ニッキ-通信 ~盲導犬ニッキ-のお母さんより~

盲導犬ニッキ-と私の日常。要援護者・障害者の防災について紹介します。

今日の横浜は冬日

2011年01月31日 | 日記
横浜も今日は冬日 

 連日の寒さも どうも 今日までらしい。
嬉しいけれど 暖かさと同時に降ってくる花粉。おかあさんにとっては凶器だ。
例年よりも8倍だの10倍だのと報ずる声がにくらしい。


でも 今年 おかあさんの花粉症は楽ではないだろうか。これは単なる憶測だが根拠はある。日々 努力しているあのことが 効果を発揮するのではないかと考えている。
これが本当に良かったら 告白しよう。
結果が駄目な場合は黙っていよう。
さて どうなることか。楽しみでもある。




さて 1年前にNHKが無縁社会の事を取り上げて社会に警鐘を鳴らしたことがある。
その番組が菊池寛賞を貰ったそうだ。
 その後も NHKでは取材を続けている。
 無縁社会との狭間で死んでゆく人が分かっているだけで 年間 3万2千人もいるそうだ。
高齢者だけでは無い。
50歳までに結婚しなかった人を生涯無婚というらしいが 今 男性の無婚者が増えていて そうした人達の孤独氏も多いとか。2030年にはそうした男性が3人に一人になると言われている。

結婚したくても経済状況が整わない場合 結婚をためらってしまう。今 20代 30代の
若者が無縁社会の一員になることを恐れている。

 いつのまにか 自分を極度に守って囲いを作ったがために 自らの孤立を進めてしまった社会がニッポン。

 おかあさんはそんな社会はいや。

自分もおせっかいな人になり おせっかいな隣人を受け入れて生きたい。
ニッキーと歩いていると 面白い。友人も出来る。すごい犬。
その名は盲導犬だ。

JRが急遽ホームの点字ブロックの点検開始

2011年01月29日 | 日記
JRが急遽 ホームの点字ブロックを見直し

 おかあさんが属している会から下記の内容の朗報が届いた。
 それは 重要な駅から ホームの点字ブロックを見直して 出来るだけ視覚障害者が足で危険な場所を認知できるようにとの配慮。
 どうも 点字ブロックの内側に当たる方は 誘導ブロック。それは縦の線で表すが 線路に近いほうは危険だということを表す警戒ブロック(丸で表す)らしいが おかあさんは 点字ブロックを殆ど利用しないのではっきりとは判らない。
ホームを歩くとき ニッキーを頼りに歩くこともあるが 出来るだけ知らない駅は駅員さんの手を借りている。これは本当の安全策なんだ。
見直しは 目白駅の事故の翌日から開始となっていたので本当に早い対応だ。

 しかし 本当安全柵が欲しい。
今日も大江戸線を利用したが 勝どき駅などのホームの真ん中には太い柱が林立していて ホームを歩くときは点字ブロックの場所しか歩けない。東京都も早く改善して欲しいなあ。
視覚障害者の本当の自立は 駅を安全な所にすることから始まるのかな。

落語家も盲導犬ライフ

2011年01月27日 | 日記
落語家も盲導犬ライフ

今年のお正月におかあさん達は 品川プリンスの中にある 品川吉本プリンスシアターへ新春落語をを聞きに行った。
 そこでは関西で活躍している落語家が出演している。どうも 関西と関東では
客の質というか 肌合いが違うといっていたがおかあさんは 本当におかしい時は 万人を笑わすと思っている。
 ただし  関東と関西では言葉を受け止める速度が異なる。だから 関西人のほうが おかしいことを
すぐに 言い返せるのだ。 
この態度は 客として席に座っていても関係なく ポンポンやり返す。

