ニッキ-通信 ~盲導犬ニッキ-のお母さんより~

盲導犬ニッキ-と私の日常。要援護者・障害者の防災について紹介します。

小倉百人一首にある大津波の記憶

2014年05月31日 | 日記

小倉百人一首と津波の記憶

 宮城県多賀城市の宝国寺の傍に黒松の松山があるそうだ。

 平安時代の貞観11年7月9日にこの地方を大地震が見舞った。
 その時 この黒松の足元まで大津波はやってきたが 松山を越えて その先まで行く子とは無かったと古い記録に詳細に書かれている。
 それを踏まえて951年に編まれた小倉百人一首の次の歌を見てみよう。 

(ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ
すゑのまつやま なみこさじとは)
清原元輔
(きよはらのもとすけは清少納言の父親)


 この歌は元歌が東歌あるが この貞観地震の記憶を都の人まで知っていたことになる。
 地震が発生してから約80年後に作られた歌だ。昔は こうして 歌を通じて 歴史が広まっていったのだ。

 そして 3.11の東日本大震災の時も 宝国寺の床下まで津波は押し寄せたが 松山は越その時の大地震と津波の犠牲者は 1000人に上り 多賀城界隈は海に鳴ってしまった。

 ここは多賀城市の観光名所になっているとか。
 どんな地形の場所なのか 行って確かめたいと思う。
 ネットを見ていると この清原元輔の和歌と津波を結び付けている人がいたことを知ることが出来る。

 おかあさんが疑問に思っていることの一つに 東北を襲った何階もの大地震を なぜ 多くの人の体内に刻まれなかったかということ。
 大地震の歴史を学んでいくと 東日本での発生件数は段突なのだから。記憶の中に刻まれていないことが不思議で仕方が無い。
 大地震の前後にも 大きくない地震に数多く遭遇していたら 次も 大したことはないと思うのかも知れない。
 ところで 地震のことを ナイ と呼んで痛そうなので 地震の記憶なんて 無いに等しいのか。

 過去は未来への明かり だと書いてあったのを 読んだことがあるが 伝承というのは聞き逃さないことだ。

 話は違うが 以前にも 焼けどの薬として 琵琶の葉を焼酎に漬け込んだものがよく効くと書いたが 多分 実行した人は少ないだろう。
 今日 それを教えてあげた患者さんが  やけどの薬としては勿論のこと 化粧水としても遣っていると言った。
 おかあさんも 最近 左の指 3本に熱湯をかけてしまい 火傷度2くらいまでになったが 抽出液を痛くなくなるまで付けたら その夜 お風呂でも全く 痛くなかった。
 この琵琶葉アルコールも昔からの伝承の品である。
 乾燥した大き目の葉を10枚くらい900ccの焼酎に3週間だけ漬け込む。3週間したら 葉を取り出せばOK。
 今 温室ものの琵琶が出回っている。美味しければ 種を植えておけば良い
実もなるし 一石二鳥である。 
 自宅に庭が無ければ どこかの公演の片隅にそっと植えておく。なんてことも可能かも。
我が家の琵琶の木には 今年も実がついている。
 

 


熱中症かしら?

2014年05月30日 | 日記

熱中症かしら?


 今日は暑かった横浜。午後2時に外出。ダンススタジオに着いたら 汗がどっと 噴き出してきた。何となく 頭が痛い。なかなか 汗がとまらないうちに レッスン開始。
 25分間 踊っていると汗がすごい。終わっても 汗が止まらない。頭が痛い。
顔が真っ赤だと言われ 冷たい水を飲んだら ほっと一息。
どうも 熱中症だね。
 早寝 早起きの規律正しい生活と 十分な水分補給。外出すると これが守れない。
特に出来ないのは早寝だ。


 昼間の暑さに比べて 夜間は涼しい。この涼しさの中でニッキーのブラッシング。昨年と比較すると毛の抜け方が少ない。
 脱毛状況は年々 違っている。 
今 健康状態を表して毛の状態は いいと思う。
一昨年の8月に おとうさんのお墓参りに言って ニッキーは熱中症で倒れた。ぐったりして かわいそうであったが 体全体を冷やして 事なきを得たのだった。
 ニッキーの熱中症も心配だが 今の所 水分の補給で問題は無い。
これからの4ヶ月は 外出させるかどうか 悩むところ。
 スーパー クール ビズの用に 夏向けのお仕事用のマナーコートを濡らしてきせるという手もあるが かえって むれてしまう恐れあり。
 暑いときは 出さないのが一番かな。でも せっかく いい歩行をしているのに。悩みが深い。


 


単純明快にして情緒を醸し出す俳句を作りたい

2014年05月28日 | 日記

 単純 明快のおかあさんの俳句

 おかあさんは 春光 という句誌に入会して 毎月 投稿している。
 今や 老人天国の雑誌となって 新入会員は皆無。日本でも 5本の指に入る歴史を持っているのに 発展性がないのが残念な現状だ。

 しかし 指導の先生がそこにも属しているので お世話になっているから文句は言えないのだ。。

 それにしても 昔の人は 何で 読めないような難しい漢字を使うのだろうか。
 結構 漢字は知っているおかあさんだが 届いた句誌を読んでもらっても
 お手上げの場合が多い。漢字の説明すら出来ないこともある。
 俳句を作る人は 辞書を片手に作るから どんな字でも平気で使うが それを読むほうは辞書など手元に無いから こんな減少が起こる。

