風に色があるか 無いか
夕方4時に家の前の道路に手の掌を当ててみたら まだ ニッキーが歩くには熱すぎる。
しかし 何となく 風がいろ無き風 いろなきかぜ。
色無き風とは俳句の世界で使う言葉で秋風を意味する。
昨年の秋におかあさんが作った俳句。
窓全開 色無き風を 入れにけり がある。
窓を一杯に開けて おとうさんが風になって戻ってきてくれないかなと願う気持ちを詠んだ。
夏の風より ずっと風情があると想う。
さておかあさんが入会している句誌 春光で自選句 という欄がある。
それは 快の主選や指導してくれる先生は口を出さないので 自分勝手に出せ出句すれば載せてもらえる。
そこで 今回は ニッキー という台で詠んだ。
ニッキーの頭でとんぼ一休み
ニッキーと吾はユニット良夜かな
気遣いの出来る犬なり菊日和
うまくもなんともない句だが この中には
1は 愛らしいニッキーの姿 2は パートナーとしてのニッキーに対するおかあさんの信頼感 3には 人間より優れたところを沢山持っている盲導犬への憧憬がこめてある。そのように詠んでいただければ幸いである。
夕方 涼しくなった頃 ニッキーは珍しく外へ出たいような様子。それでは トイレがてら 生協へ買い物に行こうと外出。日曜日以来の外出でいそいそと出かけた。
早く このくらい涼しくなるといいなあ。
事故現場を目撃
昨日 海水浴で混雑する三浦海岸から 混雑を避けてくるまで帰宅途中 発生したばかりと思える事故現場に通りかかった。
同乗者の説明によると 大型バイクが転がっていて その下にドライバーが倒れている。恐ろしいことに その人の首はあらぬ方を向いているとのこと。
まだ 警察も救急車も到着していない。 傍に3台の無人の車が停めてある。
「自爆???。早く110番しなくちゃ。」。良く見ると 誰かが連絡をしている様子なので その場を離れた。
「あの人は身じろぎもしなかったから もう 死んでいるかも。」との話に声も出ない。
毎年のことだが 8月には海や山 又 車が原因で 思わぬ不幸が発生する。
熱中症で亡くなる人も後を絶たない。
いたましい限り。である。
残された者はこれらの事例を聞いて 気を付けるほかない。
今まで 身近な人々 自分の両親やおとうさんの両親の死に直面してきた。
しかし 高齢になって 病を得た後での死亡だったので 病気の苦しみから逃れられて良かったね。と見送っていた。
その時は死 そのものを自分の身近なこととしては 考えなかった。
昨年のおとうさんの急な死を経験して 人は必ず みんな 誰でも 死ぬのだと思い知ったのである。
そうなると 死んで その後はどこへ行くのだろうと考えざるを得ない。
この問題をクリアしたおとうさんはさわやかな週末を送った。死んだら天国へ行けると信じた。
そして おかあさんがやってくるのを 首を長くして待っている。
こう 言っても おかあさんが 天国へ直行するかどうかは 分らないが。
おとうさんが天国にいることを信じているおかあさん。
「寂しくなりましたね」 と言われるけれど おとうさんの居場所? がわかっているおかあさんは心静かに最愛の人の死を受け入れられている。
先ほど読んでいた小説に 姓死 不二 (しょうし ふじ)の言葉が出てきた。
仏教用語らしいが 生きることと 死ぬことは 同一線上にある切り離せないものらしい。
いつかは来る死を いつも 心の片隅に於いて 残る人のために エンディング ノート を書き始めたおかあさん。子供がいないので 書くことが山ほどある。
こんな事を書くからといって 決して おかあさんが暗く
打ち沈んでいるわけではないのでご安心を
昨日 海水浴で混雑する三浦海岸から 混雑を避けてくるまで帰宅途中 発生したばかりと思える事故現場に通りかかった。
同乗者の説明によると 大型バイクが転がっていて その下にドライバーが倒れている。恐ろしいことに その人の首はあらぬ方を向いているとのこと。
まだ 警察も救急車も到着していない。 傍に3台の無人の車が停めてある。
「自爆???。早く110番しなくちゃ。」。良く見ると 誰かが連絡をしている様子なので その場を離れた。
「あの人は身じろぎもしなかったから もう 死んでいるかも。」との話に声も出ない。
毎年のことだが 8月には海や山 又 車が原因で 思わぬ不幸が発生する。
熱中症で亡くなる人も後を絶たない。
いたましい限り。である。
残された者はこれらの事例を聞いて 気を付けるほかない。
今まで 身近な人々 自分の両親やおとうさんの両親の死に直面してきた。
しかし 高齢になって 病を得た後での死亡だったので 病気の苦しみから逃れられて良かったね。と見送っていた。
その時は死 そのものを自分の身近なこととしては 考えなかった。
昨年のおとうさんの急な死を経験して 人は必ず みんな 誰でも 死ぬのだと思い知ったのである。
そうなると 死んで その後はどこへ行くのだろうと考えざるを得ない。
この問題をクリアしたおとうさんはさわやかな週末を送った。死んだら天国へ行けると信じた。
そして おかあさんがやってくるのを 首を長くして待っている。
