夢地蔵

田舎の映像作家の備忘録

長編映像詩の編集は佳境

2022-01-31 16:42:39 | Weblog
最終仕上げ作業は佳境です。
この作品は50のシーケンス、言い換えれば50の短編/中篇の集合体ですが、頭から順を追って見直して細部を詰めています。
今日は順調に進みましたが25番目の「遠い国の昔の話」で引っ掛かるところがあって無い頭をフル回転。


このシーケンスは、話すと長くなるので省略しますが、After Effects で作成した地図で場所を表示。


京都の舞鶴港で撮影した映像を使います。


水面のカットにサブタイトルを被せてあります。


舞鶴は戦後外地から帰国する人たちが船で帰ってきた幾つかの港の一箇所で、当時の桟橋が再現されています。

海軍陸戦隊で上海へ行っていた私の父はここで祖国の土を踏みました。
15歳で義勇兵として満州へ行った叔父は佐世保に帰りました。

生前、父は上海での事を時折り話していましたが私はまた昔話かと聞き流していました。
でも父の歳を越えた頃、もっと話を聞いてやればよかったと思うようになって、長編映像詩にこの件を組み込もうと思い立ったわけです。
テロップの「代わりに来たよ」は私の本心です。


大陸からは何万人、何十万人の人々が引き揚げてきたんです。


昔、オートバイで佐渡へ行ったときの8ミリフィルムの映像も使いました。


再現桟橋とはいっても父はこうして祖国に帰り着いたと思うと感慨深いものがあります。


きっと父は私の背中で舞鶴の風景を見ていたことでしょう。


このシーケンスのラストカットです。
「いつか父とここに来たかったが」
「実現しなかった」
「父は」
に続いて


引き揚げた父が舞鶴にどの位居てその後どうやって北信濃の家に帰ったか、その過程は今となってはわかりませんが、最後は長野電鉄の電車だったことは確かです。

長野電鉄木島線廃止から20年、その最後の1年、私は仕事の合い間にビデオカメラを回してきました。
わが身に迫り来るリストラと消えていく鉄道を無意識に重ねていましたが、あの鉄道には様々な人たちの様々な出来事と思いが沁みこんでいたのだと、編集しながらつくづく感じます。
コメント
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