 そんな中で おかあさんの句は単純明快 カタカナもどんどん取り入れるし ユーモアもある。

早く言えば 難しい言葉は知らないということ。時間をかけて 多くの俳句を読むと言葉や用語の使い方が練れてくるのだろうが それは 今更  殆ど 身に付かない。

分かる俳句と言えば NHK俳壇を聞いていても決して理解が出来ない なんてことは無い。

 これは 独りよがりの俳句ではなく 美しい短詩として 耳に快く響いてくるからだと思う。俳句は詩であり 詩の情緒が醸し出されないといけないと思う。
そんな俳句を心がけている。
 おかあさんの俳句は大したことはないのだが 今日 指導の先生が ちょっと嬉しい話をしてくれた。

 春光の7月号に おかあさんの投稿した5句が今までよりも ワンランク上のページに堂々と収まっているとの事。

 主選の目を引いたのが 次の句だそうだ。

春昼や会いたい時は目を閉じる

 これは おかあさんが最愛の亡き夫 つまり ニッキーのおとうさんに合いたくなったら とても 簡単 目を閉じるだけ という何の変哲も無い俳句なのだ。

目が見えていると 例えば 写真やビデオで 生前の姿を見て 思い出すことが出来る。

 全く見えない場合 どうやって 思い出すか これは問題でもあり 簡単でもある。
見える人と 逆のことをするのがいい。
 そんな 少し 複雑な気持ちを かったるいような春の午後に思って作った。
 おかあさんの情緒を読み取ってくれたのが嬉しい。

 さてこの句は ニッキーを詠んだ句だ。

 花吹雪盲導犬のカメラアイ

 ニッキーはきちんとシットしてカメラを凝視する。
 
 盲導犬の肖像権は盲導犬協会にあるので おかあさんは ニッキーの写真をブログにアップすることはしないが 実に魅力的な目をしているそうだ。
 女優で言うと ヘップバーンかな。

 最期にほめ過ぎて 親馬鹿を暴露してしまった。


物知りになれる話し方教室

2014年05月26日 | 日記

物知りに鳴る方法としての話し方教室

 おかあさんは 長らく 話し方教室に通っている。
 人間の生死には無関係なジャンルだからか話し方教室で知性や人間性 又は知恵をつけようとして長く続けようとする人は少なく 今や メンバーは片手で数えられる人数になってしまった。
今では 細々と2ヶ月に一回の割合で学んでいる。

 今日のテーマはサッカーに思うこと であった。
 おかあさんは まだ 見えている時には サッカーがテレビなどで報道されることは
聞いたことも無く 一度も見ないうちに 失明した。
 試合で分かるのはゴールとオフサイドだけ。試合の経過はどうでもよく 結果だけ知ればいいというほどの 無関心ぶりだった。
 しかし 長谷部誠選手が2011年に  27歳で書いた
心を整える 勝利をたぐり寄せる56の習慣 という本を読んで感銘を受け サッカーに
少し関心を向けるようになった。
 この本は発売以来 100万部を売り上げたそうだ。この本から入る利益は 東日本
大震災のために使われるというから すごいと思う。
 機会があったら 皆様も読んでみて欲しい。若いのに 教えられることが満載だ。。

 そこで 今日のクラスで おかあさんは 長谷部誠さんの話をした。
 他のメンバーは 作や 行われた アジア カップ 女子サッカーの話をした。
 今まで 身近にで サッカーの話を聞いたことが無かったので おかあさんは色々と
質問をした。
女子の日本代表のユニフォームの色さえ知らなかった。
 濃い青戸のことだが これは男子と同じ色なのかな。
 そして ワールドカップでは  エスコート キッズが選手と共に 入場すると聞いて感動。
今回は9964名の6歳から10歳までのサッカー キッズから抽選で選ばれた10数名がブラジルへ行って 選手と入場行進をして なお 且つ 子供同士で試合もするとのこと。
子供達にとっては 素晴らしい経験になるだろう。

 そこで この取り組みについて ネット検索をしてみた。
以下 ネットで調べたもの。
エスコート キッズとは?
エスコートキッズ、エスコートチルドレン、フェアプレーキッズとも言います。
国際サッカー連盟(FIFA)主催の国際大会など、各国リーグやJリーグの試合の際にも起用する場合があります。
 サッカーから始まった取り組みだが 今では
ラグビー東日本トップクラブリーグ決勝戦 でエスコート・キッズを初めて実施

2006年FIFAワールドカップドイツ大会では、大会スポンサーのマクドナルドが46カ国から1400人以上のエスコートキッズを募集し、日本からも11人がドイツへ派遣される。
Jリーグでは、サポーターからエスコートキッズを公募するクラブもある。南米の大会では、選手が自分の子供たちと共に入場したこともある。ワールドカップの試合の際に黄色い旗のフェアプレー・フラッグ(Fair Play Flag)を持つ子供達は、フラッグキッズと呼ぶ。

大会のホスト国やスポンサーなどが選び、出場選手と手をつないで入場し、ピッチ上で両チームの国歌斉唱が終わるまで付き添う。着用するユニフォームは主催者側などが用意する。

FIFAワールドカップでは1998年からエスコートキッズを起用し、フェアプレー・プロジェクトの一環として選手達が子供達の目の前で恥ずべき行為をしないよう、フェアプレーの象徴とする。国連が推進する児童虐待防止キャンペーンの意味もある。

