ニッキ-通信 ~盲導犬ニッキ-のお母さんより~

盲導犬ニッキ-と私の日常。要援護者・障害者の防災について紹介します。

一歩も動かぬニッキーを動かした物とは

2012年09月13日 | 日記
一歩も動かぬニッキーを 動かした物とは

 今 夜の8時前。ニッキーは絶対に トイレは外でするのだと 玄関に勝手に降りて おかあさんが降りてくるのを待っている。
 このところの ツウの不調が原因で ニッキーの外でしたい という 望みを黙って見過ごしていた。

 すると もう 室内でのトイレは頑なにしなくなった。
 雨の日や 道路が暑くてやけどをしそうな時のために
室内でも出来るようにと おかあさんは頑張ってきた。それは
1種の闘いであった。

 漸く ワンはスムースにできるようになっていたのに 何ということ。
2階でさせようと想って 引っ張っても ものすごい力で抵抗する。
今まで こんなに抵抗したことはなかった。

 さて これから どうするか。おかあさんが負けて 外に行くか それとも ニッキーのワンが 耐え切れなくなるまで放って置くか。
 ニッキーは もう 20分以上も玄関で待っている。

 ニッキーのツウは 少しづつ改善してきた。
まだ 以前には戻っていないが 例の細ー胃のからは脱した。

 さて さて 今宵の闘いの結果である。
 おかあさんはひらめいたのだ。 ニッキーの弱点はなあに?それは食いしん嬢であることに思い至って 特性のおいしいお水で
頑固な気分をそらせた。
 ニッキーは 「なあに 何を飲ませてくれるの?」とのこのこ 2階に上がってきた。
魔法のおミスを飲んだら もう 玄関先で頑張ったことなど すっかり 忘れて 2階でワンをしてくれた。
おかあさんの作戦は大成功。

 今度はツウだが 気分を伺ってみると
これは室内では無理みたいだ。

 ここで おかあさんは折れて 外へツウをしに出た。
 しかし ニッキーはあちこちをクンクンして ペットをしただけで空振り。
らちが明かないので家に戻って 歯磨きをして おとうさんんの遺影におやすみを言って床に就いた」
 これで 約 1時間。
ああ やれやれ。

 

アルベール カミューをご存知ですか

2012年09月12日 | 日記
アルベール カミュウってご存知ですよね

 おかあさん 位の年齢の人は  かって 若かりし事 カユーの書いた
「」異邦人や「ペスト」を手に取られたことがありませんでしたか?
 丁度 20台全般の時代は サルトルやボーボワールが時代の寵児として大いに活躍していました。 そのころ おかあさんは たいして 理解も出来ないのに 彼らの本を
買って読んでいました。
 カミューの著作も その頃読みました。

 そのカミューを今になって サイド 読み直してみたのです。
動機は 確か 文芸春秋の記事の中にカミューが生誕100周年で 記事として取り上げられていました。
そこで おかあさんは 本の内容をうろ覚えにしか覚えていなかったので
再チャレンジしようと想いました。
 丁度 「ペスト」を読み終わって 1週間くらい経った頃 友人の平野園子さん
(ひらのそのこさんは「日本の蘇生」)の著者です。)が
日本人の中のカミューを取り上げているフランスの報道番組に出演することを知りました。
出演のきっかけは この後に転載させていただくひらのさんのブログが
スタッフの目にとまったのです。
 日本でも だれそれの生誕100周年を契機にその人の業績や著書などを話題にしますが フランスでも 同じなのですね。


 カミューの書いた ペスト と 東日本大震災の類似点にひらのさんが目をつけたことは
フランス人にとっては格好の取材対象として写ったようです。

それだけ フランス人にとってはカミューーを偉大な作家として大切に想っていることがわかりました。
偉大なカミューを今の日本人がどのように捉えているのか興味があったのですね。

