ニッキ-通信 ~盲導犬ニッキ-のお母さんより~

盲導犬ニッキ-と私の日常。要援護者・障害者の防災について紹介します。

嵐の前の静けさ

2012年09月30日 | 日記
嵐の前の静けさ 
嵐の前の静けさとは今の空模様を言うのだろうか。
いつ来るか どんな風に 家の外回りは大丈夫か などと 考えて 家の周りをウロウロ。
ニッキーの昼のトイレも「早くね」。
朝 干した洗濯物はきれいに乾いたが 今台風は 和歌山県の潮岬付近。上陸したくて
ウズウズしているのかな。
でも この辺りはとても静か。太陽がギラギラ。
 関東地方には夜到達するらしい。 
おかあさんは 台風4号のときの強風の怖さが忘れられない。

テレビでは第45回日本女子オープンゴルフが何の問題も無く実施されている。
世界のトップセブンが参加しているとか。

 おや テレビから風の音がビューユウー聞こえてくるぞ。
向かい風で打っているらしい。
場所は横浜カントリー。何だ うちの近くじゃないの。
こちらは 昨日も今日も風は吹かないのにね。
 今 トップの選手は中国人のフォンシャンシャンさん。強風になるほど想い玉が打てるそうだ。  
日本人の北打算は打った玉を見送る目線も見送る姿も美しいとの事。
 ゴルフの中継はめったに見ないが 解説者の守口さんの優しいものの見方が印象不快。

 ジャラリーのざわめきや 誰かの「入れ入れ」と叫ぶ声。耳から入ってくる
選手は韓国人だったり中国人だったり。それでも ギャラリーはフェアーに選手達に
惜しみなく拍手をしたり ため息をついたりしている。解説者側は
そのことをきちんと報じている。
 これが中国や韓国や台湾でゴルフの試合をしていると仮定しよう。 日本人がトップを走っていたとするとどんな風にギャライーは表現するのだろうか。
中国では 日本へ行くと危ないと指導していると聞いた。
そんなことはない。歓迎されるのにね。

 風しか聞こえてこないパットの瞬間の静けさ 。これも嵐の前の静けさと通じるか。

 今 18番ホールで「」アー という深いため息。
そして最終選手が打つと  「ヤッター」という雄たけび。
勝利の女神は フォンシャンシャンさんに微笑んで 優勝の冠を被せたのだった。

 まだ外は静かだ。台風の動きはどうなるか。我々の勝利になるように海へと方向をを変えて欲しい。

新しい東京駅のスレート瓦

2012年09月29日 | 日記
新しい東京駅のスレート瓦

東京駅の新しい易者の屋根のスレート瓦を石巻のおがつという街の瓦業者が請け負っていた。
 昨年の3.11の大震災で工場も瓦もみんな流されてしまった。
  しかし その内の7割の1万5千枚あまりを 関係者やボランティアが瓦礫の中から
見つけ出し  一枚一枚泥を洗って
納入したという。
全てが流されたというのに どうしてこの 多くのスレート瓦が残されたのか とても 不思議。
心がほかっと温かくなる話だ。

 さて 今日は ある視覚障害者の団体が防災のセミナーを開いたので参加してきた。
 今日の太陽はギラギラ。ものすごく暑い中を
ニッキーと出かけた。

 受付のくじで手回しのラジオが当たった。何と珍しい幸運。
 
 さて 今日のセミナーの中心は 視覚障害者の避難所における自分のあり方。
障害を明らかにするかどうか これが難しい点だそうだ。

 大震災から1年3ヶ月が過ぎた頃 日本放送では
視覚障害者が避難所などでいかに大変な思いをして暮らしていたかを世に問うドキュメンタリーを制作。安心して暮らせたかどうかをテーマの良い作品に仕上がっている。名前は名前を忘れたが 名誉ある賞を貰ったそうだ。
しかし 放送されたのは 何と真夜中 。これでは 誰が聞いたと言うのだろう。

 そこで改めて  この放送番組を皆で聴いて そこに提示された問題点を話し合った。
ニッポン放送の耳なじみのある報道番組のキャスターも参加された。ラジオで
論点はこうだ。

もう 腐るほど語られてきたこと。
 個人情報を守って欲しいと願う障害者と
 それを 盾に 個人情報を握って 開示しようとしない行政の姿勢だ。

東日本大震災でも 住民の個人情報を早く開示して 救助の役に立てた自治体と そうでない自治体があった。
視覚障害者の全国団体でも 懸命に視覚障害者の安否を調べようとしたが 団体に加入している人は1割くらいなので 調査は困難を極めたそうだ。
 そこで司会者は 情報を開示したとき 何か不都合が起こるであろうかと投げかけた。
 聞いた話だとして 振り込めさぎにあうかもしれないとか
白状を見て お金を取られたとかの伝聞が話された。
おかあさんは 開示することで かえって差別をうけるといいうことが無いとも限らないと想うが
実際は マイナス要因は少ないと考える。
内閣府は 命にかかわる災害などの場合 個人の承諾無く個人情報を開示しても良いとの見解を出した筈。

 いつまで こんな議論をやっているのだろうかと ちょっと うんざり。

しかし この段階を超えない限り 先に進めないのが現実だ。
 しかも 自分の障害を他人には知られたくない人が意外に多いと聞く。
避難所では杖を使わなくても良い弱視の方が杖を持つ全盲者よりもつらい避難生活になるとのこと。
周りの避難者に知ってもらって 協力を頼まないと避難所生活は出来ない。
 大災害になるほど 周りの人の力を借りなければ生き抜けないのだということを しっかりと自覚することが
成熟した人間の取る道だと想うおかあさん。
災害や防災に関して沢山勉強をして 健常者をリードできるくらいの視覚障害者になりまししょう。
 