 
 ここまでがネット検索。

 こんな素敵な取り組みがあるなんて 知らなかった。今回サッカーに思う のテーマが無かったら 一生知らないで過ごしただろう。
 全世界から集まってくる大人のサッカー選手たちを 食い入るように見つめる子供の目。どんなにゲームに熱くなっても 子供の存在を思い出して フェアプレーにまい進してもらいたいものだ。

 今回のブラジル大会の日本チームのキャプテンは やはり 長谷部誠選手だろうか。おかあさんも 応援するから みんな頑張ってね。

さて  帰りに 洋光台のサフランという名前のカレーレストランで 入店拒否をされた。過去3回はお客様が少なかったから 入店させたが 今日は大勢入っているので 駄目だと言う。
 座席が無いなら仕方が無いが 一卓でも空いているなら 入店拒否は出来ない。法律で守られているのだが

 店主はネパール人。最初に入店拒否をされた時 補助犬は日本の補助犬法で拒否してはいけないことが明記されていることを話して納得してくれたと思っていたが きちんと
理解していなかったのだね。

日本で働くなら 日本の法律を守って欲しいなあ。

 

 

物知りに鳴る方法としての話し方教室

 おかあさんは 長らく 話し方教室に通っている。
 人間の生死には無関係なジャンルだからか話し方教室で知性や人間性 又は知恵をつけようとして長く続けようとする人は少なく 今や メンバーは片手で数えられる人数になってしまった。
今では 細々と2ヶ月に一回の割合で学んでいる。

 今日のテーマはサッカーに思うこと であった。
 おかあさんは まだ 見えている時には サッカーがテレビなどで報道されることは
聞いたことも無く 一度も見ないうちに 失明した。
 試合で分かるのはゴールとオフサイドだけ。試合の経過はどうでもよく 結果だけ知ればいいというほどの 無関心ぶりだった。
 しかし 長谷部誠選手が2011年に  27歳で書いた
心を整える 勝利をたぐり寄せる56の習慣 という本を読んで感銘を受け サッカーに
少し関心を向けるようになった。
 この本は発売以来 100万部を売り上げたそうだ。この本から入る利益は 東日本
大震災のために使われるというから すごいと思う。
 機会があったら 皆様も読んでみて欲しい。若いのに 教えられることが満載だ。。

 そこで 今日のクラスで おかあさんは 長谷部誠さんの話をした。
 他のメンバーは 作や 行われた アジア カップ 女子サッカーの話をした。
 今まで 身近にで サッカーの話を聞いたことが無かったので おかあさんは色々と
質問をした。
女子の日本代表のユニフォームの色さえ知らなかった。
 濃い青戸のことだが これは男子と同じ色なのかな。
 そして ワールドカップでは  エスコート キッズが選手と共に 入場すると聞いて感動。
今回は9964名の6歳から10歳までのサッカー キッズから抽選で選ばれた10数名がブラジルへ行って 選手と入場行進をして なお 且つ 子供同士で試合もするとのこと。
子供達にとっては 素晴らしい経験になるだろう。

 そこで この取り組みについて ネット検索をしてみた。
以下 ネットで調べたもの。
エスコート キッズとは?
エスコートキッズ、エスコートチルドレン、フェアプレーキッズとも言います。
国際サッカー連盟(FIFA)主催の国際大会など、各国リーグやJリーグの試合の際にも起用する場合があります。
 サッカーから始まった取り組みだが 今では
ラグビー東日本トップクラブリーグ決勝戦 でエスコート・キッズを初めて実施

2006年FIFAワールドカップドイツ大会では、大会スポンサーのマクドナルドが46カ国から1400人以上のエスコートキッズを募集し、日本からも11人がドイツへ派遣される。
Jリーグでは、サポーターからエスコートキッズを公募するクラブもある。南米の大会では、選手が自分の子供たちと共に入場したこともある。ワールドカップの試合の際に黄色い旗のフェアプレー・フラッグ(Fair Play Flag)を持つ子供達は、フラッグキッズと呼ぶ。

大会のホスト国やスポンサーなどが選び、出場選手と手をつないで入場し、ピッチ上で両チームの国歌斉唱が終わるまで付き添う。着用するユニフォームは主催者側などが用意する。

FIFAワールドカップでは1998年からエスコートキッズを起用し、フェアプレー・プロジェクトの一環として選手達が子供達の目の前で恥ずべき行為をしないよう、フェアプレーの象徴とする。国連が推進する児童虐待防止キャンペーンの意味もある。

 
 ここまでがネット検索。

 こんな素敵な取り組みがあるなんて 知らなかった。今回サッカーに思う のテーマが無かったら 一生知らないで過ごしただろう。
 全世界から集まってくる大人のサッカー選手たちを 食い入るように見つめる子供の目。どんなにゲームに熱くなっても 子供の存在を思い出して フェアプレーにまい進してもらいたいものだ。

 今回のブラジル大会の日本チームのキャプテンは やはり 長谷部誠選手だろうか。おかあさんも 応援するから みんな頑張ってね。

さて  帰りに 洋光台のサフランという名前のカレーレストランで 入店拒否をされた。過去3回はお客様が少なかったから 入店させたが 今日は大勢入っているので 駄目だと言う。
 座席が無いなら仕方が無いが 一卓でも空いているなら 入店拒否は出来ない。法律で守られているのだが

 店主はネパール人。最初に入店拒否をされた時 補助犬は日本の補助犬法で拒否してはいけないことが明記されていることを話して納得してくれたと思っていたが きちんと
理解していなかったのだね。

日本で働くなら 日本の法律を守って欲しいなあ。

 

 