こう 言っても おかあさんが 天国へ直行するかどうかは 分らないが。
おとうさんが天国にいることを信じているおかあさん。
「寂しくなりましたね」 と言われるけれど おとうさんの居場所? がわかっているおかあさんは心静かに最愛の人の死を受け入れられている。
先ほど読んでいた小説に 姓死 不二 (しょうし ふじ)の言葉が出てきた。
仏教用語らしいが 生きることと 死ぬことは 同一線上にある切り離せないものらしい。
いつかは来る死を いつも 心の片隅に於いて 残る人のために エンディング ノート を書き始めたおかあさん。子供がいないので 書くことが山ほどある。
こんな事を書くからといって 決して おかあさんが暗く
打ち沈んでいるわけではないのでご安心を
おとうさんの逝去から1年の記念祭
今日も暑かったですね。
昨年の8月30日に おとうさんは天国へと旅立ちました。今日は それを記念して 礼拝をして頂き 食事をして 午後 暑い中を 教会のお墓に参りました。
ニッキーも参ったのですが もう 一つ 違う意味で参ってしまった
ニッキー。
教会のお墓は三浦半島の先端部 標高50メートルの丘の上にあります。
算法を 林のような 山のような緑に囲まれているので 着いたときは 陰になっていました。
しかし 地面に触ってみると 先ほどまで地面が燃えていたことが 分かりました。
ニッキーには先端を切った 靴を履かせていたので 大丈夫だと思ったけれど
ハ「アハア」といい続けていました。
早く 引き上げればよかったのだけれど ちょっと時間が掛かってしまった。
帰る前に お茶を飲んで行こう とレストハウスに入ったら 可愛そうに ニッキーはダウンしてしまったのです。
大好きな おいしいお水 も飲まない。 これは困ったと タオルを濡らして 保冷財を体に当て 靴を脱がしたら漸息をついた感じ。
それから ハーネスもゆるめて 足の裏を冷やしました。
歩かなかったら タンカ が必要だわ。そうなったらどうしましょう。
暫く 休ませたら 立ち上がりましたので 良かった。
車の中では あごと前胸部に冷たいタオルを当てました。
帰宅後は お水も飲んで ご飯はいつものように食いつきガ良かったのでやれやれ。
今年は 特別の日で無い限り 暑さの中での歩行はしなかった。その間 必ず 冷房の中で過ごしていたのが 暑さ負けをした原因かな。
それにしても 地面が熱いから靴を履かせるという単純な考えではいけないことが判明しました。
必要なくなったら すぐに脱がせる配慮が必要でした。
今日の体験も 実際に起こってみないと分からない事でした。おとうさんが教えてくれたかしら。
今日の記念祭は多くの教会の皆様にお世話になりました。
おとうさんの死が縁で おかあさん達に優しい人たちを招いてくれたことを感謝して ありがとう といいました。
今日も暑かったですね。
昨年の8月30日に おとうさんは天国へと旅立ちました。今日は それを記念して 礼拝をして頂き 食事をして 午後 暑い中を 教会のお墓に参りました。
ニッキーも参ったのですが もう 一つ 違う意味で参ってしまった
ニッキー。
教会のお墓は三浦半島の先端部 標高50メートルの丘の上にあります。
算法を 林のような 山のような緑に囲まれているので 着いたときは 陰になっていました。
しかし 地面に触ってみると 先ほどまで地面が燃えていたことが 分かりました。
ニッキーには先端を切った 靴を履かせていたので 大丈夫だと思ったけれど
ハ「アハア」といい続けていました。
早く 引き上げればよかったのだけれど ちょっと時間が掛かってしまった。
帰る前に お茶を飲んで行こう とレストハウスに入ったら 可愛そうに ニッキーはダウンしてしまったのです。
大好きな おいしいお水 も飲まない。 これは困ったと タオルを濡らして 保冷財を体に当て 靴を脱がしたら漸息をついた感じ。
それから ハーネスもゆるめて 足の裏を冷やしました。
歩かなかったら タンカ が必要だわ。そうなったらどうしましょう。
暫く 休ませたら 立ち上がりましたので 良かった。
車の中では あごと前胸部に冷たいタオルを当てました。
帰宅後は お水も飲んで ご飯はいつものように食いつきガ良かったのでやれやれ。
今年は 特別の日で無い限り 暑さの中での歩行はしなかった。その間 必ず 冷房の中で過ごしていたのが 暑さ負けをした原因かな。
それにしても 地面が熱いから靴を履かせるという単純な考えではいけないことが判明しました。
必要なくなったら すぐに脱がせる配慮が必要でした。
今日の体験も 実際に起こってみないと分からない事でした。おとうさんが教えてくれたかしら。
今日の記念祭は多くの教会の皆様にお世話になりました。
おとうさんの死が縁で おかあさん達に優しい人たちを招いてくれたことを感謝して ありがとう といいました。
お茶を飲んで行って下さい
我家のの風呂場のシャワーヘッドが壊れた。夏休みがあけるのを待って 懇意にしている電気屋さんに電話。
その電気屋さんとは長い付き合いで 電球一個でも付けに来てくれる 有難い存在である。