 おかあさんは半分関西人みたいだ。駄洒落も大好き。

ところで 桂文太さんという関西落語家が盲導犬を使用しながら落語家として頑張っていることを知った。

 何かの折には彼の落語を耳にするかも知れない。
心に留めておこうと思う。 下記に その紹介の新聞記事を載せさせていただく。
盲導犬のユーザー仲間として今後の活躍を見守ろう。
3.落語で盲導犬への理解を、桂文太さん
2011.1.24 MSN産経ニュース
 「点字ブロックに立たれると“相棒”が難儀しまんねん」-。笑いを通じて
盲導犬への
理解を呼びかける落語家がいる。病気で視力を失った桂文太さん(58)。盲
導犬の「デ
イリー」(オス、2歳)を連れて阿倍野区の地域寄席「田辺寄席」や北区の「
天満天神繁
昌亭」などの高座に出向き、落語の世界から盲導犬への理解を広げようと頑張
っている。
 文太さんは昭和46年に故5代目桂文枝さん(当時は小文枝)に入門した。
目が見えな
くなったのは50歳のころ。豊富な持ちネタは全部頭に入っていたので、目が
見えなくな
っても公表はせず落語は続けた。しかし地下鉄に乗るなど日常生活では家族や
ガイドヘル
パーの手を借りていた。
 文太さんが盲導犬のことを知ったのは一昨年。ガイドヘルパーから体験歩行
ができるイ
ベントがあると聞いて参加し、盲導犬が言うことをとてもよく聞くのに驚いた
という。
 ガイドヘルパーを頼めるのは月51時間だけ。盲導犬がいれば、ヘルパーの
手を借りな
くても好きなときに出かけられると考えた文太さんは、盲導犬を育成する日本
ライトハウ
ス(大阪市鶴見区)に申し込み、千早赤阪村にある同盲導犬訓練所での4週間
の共同訓練
を経て昨年11月、貸与された。
 デイリーは文太さんの出番の間、舞台裏で待っている。文太さんが昼夜出演
するときは
9時間ほどかかることもあるが、それでもデイリーはおとなしく待ち続けている。
 「ようやく気が合うてきました。ただ皆さん悪気はないやろけどデイリーに
話しかけた
り、点字ブロックの上に立って携帯電話してたりと“人が障害物になる“こと
が多い。そ
んな体験を失敗談も交えてぼちぼちお客さんに聞いてもらっています。盲導犬
キャンペー
ンにも協力できたら」
 文太さんはそう言って優しくデイリーの頭をなでた。


  

 

以上が新聞記事。
今後も活躍して欲しいものだ。

PR犬をご存知ですか?

2011年01月25日 | 日記
PR犬をご存知ですか?

ニッキーのパピーウオーカーをしてくれたファミリーの4頭目のパピーはサーシャといいます。昨年の3月に1歳となり 盲導犬の訓練センターに入学して 盲導犬となるべく訓練を受けていました。

 そのサーシャは黒ラブの可愛い子です。
今島根県の浜田にある訓練センターで暮らしています。どうも PR犬として活躍するらしく
その活躍ぶりを新聞報道で見つけました。
 広島県の小学校を訪れたそうです。
おかあさんは とても嬉しくなりました。サーシャ 頑張れ!


ニッキーはそのサーシャにものすごく嫉妬して走り回ったことがあります。それも サーシャが3ヶ月くらいのねんねの頃です。。

 最近のニッキーはおかあさんのコマンドを無視して 知らん顔押しています。
そこで おかあさんの頭にこのほかの犬を可愛がると ニッキーはものすごくジェラシーを感じることを思い出してある計略を立てました。

 それは 今ニッキーが一番気になっている黒ラブの縫いぐるみのスッキーを使うことです。

 ニッキーの前で スッキーにカム とか シット とかアップ とかヒール(おかあさんの左側に就くように)とコマンドを言いながら スッキーを動かして
一つの動作毎にグッド グッドと頭を撫でたり 抱き上げました。

それを見ていたニッキーはのそのそ立ち上がり おかあさんの傍に擦り寄ってきました。

 大成功。黒ラブはニッキーにとって 大いなるライバルなのです。

賢いニッキーが縫いぐるみのスッキーに嫉妬心を燃やすなんて。おかあさんは笑ってしまいました。

二回目の横浜美術館でのワークショップ

2011年01月23日 | 日記
横浜美術館でのワークショップ

 昨日の横浜美術館でのワークショップは 今後のおかあさんの絵画鑑賞の方法に大変示唆に富む有意義なものであった。
 昨年の10月に同じ内容のワークショップが開催された。その時は
下村寒山の屏風絵 「小倉山」 、ダリの作品、ルネ マルグリットの「青春の泉」、イサム 野口の彫刻 「真夜中の太陽。
小倉山は美術館のカフェの店名になているのだから この美術館の代表的な作品なのだ