 

過去のブログから見たおかあさんの疑問

2012年09月28日 | 日記
過去を辿るツールの一つがブログ
1年前のおかあさんの疑問

 今日 ブログの元締めから面白い物が届いた。
 それは 丁度1年前に おかあさんが書いたブログの内容だ。


そこには 年金の不正受給のことが書かれていたが 吾ながら アレッ と想ったのは 失踪者がの年金は 問題なく残された家族鳴りが受け取っているのであろうか という
疑問。。
 おかあさん達の障害年金は長くて5年に一回は医師の診断書を提出する。
 その他の老齢年金の受給者は 住民票などで生存を証明するのですか。
 そんな簡単なことでいいのなら 不正受給を見過ごすのも頷ける。

 失踪した場合だが 不正に受け取ろうと想ったら 失踪を隠す 警察に届けない などが考えられる。 やはり それは 年金原資からの
搾取となるのか。


 親の年金を当てにして いつまでも親が死なないように医師に頼むことも 今では 
珍しくない話だ。

 昨日 日本人のサラリーマンの平均年収が発表されたが ドイツと比較すると200万円以上水をあけられているかと想う。
 何だか どこもかしこもぱっとしないお話。
中国問題もいろんな分野に陰を落としているし。

今夜 ニッキーはやけに頑固に自分を主張する。
何をどうして欲しいのか ちっとも分らないので静かな1階へ追いやった。今頃は グーグー寝ているだろう。 

 こんな夜 おかあさんは ミステリーでも読んでわくわくしようっと。


緑内障はに御注意

2012年09月27日 | 日記
緑内障の 眼圧 がんあつ

 今 おかあさんの目はうっとおしく 芯が凝っているような感じ。
今まではおとうさんの治療で正常眼圧に保ってこられた。さて 今後はどうなるのだろうか。上昇しなければいいけれど。

  もう 44年も前のことになるけれど おかあさんはタクシーに追突されてむち打ち症になった。
 その後 緑内障を発祥して 視神経萎縮となり 40歳ごろには
白内障が瞳を覆い
  社会で目を使って仕事をすることが難しくなった。
 
正常眼圧は数字で言うと21までと言われる。おかあさんが病院に行ったときは57であった。その時の眼球は 石のような硬さだった。
 今日は外出したので ドライアイのようでもある。台風18号の余韻で風が強かった。
地面に近いところを歩いているニッキーはどんな風に風を受けていたのだろうか。。

明日の朝の目やにを注意してみてみよう。
ニッキーのチャームポイントである  あのすばらしい目が悪くなったらかわいそう。

 おかあさんが緑内障と気付いたときは かなり進行していた。
視野の欠損や視力障害があっても 両岸で見ているから その病の進行に気付くのが遅れるのだ。

 今でも 原因が分らず 眼圧を下げる以外に直す方法が無いという病気。
つまり 不治の病気だが 視神経が自由に作れるようになれば 直る可能性はあるとのこと。
 健康診断では視野検査はしないので 緑内障は見つかりにくいといわれているので 
目がおかしいなと想ったら しっかりした医者を訪ねることだ。
 おかあさんは街のひどい医者にかかったものだから 
当初の治療で手間取った。
 正常眼圧緑内障もあって 全緑内障の70%以上との報告がされている。
失明の危険は大。
お気をつけください。
犬にも出るらしい。
これはおかあさん達にはどうしようもないだろう。
白内障があるのだから これ以上はいらない。


岩手  宮城 福島県の3.11の障害者の犠牲数字がやっと出た

2012年09月26日 | 日記
 岩手 宮城 福島県の 3.11のの障害者の犠牲者数がやっと出た

本当は 新聞記事をこのまま転載してはいけないだろうが 数字を間違えるといけないのでそのまま転載させていただく。
 下記の数字を見ると いかに障害者が災害においてジャ弱者であるかがお分かりになると想う。
 この現実を何とかする方法を模索するが 近所との付き合い以外に緊急時の救いは無いのではないかと想う。



ここから転載
4.岩手、宮城、福島3県 障害者1655人犠牲
2012/09/23 河北新報
岩手、宮城、福島3県で障害者手帳所持者1655人が東日本大震災の犠牲となったことが、各県の調査などで分かった。障害者手帳の所持者全体に占める死亡率は1.5%で、全住民の死亡率(0.8%)の2倍近くに及んだ。災害時に障害者を社会でどう支えるのか、重い課題が浮き彫りになった。
<宮城最多1103人>
3県の7日までの調査を基に集計した。障害者手帳所持者が犠牲になったのは沿岸37市町村のうち31市町村=表=。死亡率は家屋倒壊や津波など震災が直接要因となった人数から算出。福島県の全住民の死亡率は、直接死と震災関連死を合わせた人数を基にした。
県別の手帳所持者の犠牲者数は、宮城が1103人と突出し、岩手は436人、福島は116人。死亡率は岩手が3.3%(全住民死亡率2.2%)で、宮城1.6%(同0.6%)、福島0.4%(同0.5%)だった。
被害の大きかった宮城を障害別にみると、肢体不自由519人、聴覚障害75人、視覚障害69人など身体障害が県全体の約9割を占めた。知的障害は62人、精神障害は65人だった。
市町村別で、犠牲者が最も多かったのは石巻市の397人。次いで気仙沼市の137人、宮城県南三陸町125人、陸前高田市123人の順だった。
死亡率が10%を超えたのは15.6%の宮城県女川町と12.6%の南三陸町の2町。全住民の死亡率と比較すると女川町(5.7%)は2.7倍、南三陸町(3.4%)は3.7倍に達した。
女川町は「犠牲者の多くは在宅の障害者」と推測する。南三陸町は「津波被害に遭った特別養護老人ホームで多くの高齢者が亡くなり、障害者の死亡率を押し上げた」と説明する。
被災自治体では、集団移転などによる新たな居住地が見通せず、「避難対策を具体的に検討できる段階でない」(南三陸町)という。
<自主的に対策>
重度の障害者を在宅介護する家族や医師の中には、自主的に防災対策を検討する動きも出ている。仙台市泉区で7日にあった「障がいのある子どもたちの防災勉強会」には、在宅介護する家族や医療、福祉関係者ら約60人が参加した。
勉強会を呼び掛けた宮城県拓桃医療療育センター(仙台市太白区)の田中総一郎医師は、地域の避難訓練を障害者や高齢者を交え日常的に実施していた石巻市牡鹿地区で、要援護者の犠牲が少なかったことを報告した。
その上で「地域の避難訓練に加わることで、どこにどのような障害のある人がいるのか地域に認知される。勇気が要ることかもしれないが、ぜひ参加してほしい」と呼び掛けた。










