kisetsunokazeni

ときには空を見上げて深呼吸。無駄と思える時間も必要な時がある。

「死」を学ぶ

2015-05-26 20:07:45 | 日記
ニュースを見ていると

海外でも日本でも

命を軽く扱ってしまっている事件が

多い

人の命を奪うことが

どういうことなのか

本当にわかっていないために

起こしてしまった事件も

かなりあるように思う


わたしが子どもだったころは

近所づきあいが当たり前で

高齢者や病気で状態が悪い方などが

身近にいた

だから

核家族でも

年をとったらどうなるかとか

病気が悪化するとどうなるとか

その結果命のことになることとか

自然に学べたように思う

ひとは

自分の体や命を守ることは

本能としてできるけど

人の命を守るとか

命の大切さなどは

どこかで学ばなければ

わからないのではないかとおもう


小学校1年生の時

同級生が

川の事故で亡くなった

ご自宅でのお葬式に参列したのだけれど

その時はまだ

「死」がどういうことなのかわからず

お友達が弔辞で

「お空のお星様になって見守ってください」と言ったのを

なぜ突然お星様になってしまったのかわからず

みんなが泣いている中

回り灯篭が

とても美しかったことしか

心に残らなかった

でも

それから数年後に

祖父がなくなった時は

「死」がどういうものか

なぜ亡くなったのか

そして

死はこんなにも悲しいことを

理解できていた


最近は

ご近所づきあいもあまりなく

子供たちが

「死」に向き合う機会があまりにも少ない

ゲームでは

うまくいかなかったらリセット

すぐ生き返る

学校も

障がいのある方はあまり見かけないようになり

自分と違う人がいることも

わかりにくいようになっている

こんな社会で

子供たちは

いつどうやって命の大切さを学ぶのだろう

テレビで見たからって

理解できるのだろうか


先日

老人ホームと保育所が合体した施設を

テレビ番組でみた

思いのほか

子供たちがなじんでいて

ほほえましかった

子供たちは

そういう環境では

自分の役割も学ぶようだ

高齢者にとっても

張り合いのある時間が持てて好評で

いい取り組みだと思われた

よく考えると

あたりまえのこと

いろんな人とふれあうことで

人はどれほど大きなことを学ぶのか

ちいさなうちから

こういった環境が与えられると

視野がかなり広がるように思う


何かしなきゃならないと思うから

人付き合いが嫌になる

何もしなくたって

一緒にいてもいいんじゃないかな

ただお話しするだけでも

ただ挨拶するだけでも

そして笑顔になれれば

みんなの命を

みんなで守っていくという考え

好きな人・仲のいい人の事なら

自然にできる

思いのほか

簡単なこと

授業じゃなくって

日々の生活の中で

わたしたちは

学んでいく

人を大切に思って

生きていくこと
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