ニッキ-通信 ~盲導犬ニッキ-のお母さんより~

盲導犬ニッキ-と私の日常。要援護者・障害者の防災について紹介します。

ニッキーに読まれてしまったおかあさんの腹のうち

2011年11月28日 | 日記
ニッキーに読まれてしまったおかあさんの腹のうち

 盲導犬をユーザーのコントロール下に置くことは安心 安全歩行の最大の目標だ

 そこでユーザーと盲導犬との共同訓練ではそのノウハウを訓練されるのだが 1頭目で しかも 今まで 犬を飼ったことが無い場合は なかなか そう 感嘆にはゆかない。犬のほうもお利口だから 人の下にはなりたくないので 訓練が終了して ユーザー宅へ行くと 3ヶ月は お客様の顔尾する。

 しかし まだ 2歳くらいだと子供だから 遊びたい。そこで 遊ばせてから DE ディーイー と称するドッグ エヂュケーション をする。
 これは 遊んでいる時 おもちゃなどを離させて 座ったり ダウンさせたり アップさせたりして いつ 何時でも ユーザーの命令どおりに動ける盲導犬にするために行なう。
DE を毎日 やって 日々の訓練とするのだ。

 ところが ニッキーはボールなどで遊んでいる最中に おかあさんが 命令をする前に ヒール(おかあさんの左の踵の傍にきれいに立つこと)して おまけに シット(座ること)までするのだ。

 これくらい遊ぶと おかあさんは そろそろ ヒールと声を掛けてくるな とニッキーは考えるのだろう。ヒールの次は いつも シットだ。座っちゃおう。

 こうなると おかあさんはおかしくなって つい 笑ってしまい ニッキーを抱きしめたくなるのだ。

 ニッキーは12月3日で6歳だ。もうシニア犬だそうだ。
先週の金曜日には 夜 又 フードを吐いた。クシャーン と大きいクシャミもした。
これから 益々 健康管理に気をつけよう。大事なパートナーだから。 

宝くじで3億円が当たったら

2011年11月24日 | 日記
 3億円が当たったらどうするか

年末 ジャンボ 宝くじ  昨年 一等の宝くじが2本も出た銀座の宝くじ売り場に千人の列。
朝 元気で暇な人が沢山いるものだ。
確かに当選している人がいるのだから 今年は買おうかなあ などと思うが すぐに 買うことを忘れてしまう。だから 勿論 当たらない。。

 もし 3億円当たったら と考えてみるが どこかの会社の元 馬鹿会長は100億円以上をギャンブルにつぎこんだという。
 でも おかあさんはギャンブルは嫌いだから そんなことはしない。

 今 望んでいることは それがあったら 虐待児童の為の教育資金にしたいなあ。

 当たり前のように普通に幸せに育った者として 愛を知る事無く育った子供達を何とかしてあげたいと思うおかあさん。

 そうだ。買わなければ当たらないのだから ちょっと 頑張ってみるかな。
さて 連番か それとも バラ か。悩むところだ。

 今日はニッキーの大好きだったパピーの縫いぐるみのスッキーのお弔いの日。しょっちゅう くわえていたので 首の部分が駄目になった。可愛そうだが仕方ない。

 中から プラスティックの小さな詰め物が零れ落ちてくる。
動物にしろ形のある物を捨てるのはしのびない。ニッキーの心の支えに鳴っているのかと思うと 又 与えたいが....。
本当は 与えないほうがいいのかな。

ニッキーの体調の変化 か体調不良か

2011年11月22日 | 日記
ニッキーの体調不良?

 今朝 お掃除をしていたホームヘルパーさんが 「大変 大変」と言いながら ばたばた階段を降りてきた。
「エッ どうしたの?」とおかあさん。

 ハウスにニッキーが吐いたフードがあるとのこと。「ニッキー どうして黙っていたの?」

今まで  ニッキーは吐いたとき 尻尾をばたばたと扉などに打ち付けて 知らせたのに 今日は 知らん顔。

 そう言えば 先ほど 動かしたら ゲエ というような声を発していたっけ。

 何が原因だっただろうか。冷たい水?風邪?