ここまでが転載。

 都会の災害では もっと多くの犠牲者が出るのは疑いようが無い。。
 

さて 今日は真鶴の知人宅で句会があった。
台風18号の影響のための風が吹いていたが なんとも 心地よいものであった。

 知人宅の周辺の地形を見ると 津波が着たら あえなく波にさらわれてしまうだろうと想われる。
怖くないのかなあと危機意識の強いおかあさんは想った。

講釈の多い靴屋

2012年09月25日 | 日記
講釈の多いダンス靴屋

 皆様は もう ご存知かも知れないが ダンス シューズの底の川は起毛している。
それは 適度にすべり  又 滑って危険が無いようにとの配慮だ。
 使っている内に 起毛の上体がぺったんこになるので
 桜材の床では つるつる 滑ってしまう。
 その底を再び起毛させる専用ブラシが売られている。しかし 毎回起毛させるのも面倒な話だ。

 おかあさんの靴も ツルツルして怖いので 新しいのを買いに言った。

 ダンススタジオのすぐ傍にある キーペル という店だ。
 おかあさんが 自分の好みを告げると そんな靴は置いていないと言う。
 おかあさんの足の指はとても長くて 毎回 靴選びには苦労している。漸く 自分の足の特徴が分って こんなのおと言ったのだが
 店の人いわく 「あなたはまだ 一度も 本当に合う靴に出会ったことがないのです。」と言った。

 それでは 本当に合う靴があるのなら 試してみようじゃないの」と答えたおかあさん。
まるで 買い言葉に売り言葉みたい。まあ 靴を買いに言って 向こうは売るのだから買い言葉と売り言葉でもいいのかな。
それから1時間 あれこれ 講釈。
おかあさんは半分納得して7センチヒールのダンス用のパンプスを買った。問題があればいつでも直すとの事である。
 おかあさんが彼の言うことを半分信じたのは次の事を経験したからだ。
 おかあさんの前に並べてくれた4速のパンプス。
 そのかかとの中心に体のバランスが来る靴はヒールの高さを感じないだろうと言われたが 本当にそう。
買った靴だけ 7センチでもヒールが高いと感じなかった。
製造元も日本で唯一ダンスシューズを作っている専門メーカーの物だ
  今までベルトの無いパンプスは履いたことがないので 心配だが 彼の講釈を信じて
次回のレッスンを 楽しみにするとしよう。

 ニッキーは漸く おかあさんと一緒に外出できるので ものすごく 張り切っている。
靴屋さんの急な螺旋階段を上手にエスコートしてくれた。

やっと ニッキーの排泄もスムースになった。元気だし 夜も しっかりと寝ている。
明日は 句会で小田原方面に出かける。お天気も良さそう。。

お年寄りの目測を信じないで ドライバーの皆様

2012年09月24日 | 日記
お年寄りの目測

 現在はどうなのか分らないが
かって  お年寄りが横断歩道以外の場所を渡って交通事故が発生する件数が日本一多いのが愛知県だと聞いたことがある。
 運転する側も赤信号を無視するドライバーは 愛知県がトップ。

 これを「愛知ばしり」と呼んでいた
 その後 この汚名が払拭されたかどうかは分らない。
 先般 名古屋の友人を訪ねて名古屋に行ったとき 乗ったタクシーの運転手の態度の
悪さにあきれたが まだこの汚名はそそがれていないのではなどと勘ぐっているおかあさん。

 今日 65歳から82歳までのお年寄り数十名に 車の速度を目測してもらったところ 
20キロくらい外れた人がいたそうだ。この数字は 実際よりもゆっくりと感じたという意味だ。
 おかあさんはこれを聞いて 遠くから走ってくる車の速度を目測しただけで分るのだろうか」と疑問に想った。
 長年 運転してきた人なら 正解もあるらろうが 目も悪くなっているおばあちゃんが 右から来る車は 自足50キロで 何分後には ここまで到達する。だから 私は
渡っても大丈夫などと 計算できるわけが無い。
あやふやな勘で 道路を横断するお年寄りが多いのは 車を安心して運転できないのではないの と心配になる。