 今回は 小倉山が抜けて セザンムの作品が選ばれていた。
ルネ マグリットの作品を覗いては まだ鮮明に覚えている。
  おかあさんは油彩は苦手。おまけに ガラスを入れて作品の質の悪化を防いでいるのでざっと鑑賞しただけでは 見る物の心に訴えかける物が無いと思っていた。

しかし 同じ作品を再び鑑賞して画家の生涯や家族関係、更に 色使いなどを詳細に鑑賞してゆくうちに 画家の心がガラスを通しておかあさんの胸の中に飛び込んできた。

 ああ このようにして ぐっと心に迫ってくる作品があるのだと知った。
 鑑賞方法としては 色々な方々 と言っても ある程度絵の知識のある方が思うところを話してくれて そこから こちらは想像力を膨らませてゆくことが出来たら ものすごく楽しい。

この方法で絵画鑑賞をした時 殆どの作品を忘れない。
  いつでも思い出せて 楽しい絵画美術作品の積み重ね。

そんな機会の回を増やしていったら 1年後のおかあさんの中に
素敵なアルバムが出来るだろう。

 

 唯 行っただけの美術館通いは もうやめにする。

 ニッキーは部屋の隅にステイさせて おかあさんだけで動いた。ステイさせる訓練も大切だ。
今日のニッキーは多尿で かつ頻尿だった。
まだ膀胱炎の薬の副作用が続いているのだろうか??

進化する物 しない物 進化できない物 その2

2011年01月22日 | 日記
進化する物 しない物進化できない物  その2

このところのJR東日本の電車の走行状況は悲惨だ。外出の旅にひやひやしている毎日。
まるで 死神に取り付かれたみたいだ。
転落事故死のニュースも良く聞く。
転落を防止するホームの安全柵。これを設置するのは莫大な費用と時間がかかるらしいが...。
駅のホーム柵の実情を憂える機運が高まってきた。

 今 全国で470箇所くらいの駅に備えられているとか。

しかし 大量の乗降客がいる東京や神奈川などでは殆ど敷設されていない。

 先日 山手線の目白駅で42歳の全盲の男性が誤って転落して
亡くなった。乗り過ごしたので逆方向の電車に乗ろうとしてホームを横切ったのだろうか。後ろにはやはり視覚障害の妻が夫のリュックの端を握って歩いていたが 突然夫が沈んで 線路に転落したという。

少なくともホームに柵があればと誰しも思っただろう。

 柵が小型化 軽量化 そして安価となればもっと早く設置できる物を 現実にはそれはできていない。

 視覚障害者っへのアンケートによると
弱視も含めての視覚障害者では10人に一人が 全盲では67%が線路に落ちた経験をもつそうだ。
 おかあさんも然り。桜木町駅のホームから線路に転落した。
だから ホームはとても怖いので 出来るだけ一人では歩かないことにしている。

転落死した方はブラインドテニスを考案して世界にも広げようとがんばっていた方だ。だから 元気でどんどん歩いてしまったのか。

 皆さんもホームに立って目をつぶってみてください。

 特に東京の駅はアナウンスの音声から始まって出入りする電車の音、傍を通過する列車の音など 大変に騒々しいことが分かるだろう。
 自分の乗ろうとする電車の音すら聞き分けられないのが現実。

 視覚障害者もこのことを理解して 慎重に慎重に行動しなければならないのだが 周りの人も
ちょっと見ていてあげるボランティア精神が欲しい。

 進化できないホーム柵。お金で何とか出来るものは何とかして。

 おかあさんは 夫が目の前で転落死するという不幸に見舞われた妻の嘆き声が聞こえるような気がする。
何とも 痛ましい限り。
 

盲導犬との共同訓練では必ずホームを歩くカリキュラムが組まれている。
 おかあさんは ものすごく怖くて堪らなかった。しかし これをクリアーしないと
盲導犬歩行の許可は発行されない。
おかあさんは死ぬ気で頑張った。でも 今でもいやだ。

今日はまさにおかあさんが線路に転落した桜木町駅へ行った。午前は
横浜びじゅつかんで行われた絵画鑑賞のワークショップへ。
午後は横浜能楽堂で開催された狂言の会に行ってきた。
 雪はガイドヘルパーさんと 午後は駅員さんに同行して電車に乗ったので安心だった。
 ホームは石橋を叩いて渡る必要がある。 