平野園子さんのほかにも出演された日本人がいますが どんな番組になったのか見たいものです。

ここから 転載のブログです。

東日本大震災とカミュの「ペスト」     平成11年4月 平野園子氏ブログより

数日前、日本点字図書館からお借りしていたテープ図書2ケースをポストに返却しました。日点によるテープ図書の貸し出しが3月で終了するため、それは私が借りた最後のテープとなりました。録音図書はこれからもディスクに録音されたデージー図書などを引き続きお借りすることはできるのですが、私にとって1996年以来15年間慣れ親しんだテープ図書を聞くことはもうないのだと思うと多少の感慨を覚えて、ポストに落ちるケースの音が胸に響きました。
 最後のテープ図書を何にしようか、と考えていた頃、それはまだ地震の直後で、千年に一度ともいわれるこの大災害の被害の全容も分からず、多くの人を襲った余りに過酷な運命と、原発事故という決して起こってはならなかった事態に気が動転する日々でした。そして一方で私どもがテレビなどで目にしたのは、家も土地も失い、家族の安否も分からない、などの極限状況の中でなお、、譲り合いの精神や他人への気遣い、感謝の気持ちを忘れず、秩序を保つ、驚くほど忍耐強い人々の姿でした。
 ふと学生時代に読んだアルベール・カミュの「ペスト」を思い出しました。ペストに襲われて封鎖され外部との接触を一切断たれ、恐怖と絶望が支配する町で、淡々と、黙々と自分の職務に邁進することによって、この不条理な状況と闘う医師ベルナール・リウーとその仲間たちの物語はワクワクするような面白さはないものの、大きな手応えを感じさせた小説でした。
仏文を専攻した学生時代、私にとってカミュは最も惹かれた作家の一人でした。私のフランス語は大変未熟なものでしたがそれでもその明晰で端正な文体は読んでいて心地よく、その思想や感性は心に深く触れてくるものがありました。とりわけ故郷アルジェリアの自然を語る彼の文章は実に美しくて、エッセイ
La Noce結婚 に漂う深い詩情と、一種異教的、汎神論的な世界は魅力的でした。余りに強烈な太陽の光に焦がされる大地はむしろ暗く、太陽と大地は深く結ばれ、そこにどこからともなく吹く風・・・。カミュの作品とその文体の背景に、私はいつもこの地中海的な風土を感じていました。
第二次大戦中の1942年に発表された「シーシュポスの神話」Le Mythe de
Sisypheはカミュの思想の原型を示すものでした。ギリシャ神話で語られるシーシュポスは、神々に反抗し、生に執着しすぎたために神々の怒りをかい、考え得る限り最も残酷な刑に処せられます。重い岩を山頂に運び上げると岩はすぐに下まで転がり落ちる。それをまた山頂に運び上げる。それを永遠に繰り返す、というものでした。全身全霊を込めて岩を山頂に運び、それが転がり落ちるのを見届けて、山を降り、また岩を頂上まで運び上げる、という苦役に黙々と耐えるシーシュポスにカミュは「不条理の英雄」の姿を見ます。
当時共産党に入党していたカミュは、目的も達成感もなく毎日同じ仕事に明け暮れるプロレタリアートたちの生活にこのシーシュポスの姿を重ね合わせていますが、それはまた、人間の置かれている根源的な条件と生きることの意味を問いかけるものでもありました。
そしてシーシュポスは、戦争直後の1947年に発表された「ペスト」の医師リウーの姿と重なります。ペストが終焉に向かうなか、同志ジャン・タルーがペストで死亡するのを看取り、療養中だった愛する妻の死を淡々と受け止め・・・。不条理な世界の中で運命に翻弄されながらも、自分の職務を全うすることに全力を尽くすリウーもまた、「不条理な世界に反抗する人間」「不条理の英雄なのだと思います。
それはまた、地震直後から福島原発事故の現場で危険も顧みず、家族の安否を確認するいとまさえなく不眠不休で最悪自体を回避するために働き、世界で「fukusima
fifety」と讃えられた原発保安員の方々、その他無数の、過酷な運命を受け止め、渾身の力で役目を果たそうとする人々の姿でした。
よく「ペスト」はナチ占領下のフランスを描いたものだといわれます。そして共産党に入党し、レジスタンスに加わったカミュはサルトルを初めとする多くの同志と共に闘い、そして歓喜のパリ解放を迎えます。しかし共産党入党は彼にとっておそらくはナチスへのレジスタンスの手段であって、カミュ自身は共産主義イデオロギーとは距離を置いていたのではないでしょうか。
 1951年、「反抗的人間」を出版してから、あくまで共産主義革命を目指すサルトルたちとの立場の違いは鮮明になり、サルトルは革命に於ける政治的な暴力まで否定するカミュの態度を「曖昧である」と批判して「サルトル・カミュ論争」が起こります。
 私が早稲田大学に入学したのは1964年ですが、当時の学生たち、特に私ども仏文の学生たちにとってこの論争はなお避けて通れない問題を提起していました。
キューバ革命が成立したのが1959年、翌年が日米安保反対闘争、1964年にはアメリカが自作自演のトンキン湾事件を口実に北爆を開始。そして1965年早稲田では学費値上げ反対闘争によって大学は封鎖され授業はほとんど行われませんでした。そんな時代、権力や圧政と闘い、打倒するために暴力的手段を肯定するサルトルはある意味分かりやすかったとも言えます。けれども、カミュの唱える「反抗」とは、生命や尊厳が冒される苦しく厳しい状況の下、そこから目をそむけず、明晰さを保ったままある限りの力を尽くしてその状況に反抗する、ということであり、そしてその「反抗」が他者のためのものであるとき、そこに連帯が生まれる、と唱えます。革命の理論としては確かに曖昧かもしれませんが、それはプロレタリア革命よりもより普遍的、根源的な闘いを意味しており。ポスト冷戦の今の世界では、より今日的であるともいえると思います。
 連日地震や津波の被害や福島原発事故の報道が流れる中、「ペスト」のテープを聴くこと