 体を探ってみると 胃の経穴と思しき背骨の万b中あたりが 腫れている感じ。早速 鍼を施した。

 そして 背骨を優しくマッサージしたら 背骨がスッキリしてきた。
 途中 ある部分を押すと ゲエという声。 確かに ここが 胃の経穴だ。

 おかあさんの鍼は刺さないので ニッキーは気持ちよさそう。序に膀胱のあたりも鍼。
これで お漏らしをしないようになるといいな。

 今日も 外出先で 連続 2回 ワンをした。
何となく おしっこの切れが悪くなっている感じ。

さて  外出前に 空腹も可愛そうなので 甘酒を飲ませた。

 夜 元気にご飯を食べて 今 おおいびきで寝ている。
 多分 明日は元気になるでしょう。。



昇天者の記念礼拝での墓参

2011年11月20日 | 日記
昇天者の記念日の墓参

 昨日の豪雨もすっかりと上がり 今日は上がりついでに気温も上昇。街では半そでの方々も多かったらしい。
おかあさんとニッキーは教会に行った。
教会に入ると ニッキーは そこにいる全ての人に顔を向けて尻尾を振ってご挨拶をする。
 このこの全員に挨拶が出来るというのがすごいと思うおかあさん。
 本当は ハーネスをつけているのだからと思うが ニッキーがニッキーの意思でそうするのだからおかあさんとしては制止する積もりは無い。
見えないおかあさんの代わりによろしくね ニッキー。

さて  おかあさんとニッキーは五語三浦霊園のおとうさんのお墓に連れて行ってもらった。

 教会の行事 昇天者の記念礼拝が墓前で行なわれたので 参加した。

 今日の霊園は好天に恵まれて暑いくらいだったが お墓の建立されている場所が丁度 山陰になっているのでラッキー。気持ちのいい感じで礼拝が行なわれた。
 11月5日に納骨したばかりのおとうさんのことを考えた。
天国に入ったばかりの新米昇天者のおとうさんは先輩の昇天者に大切に迎えられたのかなに神様にお会いしてどんな感じだったのかなあ。

 おかあさんは神霊者ではないので知る由も無いが 幸せなのだろうと想像する。
 まあ どんなに想像しても理解できない世界だけれど 自分が行った時には分かるだろうとそれ以上考えることを諦めた。
 

以前 死の直前には自分がもっとも幸せだった時を再現してくれる場所を通過するという映画を見た。

 それでは おとうさんがもっとも幸せだった時と亜どんな瞬間だったのだろうか。それこそ想像谷つかない。

では  おかあさんにとって 最も幸福な時とはいつだったのだろうかと考えてみた。
 
  おとうさんの死の3日前の病院でのこと。予定時間より少し
遅く着いた病室で
「おかあさん 待っていたよ」とおとうさんから言われた時かな。

本当に あの時がもっとも幸せな時だったのかどうか分からないが おとうさんの声音の中に 幸せだった時間が集約されているように思えて鳴らない。

安らかなれ。おとうさん。

理路整然とした経営管理

2011年11月18日 | 日記
 きれいに整理されていたおとうさんの仕事の内容

  治療院の個人経営の開設者が死亡した時 その経理内容は年内に税務署に報告しなければならないと定められている。
 そこで おとうさんのパソコンを開いて 必要な部分を取り出している。

 すると 全ての部分で 間違いも無く きちんと整理されていた。

 それも 各種のデーターが理路整然となのだ。だから おかあさんは之に関しては殆ど 困ることは無かった。
 只 ホームページに関する広告に関する部分が不明。資料が見つからない。

 毎日施術内容も 個人別に 書かれている。

パソコンは殆ど 自力で勉強していた。。おとうさんは文系だと思っていたが 結構 理系の面もあったのだ。そう言えば パソコンで分からないことは おとうさんに相談していた。

  今まで考えたことも無かったが 音楽が得意な人も文系と言うのだろうか?