 おかあさんのように見えない人は 耳だけが頼り。 遠くから走ってくる車の音
なんて絶対にに聞こえない。だから 
横断歩道か信号以外は 恐ろしくて渡らない。
フォライバーにとって怖いのは 見ているので大丈夫だとたかをくくって渡る人。これは年齢に関係ないと想うが お年よりはもっと怖い。
 こんなことをおかあさんが書かなくてもみんな分っている。でも ドライバーは
そんなことすぐに忘れてしまう。ご用心。

 それにしても このニュースを聞いていると65歳からうえをお年寄りと表現している。66歳のおかあさんとしては お年寄りではないのに とこだわりたくなる。 とはいうものの 確かに目は見えないのでお年寄りといわれても仕方が無いかと想う。

 まあ お互いに 双方が完全な人間ではないことを頭において車社会を無事に
生き抜いてゆきましょう。
ドライバーは事故を起こすと 一般人から容疑者とか犯罪人となるので 特に気をつけて下さいね。
身近な人に そう なってもらいたくないので。

韓国ドラマと水戸黄門

2012年09月23日 | 日記
韓流ドラマと水戸黄門 の印籠  (いんろう)

 今日の横浜は雨。
朝から強く降っている。
先日まで 夜だけ降ってくれていたので良かった。こんな日はニッキーのツウが悩みだ。
 昼過ぎに 雨の弱くなったのを確かめて 外でさせた。

 さて 日曜 夜のBSの韓国どらま 先ほど終わった。連続ドラマだからつい見てしまう。

内容は王権争いだ。悪党側のせりふのいいまわしや笑い声が なんとも 憎たらしい。
ドラマと分っていても 腹が立つ。それが連続して毎回そういう気分で終わる。

 それに比べて 昔 よく見た「水戸黄門漫遊記」は終わった後が清すがすがしかった。
 悪人は印籠で恐れ入ってチョン。
考えてみれば 見た後に何が残るかというと 何も残らなかったかな。
しかし あの頃の娯楽として 楽しかったことが記憶のそこにしっかりと残っている。

 韓国ドラマはいじめをテーマにしたものが多いのかな。
画面の美しさを見られないことも おかあさんを こんな思いにさせるのか。

 連続ドラマも 毎回 ほっとさせる内容があるといい。

 ところで 話は変わるが おかあさんは こうして文章を書くとき 音声ソフトで書いている。
ところが これが あまり頭が良くなくて どうしても 読ませたいように読んでくれないことがある。
例えば 標題の 印籠。 これはいんろうとしか読まないと想うが 音声で読ませると しるしろう と読む。
 おかあさんのブログは視覚障害の方も読んでくれているので その方々が読ませたとき 出来るだけ スムースに違和感なくわかるようにと願って書いている。
言い方を工夫したり 平仮名にしたり かっこをつけたりだ。
 この点が 改善されたら 嬉しいな。

密息 みっそくとは日本古来の呼吸法ですって

2012年09月22日 | 日記
  密息 みっそく 呼吸法を知って嬉しいおかあさん

 おかあさんは鼻が悪い。幼い頃からだ。
長じて改善したが 親知らずを4本とも抜いたことから 又 悪化した。27歳の頃だ。
スペインに留学するのに 歯が痛くなると困るから画るゆうだった。
 今 考えてみれば なんとも 野蛮なことであった。
 それ以来 アレルギー性の鼻炎から 蓄膿症へと移行した。

 現代は大気汚染あり 花粉あり 空中には 色々な微粒子が飛散しているので 弱い鼻粘膜は過敏に反応する。
 何となく 息がしずらい。
臭いも匂いも良く分らない。
 そのために漢方薬 つむら104を飲んで胃半年になるが まだ結果は出ない。

 そんな折 雑誌で 「密息 みっそく」という呼吸法があることを知った。
 日本古来の呼吸法である。
関心を持って 調べてみると
声楽を歌うにも役立ちそうだ。
 何より 良いのは 試してみると 鼻が詰まった感じだったのに 通ってきた。

これは頭の健康にも役立つかも知れない。


虚無僧尺八走者の中村明一氏が本を出版している。

インターネットに 密息がどんなものであるかが 
とても 分りやすく出ていたので
ちょっとお借りしててみた。

ここから転載
この密息は尺八の演奏に適しているばかりでなく、
日本古来の文化に根付く呼吸法だそうです。

ちなみに密息は"秘密の技法"という意味ではなく、
"息をひそめる"とか、"息を自他に共にわからせないようにする"という
意味ではないかと著者は解説しています。

■密息の方法
・腹を張り出したまま、吐いて、吸う
 腹を張り出してその形を変えないこと
 外の筋肉を動かさず、横隔膜だけを動かす

・呼吸をしながら周囲に注意を向けてみる
 身体は動かない、世界が静止したように見える
 感覚が鋭敏になる、音・ものの動きを明瞭に感じられる

・骨盤を後ろに倒す(上級者)
 椅子に座って、腰を背もたれにつける感じ

■密息の特徴
・大量に息が吸える
 骨盤を後ろに倒すほど、吸える量が増える

・一瞬で吸える
 鼻から吸うのが楽で、しかも音もなくできる

・強い安定感
 骨盤が後ろに倒れているため、安定感がある
 身体が動かず、安定し、吸う音がしないため静止感がある

・着物文化とのつながり
 着物を着ると自然とできる呼吸

 着物は着崩れないために、常に腹を張るようにしている必要がある
 その状態での呼吸法が密息

・昔の日本人はみんな密息だった
 密息でなければ演奏が難しい尺八の曲が非常に多い


剣道で言うと、構えの際には袴の帯を押し返すように腹に力を入れると思います。
このお腹の状態を維持したまま、呼吸するということです。

よく剣道では腹式呼吸が良いと言われますが、
腹式呼吸では吸う際には腹が膨らんで帯を圧することができますが、
吐く際に腹がゆるんでしまうという欠点があると著者は説いています。