私にとって正直かなり辛いものでした。そして小説の中では、ペストは終演し、人々の歓喜の声を聞きながら、リウーは自分が見、経験したすべてのことを記録として残すことを決意するのですが、日本では時間が経てば経つほど、事態は混乱し、深刻さを増して、まだ復旧も復興も少しも筋道が見えません。
私は常々、この国は船長もいないまま、目的地も定まらずにただ漂っている、と感じているのですが、被災者の方たちの置かれている大変厳しい状況やそのお気持ちを思うとただ政治批判をしているわけにもいかず、悶々とする日々です。
大きな青写真を掲げて、被災者の方たちへのとりあえずの迅速な支援と、その先の、人々が希望を持てる復興への筋道を示すことが大事だと思います。それが分かりやすい形で提示されれば、多くの日本人は、それに協力する心の準備はできていると思います。今の日本にそのリーダーシップをとれる能力を持った人間はいないのでしょうか。
この混乱状態のなかで、僅かながらでも未来への光明が見いだせるとしたら、それはこれを契機に、戦後余りに経済優先だった国の在り方や自然との関わり方、エネルギー政策の在り方などを問い直すべきだという声がちらほらと出てきていることです。余りに多くの方が犠牲になったこの大震災が日本再生のきっかけとなった、と後生の歴史に語られる日が来ることを祈らずにはいられません。日本人の叡智が問われています。

以上が平野園子さんのブログでした
所に生まれ変わることを切に

34歳 新しい道へ進んだダンス教師

2012年09月12日 | 日記
34歳 新しい出発をしたダンス教師ご夫妻

 おかあさんはもう 長く社交ダンスを習っている。プロの先生についてから 
20年が過ぎた。
 今の 岸先生についてから 7年目になる。
 先日 9月2日に 発表会が開かれた。
今年のドレスは 赤。カラーコーディネートをしてもらったカラーシートをドレス専門店の店員さんに見せて もっともに合う色の赤を選んでいただいた。
だから  自信を持って切ることが出来る。

では 踊りの内容はどうでしたか?って 聞きたいですよね。

  ダンスもおくが深くて いくら練習しても 努力しても これでいいということが
ない。
 今のおかあさんの力では この程度で手を打つか てな訳で 踊った
のは いつもの ワルツ。音楽は 映画 シンドラーのリストの主題歌。お相手はイケ面の岸先生。
おかあさんはずうずうしいので 本番では 全く上がったことがない。今回は この冷静さがおかあさんを助けた。
 
 さて おかあさんの選んだドレス スワロフスキーで美しく装飾された素敵な逸品だが デザインに問題があった。 というのは 裾野切り込み部分に 足を上げたとき靴の
ヒールが引っかかる。
リハーサルでその欠点に気付いた。
 本番では 何と 最初のリフトで7センチヒールの右のかかとが引っかかって
しまった。
 一瞬  これはどうしよう と想ったけれど 冷静に対処して 誰にも気付かれずに外すことが出来た。
あとは 1年間の練習の成果を披露するだけだ。
ここで ドレスからヒールを外せなかったら すそを引っ掛けたままで踊ることになったであろう。
 こういうこともあるので舞台では 冷静であることが肝要だ。
来年 ドレスを選ぶときは すそに注意だ。
おかあさんのダンスの出来具合だが 沢山の拍手を頂いたのでまあまあかな