進化する物 しない物 その一

2011年01月21日 | 日記
進化する物 しない物 その1

 医療機器は精密で 高価な物と決まっていた。それも機械が大型でそれを移動するのは不可能だった。

 ところがその概念が大きく変化してきた。今迄 医療面デは立ち遅れていた中国やインド。それらの国もまだ 一台1500万円もする機器は買えない。
ではどうするか。イノベーションと言うのだろうか。
エコーなどの医療機器をそれらの国で使うべく 小型化して価格も安くするという進化が現れた。
大きな機器がパソコン位の大きさとなり やがて 医師が往診に使えるくらい小さくなったそうだ。価格も100万円。何と 15分の一の価格となった。

 これは一例。アイフォーン とか アイパッド とかいうのもパソコンの小型化だ。
このように 小型化出来る進化もある。

 逆に 今も大きいが 今後とも 大きいものしか作れない物もある。

その一つに駅のホームの柵がある。

素敵な中学生の作文

2011年01月20日 | 日記
素敵な中学生はパピー ウオーカーの一員

 今日は勝どきにあるトリトンスクエアの台石生命ホールへバリトンとテノールのヂュオを聞きに言った。
利用する2つの電車がそれぞれ 事故で遅延していたが 十分な時間をもっての外出。間に合った。
ニッキーは電車内で まだ到着しないの?と何度も聞いてきた。電車に乗っても
おかあさんが乗り越さないように気を付けてくれる賢い子だ。
 二人の歌はブラビ。ブラビは
ブラボーの複数だ。

さて 盲導犬協会からの会報誌に下記の素晴らしい作文が掲載されていた。
法務省の主催する 全国中学生人権作文コンクールにパピーウオーカーの家族の林さんの作文が法務省次官賞を頂いたそうだ。下記に転載して 皆様にも読んでいただきたいと思う。

小平市立小平第6中学校3年 林里咲さん
「差別のない社会に(パピーウォーカーの経験から学んだこと)」

私は小学六年生の時から,盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています。
「犬を飼ってみたい。」と言う私に,両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役
立つことをしよう。」と提案したからです。生後二ヵ月の子犬を預かり,一歳の
誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティアの役目です。初めて訓練士さん
から子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが,子犬はすぐに私の腕の中
で眠ってしまいました。初めて会った私のことを信頼して,安心しきった寝顔で
眠っている姿は本当に可愛かったです。ラブラドールの子犬はとてもやんちゃで,
私の家にやって来たその日からいたずらばかりしていましたが,しかられてもク
ヨクヨせず,どんな相手にもフレンドリーに近づいていく姿から,私は明るく前
向きに生きることを教わりました。子犬たちが過ごした日々は私にとって一番の
宝物です。そしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ました。誕生日が悲し
いという経験は初めてでした。訓練所への入所日の前日には長い長い散歩をして
最後のお別れをしました。「今までありがとう。」そう言った私のことを不思議
そうに見ていた子犬の顔が今も目に焼きついています。別れは本当につらいけれ
ど涙を見せたら子犬が心配するので頑張って笑顔で見送りました。私の家で育て
た一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っています。そして今年四月に巣立っ
ていった二頭目の子犬は神奈川県にある訓練センターで訓練中です。
このボランティアを通して私は多くのことを学びました。まず盲導犬の役割です
が,これは単に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするため
だけではありません。視覚障がいのある方にとって,人の手をわずらわせるのは
とてもつらいことなのだそうです。たとえ家族に対してでも「迷惑をかけるので
はないか。」と思って我慢することが多く,「私なんかいない方がいいんじゃな
いか。」と考えてしまうこともあったといいます。その失われそうになった尊厳
を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです。犬は訓練を共にするパート
ナーのことを大好きになるので,「自分は他者からこんなにも大好きになっても
らえる存在なんだ。」と気づいて自信を取り戻し,新しい一歩を踏み出せるよう
になるのだそうです。
また,私がボランティア登録している日本盲導犬協会では,二〇〇八年に新しい
試みが始まりました。受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる,動物を介在した日本
初の教育プログラムです。罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば,
社会は差別することなく受け入れるべきです。しかし実際はとても偏見が多く,
元受刑者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ。」と思い再び罪を犯してしま
う悪循環が起こっているそうです。その悪循環を断ち切り,受刑者たちがスムー
ズに社会復帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」
です。受刑者たちは約十ヵ月の間,子犬たちを世話しながら一緒に過ごし,「役
に立つ喜び,達成する喜び,信頼される喜び」を感じることで自分の価値を再確
認するのだそうです。今年一月に第一期のプロジェクトを終了した受刑者の感想
に次のようなものがありました。
「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならない。パピ
ーは慈しむこと,寛容の心を教えてくれました。」
犬は決して差別をしません。健康な人にも障がいのある人にも,お金持ちにも貧
しい人にも,権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれま
す。そんな犬たちと一緒に過ごすことで,自信をなくした人たちも自分のことを
かけがえのない大切な存在であると思えるようになるのです。私たち人間も,差
別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います。一人一人が相手を
大切に思う心を忘れなければ,この社会はもっと住み良い場所になるはずです。
私はこのボランティアを通して学んだことを生かして,これからも一層努力して
いきたいと思います。
※法務省ホームページより転載