日中の暑い中を来てくれて 必要な物が何かをチェック。仕事は たった それだけで終わった。
それで帰ってもらうには申し訳ないので 電気屋さんが熱いお茶が好きなのを思い出して 声がけ。
すぐに お茶を入れた。そして 自分にも入れて 夏休み中の事などを話し田。
「それでは」と立ち上がったので 挨拶をして 見送った。。
さて それでは お茶碗を洗おうかと思いテーブルを探ったが ない。
「あれ お茶碗は どこにあるの
????」。そこで 気が付いたおかあさん 入れただけで 台所に置いたまま 電気屋さんにお茶を差し上げなかったのだった。
何としたことでしょう。
申し訳ないやら おかしいやら 恥ずかしいやら 。迂闊というよりも これは
完全に呆けだ と思うと
遣る瀬無い思い出一杯になった。
これは 誤らなければと思い すぐに お店に電話をして 奥様に事情を話して 誤って欲しいと頼んだ。
奥様は 優しいので 「私も同じ事をしますよ」なんて
慰めてくださった。
ニッキーは おかあさんは 又 何か 失敗をしたのね とあたふたしているおかあさんを眺めていた。
こんな失敗は いえないから起こったことでは無い。しかし こんな失敗をすると おかあさんの神経は ピューとはじかれて 今後 同じ失敗はすまいとピリッとする。
数日後に彼は納入に見えるので その時はおいしいお茶とお菓子を出してあげよう。
さて 明日は おとうさんの一年祭だ。今日 遺影の入った写真のガラスと枠を きれいに研いた。
数年前に 彼の始めての歌の発表会で 「千の風になって」を歌った。明日行く教会のお墓に 彼の魂がとどまっているか どうか。
多分 失明してから自由に歩けなかった分を取り戻すべく 風になっって あちらこちらを吹き渡っているのではないかと思う。
銀漢や 幸福の味 知っている。 悠佳
銀漢とは 夜空に輝くお星様になってしまった男性を刺す季題。
我家のの風呂場のシャワーヘッドが壊れた。夏休みがあけるのを待って 懇意にしている電気屋さんに電話。
その電気屋さんとは長い付き合いで 電球一個でも付けに来てくれる 有難い存在である。
日中の暑い中を来てくれて 必要な物が何かをチェック。仕事は たった それだけで終わった。
それで帰ってもらうには申し訳ないので 電気屋さんが熱いお茶が好きなのを思い出して 声がけ。
すぐに お茶を入れた。そして 自分にも入れて 夏休み中の事などを話し田。
「それでは」と立ち上がったので 挨拶をして 見送った。。
さて それでは お茶碗を洗おうかと思いテーブルを探ったが ない。
「あれ お茶碗は どこにあるの
????」。そこで 気が付いたおかあさん 入れただけで 台所に置いたまま 電気屋さんにお茶を差し上げなかったのだった。
何としたことでしょう。
申し訳ないやら おかしいやら 恥ずかしいやら 。迂闊というよりも これは
完全に呆けだ と思うと
遣る瀬無い思い出一杯になった。
これは 誤らなければと思い すぐに お店に電話をして 奥様に事情を話して 誤って欲しいと頼んだ。
奥様は 優しいので 「私も同じ事をしますよ」なんて
慰めてくださった。
ニッキーは おかあさんは 又 何か 失敗をしたのね とあたふたしているおかあさんを眺めていた。
こんな失敗は いえないから起こったことでは無い。しかし こんな失敗をすると おかあさんの神経は ピューとはじかれて 今後 同じ失敗はすまいとピリッとする。
数日後に彼は納入に見えるので その時はおいしいお茶とお菓子を出してあげよう。
さて 明日は おとうさんの一年祭だ。今日 遺影の入った写真のガラスと枠を きれいに研いた。
数年前に 彼の始めての歌の発表会で 「千の風になって」を歌った。明日行く教会のお墓に 彼の魂がとどまっているか どうか。
多分 失明してから自由に歩けなかった分を取り戻すべく 風になっって あちらこちらを吹き渡っているのではないかと思う。
銀漢や 幸福の味 知っている。 悠佳
銀漢とは 夜空に輝くお星様になってしまった男性を刺す季題。
少し 減ったかな ニッキーの抜け毛
ニッキーの抜け毛はまだ続いている。今年は 2月4日ごろ始まった。それ以来 半年と半月 毎日 毎日のブラッシングで抜け続けている。
いつまで続くのかと思うけれど ニッキーをきれいに保つことが
ニッキーへの恩返し。
最近は少しづつ抜け毛が減っている。ニッキーの協力ぶりはは表彰ものだ。
子一時間の間 黙って付き合ってくれる。ありがとう ニッキー。いつもきれいでいてくれて
昔と違って 最近は盲導犬の管理方法も楽になっているようだ。
明日は忘れずに フィラリアの薬を飲ませなければならない。この薬のお陰だろうか 怖い病気から免れている。
10年位前に 大学教授で盲導犬を使用していた方の講演を聞いた。
その頃は パートナーの毛についたダニを退治するのに お線香で焼いたと話していた。
その話を聞いて おかあさん達は 盲導犬の使用を諦めていた。
今では フロントラインという薬剤を首の後に垂らして体がそれを吸収 皮脂腺を通して全身に廻す。
どなたがこんな方法を考えたのか知らないが パーフェクトに蚤やダニがつくのを阻止してくれている。