吸う時も、吐く時も、帯を腹で圧する呼吸法が密息で、
着物を着ていれば、自然とこの呼吸法に近づくそうで、
常に帯を圧するために着崩れることがなくなります。


僕は尺八は全く知りませんが、日本の着物文化とからめた

 
ここまでが転載です。

 おかあさんは最近 椅子に腰を掛けているとき 足を組みたくなる。
これを改善できるといいな。

では 何秒くらい吸って吐くのか。秒数については言っていないので 別の日本本古来の呼吸法に3秒吸って 2秒 溜める そして 15秒で吐く とあったので これを採用してみた。ら 何と すぐに 詰まっていた鼻が通ってきた。
ただし 15秒 吐く しかも 吐ききらない のは結構大変。 15秒の長さに驚く。
 一日に60回の密息呼吸法と腹式呼吸方を試した若者が筋肉質のしっかりした若者に返信
したと書いてあった。
これは朗報だ。若者に負けてはいられない。
  これから 老化の一途を辿るであろう 60台以上の全ての人にもお勧めしたい呼吸法だ。

 試してみませんか?

おかあさんは頑張ってみる。

本当に秋なの?

2012年09月21日 | 日記
本当に涼しくなるの?信じられなーい

 昨夜 廊下でニッキーが吐いたフードを踏んでしまったおかあさん。キッチンペーパー4枚にくるんでトイレに捨てた。

これが大失敗。
何度も水を流したが詰まってしまった。
 ヘー 便器の口の部分は 意外と狭いのだなあ と気付く。
 排水口要の器具をスパスパやって 漸く流れた。
 失敗しないと学ばないおかあさんを ニッキーはちょっと つらそうにして横になって見ていた。
さて 全国的に少し秋らしくなってきたみたい。
 明日は彼岸の中日だ。
ラジオからは 九州のどこかで100万本のまんじゅしゃげが咲いているとか 早くも きんもくせいの香りが漂ってきたと報じていた。

 ここ 横浜も 少し涼しいと感じるが 先ほど ニッキーと散歩に出たら 大粒の雨が降ってきた。 あわてて 走って帰ったら まだ 汗が出る。

でも風は優しく 漸く 「新涼」の気分。
俳句の世界は 早取りだから この時期は もう 新涼とは言わないが。
 以前 秋風を別名 色なき風というと書いたが こんなにすずやかな風を秘めている
自然の豊かさ。
あんなに待ち望んだ秋の要請とがやっと出会えた。

ニッキーは駆けっこ大好き 秋の風

 家の近くの直線道路で 時々 ニッキーはおかあさんと走る。ものすごく早い。
 昨日 フードを吐いたので心配したが 今日は元気だ。


夜の散歩 バイクで方向が分らなくなったおかあさん

2012年09月21日 | 日記
夜の散歩 バイクの走行で妨害される

 今日の横浜は まだ蒸し暑くて 外に出る気がしないおかあさん。
最近のニッキーは室内に足止めで 何だか つまんないなあといった風情で 夜間ストライキを起こし始めた。
 家の1階から2階のハウスへ行こうとしない。
ノウ ハウス ゴー と言っても床に座り込んで 全く動かない。
昔 おかあさんとユニットを組み始めた頃 道の途中で 動かなくなって 手古摺らせてくれたものだが
長い間 とても素直で従順なニッキーだった。

 今日は そうなる前にと散歩に出た。
 途中でワンをして ツウはなさそうなので 「ハウスゴー」と言って いつもの道を歩いていた。 丁度 曲がり角に来た頃 2台のバイクが走ってきた。
確か おとといも出会った彼らだ。
何をしているのか 言ったと思ったら 又 戻ってきて エンジン音をふかしている。
その時  おかあさんは 遣り過ごそうとして 方向を反対に取ったらしく 気付いたら どこにいるのだろうか ということになってしまった。

 首には不都合なことが起こったときのためにケイタイをかけていたが 自分がどこにいるかわからないときには どうやって 探してもらうのか と考えたら 電話も駄目。
 怖いのは 気付かずに道路の真ん中にいることだ。

 その時 女性のヒールの音がした。

「スミマセー」と声を張り上げて 助力を乞う。
 お陰で 無事帰宅できた。
夜 遅いのに 東京の職場から帰宅途中で 助けてくださったEさん 感謝です。

 ユーザー仲間の話では 散歩に出て 居場所が分らなくなっても ハウスゴーで帰宅できるとのことである。
 でも おかあさんは どうしても 援助の手を借りたくなる。
 今度 誰かに見ていただきながら ハウスゴーを試してみよう。
ニッキーにどのくらいの力があるのか まだ 試したことの無い分野だ。

盲導犬の優雅な生活  その3 おとうさんの遺稿より

2012年09月18日 | 日記
盲導犬の優雅な生活 その3 おとうさんのエッセイより

おかあさんが 一人暮らしになってから 作るようになったのが
野菜のピクルス。
キャベツ、グリーン アスパラガス、大根、セロリ、キューリ、レンコン、すいかの白い
部、カラーピーマン分を今まで 作った。
 何しろ 一人暮らしで 各種の野菜を買おうとするとどうしても 多くて 野菜たちは出番を待っているのに
おかあさんは彼らをないがしろにして 腐らせることになった。
 その頃 入りやひがし幼児園に送ろうと想って買ってきた絵本に
冷蔵庫で出番を待っているかわいそうな野菜さんのお話があった。
その絵本を読んで おかあさんは猛反省。だって かわいそうななす君ははしなびてオデコに赤い傷を付けて 冷蔵庫の野菜ケースの中で人街顔なのだ。
あの白くてふっくらとした雪国美人のダイコンさんは すっかり 痩せて 年を取ってしまった
そこで おかあさんが考えた野菜の貯蔵法。「そうだわ 。ピクルスよ。」