それは音系とでも言うのか。
おとうさんの声楽を聞くのはちょっとつらい部分もあったけれど クラッシック
音楽の造詣の深さと  歌心は豊かだった。

 色々 考え合わせると おとうさんはバランスの取れた人だったと言える。


 ニッキーに少し おもらしが出てきた。これは6歳になるので体が変わってきたのか それとも おとうさんを失ったストレスなのか....。
以前と変わらず いつも にこやかに見える。
今後は 失敗の無いようにトイレ管理を気をつけたいが 心のあり方は聞いても答えてくれない。
以前より抱きしめてあげることは多くなったおかあさんだ。

陰暦10月が神無月

2011年11月15日 | 日記
 陰暦の10月が神無月

 初霜つき 紅葉つき など 神無月の別名は美しい言葉が多いらしい。神無月と聞くと 昨年の旅行を思い出す。
 出雲大社には日本全国からやってくる神々の宿泊する社がある。
 東西に人旨づつ。19の部屋があるので19社と呼ばれている。

 いまどきの事 遠くの神様は 車でやってきたり 飛行機だったり フェリーだったり 近くからは 徒歩だったりと 三々五々集まってくる神様達を どこへどう 誘導して うまくあの狭いお社に押し込めるのかと考えると おかあさんは その喧騒を聞いてみたいと思うのだ。

 そして 大社の神主が 毎朝5時ごろ 鍵を開けて お仕事のために外へお出まし願う。そこには 大根やねぎなどの土地で収穫された野菜が摘んであるので もしかしたら 朝食当番の神様が居て 朝ごはんを用意するのかもしれない。

 なんて こんなことを書いていると バチ当たり目 と叱られそう。

 でも この一箇所に神様が集まると言うことが いつ頃から考えられるようになったのか とか 中国や朝鮮から来た 考え方なのかを調べてみたくなったおかあさん。

出雲は神有り月というこのユニークな発想 何んとも愉快だ。



我が家のニッキー姫もおかあさんたちと出雲大社の中を見学して歩いた。
お嫁には行かないので 縁結びのお守りは買わなかったが シティガイドさんのお話はためになったね。

今 このあたりには我々を明るく護ってくれる神々はいないのだ。
 今日は雪が降った所もあった日本列島。
せめて雪明りで世の中を明るくしてもらいたいものだ。
何だか 色んなことがマイナスイメージで遣り切れない。

ありがたい友情

2011年11月14日 | 日記
35年前に出会った友人が訪ねてくれた

 人と人との付合いとは不思議なものだ。何年会わなくても 何の戸惑いも無く ごく 普通にしゃべれる。しょっちゅう 顔を合わせているみたいに
 拘りも無い そんな友人が遠くから来てくれた。
 名前はしんちゃん。私が勤めていた会社のお掃除のメンバーとしてで合った。彼は 
旅行費用を捻出するためのセカンド ワークとして 来ていた。
 おかあさんは その頃 その会社の受付にいたので 毎日顔を合わせた。
 とても 人ナつっこい人で 珍しいタイプだと思ったものだ。
旅行から帰ってきたら 受付の全員に ブローチを買ってきてくれる優しい心遣いもしてくれた。
それから 35年経った。
今では 心から信頼出来る友人だ。その時の会社の人との付合いは無いのに
不思議だ。

何しろ 好奇心の塊みたいな日とで いままで 91回 海外旅行をしたそうだ。
 カメラマンとして写真展を開いたり 本を出版したり 地元の方々とも親しく交わって楽しそうな人生を送っている。彼の持っているお宝も広い家に置ききれないほど。あの馬鹿でかい屏風宇多が 今日聞いたら それお買ってあげると 製作者の少数民族の人達の支援になるからと言うのが根幹にあったからだと話してくれた。
 本当にしんちゃんは優しいね。そして それを欲しがっていると推察して 半分出してあげると買うことを許した奥様も すごい。
だから 家の中は お宝で一杯なのである。