さて 岸先生はご夫妻でダンス教師をされている。
今月からはご自分達のスタジオを関内に開かれて 新しい道に進まれた。
 今日 初めて 新しいスタジオを訪れた。
 部屋中にすばらしいお花が一杯で 若い御二人の門出を華やかに彩っていた。
 室内で注目すべきはダンスフロアーだ。
何と 東北復興の一助として 東北の桜材を敷き詰めてある。
この辺にも 先生ご夫妻の人柄がでているように思えて
嬉しかった。
 おかあさんは フロアーをそっと撫でてみた。
ニッキーも床が冷たいのか あごを伸ばしてダウンしている。

「 岸ダンスカンパニー」が
おふたりのお城の名前。
 関内に移ったら 又 新しいお弟子さんが増えて 賑やかなダンススタジオになることだろう。
頑張って欲しいし おかあさんも応援する。





 ところで 懸案のニッキーのツウ。
昨日の夜9時ごろ 細いのを少しした所為で 今朝はお愛想なし。
 
そこで おかあさんは考えた。

 盲導犬は外出前には ワンとツウをさせてから外出するのが基本だが ニッキーは 
外出から変える途中に 催すことが多い。
「そうだ 帰りに期待しよう。」
そして この作戦は大当たり。
遂に 出ました。以前と同じような太さのツウ。おかあさんは肩の荷をおろした感じでにこにこ顔になった。
明朝も いいツウでありますようにと願っているおかあさん。
 自分のことより 大事に想っている。これが親心なんだね。大事なニッキー。


ポピュリズムとは何のこと?

2012年09月10日 | 日記
ポピュリズムって何のことなの?

 最近 雑誌を読んでいると「ポピュリズム」という言葉が何度も出てくる。

意味は次のような事らしい。

ポピュリズムとは 「我こそが民意だ」 という姿勢で 本来は多様なはずの民意を単一化 人格化して対立する相手を
黙らせる 政治手法だと書いてあった。

この思想を振りかざすカリスマ的指導者が盛会に飛び出してきたと
マスコミがにぎやかだ。

  これは かってのドイツのヒットラーだったり その他 歴史の中に散見される
指導者の取った政治手法だ。

  今 多くの日本人が憂えていること。
それは 各方面で膠着化している日本の状況だ。
何とかこの苦境を打開したいと考えている。

 そこに声高に かつ 一見 真理のようなことを言う人が出てきた。

 「あれ 新しい指導者かな」などと つい 想いがちだが
声高に 言い募る人には気をつけたほうがいいと おかあさんの危機意識はブレーキを掛けてくる。

 今日も 何人かの国会議員が その光に惑わされて 離党する。
しかし その光源はミラーボールみたいなもので 自分ひとりでは輝かず そこには きらきら輝く光と暗い陰があるので 一見美しく見えるだけではないのかな。
本屋 雑誌を読んでいると 国会議員が 全く 世の中の動きに無関心で 勉強をしてくれない人もいるとか。
 物事を判断するには きちんとした自分と 周りを正しく判断する目が養われていないと出来ないと想う。何も考えない 学ばない人が国会議員であっては困るんだ。。

多くの人が かっての小泉さんを 「かっこいいじゃないの」とアイドル化した。
先日 郵便局から来た手紙を読んであっけに取られた人が多いだろう。
あんなに世の中を騒がせた郵政問題は 又  一つに合体した会社になったらしい。
 あの時 どんな過疎の村にもあった郵便局が村から消えて 貯金をおろすために 
遠くの町に出かけなくてはならなくなったおじいちゃにゃおばあちゃんのことを想うと
腹が立つ。
民間になって サービスは良くなったのかな?

 あのころの国民の判断が 今の混沌の 出発点になっているようにも思える。


目の見えないおかあさんにとって  当時 小泉旋風はとんでもない過ちに思えた。

国民が政治の指導者を前にした時 この人は 信用出来るか否かを どこで判断するのだろうか。

皆さんは どう 考えますか?