 それから 野菜を多めに買ってもピクルスを作るので 野菜を捨てることは無くなったスーパーにはギャバン製のピクリングスパイスなるものを売っていることも知った。。
 今日 ダンスの先生にキャペツのそれをプレゼントした。
仕事場に缶詰上体では 女先生もお料理は出来ないので。
食べて頂いたら 今度は 別のものを持ってゆきましょう。
喜んでくれたらいいけれど。

さて ここから おとうさんの遺稿の最終回。

 お父さんとお母さんは目が見えないでしょう。だからよく踏まれます。でも私は
決して怒りません。それを見てお父さんとお母さんは「教えられるね。」と話していま
した。えへん!
 最近は やたらに起こる人が増えたって おとうさんたちが話していました。私は まだ 一度も起こったことがありません。
 晩ご飯が終わるとグルーミングタイムです。盲導犬は人間社会に参加するわけです
から、毎日のブラッシングとシャンプー液で身体を拭くお手入れが欠かせません。
シャンプー液できれいに拭いてもらって お湯で落とし 最後に しっかりと
乾拭きです。全部で8工程くらいかしら。
毎日 1時間も付き合うのは大変だけど 「ニッキー」はいつもきれいだね」といってくれるので協力しています。
 洋服を着るのも毛が散らないようにするためです。だから私達は洋服をマナーコー
トと呼んでいます。
 グルーミングはベランダでして貰いますが、最初の頃は「カム」と呼ばれても行か
なかったり、寝そべったりして随分手を焼かせました。でも今はあっちを向いたりこ
っちを向いたりして、グルーミングに協力するようになりました。
 この後は歯磨きと耳の掃除です。歯磨きは 手にはめた手袋 に「チキン味」の歯磨きを付けて磨いて貰います。
もちろん歯磨きですから手が口の中に入ります。でも
絶対に噛みません。それどころかチキン味のパスタがとても美味しいので ぺろぺろ 舐め
ながら磨いて貰っています。
 耳掃除は耳の穴に水を入れます。そうするとぶるぶる身震いして、耳の中の汚れが
水と一緒に出て綺麗になります。
水分と耳の汚れはティッシュペーパーできれいに拭い取ってくれます。
 この後少し遊んで寝ます。時間は大体9時頃かしら。
仕事はどうなっているか?ですって。もちろんやりますよ。でも今は暑くてお休みの
状態です。道路が熱くて歩けません。
 お母さんは犬用の靴を何種類か買ってきて私に履かせようとしています。何しろ私
の兄弟のナサが靴を履いて歩いているという話を聞いたものですから、兄弟の私がで
きないということはないとファイトを燃やしています。でも足の裏の感触がなくなっ
て気持ちが悪いです。さてどうなることかしら。
 皆さんは盲導犬が道を知っていて使用者を連れて行くと考えていませんか?それっ
て大きな誤解です。盲導犬ができることは、左側通行、左角を見つけること、段差や
階段の前で止る事、障害物を避けることなのです。この基本的なことを活用して、
ライト、レフト、ストレートと使用者は指示を出して、盲導犬を目的地に誘導します。
例えばT字路でストレートと突き当たると、盲導犬は左側通行なので右に行きます。
左角に来たら、使用者はそこを曲がるか真っ直ぐ行くか判断して、レフト ストレー
トと支持を出します。でも私だって道を覚えます。何回か行ったお店や場所は覚えて
いて、そっちの方を向いて今日は行かないのと尋ねたりします。
でも 動物クリニックだけは絶対に教えません。だって 獣医さんが私に何をするか 信用できないんですもの。
爪なんて切られて血が出たこともあるし。
おかあさんは クリニックの前で  ウロウロしていますが私は知らん顔で 近所をクンクンしています。。
 道に迷うこともあります。そこを切り抜けるのが盲導犬歩行の醍醐味で、私となら
何とかなるとお父さんとお母さんは話していました。
 そうそう、皆さんへのお願いですが、仕事中には私に話しかけたり撫でたりしない
でください。私って人好きでしょう、だから直ぐに愛嬌を振りまいてしまって、仕事
が留守になってしまい危ないのよね。  
 それでは、ハーネスをつけた私の凛々しい姿を何時か何処かで。
お目にかかったら おとうさんやおかあさんに声を掛けてね。 終わり

 ここまでです。

 おとうさんがこれを書いたのは 丁度2年前になる。
今でもニッキーの生活の中で 基本となるところは 全く代わっていない。
代わったことと言うと ニッキの方がーがお母さんを遊ばせ上手になったかな。
ニッキーはものすごくおとうさんが好きだった。恋人のように。