 今日 埼玉から2時間40分かけて会いに来てくれた。
嬉しいではありませんか。その友情に乾杯。
乾杯するために隣の駅のレストランへ行った。ニッキーはいつものように大人しくテーブルの下でおねんね。
ニッキーはすごいねとほめられたのに その後がいけない。
帰りのタクシーに乗車拒否だ。大分 楽に乗れるようになっていたのに どうしたこと。
お姫様は 動かない。
こうして 大事な友人の前でニッキーはおかあさんのメンツをつぶしてくれた。。


快晴の中の乗馬体験は大変な人気

2011年11月12日 | 日記
気持ちの良い日に乗馬体験 大変な人気だ。

 今日は楽しみにしていた乗馬体験の日。昨日の冷たい雨から一転しての快晴の五語。神奈川県ライトセンターへいそいそ。

 会場に着くと 既に30人くらい並んでいる。
小一時間待って漸く番が廻ってきた。

おかあさんは  以前 小淵沢の乗馬クラブで馬に乗ったことがある。その時の馬は
元 競馬馬のサラブレッドだった。鞍にまたがるまでの階段の数は3段あった。
 しかし 今回は2段だ。そして乗って触った毛並みがサラブレッドとは全く違う。こんな 馬もいるのだなあ。。

 今回は 「足をあぶみに突っ込んで ループみたにな部武運を握って」と言われた。
あれ 手綱は持たないの? 

 それから 二人の男性に左右から補佐され 左右に揺れる馬のお知りの揺れを感じながら 約 2分間くらい? 直線を歩いた。
さて これからと思ったら そこは終点だった。
細くきった人参をあげたら 暖かい舌でぺろっと舐めて口に入れた。

 まあ 乗りたい人が行列を作っているのだから 2分間でも仕方ないさ。

 おかあさんは 視覚障害者のためのイベントだとばかり思っていたが
並んだ人たちの多くが子供連れ。絶対に落馬などあり得ない形での体験だから 3歳や
4歳の子供達が にこにこしながら乗れたのだろう。

 おかあさんは ちょっと物足りなかったので 次回 小淵沢に行ったら 又 クラブを訪れたいと思う。

ニッキーは意外と落ち着いていて ガイドヘルパーさんと大人しく待っていた。
おかあさんに付いていたであろう馬の臭いを気にすることも無かった。
ニッキーも馬と仲良くなれるといいね。
 
 

今 女子のフィギャースケート シングルのNHK杯で鈴木明子さんが初優勝した。
浅田真央さんは2位だった。
たゆまぬ日々の努力をしながら それでも トリプルアクセルのジャンプを飛べなかったことを 又自戒に繋いで努力を重ねてゆくと話した。

 その決意が重荷にならず 力になるというのは すごい 精神力。
天災とは 1%の天分と99%の努力によって完成するらしい。これからも 二人には頑張ってもらいたいものだ。美しいものの象徴として。

心細くなったおかあさん

2011年11月09日 | 日記
一人暮らしは心細い

 おとうさんの納骨までは...と思いながら 走ってきたおかあさん。

 それが終わったら とても疲れを感じる。

 何か 事が起こっても 一人で対処しなければならないし 愚痴もこぼせず などと考えてしまう。
 何度も 淋しいだろうとか 悲しいだろうとか聞かれた。しかし おとうさんの死までの経過では それを 感じなかった。

 でも 今 何となく心細い。これって 何だろう。

 今 多くの日本人が 単身世帯だ。自分が その仲間になって 初めて その人たちの ことが思われて鳴らない。

 人間とは 本当に 人の間で暮らしてこそ 安心と 安全を得られるようにできているのかしら。

 昨日 道端でおしゃべりをしていたご夫人の弁。いつになったら 私に自由が来るのかしら? と嘆いていた。
 年齢から考えると ご主人のことかな などと想像をたくましくしてしまった。