大いに 感謝している。 おかげさまで 全く目が見えなくても
この二つの薬だけで 健康を維持して 且つ 清潔に保ちながら パートナーを育てられる。
きれいな毛を保つのは 健康管理の第一歩。
明日も あさっても 汗をかきながら ブラッシングを続けるおかあさん。
お互いの為だね。
ニッキーの抜け毛はまだ続いている。今年は 2月4日ごろ始まった。それ以来 半年と半月 毎日 毎日のブラッシングで抜け続けている。
いつまで続くのかと思うけれど ニッキーをきれいに保つことが
ニッキーへの恩返し。
最近は少しづつ抜け毛が減っている。ニッキーの協力ぶりはは表彰ものだ。
子一時間の間 黙って付き合ってくれる。ありがとう ニッキー。いつもきれいでいてくれて
昔と違って 最近は盲導犬の管理方法も楽になっているようだ。
明日は忘れずに フィラリアの薬を飲ませなければならない。この薬のお陰だろうか 怖い病気から免れている。
10年位前に 大学教授で盲導犬を使用していた方の講演を聞いた。
その頃は パートナーの毛についたダニを退治するのに お線香で焼いたと話していた。
その話を聞いて おかあさん達は 盲導犬の使用を諦めていた。
今では フロントラインという薬剤を首の後に垂らして体がそれを吸収 皮脂腺を通して全身に廻す。
どなたがこんな方法を考えたのか知らないが パーフェクトに蚤やダニがつくのを阻止してくれている。
大いに 感謝している。 おかげさまで 全く目が見えなくても
この二つの薬だけで 健康を維持して 且つ 清潔に保ちながら パートナーを育てられる。
きれいな毛を保つのは 健康管理の第一歩。
明日も あさっても 汗をかきながら ブラッシングを続けるおかあさん。
お互いの為だね。
魚釣島ってどんな所?
フリー百科事典 ウイスペヂアによると
以下 引用
魚釣島
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を元に作成
座標 北緯25度44分49.8秒
東経123度28分49.7秒
面積 3.82 km2
海岸線長 11[1] km
最高標高 363 m
最高峰 奈良原岳
所在海域 東シナ海
所属諸島 尖閣諸島
所属国・地域 日本の旗 日本・沖縄県石垣市
ここまでが引用
昔は この島田か岩礁だか分らないけれど ここに人が住んだこともあると聞いた。
この島に 香港から船で不法入国してきた中国人が逮捕された。
一つの国が大国になって 権威や威力で他の国を蹂躙してきたことは 歴史を見たら よく分る。
今回 台湾からも上陸すると報道されていたが 結局 上からの力で 実行に至らなかった。
情報を見ていると 台湾も自国の領土だと主張しているらしい。
本当はどこの国の領土なのか その根拠は何なのか はっきりと出来るのか。
どうも このニュースに関しては 日本でも わが国の領土と言い募るが その理由付けをきちんと言わない報道が多いような気がする。
島に上がろうと思ったら 船から泳いで渡るほかないのなら まわりに島に上がれないように 鉄条網でも張ったら堂。
なんて わけの分らないことを言っているおかあさんです。
今日のニッキーはいつも通り 寝てばかり
昨年までと違う点は トイレのワンはどんなときでも 家の中で 出来るようになったこと。これで 昼間の 焼けた地面の上を歩かなくても住むようになった。
一人でお留守番も出来るし 随分 楽になったおかあさん。
フリー百科事典 ウイスペヂアによると
以下 引用
魚釣島
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を元に作成
座標 北緯25度44分49.8秒
東経123度28分49.7秒
面積 3.82 km2
海岸線長 11[1] km
最高標高 363 m
最高峰 奈良原岳
所在海域 東シナ海
所属諸島 尖閣諸島
所属国・地域 日本の旗 日本・沖縄県石垣市
ここまでが引用
昔は この島田か岩礁だか分らないけれど ここに人が住んだこともあると聞いた。
この島に 香港から船で不法入国してきた中国人が逮捕された。
一つの国が大国になって 権威や威力で他の国を蹂躙してきたことは 歴史を見たら よく分る。
今回 台湾からも上陸すると報道されていたが 結局 上からの力で 実行に至らなかった。
情報を見ていると 台湾も自国の領土だと主張しているらしい。
本当はどこの国の領土なのか その根拠は何なのか はっきりと出来るのか。
どうも このニュースに関しては 日本でも わが国の領土と言い募るが その理由付けをきちんと言わない報道が多いような気がする。
島に上がろうと思ったら 船から泳いで渡るほかないのなら まわりに島に上がれないように 鉄条網でも張ったら堂。
なんて わけの分らないことを言っているおかあさんです。
今日のニッキーはいつも通り 寝てばかり
昨年までと違う点は トイレのワンはどんなときでも 家の中で 出来るようになったこと。これで 昼間の 焼けた地面の上を歩かなくても住むようになった。
一人でお留守番も出来るし 随分 楽になったおかあさん。
たいこうばんとう ってなあに?