こんな素敵な方々にパピーが育てられているのを知ることは嬉しい限り。

この作文とは 一つだけことなる点がおかあさんにある。
 それは 一度も 自分の存在が邪魔者だと考えたことはない。

 何があっても元気に頑張っちゃうものね。今はニッキーと共に歩いているし。楽しいよ。

銃の所持と他人への思いやりの欠如

2011年01月19日 | 日記
怖い 銃の所持と他人への思いやりの欠如

 アイゾナ州 選出の議員が打たれ 巻き添えをくらった市民が6人死亡。
 15歳の高校生が銃を不法に学校に持ち込み 机の上に置いたカバンが暴発して 同級生 2人が巻き添えになった。
 今のニュースでは タイのバンコックでも路線バスに乗り込もうとしていた青年を
銃で撃って 犯人はバイクで逃げたと報じていた。

 もう 何年前になるだろうか 日本人高校生の服部君が押し込み犯と
間違えた住人に銃で撃たれ死亡した。

 こんな事件は日常茶飯事。でも 銃の規制は進まないのが
世の中で銃の所持を許している国の悲劇。

米国民は自分のことは自分で守るのが信条だから 健康保険制度にも反対する。

 あんなに寄付の集まる国なのに とても不思議。

色々問題のある国だけど まだ 日本は住みやすい。
かといって 鎌やナイフふで押し入ってくる犯人。

 日本にも狂っている人がいる。

  親の虐待で全国の580箇所の児童施設にに暮らす子供が3万人もいる。タイガーマスクも全ての子供を
救えない。おかあさんは高校生のとき青少年赤十字 JRCに入っていて 何度も施設を訪ねた経験がある。
 今のおかあさんの気持ちで訪問できていたら良かったなあ と思う。

 優しさは社会の経験の中から育って雪 タイガーマスクのように
伝染することが今回の社会現象で分かった。

他人への思いやりと優しさで銃やナイフは捨てよう。

 

阪神淡路大震災から16年

2011年01月17日 | 日記
 淡路 大震災から16年

今 この 未曾有の都市直下型地震の概要を調べようとインターネットを覗いてみた。
 死者数 6434名。
犠牲者は 神戸 東公園内の慰霊塔に名前が刻まれている。

おかあさんは4年前と3年前 会わせて二回慰霊祭に参加した。
 4年前の慰霊祭当日は 未明から 前も見えないくらい どしゃ降りとなり 
式典が終わるまで 激しく雨が降り続いた。
多くの死者を出してから13回忌の年にあたった為か
会場は何万認可と思われる参列者で溢れかえっていたが 無駄口を利く人も無く 会場は
とても 静かであった。
中には5歳くらいの子供もいた。その子は父親裸子き男性に傘を差し向けられながら
文句一つ言わず黙って遅々たる歩みの行列に従っていた。
 犠牲者の孫であろうか。
 人人人 の荘厳な空気の中で 震災に遭わなかったおかあさんがその場にいることの
意味を自身に問いかけずにはいられなかった 
その時の気持ちは今も忘れてはいない。
 慰霊塔の中で 一人の娘さんを真ん中にした両親らしき人が一人の名前の前で静かに佇んでいた。
 後でお名前を読んでもらったら女性の名前だっった。
  多くの悲しいドラマ。