松山の旅の思い出

2014年05月24日 | 日記

楽しかった松山への旅

 羽田出発は雷雲に見舞われ 登場予定時間を70分遅れで出発した松山への久しぶりの旅。
 考えてみれば8年ぶりだ
 前回は還暦を迎えての同期会。
 翌日は 徳島のお寺へバス旅行。長旅で疲れた記憶あり。
 この時 結婚後 おかあさんの旧姓と同じな前になった仲間と話しをしたが 今回 
彼女は物故者になっていた。

 高校に入学した仲間 は全て同期としている 松山東三十九会。

 今回は卒業後 50年の節目を祝っての集まりだ。
 僧院 400名の仲間の内 105名が参加。
 開場は始まる前から旧交を温める人の話し声で 熱気ムンムン。
 おかあさんは黙って座っていたが その内 名札を見て 何人かのクラスメイトが声をかけてきて 歓談した。
 思い出話は面白い。人 それぞれ 覚えていることが違う。そこで そうだったのか という驚きがあって 思いがけず おかあさんを覚えていてくれた人が多かった。
 今 おかあさんは 相手の顔が見えないので 思い出す顔は17歳の顔。
 ある男性が 「女性は みんな 可愛かったなあ」 ですって。
一クラス 50名  男子生徒25名 女生徒 25名が1年間 又は 2年間同じ教室で切磋琢磨したなんて もう 夢の中の出来事みたい。
 
 この間 変ったのは道後温泉のある町だ。大ホテルが出来て かっては住宅地だった所にガラスの美術館やカフェが林立している。しかし 歩いている観光客らしき人の足音は少ない。
 そんなに温泉街を大きくする必要があったのだろうかと思う。
 道後温泉の未来派どうなるのだろうか。

 松山の人は おっとりしている。それ以前に住んでいた高松の人とよりお人よしで 人の足を引っ張ろうなんて思わないみたい。

 おかあさんは転校しても すぐに 友人が出来て寂しい思いをしたことがないが 高松から転校した松山でもすぐに親しい友人が出来た。
 そんな友人の家に遊びに言って お姉さまのレコードを聴くのが楽しみであった。そんなことも思い出した。

 歴史の長い学校だが 文化人は輩出していても 成功した経済人とか財界人の名前は見当たらない。
 こんな視点で見ていくと あまり 商売が得意なようには見えない。

 まあ これが松山人のいいところなのだろう。
 そんな人柄をおかあさんはこよなく愛している。大好きな街だ。

 このことを再確認した今回の旅。

 ニッキーはその仲間の一人みたいな顔をしてあの人 この人に尻尾を振って歩いている。
 ニッキーのニッキーらしい一面だ。
どこへ行っても注目の的で 可愛いという声を何度聞いたことか。これも人々の優しい お人柄の表れのように思えた。
 
 
 空港での保安検査で ちょっといやな目にあったが それは次回としよう。


オリンピックとパラリンピックで異なるメダル獲得者への賞金額

2014年05月21日 | 日記

○2014/05/21 雨 後 晴れ

オリンピックとパラリンピックでどうして違うメダル獲得者の賞金
 明日 松山へ行ってきます。

 おかあさんは 中学から高校にかけて 3年余りを松山市で過ごした。
 中学は 道後温泉の近く似合った 同語中学 高校は 坊ちゃんで有名な悪がきやどうしようもない教師のいた松山中学の後身の松山東高校へ2年まで通った。
 一般には卒業生を同期として同期会を結成するのだろう。
が 松山東39倶楽部は 全ての入学したメンバーを同期として 仲間に入れて 毎年 どこかで同期会を催している。
  共に入学した人たち 途中で転出して言った人たちをも 同期として迎えてくれた。ので おかあさんは二つの高校で同期会に所属している。
 お陰で より 大きな人の輪の中で 人生を楽しめている。

松山東39倶楽部の
 役員の顔ぶれはほぼ 変っていないので 彼ら同士の結びつきは ものすごく 長い付き合いだ。
 揺るがない彼らの友情のお陰で 何度も 松山に遊びに行ける。感謝だ。

  さて 皆様はパラリンピックで金銀銅のメダルを取ると 賞金がいただけるのをご存知だと思うが パラリンピックの場合 と一般のオリンピックの場合と金額が異なるのをご存知だろうか

夏と冬の オリンピックのメダル獲得者には 金メダル 300万円 銀メダル 200万円 銅メダル 100万円が授与される。

 今回 パラリンピックのメダル獲得者への賞金が少し アップした。 金の100万円が150万円に 銀の70万円が 100万円に  そして 銅の50万円が70万円になって ソチオリンピックから適用されるそうだ。

 おかあさんは これを聞いて 疑問に思う。

 障害を越えて頑張った人たちが どうして の一般のアスリートよりも 半額のそれしかもらえないのだろうかと。

 こんな理不尽なことってないじゃないの。

 パラリンピックのアスリートたちの技術を見ていると まるで 奇蹟のようなすごい技を駆使してメダルに挑戦しているではないの。

  日本の国の姿勢というか 日本人の気質と言うか 本当の所を見ていないなあとおかあさんは思うのだ。

 アスリートたちは誰もお金が欲しくてメダルに挑戦するのではないが 出した記録に対しては オリンピックもパラリンピックも差はない。

 これは障碍者差別ではないのだろうか。
 すごく 疑問に思う。

 ニッキーは周りの人が障碍者であっても健常者であっても 決して 差別なんかしない。


ニッキーの変った行動の謎

2014年05月18日 | 日記

ニッキーの変った行動の理由はなあに?