 立ち止まって 会話の中に入りたかったお母さん。
 多分 一人になると 自由がありすぎて 困るのでは と言いたかった。
逆もまた真なり である。

嬉しい電話

2011年11月07日 | 日記
 嬉しい電話

 果実 防災をライフワークとして頑張っている女性から電話があった。悪性リンパ腫に離間していることが分かったとのことであった。
 ガンで言うと ステージ4に相当するとのことで びっくりした。と言ういのもその前に 又 地域の防災を共に頑張りましょうと話して 近々 会おうと約束していたからだ。

 その時は 声も異質の感じで 本人も半分以上 諦めている感じだった。

 おかあさんは ずっと 心配していたが その後の経過を知りたくて 自宅に電話をした。

ご主人から様子を聞いたが 良く分からないらしい。

 すると 入院中のご本人から お電話があり 何だか 爽やかな 涼やかな声が聞こえてきた。

 話によると 抗がん剤を打って4日目だが こぶし大ほどのリンパの腫れがゴロゴロしていたのに
少し小さくなり始めているとのことだ。

 おかあさんは 心から ホットした。まだまだ 今後のことは 分からないが 少しでも良いサインがでたのだから 由としよう。フレーフレーを叫んでしまったおかあさん。

 立て続けに親しい人を失いたくないおかあさん。
回復を祈ろう。

おとうさんの納骨が終わりました。

2011年11月06日 | 日記
お陰さまでおとうさんの納骨が終わりました。

 昨日 11月5日 おとうさんの納骨式を致しました。
 横浜聖書教会の伊藤牧師の司式のもと お骨はお墓に入りました。
 お墓は神奈川県三浦市にあります三浦霊園。京急 三浦海岸駅から車で10分弱の場所にあって 回り三方を山で囲まれ 海に近いところです。
小鳥の声以外は風の音しか聞こえない静かな場所。周辺のお墓も一区域が広いのでゆったりした感じです。

 納骨する時 ニッキーは鼻をピクピク動かして おとうさんのお骨が収められるのを凝視していました。おかあさんの変わりに見ていてくれたのです。

 これで おかあさんは 少し 肩の荷がおりました。今月は昇天の式が墓前であります。又 近いうちにお参りに行きます。
自宅から 霊園までは おかあさんとニッキーで行くには遠すぎます。
 行きたくなったらどなたかにお願いをすることもあろうかと思います。
晴天ならば 行くだけでもせいせいする所です。


式の後 偲ぶ会を開催。ギターリストのYちゃんのオリジナル曲の いのり が演奏され 明るい雰囲気の中 おとうさんを偲びました。
 今 遺影の写真を 2階の寝室の壁に架けました。
それから 部屋の中を整理整頓して おとうさんのいない生活に向かって一歩を踏み出しました。 
 
 

昨晩 兵庫県芦屋に済むおとうさんの大学時代の友人からお電話がありました。おかあさんのブログを見てくださったのです。嬉しいですね。
 関西方面でも 偲ぶ会を口実に おとうさんの若かりし頃のお友達に会うことにしました。
昨夜 テーブルに出しっぱなしだった 和三盆の干菓子をニッキーが食べた形跡。今朝 急ぎ足でトイレに言ったかと思ったら ツウは軟便でした。
ニッキーのおしっこのPH7.6が今以上のアルカリにならなければいいのだが と心配になりました。

 

明日はおとうさんの納骨式

2011年11月04日 | 日記
明日はおとうさんの納骨式

 今 納骨式に必要な品々を揃えている。おとうさんの着ていた衣類を親戚の子供のために包んだ。
おとうさんは全盲になってからも カラーコーディネートしてもらったお陰で いつも自分にぴったりの身繕いが出来ていた。それらは 殆ど処分する事無く あの方 この方がもらってくださった。これは大変有難いことで 感謝している。
 古いものは既に処分済みとなっていたのもおとうさんの始末の良さだ。

 コツ箱をどのようにして運ぼうかと思案した。すると すぐに 大きくて しっかりしたビニールの袋が出てきた。いつもは手に触れたことも無い代物。被せてみると問題なく納まる。これでお墓まで楽に持ってゆける