 おかあさんは まず その人の中身を 声で聞く。目をつぶって聞いてみると この人は本当に我々のことを考えて 物を言っているのか それとも 政局のことばかり考えているのか それとも 自分の事しか考えていないのか 見えてくる。

小泉さんを例に取ると  この人 (小泉さんのことだが)は 「信じるに値しない人だと感じた。
声もそうだ。そして 報道で聞く彼の言動は 人を馬鹿にした発言が目立った。それこそ 冒頭のポピュリズムを地でいった政治家だったように想う。

 なんて 書いても おかあさんには政治のことは分らないが 一人の選挙民として 次の選挙に誰を選べばよいのか
良く 見て判断したいと考えている。
今の政治の混乱振り 国民である我々 選挙民である我々が作り上げた結果だ。
皆が責任を感じなければならない。
さて  おかあさんの高校時代の友人の一人がマレーシアに住んでいる。
10月に所要で帰国するが その時 金曜日の集会に出て  その後... とメールに
書いてあった。
 読んだときは金曜日の周回の意味が分らなかったが それは 原発反対の国会周辺のデモに参加することだと気付いた。

 彼女は かって 原発反対の活動をしていた。その時 おかあさんは何も考えていなかった。要するに 自分のことしか眼中になかった訳。
 それから もう 20年近く経過した。今 原発をどうするか  考えナければならない時に来ている。
 彼女達の反対活動を見て あの頃  もっと おかあさんの目が開いていたら と想う。
 いや 今からでも遅くは無い。未来の日本国民のためにも しっかりしなければね。
友人が 将来 帰国した時 「ああ 戻って着てよかった」と思えるような日本に
 早くしたいものだ。

 今年に入ってから 自由が丘にある 緑ヶ丘区民センターで開催された 日本の明日
を考えるセミナーで おかあさんの目は 今までとは違う方向を見始めた。
 お陰で 又 人生が面白くなってきた。。

今  ニッキーがシャンプーから ピカピカになって帰ってきた。
車で送迎をしてくれるので 助かる。
今までは自分で連れていっていたが 手向きをしているおかあさん。
帰ってきたら 何だか むすっとしている。疲れたのか。精神的な疲労か。

ここ 1ヶ月ほど やすりで伸びてきたニッキーの爪を削っていたら 今日のトリマーさんの爪切りは楽だったとか。
先月は大騒動だったことを考えると嘘みたいだ。

 朝 一番の体のチェックといい やすりで爪を磨くここといい 毎日 続けていると 自分から その体制をとれるニッキー。毎日の訓練が肝要だね。

秋 暑し

2012年09月09日 | 日記
秋 暑し

今朝のツウも細くて 少ない。これは 問題だ。
 取るものもとりあえず 動物クリニックへ行った。


 触診では問題点は見つからないので レントゲンをとることになった。

 その結果も懸案となる点は見つからなかった。

 これからの2週間
 体調を身ながらツウの様子を観察する。そこで まだ 普段のツウに戻らなければ 
カメラを入れてみる手順。
。これは全身麻酔をするということだ。
 こんなことになってはこまる。

 夜のツウは少し改善が見られた。

 おかあさんのちょっとした不注意から起こった事。可愛そうに 。
しかし 食欲もグッド。眼力もグッド。元気だし...。

ニッキーのうんだめし その3

2012年09月08日 | 日記
ニッキーのうんだめし その3

 しつこくツウの話をさせて欲しい。

 なぜなら 三角チーズの包み紙の銀紙を食べてから 跡の ツウの細いこと。今迄の三分の一くらい。
 それが始まって3日目だから 食べた後としか思えない。
原因は銀紙だ。

 やはり すぐにクリニックへ行って 吐かせて貰うべきだったか。
ちっとも めでたくはなかったなあ。
明日 クリニックへ行ってみよう。

 さて 秋の果物が沢山店先を賑わせている。栗も実って
柿も出回っている。
ぶどうの種類も多い。
おかあさんの好きなぶどうは甲斐路系のタイプだ。以前 レディース フインガー という名前のぶどうをたべたことだある。あれ以来見ないが 見つけたら是非とも 食べたいと想っていた。
すると 先日アイヅの友人が 何とか フインガー というぶどうを見たとか食べたとか言ったので 「おお それそれ 私が食べたかった幻のぶどうだわ」。
どうも 福島県で作られているらしい。
赤くて 本当に 貴婦人の爪みたい。
人間だけでなく 者にも気品があると想うが まさに このぶどうは気品がある。美しい。
アルコールが飲めないおかあさんにとっては 美味しいぶどうはぶどう酒よりも価値が
ある。ニッキーもたまにはお相伴できるしね。
ただし ニッキーにとっては 果物や野菜は尿をアルカリに傾けるので 厳禁と言われているので ほんのちょっとだけ。
おかあさんが 「良く 噛んで食べなさい。」と言うので ニッキーはゆっくりと
味わって1個の巨峰をぶべました。  