今日は終戦記念日。その日に香港から尖閣諸島に乗り込んでくる人たちがいる。日本では
終戦と位置づけているが 世界のあちらこちらの国ではまだまだしこりを残しているのが現状。
先日 教会の便りの中にこんな俳句を見つけた。誰の句か おかあさんは知らないが
日本人にとっては 苦悩と希望の篭った俳句だ。
八月は六日九日十5日
はちがつはむいかここのかじゅうごにち
さて 世の中には常識では推し量れない不思議な物が沢山ある。桃のお話だが 生まれて初めて聞いてびっくり。
こうばんとう という扁平な桃のニュースを聞いて 早速調べてみた。
文字は 大紅蟠桃 と書いて たいこうばんとう もしくは だいこうばんとう と読ませている。
この蟠と言う字は わだかまると読むが 桃の形が うずくまる ような形をしているとのこと。紅色がつくのだから 桃独特の濃い紅色をしているのだろうか。
この桃は 西遊記の中で 孫悟空が桃園の万人をしていたときに 不老不死と言われた大紅蟠桃を食べつくして逃亡したいわくつきの桃。
日本には明治時代に輸入されたとのことで 形がぺったんこで 私達が知っている桃とは全く形が違うらしい。
収穫時期は7月末から8月中旬に掛けて。おかあさんは早速注文しようと思ったけれど 既に完売とのこと。見るとその農園でも100キロくらいしか収穫が無い。実に珍品だ。
果肉は城桃のように白く しっかりした奄美があるという。
これは 是非とも来年は手に入れたい桃だ。
ちなみに 黄桃 おうとう が出てくるのは 白桃が終わってからだ。9月中ごろまでがシーズンだ。
ネットを見ていると桃は追熟すると書いてあった。
以前産地見学でやなましの桃園を訪ねたとき 桃は追熟しないと教わって 本当かしらと疑っていたが やはり 追熟する。
だから 堅い桃でも何日か待っていると ッるつト皮が剥けるようになるのだ
昔よりも 夏の暑さが厳しいだけ 追熟する日にちが短くなってきている。お陰で 食べごろを見極めるのが 難しくなっている。
箱で買うと 一度に 完熟して 困ってしまう。
だからと言って ニッキーさん どうぞ とはゆかないのである。
桃を見ると 昨年のニッキーの桃事件を思い出す。
大きな桃を 種ごと ぺろっと食べタニッキー。おかあさんは すぐにそれに気付いて 種を探したがどこにも見つからない。おかあさんの頭には 腸閉塞で苦しむニッキーの姿が頭にうかんで ヒヤリ ドキドキ。
これは 大事になったらどうしよう....。
そして 歩いて4分もかからない動物クリニックへタクシーを呼んで乗りつけた。
幸い 直後だったので ニッキーは種を吐き出すことが出来たが この事件は おかあさんに強い反省の念を抱かせた。
こんなことをさせてしまった自分がいやになった。
ニッキーは この話を他の人にする度に「いやだ しゃべらないで。」と
恥ずかしがった。
あれ以来 ニッキーの前には 食べられるものを置きっ放しにしないことを決意。
時々 酸化防止剤が床に転がっている程度で済んでいる。
ユーザー仲間の盲導犬は ティッシュペーパーの箱の半分を食べてしまった。
留守番をさせていた時の話らしい。留守番をさせる時は リードでつないでいないと失敗をすることがある。 ただし この同じ盲導犬だが 皮皮製のリードを噛んで食べてしまったというから こういう子には ケージが必要なんだね。
普段よりもウンチの量が多いのでクリニックで調べたら ティッシュペーパーが見つかったとのこと。
33キロある大きい子だったのと 食事時に500ccの水を飲ませていたので便として超を通過したらしい。
腸閉塞にならずに住んでやれやれだ。
皮製のリードを食べた話は時々聞くが ニッキーはしない。
10キロのお米を食べた子もいるとか。
盲導犬が食べてはいけないものを食べたエピソードは色々あるだろうが
ユーザー達は黙っている人が多い。
今日は終戦記念日。その日に香港から尖閣諸島に乗り込んでくる人たちがいる。日本では
終戦と位置づけているが 世界のあちらこちらの国ではまだまだしこりを残しているのが現状。
先日 教会の便りの中にこんな俳句を見つけた。誰の句か おかあさんは知らないが
日本人にとっては 苦悩と希望の篭った俳句だ。
八月は六日九日十5日
はちがつはむいかここのかじゅうごにち
さて 世の中には常識では推し量れない不思議な物が沢山ある。桃のお話だが 生まれて初めて聞いてびっくり。
こうばんとう という扁平な桃のニュースを聞いて 早速調べてみた。
文字は 大紅蟠桃 と書いて たいこうばんとう もしくは だいこうばんとう と読ませている。
