)