先週の金曜日 の出来事。それはニッキーが今まで一度もしたことの無い行動に出たことだ。

 まず ベランダでブラッシングをしていたら 突然 野太い声で 「わん ワんわワアん と6回 ほえた。
 時々 玄関に 訪問者があった時 ワン くらいは言ったかも。でも 今回のように 訪問者もいないのに 何度も ほえたなんて初めて。突然で おかあさんは ドキッとした。

 その後 トイレをさせようと門の外に出た時 終わっても玄関先で力いっぱい抵抗して 家の中に入らない。

 それから ダンススタジオでのこと。普段は
 小1時間の間 所定の場所にダウンして身動きすらしないで おかあさんを待っている。
 だが この日は 終わってから更衣室で着替えをしていたら 鈴の音が聞こえる。。
 あれ ニッキーの鈴かしら? とヘルパーさんに聞いたら 外を覗いてみて ニッキーが更衣室の前にやってきたとのこと。
 外で先生達ものいぶかしそうな声もする。

 そこで 更衣室にニッキーを入れたら やけにおかあさんにくっついてくる。
普段は ベタベタする子ではないのに どうしたの?
 ヘルパーさんは もしかしたら 天変地異でも起こるのかしら?などと いやなことを言う。
 地震などの前に 動物が いつもと違う行動をすることは知っている。
 そう言えば 3.11の時 動物達は異常を察知して 変った行動をしたのであろうか。
聞いていないなあ。少なくとも あの日  ニッキーは何もせずにじっとしていたと記憶している。
さて  歩いている間も ニッキーの体が やけに 緊張して 強張った動きでスムースな歩行ではなかった。

 珍しい行動の理由は分からなかったが おかあさんは ニッキーをギューと抱きしめてあげた。

 その後は いつものニッキーに戻ったが あれは 何だったのだろう。


芒種とは何ぞや

2014年05月17日 | 日記

 芒種とは

 俳句の季題を見ていたら 芒種というのが出てきた。
 今まで気に留めなかった言葉なのでネットで調べてみた。

 それによると

ここから引用
 芒種(ぼうしゅ)
to
6月6日頃(2014年は6月6日)。
および夏至までの期間。
太陽黄径75度。
小満から数えて15日目頃。
芒(のぎ)のある穀物、稲や麦なそ、穂の出る穀物の種をまく季節ということから、芒種と言われています(実際の種まきは、これよりも早い時季に行います)。
梅の実が青から黄色に変わり、百舌が鳴き始めます。かまきりや蛍が現れ始める頃でもあります。
次第に梅雨めいて、五月雨(さみだれ)の季節に入ります。

芒(のぎ)
イネ科の植物の花についている針のような突起のこと。禾とも書きます。


・次第に梅雨めいてきますので、湿気対策やレイングッズの準備を整えておきましょう。

ざっと こんな説明が出てきたが 要するに 種についているとげ 突起の事らしい。
 この説明で一つ疑問なのは もずが鳴き始めるではなくて ホトトギスが鳴き始めるのではないかと思うが 原文のままだとモズが鳴き始めるそうだ。
 種は 出来るだけ遠くへ運んでもらいたいので 工夫するわけだが たんぽぽのような風媒花は見た目も美しい。こうして 植物を見ていると 何と 賢いのだろうと 感嘆させられる。
 7月に札幌に行ったら 何の種だったか 一面に飛び交っていて びっくりした。
 目の前に ヒラヒラ飛んでいるのだ。
 そう 言えば もみじだって 種になったら ヘリコプターみたいに ピュー ヒラヒラ と飛んでいく。
 こうして 子孫を残そうとしている姿に見とれてしまう。
子孫を残す点では日本人よりも  すごいなあとさえ 思える。


 かって 地球上の殆どの植物は銀杏だったそうだ。
 しかし あまりに その葉っぱの光合成の仕組みが単純であったがため 次第に もっと効率の良い光合成が出来る植物が多くなって 今に至っているのだそうだ。
 地球上が銀杏で覆われていて 今の時期に 銀杏若葉が一斉に芽生えだしたら それも とても美しかったのではないかと想像する。

 いたどり という植物があるが ものすごく繁殖力が強い 困り者だとか。
 その根からは毒性のある物質が賛生されて 従来からそこにあった植物を根こそぎ 根絶やしにしてゆくのだそうだ。

 何だか 隣国の 大きな国に似ているなあ なんて 思ってしまった。

 さて 今年の露はどんな天気なのか。
 ペルー沖の海水の温度が普段よりも高い エル ニンにょ 減少の年の露は長引いて 大雨になるらしい。
 2009年が典型的な長露の年だったそうだ。

 昨日のテレビで 一人の芸能人が買った中古の家の現在の査定をしていたが 道路よりも 家の玄関は80センチ下がっているとのこと。
 大雨の場合は雨水が家の中に入ってくる可能性ありと マイナス査定されていた。。
 排水の穴も詰まっていて それを開通するのに 業者に頼むと 20万円はするとのこと。
 幸い 我が家は道路からは上がっているので 大丈夫だと思う。しかし 排水枡の穴は大きくは無い。