この蟠と言う字は わだかまると読むが 桃の形が うずくまる ような形をしているとのこと。紅色がつくのだから 桃独特の濃い紅色をしているのだろうか。
この桃は 西遊記の中で 孫悟空が桃園の万人をしていたときに 不老不死と言われた大紅蟠桃を食べつくして逃亡したいわくつきの桃。
日本には明治時代に輸入されたとのことで 形がぺったんこで 私達が知っている桃とは全く形が違うらしい。
収穫時期は7月末から8月中旬に掛けて。おかあさんは早速注文しようと思ったけれど 既に完売とのこと。見るとその農園でも100キロくらいしか収穫が無い。実に珍品だ。
果肉は城桃のように白く しっかりした奄美があるという。
これは 是非とも来年は手に入れたい桃だ。
ちなみに 黄桃 おうとう が出てくるのは 白桃が終わってからだ。9月中ごろまでがシーズンだ。
ネットを見ていると桃は追熟すると書いてあった。
以前産地見学でやなましの桃園を訪ねたとき 桃は追熟しないと教わって 本当かしらと疑っていたが やはり 追熟する。
だから 堅い桃でも何日か待っていると ッるつト皮が剥けるようになるのだ
昔よりも 夏の暑さが厳しいだけ 追熟する日にちが短くなってきている。お陰で 食べごろを見極めるのが 難しくなっている。
箱で買うと 一度に 完熟して 困ってしまう。
だからと言って ニッキーさん どうぞ とはゆかないのである。
桃を見ると 昨年のニッキーの桃事件を思い出す。
大きな桃を 種ごと ぺろっと食べタニッキー。おかあさんは すぐにそれに気付いて 種を探したがどこにも見つからない。おかあさんの頭には 腸閉塞で苦しむニッキーの姿が頭にうかんで ヒヤリ ドキドキ。
これは 大事になったらどうしよう....。
そして 歩いて4分もかからない動物クリニックへタクシーを呼んで乗りつけた。
幸い 直後だったので ニッキーは種を吐き出すことが出来たが この事件は おかあさんに強い反省の念を抱かせた。
こんなことをさせてしまった自分がいやになった。
ニッキーは この話を他の人にする度に「いやだ しゃべらないで。」と
恥ずかしがった。
あれ以来 ニッキーの前には 食べられるものを置きっ放しにしないことを決意。
時々 酸化防止剤が床に転がっている程度で済んでいる。
ユーザー仲間の盲導犬は ティッシュペーパーの箱の半分を食べてしまった。
留守番をさせていた時の話らしい。留守番をさせる時は リードでつないでいないと失敗をすることがある。 ただし この同じ盲導犬だが 皮皮製のリードを噛んで食べてしまったというから こういう子には ケージが必要なんだね。
普段よりもウンチの量が多いのでクリニックで調べたら ティッシュペーパーが見つかったとのこと。
33キロある大きい子だったのと 食事時に500ccの水を飲ませていたので便として超を通過したらしい。
腸閉塞にならずに住んでやれやれだ。
皮製のリードを食べた話は時々聞くが ニッキーはしない。
10キロのお米を食べた子もいるとか。
盲導犬が食べてはいけないものを食べたエピソードは色々あるだろうが
ユーザー達は黙っている人が多い。
久々の昼間の外出にわくわくニッキー
午前中の雨で 地面の熱が上がらなかったので 午後 ニッキーは昼間の外出。
「今日はお出かけ」と言うと 大嫌いなマナーコートにも素直に頭を通す。お迎えが来るまで 置いて行かれては大変と おかあさんから目を離さない。
1ヶ月以上 夜のちょっとした外出以外は車でのお出かけだったので 久しぶりに 歩いて駅まで行った。おかあさんは すっかり ペット化したかしらと心配していたけれど 歩行はベリー グッド。
帰りは ワンとツウをしっかりしてくれて 優等生だ。
帰りは太陽が出たから 蒸し暑くなった。ハアハア言って帰ってきて 水に氷を入れたら 氷をカリカリ噛んで 美味しそう。
こんな 当たり前の外出が早く出来るような気候になってね。
今回 このあたりには 少ししか 雨が降らなかった。時間当たり 100ミリメートル以上の雨が降っている場所もある。
落雷で御神木の楠が落雷で焼けたニュースを聞いて作った川柳
ご神木焼いて落雷捕らえられ 悠佳
午前中の雨で 地面の熱が上がらなかったので 午後 ニッキーは昼間の外出。
「今日はお出かけ」と言うと 大嫌いなマナーコートにも素直に頭を通す。お迎えが来るまで 置いて行かれては大変と おかあさんから目を離さない。
1ヶ月以上 夜のちょっとした外出以外は車でのお出かけだったので 久しぶりに 歩いて駅まで行った。おかあさんは すっかり ペット化したかしらと心配していたけれど 歩行はベリー グッド。