 おとうさんが遂にお棺に入ってしまった時 連れてこられたニッキーは一目散に棺の傍に小走りで行った。最後のお別れだったね。

 今 ニッキーは6歳9ヶ月。
とても 素敵なパートナーです。

盲導犬の優雅な生活 その2 おとうさんの遺稿より

2012年09月17日 | 日記
おとうさんのエッセイ 盲導犬の優雅な生活 その2

 今日 ニッキーのフィラリアの薬をもらいに動物クリニックへ出かけた。用が済んで 帰ろうとした時 突然 女性のしゃくりあげる声がした。
診察室から待合室に走ってきたので おかあさんは 思わず ニッキーをうしろに
やった。
「何事?」
 すると 別の方が 「駄目でしたか。」と声を掛けたので
その女性のペットが 何かの原因で 域を引き取ったばかりだったのが分った。
 クリニックに入ったときの雰囲気が 何となくいつもと違っていたのは これだったのか と気付いた。

 その女性の叫びにも似た鳴き声で おかあさんは   いかに彼女がペットを
かわいがっていたかが想像できた。
 帰ってきてからも そのことが頭を離れない。

 さて ここからは 昨日の続き。これを読み返していると
夫が いかにニッキーを愛していたかを読み取ることが出来る。

ここから

遅くなりましたが私はニッキーといいます。ラブラドールレッドリバーと
ゴールデンレッドリバーのハーフの女の子です。2005年12月3日生まれですから今は
4歳と9ヶ月です。色はイエローにこげ茶の毛が混じっていて、
自分が言うのも何で
すが 特に目がチャーミングで素敵な美女犬だそうです。体重は27キロです。
 お父さんとお母さんが盲導犬協会神奈川訓練センターに入所したのは 
2007年12月3日で、私の2歳の誕生日でした。
たった それだけの理由ですが私達は運命的な繋がりが
あるとお父さんとお母さんは考えているようです。
 私はお父さんとお母さんの朝の用事の済むのを待ちます。そろそろ良いかなという
頃におもちゃ(ぬいぐるみ、ロープ、ボール、靴下など)をくわえてお母さんに押し付
けます。
お父さんは仕事があるし、何より遊び下手で駄目です。このおもちゃで引っ
張り合いや放り投げたものをエアーキャッチするなどの遊びをします。家の中を走り
回ったりもします。お蔭で家の床は傷だらけです。
 昔はいつまでも遊んでとせがんだものですが、4歳になりますと随分変わりました
。いい加減なところで切り上げられるようになりました。随分大人になったねとお父
さんとお母さん は褒めてくれます。 私がお父さんとお母さんの家へ来た
のは2007年の12月25日でした。まるでクリスマスプレゼントです。最初の2
ヶ月位は家の中をうろうろすることもなく、私のベッドにしている敷物の上でじっと
していました。それを見てお父さんとお母さんは「さすが盲導犬!」と感心したもの
でした。でもそれって大きな勘違いです。私は不安と緊張で動けなかっただけなので
す。それが 今では のびのびやっているでしょう。その姿を見て お父さんとお母さんは 「うちの子になったね。」と目を細めています。
 盲導犬は10歳で引退します。10歳はまだまだ働ける年齢ですが、
余生をゆっく
り送らせようという 盲導犬協会の配慮です。
老後は引退犬の世話をするボランティアさんの所でお世話になります。

 私の家は1階が治療室でお父さんはそこで鍼灸の仕事をしています。私達は普段は
2階で暮らしていますが、患者さんが来ると私はおもちゃをくわえて階段をばたばたと
降りて行き、尻尾を大きく振ってお出迎えします。患者さんは皆さん喜んでくれます。
おもちゃをくわえて見せるのは、それで遊んでとせがんでいるのではありません。ただ、
見せるためです。
 レッドリバーは元は水鳥の猟犬で、飼い主が打ち落とした水鳥を泳いで取ってきて
飼い主に差し出したものですから、おもちゃを見せるのは本能なのです。
 治療室にもよく入ります。初めのうちは治療室には入れて貰えませんでしたが、
いつの間にか 許されるようになりました。「まあ、可愛い。」「
ニッキー、会いたかったよ。」と撫でてくれる患者さんもいらっしゃいます。そんな時は尻尾をびゅんびゅん
振って私も大サービスします。

おとうさんのエッセイの続きは 又 あした。

 昨日まで秋の蝉が鳴いていたけれど 今日は聞こえない。
 夜は 青マツムシがうるさく鳴いている。原産地は中国で 明治時代には既に 日本に入ってきていたとのこと。鳴き声がスゴークかんだかくて あたかも 鈴虫のようにリンリン聞こえる。が その音量タルや 鈴虫の何十倍もありそう。
草むらではなく 木の上や 電信柱の高いところで鳴いているのですぐ分る。
 おかあさんがその存在に気付いてから もう 23年になる。
 それ以来 日本古来の秋の虫の音は昼間聞くようになった。
 お母さん達 視覚障害者は聴覚がとても 敏感なので
見える人たちより ずっと みみざわりだと感じているかも知れない。
うるさく泣いていることも気が付かないでいる人もいるので 人間の感性の在り方は面白い。

さて この青松虫の原産地が中国だというのが曲者で 中国との間に問題が発生するたびに 象徴的だなと想う虫だ。

 逆に 日本から中国へ渡ったうるさい虫も もしかしているのかなあ。
昨年から 少し 青松虫の数が減って 夜 「窓を開けてもいいかなあ」と想ったけれど やっぱり うるさいなあ。


