春と聞かねば知らでありしを 聞けば急かるる胸の思い ♪
毎年今頃になるとひとりでに口を付いて出る定番の歌です。
一年のうち一番希望に胸がふくらむ季節、
“春は名のみの風の寒さ”にも厳しい時期を乗り切ったよろこびが込められて
素晴らしく晴れあがった日は、軽やかな心がしばらく忘れていた詩集を開かせもしました。
気づかぬうちに少しずつ色褪せてゆく胸のなかで、せかるる思いとは、この弾けるような喜びをさすことにしているのですが。
二月の窓に美しい氷の模様が貼りついた朝でした。
その日ふと数年前に書いたダイアリイの一節をウエブ上に見つけました。
「二月の窓を眺めるのがなぜか好きだ。 この季節春に逆らって吹雪く日がある。
夜の窓に雪片の貼りつくとき、喉もとにも貼りついて撓むまでこみ上げてくる何かがある。
過去も未来もなく、無心で舞い落ちるものを眺め、心の奥底に言葉にならない何かを溜め込む。
朝がくれば、冷気にひび割れそうな厳しい窓が感傷を吹き払ってくれ…
…その間がしみじみ好ましい」
その間がしみじみ好ましい
すべて処分した古い日記の文章は懐かしく、今鮮やかに思い起こされる感覚ですが
それもやはり月日とともにひそやかに薄れてゆくのでしょうか
青年は戸惑い、壮年は闘い、そして、老年は後悔…
そうはなりたくないと心がけてそれなりに生きようとはしたけれど、しみじみ昨今の寒さに取り囲まれれば、
朝夕好きな詩を口ずさむのも、あるいは湧きあがってくる後悔を心弱く紛らしているのかも知れないと。
まったく、
“急かるる胸の思い、いかにせよとのこの頃か”?
歌の文句は目新しく湧いてくる感慨を見透かしたようで、終日思いあぐねてしまいました。