帰りは ワンとツウをしっかりしてくれて 優等生だ。
帰りは太陽が出たから 蒸し暑くなった。ハアハア言って帰ってきて 水に氷を入れたら 氷をカリカリ噛んで 美味しそう。
こんな 当たり前の外出が早く出来るような気候になってね。
今回 このあたりには 少ししか 雨が降らなかった。時間当たり 100ミリメートル以上の雨が降っている場所もある。
落雷で御神木の楠が落雷で焼けたニュースを聞いて作った川柳
ご神木焼いて落雷捕らえられ 悠佳
地面の熱さが緩んだので 散歩に出た。夜の散歩は危険が多い。
なぜなら 車の走行音が静かになったからだ。おまけに お母さん達が歩いていると 車は徐行してくれるので 余計に音が静かになる。
ニッキーのトイレをさせる時は余計に危ない。おかあさんの注意も車からそれることがあるからだ。
でも 危険を知らせるのに クラクションは使わないで。徐行しているのだから 停止して 声を掛けて欲しい。
それが人に対する気遣いです。
今朝はオリンピックの閉会式をラジオで聞いた。
花火を効果的に使い 音楽も美しかった。
夕べは新体操のリボンフープとかいうものの最終戦を聞いた。テレビのので どんな協議なのか分らない。
昔 見たリボン協議はは驚くほど長くて それを落下させずに身に巻きつけずに操っている選手達に拍手を送ったものだ。
あれから 何十年も経ったのだから どんな風に進歩しただろうか。
ロシアは金メダルを取ったが アナウンサーの説明を聞いているだけでも その美しさが伝わってきた。
日本のチームは リボンを落とさずに 頑張りましたねという感じで7位。
見えなくても 美しいものは美しいと感じさせる力を持っている。
やはり トップアスリートの世界は一見に値する。
オリンピックとは美の競演なんだね。
痛ましい水難事故 交通事故
このところのニュースを聞いていると 何と多くの若い方々が 水難事故で亡くなって
いることか。
又 高速道路での事故も多い。おかあさんも 昔 東名高速道路で車両事故を体験した。
乗っていた車のラジエーターだか何だか忘れたが 走行中に爆発したのだ。
幸い 運転していた会社の上司が路側帯に注射させて 命に別状は無かった。
結構 長時間救援の車を待って 路側帯に止まっていた。その時 後からトラックにでもぶつけられたら 今のおかあさんは存在しない。
22歳のとき 追突されて鞭打ち症になった。 それが原因で 視神経萎縮を起こし 40歳ごろには見えなくなった。
生まれつき楽天家なのか呑気なのか お気楽なのか 今の状況をそれなりに受け入れて生活をたのしんでいるが 何が良くて 何が悪かったかは 考え方次第で何とかなる。
しかし 死んでしまったら 少なくとも この世での幸せは得られない。
日本の昨年の人口は一昨年より26万人減少している
今 他界してゆく若い人たちが これからの日本に貢献出来ないことを考えると それだけでも 大いなる損失ではないか。
命は大切にしようね。
2日前 おかあさんは寝ていて左胸が苦しくなった。久しぶりの苦痛だった。
せっかく ガンの疑いが消えたのだから 心晴れ晴れと生きて行けると思ったが 伏兵がいた。
これは調べても何もでないガスみたいなものだ。
おとうさんが生きていたら 背中の一つでも押してもらうのに。
こう言っても せんないこと。おとうさんは天国にいる。
さて 先月から このブログにコメントを書けるようにしたのだが お気づきであろうか。
今日も一通届いて嬉しかった。
その方もブログを書かれているが お知らせのアドレスを覗いてみたが ブログに辿りつけなかった。
残念。おかあさんが音声パソコンを使っているからだろうか。
出来れば ブログの名前を書いていただければと思う。おかあさん。
このところのニュースを聞いていると 何と多くの若い方々が 水難事故で亡くなって
いることか。
又 高速道路での事故も多い。おかあさんも 昔 東名高速道路で車両事故を体験した。
乗っていた車のラジエーターだか何だか忘れたが 走行中に爆発したのだ。
幸い 運転していた会社の上司が路側帯に注射させて 命に別状は無かった。
結構 長時間救援の車を待って 路側帯に止まっていた。その時 後からトラックにでもぶつけられたら 今のおかあさんは存在しない。
22歳のとき 追突されて鞭打ち症になった。 それが原因で 視神経萎縮を起こし 40歳ごろには見えなくなった。
生まれつき楽天家なのか呑気なのか お気楽なのか 今の状況をそれなりに受け入れて生活をたのしんでいるが 何が良くて 何が悪かったかは 考え方次第で何とかなる。