 死者の多くが家屋の倒壊や火災 又 家具の倒壊で窒息死(圧死)したと言われている。

 横浜でも市が無料で耐震診断をしてくれたり 耐震の工事も補助金が出る。
 しかし それを利用しようという人は本当に少ない。
 地震が発生した後 慰霊塔に入るかはいらないかは建物の倒壊が危惧されるかどうかでも決まるとも言われる。
 常に危機管理意識を持って生きてゆきたいものだ。

さて インターネットを覗いたら 匿名で 下記の阪神淡路大震災の記録が
大変良く整理されていた。
 以下はその記録であるが おかあさんの書いたものではないので念のため申し添える。

発生:平成7年1月17日午前5時46分
震源地:東経135度02分、北緯34度36分
    淡路島北東約3キロの明石海峡付近
深さ:約16Km
規模:マグニチュード7.3
モーメントマグニチュード6.9
最大震度:7(激震)、神戸市中央区三宮付近、他
最大加速度:818gal
死者:6,308名(消防庁発表)
   (震災関連死を含むと6,434名)
不明者:3名
負傷者:43,792名
全壊家屋:104,976棟
半壊家屋:144,274棟
火災件数・全焼建物:531件・7,036棟
被害総額:9兆6千億円(政府概算)
疎開した子供:10,479人
参加ボランティア:1,350,000人








 

139か国中94番目 とは何の十番?

2011年01月14日 | 日記
139カ国中 94番目 さて 何の順番?
 この94番目とは 社会における女性の地位のことだ。
近代国家とは言いがたい数字。
経済大国ニッ本と言われた頃は 男性も元気があったせいか 社会では男性が女性の上に君臨していた。
それが 結構 長く続いて 日本はまだまだ 男性中心のしゃかいだ。
いまだに  日本女性は 特に 社会においては虐げられている。

 それでも 国民が中流意識でいた時は まだまだ 女性側の意識も低かった。

日本の経済が手詰まりとなり 物が売れなくなった今
  物を買って経済を動かしている人達は誰かと考えて 女性がイニシアチブを取っていることに気付いた会社では
女性の目で見た物造りや アイデアを取り入れて 業績を伸ばしている会社も出てきた
そして 彼女たちは会社での地位を上げている。
 追い詰められている男性からは 素晴らしいアイデアが出てこないのだそうだ。

 今や 車を買う時の決定権は女性が8割だとか。
だから 社内でお化粧がしやすいようにするなど 女性ならではの設計がまかり通る
時代。
しかし 日本の政界を見てみると 暗い影が見える。
 今日 第二次管内閣の閣僚の陣容が発表されたが 女性は一人。
 これでは 94番目から もっと 転落してゆくのではないか。

 一方 日本の家庭では妻の方が強いのが普通かな。
もしくは イーブンの力関係で毎日を生きているだろう。
 これが 名瀬 社会的に生きてこないのだろうか?

しかし 女性の企業家の方が男性よりも 成功率は高いし やめてゆかないとか。 
まだ まだ 少数だが認められている女性は増えつつある。
 女性軍 頑張れ。
 盲導犬の世界では オスもメスも上下関係は一切なし。
 そう考えると メス犬の方が 日本女性よりも社会的地位は高そうだ。

ニッキーの鏡開き

2011年01月12日 | 日記
 鏡開きと切り餅

 昨日は鏡開き。我が家には一個も用意しなかった鏡餅だが 昼食に食べようと 調理大に置いたはずの切り餅が無い。
 周りを見ても無い。
ははん これはニッキーの仕業だと 確信したおかあさん。ニッキーのハウスを捜索した。あった!
あったのはプラスティックの放送だけ。後は 白くて硬い小さな塊が1個。
ニッキーの鏡開きだ。

 あの硬いお餅を食べちゃったの?????