 家を買うときは この辺りのことも計算に入れて決めることが必要なのだと 教えてもらった。

 沖縄では露を別名 小満芒種と呼ぶ。2014年の芒種は6月6日ごろ。
あと 半月ちょっとで 露入り。ちょっと 気がめいるわね。

 ニッキーにとっても 辛い日々となる。
 雨の日は おかあさんは外出しないようにしているし 梅雨晴れの暑い日は なお更 苛酷。
 昨日の暑さで ニッキーはへとへとだったものね。
水と氷と濡らしたタオルが必需品となる 夏が もう そこに来ている。


おかあさんもサザエさんだった

2014年05月16日 | 日記

おかあさんもサザエさん

 サザエさんはいつまでも超若い。おかあさんが子供の頃から つまり 昭和30年代からサザエさんは漫画の世界で大人気であった。
 我が家でも テレビで見ていたサザエさん。この一家は我が家の全ての家族の共通の文化として よく 話題に上った。
 おかあさんが覚えているのは 食卓に出してきたたくあんが 全部つながっていた場面。我が家でも同じことが起こると 
「あ サザエさん」とひやかすと全員が笑ったものだ。

 昨日 ヘルパーさんがまるでサザエさん 失敗ばかりしているサザエさん のイメージで書いたが その後のブログのアップで おかあさんもしっかり サザエさんになった。

 ブログの編集で 私は いつも書いたものをはりつけている。それは 編集画面での文章の消去がうまく出来ないからだが その貼り付けで大失敗をした。
 PC最期の作業でアップしようと考えていたが 事前にやっていたほかの画面 それも 本名がでている画面を発信してしまった。

 でも ここにも助けの神がいた。
パソボラのIさんが  アップの直後にブログを見て 「あれ 又 サザエさんをやっている。」と すぐに消去してくれていた。

 それとは知らず おかあさんは消去しようと孤軍奮闘。
 遂に パソボラさんに救いの手を求めたら すでに解決済みであった。

 


 ここで おかあさんは大いに反省をした。
 自分のことを考えると 他人のことを悪くは言ってはいけない。

 夜の11時過ぎに パソコンの前でガチャガチャやっていたおかあさんにニッキーは
態度で文句を言った。何度も体位変換をして うるさくて ねむれないよですって。
 毎日 あんなに きれいに ブラッシングをしてあげているのだから ちょっとくらい 我慢 我慢。

 さて 韓国の客船沈没の犠牲者 20人が まだ見つかっていないとのこと。韓国政府は 大掛かりな捜索活動をやめる との報道を聞いた。一方 遺体が見つかっていない
家族は 仮設住宅を建てて 捜索活動を注目してゆくとのこと。
今回の事故は人災ではないかと報道されている。
 船長は自分の 命を助けたかったと言い 船員達は 自分達の助かる順位は再度だから それでは死んでしまうので 早く逃げてしまおう との考えで 多くの乗客を遺棄して逃げた という。

 

 第一作目の SOS タイタニック の映画では カークダグラスが扮する船長が 再度まで船にとどまり 船長とは いかなるものかを子供だったおかあさんに見せてくれた。。

 

 あれから半世紀以上が過ぎた。人の命は所詮は 他人の命 自分の方が大事な世の中になってしまった。
人名の大切さは 宗教とも 大いなる関係がある。
 ナイジェリアの誘拐された女の子達はどこに連れ去られたのか 。見つからなければ 親に  今回の船の事故と同じつらい つらい 苦しみを与える。
 

 ささいなことでサザエさんだわと言っているおかあさん そんなことで いいの?


我が家のヘルパーさんはまるでサザエさん

2014年05月15日 | 日記

我が家のヘルパーさんはさざえさんみたいな人

 昼食に新タマネギと乾しさくらえびのかき揚げが食べたくなった。そこで 木曜日のヘルパーさんはかき揚げが得意なので所望した。
 ところが用意が整って いざ 揚げる段になって キッチンで彼女のオロオロ声。

 あれあれ 又また 何か仕出かしたのかな?「」 何と IHのロック ボタンを間違えて押してしまい ロック解除が出来ないと困り声。

 困ったわね。このままだと 昼食が食べられないわね。

 おかあさんは すぐにネット検索でパナソニックのお客様センターを調べて電話をするように言った。
 すると型番を言ったら 原価に解決方法を言ってくれて 一件落着。
IHのロックは ロックは簡単にボタンを押すだけだが  その解除はちょっと工夫が必要に出来ているのだった。
 やり方は オール ロックボタンを5秒間の長尾氏をするだった。ボタンを押すだけの操作に慣れていると 家電で長尾氏をするとは 考えもしなかった。

 パナソニックでも この主の相談は多いのかも知れないが 即座に返答してくれたのにはびっくり。ロック解除は どの型番でも同じシステムなのかも。でも 有難かった。

 このヘルパーさんは我が家に来るようになって2年半になる。この間に 色々なことをやってくれて おかあさんはもういやだと思ったことは何回もある。
 ヘルパーさんも あちらこちらの訪問先の生活上の常識を学んで それぞれの家に合わせようと努力しているらしい。が この方は 良く言えば天真爛漫 悪く言えば 常識知らずだ。
 だが 彼女ならではの気遣いもしてくれる。
 
 暫くは このままでいくほかないだろう。派遣事業所には 他に代わりになる人材が
いないのだから。
 おいしいかき揚げをほお張ってニコニコ顔になったおかあさんは 美味しいとお礼を言った。。

 まあ そそっかしいサザエさんみたいなヘルパーさんだけど ニッキーは気に入っているようだしこのままでいくほかない。

 