 納骨式に使う花束も用意。白い カーネーション ガーベラ トルコ桔梗を主として 少し ピンク色や紫色を入れて 秋野空気のように爽やかな花束お作ってもらった。

 これで 明日 天気がもってくれることを祈るだけ。
 

高曇りの一日

2011年11月02日 | 日記
高曇り

 今 聞こえてくるのは 世界の三大テノール歌手だった 故パバロッティ の歌う オペラ 「愛の妙薬」のアリア あふるる涙。1昨年におとうさんが発表会で歌い おかあさんは 同じ年に 社交ダンスの発表会で ワルツを踊った思い出の曲だ。
 何んとも優しい歌だが とうとうと歌い上げるパバロッティに憧れて 何度も何度も聞いていた曲。
聞いていると涙が滲んでくる。
 このようにして 人は忘れられない思い出を作っていくのだ。
 考えてみれば おとうさんもおかあさんもいつも 美しい物を求めて生きてきた。

反対に美しくないものを駅で耳にすることがある。
 それは ずるずると引きずって歩く靴音や カンカン ぱかぱかと踵をの音を残して歩く女性達。
 もう少し 考えて生きてくれれば 他人に深いな物音を聞かせなくても済むのにと思う。

 いやいや 他人のことばかりとは限らない。おかあさんだって ニッキーだって 人に不愉快な思いをさせているかも知れない。
 注意して 美しくあろうと 努力しヨット。

ホームヘルパー 日替わりで3名ー

2011年11月01日 | 日記
 新しいホームヘルパーさん

 おかあさんは週に3回 ホームヘルパーさんのサービスを受けている。
 その事業所を変更して 今日から新しい事務所から派遣される。 ホームヘルパーさんの資質は色々だ。
 丸く履く人 マミュアル通りにしかやらない人 後始末の悪い人 など色々だ。

 家庭によって常識も異なることだけにヘルパーサンモ大変。今日のヘルパーさんはきびきびと動くので 前よりはきれいになるのではと期待を書けた。
剣道4段の腕前だとか。
これから 3名のヘルパーさんが火 木 土 と入るおかあさんはそれぞれがどんな仕事ぶりなのかを見物することにしよう。
競争できれいにしようと思うのかなあ。思わないのかなあ。
慣れるまでは 質問も多いので 忙しくなりそう

 人好きなニッキーは尾を振って大歓迎だ。毛をお掃除してもらうのだから 愛想良くしてね。

さて ある特殊でもない食品 食品に課税する という海外ニュースを聞いた。

 デンマークでは脂肪に税金をかけるそうだ。これは 脂肪の取りすぎへの警戒感からだ。バターなど 価格を吊り上げて 消費を抑えるのが狙い。
 又 ハンガリーでは 大変 甘い食品と 塩分を使ったからい食品に課税するそうだがこれを日本で採用したら 適合する食品があまりに多くて 結局 多くの食品が値上がりすることになって私達は困ってしまうのだ。
 しかし 日本でも 劇辛食品が原因らしい難病の大腸炎で体がぼろぼろになってしまった若い女性が 何人も入院しているそうだ。
 おかあさんが聞いたのは 女性の病室に入院している女性の話だったが 全く 薬も無く 普通の食事も食べられないのだ。
  

  食事が原因で食事が取れなくなるのはどんなに辛かろうと思うが 彼女達は集まると 劇辛が食べたいねと言い合っているそうだ。
 おかあさんは こんなことにならないように気をつけよう。一人になると
何となく面倒で簡便にお茶を濁してしまいそうで怖い。。

 それにしても ニッキーは毎回同じフードで 良く健康が保たれていると感心する。
昨日の夜 何だか くちゃくちゃやっているので 何だろうと思っていた。 すると 何と チューインガムの紙包みが2枚と噛んで吐き出したチュウインガムがハウスに落ちているではないか。
 飲み込まず噛んでいただけで 風船を膨らませた形跡はなかった。今日 変な時間に
ツウが出たのは これが原因だったか。
油断もすきもあったものではない。