 ニッキーは知らん顔で寝ていた。

 そして 今日 いつもの倍の量のツウ。
もう 呆れてしまったおかあさん。
 ついでに ニッキーの為にと残しておいたりんごの一切れも失敬された。
油断もすきもないね。
 
 膀胱炎は大分良くなっているが まだ ワンの回数が普段より多い。それに 室内でも さっと ワンをしてくれる。外に出なくて済むので
おかあさんとしては助かるが これが膀胱炎のせいなら 今後 又外でしかしないのかな。
 どこででも 袋を付ければワンツウをしてくれる盲導犬が 私にとっては大助かりの
優秀犬だ。

 膀胱炎の所見としておかあさんが気付いたのが尻尾の付け根から指 4本くらいの背骨の周辺だ。
良く触察してみると その辺りが分厚くなって ぼやっとしている。
 今日はその所見が殆ど消えて背骨がすっきりと触れる。
 常にニッキーの体を触って 状態を観察しているので違いが判った。
 健康管理にはこれから もっと しっかりと観察をしなければと思った。おかあさん。
ちなみに おとうさんは 殆どニッキーに触らない。

低体温の原因を自己分析してみると....

2011年01月11日 | 日記
自己分析した低体温の原因

 12月10日にオムロン社から簡便に測れる音声付体温計が発売された。
おかあさんは直ちに行政に申請して12月後半には入手。それから 毎晩
ベッドに入って体温を測っている。

 測ってみてびっくりしたことは自分が低体温であることだ

 毎日 大体 35度3分くらいだ。34度9分くらいのことも何度かあった。
不審に思って長く体温計を挟んでいても変わらない。

体調が優れなかったり アレルギー症状が強くなったりすることや
 このところ すぐに風邪を引きやすくなっており 又 ベッドに入ってからもなかなか寝付かれない。不眠とは思わないが
その分 朝 起きられない。
このような変化が出てきたのは  低体温に原因があるのではないか?

そのため 朝のニッキーのお世話は全ておとうさんに任せ霧だ。感謝 感謝。ありがとう。

 では どうして こんなにもていたいおんになってしまったのだろうか。
考えられることは 幾つかある。
まず その一つは夜の家事が終わってから かなり長い時間パソコンにしがみついている。
その為 同じ姿勢で長時間座りっきりでいる。血液循環が悪くなっている。
ついで 二つ目はお風呂から出てベッドに入るまでの時間が長い。
三つ目は 夜 パソコンで頭を使うので(と言っても 大したことをしている訳でもないのだが)なかなか寝付かれない。
すると 本が読みたくなって ついつい 寝ながら 朗読を聞いてしまう。
気付くと午前3時も過ぎている。

 こんな生活を日々送っているのだからさもありなんなのだ。
更におとうさんに指摘されたことだが
体全体の筋肉の割合が必要量より若干少ない。年齢に関係なく27%欲しいところだが おかあさんは24%)。
とすると 脂肪が多いことになる。それも冷えの原因かも。
 おかあさんは痩せている部類に入るのに。
これは生活習慣病への落とし穴かも知れない。

 さて これをどう改善するか。今年のおかあさんの課題はこれだ。

ニッキーの膀胱炎の経過

2011年01月10日 | 日記
ニッキーの膀胱炎 の経過

ニッキーの普段のトイレ場は家の前の路上。一般車両の通る道ではないので 割合安心してワンツウをさせられる。

 ところが 膀胱炎が始まってからはニッキー自身が外まで出るには間に合わないとはんだんするせいか リビングでさっと回転して座ってくれた

 ところが 今日の昼は室内ではやらないと言って 路へ出た。

午前中には 水をがぶがぶ飲んでいたが 午後にはそれも無くなり
ゆったりとハウスで寝ていた。


 ああ これは少し改善した兆しかな。

 膀胱炎は繰り返したり 弁インとして 別の病気が潜んでいたりするらしい。
しっかりと直さないと又 繰り返すとのこと。
外出先でのトイレの衝動は安全歩行が危うくなるので 今後とも観察を続けなけねば。

 さて 今日はおかあさんのバーースデー。信じがたいが65歳になった。
今までは聞き逃していた言葉がやけに気になる。それは 65歳から高齢者だのお年寄りだの 聞き捨てなら無いネディアから聞こえてくる声だ。

 これは 65歳になってみると誰でも経験する厳然たる事実なのだ。

 年金の支給が開始されたり 障害者の場合は
後期高齢者の保険制度に加入しませんかというお誘いまで来た。
介護保険へ制度への移行についてもインタビューが行われる。
要支援と決定されると 今利用している障害者の自立支援制度よりも
福祉サービスが低下すると言われる。

 何だか変。

 見えない目で清潔を保っていくのはヘルパーさんの力が必要だ。

 65歳はどうも生活が変わる年齢らしい。