あるペットの死

2014年05月12日 | 日記

 あるペットの死

 岩手県に住む甥の飼っていたボストン テリアのくろすけが死んだ。
 1ヵ月半前から てんかん を発症して治療をしていた。発作を起こすと 小さな体が2メートルも飛んだとの事。くろすけも甥達もどんなにか苦しかったことだろう。
 てんかんはこの犬種の陥りやすい病気だとの事。小型ブルドッグとして小型化することで こうしたウイークポイントが生まれてきたのか。 9歳の命であった。

 人間で言うと還暦くらいの年齢だろうか。
 治らない病で苦しむのは見ていられない。
 今日は優しいママの手の中で逝った。
天国へ旅立って これからはお星様になって遠いところから可愛がってくれた家族を見守るのだ。
 おかあさんは 一度も見たことが無いくろすけだが 死んだ話で涙が溢れた。


 どうやら 外は雨になったようだ。涙雨だ。


新しい五千円札が発行される

2014年05月11日 | 日記

新五千円札が発行される

 新しいデザインの五千円札が発行される。
 発行に関しては 視覚障害者団体からの 強い要望があったとのこと。
 現行のものは 1万円札と並べてみると 横幅が5ミリくらい短い程度で 判別用のマークは判別しにくいし 使っているうちに そのマークは潰れてしまう。
 おかあさんも 五千円札を入手したら すぐに四つに折りたたんで 他のものと区別している。

 新しいものは 判別する部分が1.7倍も大きくなるとの事である。
 早く手に入れてどんなものになったのか確かめたいなあ。

さて  今日のニッキーの頑固さはなかなかのものであった。
 午後 買い物に出たときの目的は 生協。ゴー 生協 ドあ が命令後。ニッキーの最も得意とする目的地だ。
 しかし そこに 買いたい物がなかったので ゴー スーパー オリンピック へと命令は変化した。。

 それなのに ニッキーはいつものように 生協を出たら帰宅するバージョンしか 頭にない。

 曲がり角でも おかあさん 道が違うよ 方向が間違っているよ と
反対方向へ クルリと向きを変えてしまう。
 これでは オリンピックへ行けないね。
 それでも 何とかなだめて というか 途中で しっかりとコマンドを聞けるように シットさせたり ダウンさせたりしてやっと別方向に行く気にさせた。
 
 いつも 同じパターンで行動しているとニッキーはそのパターンしか学べないので 今後は もっと うろうろしてつれ回そう。

 


備えておきたい防災グッズ

2014年05月09日 | 日記

備えておきたい防災グッズ

 最近 柘植久慶さんという作家を知った。
 作家であり 軍事ジャーナリストであり コイン研究家で 既に 270冊もの本を出版しているというのだが 今まで 一度もおかあさんの目に留まらなかった。

 詳細な履歴を覗いてみると 日本人としては珍しい経歴の持ち主だ。
 大学1年生のとき 欧州旅行の途中で スカウトされて コンゴ動乱や アルジェリア戦争に従軍したとか。他にも米軍の隊員として 東アジア  ラオスで格闘技の指導官として従軍した経験があるそうだ。

 今回 読んだ本は PHP文庫 大災害からの生存術 あらゆる状況から身を守る安全マニュアル 2014年3月初刷り。
 防災に関心を持つおかあさんとしては 見逃せない本であった。。

 本の中でだい10章 備えておくべきグッズの項が興味深かった。
 というのは さすが海外での戦場でのサバイバルの体験をもとにしたグッズの選び方である。
 今 日本の防災を語る人たちの備えるべきグッズは日本製のものが殆どで目新しい物は少ない。

 避難先で泊まらなければならない場合 登山用の寝袋ではかさばりすぎるが 文房具メーカーの3M社のそれは 畳めば A4サイズで厚さは8.5センチ。まだ 手にとって見たことが無いので なんとも言えないが こんなコンパクトな寝袋を紹介している本は初めてだ。

 手袋にしても どんな状況にも耐えられるしっかりした手袋を用意せよと言っている。
 おかあさんは 手袋を用意しているが それこそ 100斤のそれ。
 これでは用途が少ないとの事。
 これも サバイバルな体験があればこそのグッズだ。

 食料品も宇宙食を念頭において 賞味期限が25年の長期保存が利くものを紹介している。
 ヘルメットはオートバイに使用するフルフェイスというのだろうかこれがいいそうだ。
 持っている人は 念頭に入れておきたいもの。
 寝室にスペア シューズ。これだけはおかあさんも用意している。中に靴下も入れてある。
 厚底のものでないと釘とか石ころの道を安心して歩けない。
 おかあさんはこのスニーカーを寝室の押入れにフックを付けて それにひもを引っ掛けている。家が揺れても スニーカーがどこかに紛れ込むことが無い。

 
 まあ こんな風に種々のグッズを紹介しているが 他の防災研究家が紹介するものとは一味違って面白い。
 変ったものは どこで買える蚊まで書いておいてくれたら完璧だったのだが。

 それと 沿岸部に住んでいる方は 津波被害に気をつけるようにと言っている。

 どうすれば 大災害時に逃げおおせるか。
おかあさんは 何か起こるとニッキーの安否が最も気にかかる。
 今 思い出したが 3.11の後の余震の度に鳴るNTTドコモの警報音をニッキーは嫌がった。

そうだわ ケイタイへの充電もこまめにしておかないといけない。
手回し発電機を買っておかなければと思うが 
 あれもこれもで 家の中が荷物だらけになりそう。

 