ニッキーの優雅な生活 その1 おとうさんの遺稿より

2012年09月16日 | 日記
おとうさんのエッセイ ニッキーの優雅な生活 その1

2年前に ニッキーのおとうさんが俳句の句誌に載せたエッセイです。
数回にわたって おかあさんのブログに登場させます。
ニッキーの日常がよく分ります。

ここからです。

盲導犬ニッキーの優雅な生活   その1

がさごそと物音がする。リビングの片隅の肘掛け椅子で丸くなって寝ていた私は、
あの音はお父さんだと思いながら片目を開けて時計を見る。まだ5時半だ。どうせ声
がかかるのだからもう少しまどろみを楽しむことにする。
 「ニッキー カム。」とお父さんの声がする。時計は6時過ぎを指している。「そ
ら 来た。」と私は肘掛け椅子を飛び降りてお父さんの所へ行く。お父さんは「シッ
ト。ウエイト。」と掛け声を掛ける。私はよだれを飲み込む。お父さんは食器を指差して
「オーケー」と食べる許可を出す。私はぺちゃぺちゃと一気呵成に朝ごはんを食べる
。この前計ったら食事の時間は4分でした。
 食事は朝晩の2回で、ドッグフード130グラムに水600ccを掛けそこにカス
ピ海ヨーグルトを少しのせたものです。お母さんは優しいのでりんごやバナナを 
ひと切れ
 おやつにくれます。
 朝ごはんが終わるとトイレタイムです。お父さんが「ニッキー カム」と声を掛け
ると、私はお父さんの前にお知りを向けて立ちます。トイレは外でしますが、
垂れ流しではありません。お父さんは、背側と腹側にフックの付いたベルトを私の腰に
回します。そして小さなレジ袋の持ち手をフックに掛けてレジ袋でお尻を包むように
しま
す。そうするとお尻の所にレジ袋の口が当たり、袋の中におしっこやうんこが落ちる
仕掛けです。上手く考えたでしょう。これを ワンツウベルトと読んでいます。
 トイレを失敗したことはほとんどありません。やりたい時は素振りで教えます。そ
うしたらお父さんかお母さんが外へ連れ出してくれます。
 トイレを済ませても絶対にそのままでは家に上がりません。上がりがまちの前で足を
拭いて貰うのを待ちます。
 お父さんとお母さんの朝食はそれからですが、私は肘掛け椅子の上で丸くなってい
ます。家でもレストランでも欲しがる素振りは絶対に見せません。じっとしています

 でも、実は、告白しますが私も欲望には弱くて、誰もいなくなった隙にテーブルの
上の物を食べたことが何回かあります。
 調理台の上のボールに入っていた挽肉300グラムをペロリと食べた時はそのあま
りの美味しさにうっとりしました。暫くの間は夢見心地でした。肉というものを初め
て食べたのですから。
でもその後がつらかったです。ひどいい下痢になってしまい、暫く
食事の量を減らされました。麻婆豆腐を食べた時は、下痢もしましたが喉が渇いて水を
たくさん飲みました。
 こうした盗み食いをしてもお父さんとお母さんは怒りません。盗み食いができる状
況に置いた自分たちが悪いということで、食事の間はリードは部屋の片隅のフックに
掛けられることになりました。
 レストランではテーブルの下で横になっていますから、帰る時に初めて私に気が付
いて、「あら、盲導犬がいたのね。」とお客さんは驚かれます。
 補助犬法というものがあって、レストランやホテルなど公共の施設は盲導犬を拒否
できません。

今日はここまでです。
 今  世界の あちらこちらで大きな問題が起こっています。しかし 私達はそれを憂えることしか出来ません。
暫くは閉塞上体が続くでしょう。
もっと 心して生きなければいけないようです。


ニッキーは良くなりました。

2012年09月14日 | 日記
やっと ニッキーは良くなりました。

  ニッキーは2週間ぶりで快ツウした。
おかあさんも漸く 愁眉を開いた。
ニッキーもおかあさんもニコニコ。ニッキーは太い尻尾を大きく振り おかあさんの肩をたたいてくれた。ご褒美だって。
 おかあさんは にっこりして ニッキーをしっかりとハグした。
 ニッキーとの共同訓練中に訓練士さんかが話された次の言葉は おかあさんをびっくりさせた
「ニッキーは笑顔が大好きですよ」と。

 これは 想っても見ない言葉だった。
「え 犬が笑顔を理解するの?」
」初めて犬と接することになったおかあさんとおとうさんは 結構 必死で訓練を受けていた。
そんなときの一言で お母さん達は余計な力を抜くことが出来たと想う。

 それからは 出来るだけ にっこりと優しい絵がをを作るように心がけている。

 今日 読んだ本の中に
常に 機嫌のいい人は長寿だ と書いてあった。
 ニッキーも大の人好きで 好きな人に出会うと 鼻二しわを寄せてにっこり笑うので 長寿化もね。
もしかしたら 盲導犬のお陰で おかあさんも長寿でいられるかも。
双方 めでたしだといいね。
さて おかあさんの通うダンススタジオが関内の伊勢崎モールの方に移ったことで
筋トレのスタジオである カーブス も元松阪やのビルの伊勢崎町店に移籍することに
決めた。
 その為の手続きを済ませて 親しく声を掛けてくださっていた M子さんにお別れを
言った。
 すると 思いがけなく 残念がってくれて 寂しくなると言われ
かわいい蛙の縫いぐるみを頂いた。
それを聞いていたほかの方からも 残念だわと言って握手を求められた。

 おかあさんは カーブスでは 個人的にはどなたとも お話をする暇も無く過ごしていたので これは以外であった。
ニッキーは皆さんの注目の的であったことは確かだけれど。
 そんな状況の中でも同伴して 介助してくれるガイドヘルパーさんと冗談を言い合って 楽しそうに筋トレをしていたので 目だったのかなあ。
 
何はともあれ  移籍先のカーブスでもにこにこするように心がけよっと