しかし 死んでしまったら 少なくとも この世での幸せは得られない。
日本の昨年の人口は一昨年より26万人減少している
今 他界してゆく若い人たちが これからの日本に貢献出来ないことを考えると それだけでも 大いなる損失ではないか。
命は大切にしようね。
2日前 おかあさんは寝ていて左胸が苦しくなった。久しぶりの苦痛だった。
せっかく ガンの疑いが消えたのだから 心晴れ晴れと生きて行けると思ったが 伏兵がいた。
これは調べても何もでないガスみたいなものだ。
おとうさんが生きていたら 背中の一つでも押してもらうのに。
こう言っても せんないこと。おとうさんは天国にいる。
さて 先月から このブログにコメントを書けるようにしたのだが お気づきであろうか。
今日も一通届いて嬉しかった。
その方もブログを書かれているが お知らせのアドレスを覗いてみたが ブログに辿りつけなかった。
残念。おかあさんが音声パソコンを使っているからだろうか。
出来れば ブログの名前を書いていただければと思う。おかあさん。
どこで 何をして働くかを決める要因
1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災の後 神戸市の舞子高校には日本で唯一の 「防災課」が出来た。
おかあさんは13回忌とその翌年の慰霊祭に出席した。
1月17日の前後の神戸には 多くの防災関係者が集まる。それは 多くの セミナーや研究発表や話し合い交流が各地で開催されるからだ。
おかあさんはその開場の一つである舞子高校を訪れた。寒い 凍てつく日だった。
そこでは 防災課の高校生達の研究発表と障害者の防災をどうするかのシンポジュームが開かれた。
開場は熱気むんむんで 活発な意見発表が行われていた。
しかし 防災を職業とするには幼すぎる高校生の就職先となると その学業をを生かす職場は輝石を見つけるようなものと聞いて心を痛めていた。
ところが 今日 舞子高校の卒業生が 青年海外協力隊の一員として エル サルバドールで防災教育と指導に当たっていると話した。
聞くと 高校卒業と同時に NPOを立ち上げて防災に関することをしていたとのこと。その後 海外に出て エル サルバドールで防災教育と防災対策を指導してきた。
又 今年の9月から エル サルバドールで防災の指導に当たるとの事。
大きな災害が縁となって この方の進路が決められた訳だ。災いをもって吉となす 人生。大いに頑張っていただきたいと思う。
ところで エル サルバドール とはスペイン語で 意味は 救世主。イエス キリストを指す。
災害から エル サルバドールの人々を 救って欲しいものだ。
さて 昨日のブログの訂正。
タニダの体重計は タニタが正しい社名。今日 ヘルパーさんに読んでもらって 初めてわかった。
1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災の後 神戸市の舞子高校には日本で唯一の 「防災課」が出来た。
おかあさんは13回忌とその翌年の慰霊祭に出席した。
1月17日の前後の神戸には 多くの防災関係者が集まる。それは 多くの セミナーや研究発表や話し合い交流が各地で開催されるからだ。
おかあさんはその開場の一つである舞子高校を訪れた。寒い 凍てつく日だった。
そこでは 防災課の高校生達の研究発表と障害者の防災をどうするかのシンポジュームが開かれた。
開場は熱気むんむんで 活発な意見発表が行われていた。
しかし 防災を職業とするには幼すぎる高校生の就職先となると その学業をを生かす職場は輝石を見つけるようなものと聞いて心を痛めていた。
ところが 今日 舞子高校の卒業生が 青年海外協力隊の一員として エル サルバドールで防災教育と指導に当たっていると話した。
聞くと 高校卒業と同時に NPOを立ち上げて防災に関することをしていたとのこと。その後 海外に出て エル サルバドールで防災教育と防災対策を指導してきた。
又 今年の9月から エル サルバドールで防災の指導に当たるとの事。
大きな災害が縁となって この方の進路が決められた訳だ。災いをもって吉となす 人生。大いに頑張っていただきたいと思う。
ところで エル サルバドール とはスペイン語で 意味は 救世主。イエス キリストを指す。
災害から エル サルバドールの人々を 救って欲しいものだ。
さて 昨日のブログの訂正。
タニダの体重計は タニタが正しい社名。今日 ヘルパーさんに読んでもらって 初めてわかった。