絵本 触って分かる 点字版 グリとグラ

2014年05月08日 | 日記

触って分かる 絵本 点字版 グリとグラ 

 視覚障害者の母親が 子供と 絵本を楽しめる そんな企画で 点字版 グリとグラが出版された。

かって  目の見えない子供達の絵本の世界は 聞くだけのものであった。そこへ 点字を入れて 目の見えない親子が一緒に絵本を楽しめるようにしているグループがある。


 そのグルウープの代表をしているIさんが 絵本のグリとグラの絵も触って分かるように熱望。絵本を出して50年となる出版社は点字版 フリとグラを立体的にして触っても楽しめる絵本を実現した。
 実際の絵本は 見開きの2ページが 一つの場面になっているが 絵の部分を立体的にして 亀や蛇を触って分かるように工夫している。

しかし 立体的に出来ていると言っても 実態を見たことが無ければ 触っているものが どんな物なのか 想像することは難しい。
 おかあさんが 盲学校で解剖学を学んだときのことだ。
 人体各部の構造が膨らんだ状態で示されているが 理解に苦しむものが多く なかなかその形を  頭で理解するのに苦労した。

 このあたりの理解度をどう説明するのだろうかとも思うが 絵本の世界では そんなうるさいことを言わなくても分かるのだろう。。
でも 子供が見えていれば 逆に 子供から教えて貰えるし 共感できる部分が増したことになる。5000部初刷りだとか。おかあさんもこれを買って 幼児園に送ろうかな。

 世の中にはユニバーサル デザインというものがあるが  それが 不自由を感じている人全ての人向けではない。

 今回の 点字版 グリとグラのようの出版を願って 働きかけなければ 本当に欲しいものは手に入らない。

 

 最近 駅の ホームにホームドアが設置されている。しかし その場所がどこにあるのかよく分からない。
 同様に電車から降りる時 ドアの位置がどこにあるか分からない。特に降りる人が多いときは ど降りられるかどうか心配できどきする。
 東横線とか 東京メトロの電車のドアは開く前に ここがドアですよ と音で知らせてくれるので 安心してドアの前まで進むことが出来る。

 まだ 誰もJR東日本には願い出ていないのか JRには音声での誘導は無い。
それこそ ドアの開く前に2回ほど ピンポンと鳴ってくれるだけで ああ あのあたりがドアなんだわ と分かる。
 
 

 駅のホームの階段の位置には 小鳥の声などの音声が聞こえる。これは 死角障碍者からの要望で付けられたものである。

  不自由を感じていたら 感じている人が発信して要望を出すほか 世の中に分かって貰えない。


駅のホーム上  ニッキーは上手にドアまで誘導してくれて 電車に乗ることが出来る。

 この上に 安全に音で誘導してくれるものがあると 電車の乗り降りがもっと安全になる。
 見える人のためには テロップで ニュースや天気予報を提供している電鉄。不自由を感じている人のためにも 何か して欲しい。
個人的な 要望もJR 東日本は受けてくれるのだろうか。


初めてのさくらんぼ狩り

2014年05月07日 | 日記

さくらんぼ狩は大人気

 6月の第3週に山形の東根温泉で盲導犬仙台クンレンセンター ユーザーの会 主催のワークショップが行われる。
参加者の募集を始めたところ  あっという間に定員に達したとの事。
 皆 楽しみにしているのだわ。
 ワーク ショップではあるが 主目的はさくらんぼ狩。一人 1500円の入園料を払って1時間程度 さくらんぼの木に張り付かせてくれるらしい。
 おかあさんは さくらんぼ狩は初めてだ。この見えない目で どのようにして 
美味しそうなさくらんぼを摘むことが出来るのか 心配だ。
  動向予定の山梨の友人は 毎年 さくらんぼのシーズン最期に 頼まれて 全てのさくらんぼを摘み取る手助けをしている。
 来年の結実を良くする為に全ての身を摘み取るのだそうだ。

その時点で 残ったさくらんぼは 売れすぎているのもあるが 大きな袋にいっぱい
取って たったの 500円。
 友人の食料保管庫には 年間を通して さくらんぼのジャムが鎮座している。
さくらんぼのジャムが好きなおかあさんは それを羨んでいるのである。
 この季節にしか味わえないと思うと やはり 食べたくなるさくらんぼ。木から摘んだものがすごく美味しいといいけれど 。
 友人が熟れているのを見つけてくれるでしょう。
  野菜と違って りんごやみかんを畑で食べても それほど 美味しいと思ったことは無いので さくらんぼがどこまで美味しいのか試してくる。
 ニッキーにもこっそり 食べさせてあげようかな。
 だけど 跡で 訓練士に叱られそうな気がする。。

おかあさんの人生で思い出に残るさくらんぼ。
 30年も前のこと。新橋のスーパーで買ったものが 今でも忘れられないくらい 美味しかった。
あのような スイートなさくらんぼだといいなあ。種類はさとうにしきだろうか。

さくらんぼ狩りの後は米沢に行く。
 上杉謙信の即席を歩いてみたい。米沢には 盲導犬所有者の友人もいて 彼の
フルート演奏を聞くことが出来たら この旅は ますます 充実する。

 この人 Mさんは 昨年9月に開いた音楽界に わざわざ米沢から参加してくれた。今回は こちらからの訪問。
 彼の 婚約者と友人が車を用意して待っていてくれる。


 盲導犬の使用者になったことで 日本の各地に知人や友人の輪が広がってゆくのは素晴らしい。
 山形の地に20頭もの盲導犬が集まる。もう これは 革命的なことだ。
 ニッキーも楽しみにしていてね。