ニッキーのうんだめし その2

2012年09月07日 | 日記
ニッキーのうんだめし その2

 夕べ 雨の中を30分近くもウロウロして ツウ(排便のことですが)をしたいと頑張って
果たせなかったのに。
今朝はすんなりと。まずは めでたいこと。

 銀紙がないかとビニール袋の中を 探ってみたが 堅いものには触れない。昨日の朝も無かったようなので
まだ腸内に潜んでいるのだろうか。

 たおやかな美人酸なのに どうも 食いしん坊ならならぬ 食いしん嬢である。
 とりあえず 動物クリニックには行かず
午後は おかあさんのいく横浜美術館へ同行させた。

 
朝夕は しのぎやすくなったが まだまだ 昼間は暑い。
今日は 家から靴を履かせたが 美術館へ付くまで 問題なく履いていた。
 ニッキーは暑くても 今日くらいだったら 家出寝ているより お仕事に出かけたほうがいいらしい。
嬉々として 韋駄天走り。
帰宅しても このあいだのように バテてしまうこともなくなった。
行く途中で ワンとツウをしたので おかあさんはものすごく安心して絵画の世界に
のめりこめた。

 今 横浜美術館では 視覚障害者を対象に ちょっとためになる企画をやっている。まだ テスト期間中だが 視覚障害者一人に 2人以上の複数のボランティアが就いて決められた絵画4点を鑑賞してまわる。

 今回も サルバドール ダリ の幻想的風景 暁 英雄の午後 夕べの3つの作品で出来ているパステル画を見た。今日で3度目になる。

 この絵は大きい。1942年に アメリカ人の女性実業家
 ヘレン 何とかさんが自宅の食堂の壁画にとダリに依頼したもの。
 テーマを 彼女の人生とした。
 シュールリアリズムのダリの作品なので 非現実的な情景が表されている。
はじめは 何となく 不気味な感じだったが 鑑賞の回数を重ねるうちに  この大きな作品が とても 好ましく思えてきた。
 絵は 暁 (誕生) 英雄の午後(活動期)夕べ(死を表現していると言われる。

 全開まで考えもしなかった感慨が浮かんだのは この死 を意味する絵にある 二人の人物の後姿だ。
 それは あたかも 神と共に天国へと向かいつつあるヘレンの後姿ではないか。

 この感覚は おかあさんがカソリックの信者であり 昨年 病床先例を受けて 神に導かれて天国へと旅立ったおとうさんを重ね合わせた上でのことだ。

 だから 見る人 それぞれの歩んできた人生で 皆が異なった感想を持つのが当たり前だと想う。
 一つのものを出来るだけ深く見つめることの快感が この絵画鑑賞会のワークショップなのだ。 これから ダリの精神生活について調べてみようと想う。

 ニッキーは会議室にステイしておかあさんの帰りを待っていた。
 帰り道 又 ワンをちらとして 韋駄天で帰り ご飯を食べた。

 そうそう 今日のガイドヘルパーさんは頻回に美術館を訪れるという男性ヘルパーさん。お父さんのために お鼻を持参して下さった。
嬉しいこと。二人でおとうさんを偲びました。

ニッキーのうんだめし

2012年09月06日 | 日記
ニッキーのうんだめし

 今 突然の雷鳴に反応したニッキー。普段は 雷さんは平気の平左。
多くの犬達は雷が大嫌いらしいが 盲導犬は 仕事中に聞こえてくる 大きな音に
平成を失わないように しっかりと訓練されている。
 ただし その音がどこから発生しているのかは 首を伸ばしたり 後ろを振り向いたりして 確認はする。
 聴導犬の訓練はどんなものか知らないが こんな様子を見ていると 音の発生源を確実にキャッチするように訓練されているのだろうと想う。
 考えてみれば その発生源が何なのか その役割花二なのかなどを犬が理解するなんて すごいことだと想わない?

 ニッキーも おかあさんの
言うことを以前より理解して 行動できるようになって来た。
 逆におかあさんのほうが ニッキーの望んでいることを分った挙げないで いる。

 今日も夕方 ニッキーはおかあさんの命令無しに玄関へ。雨が降っているし
今日は 夜のトイレは家の中でするのよ と言っても頑強に玄関から動かない。

「 仕方が無いわね」。外に出たら幸い雨が上がっている。ワンをした。
 そこで 雨が降ってきたので 家に入ったが まだ外に出たがる。
 外で 暫く ワンツウ を促したが出ない。
仕方が無い。本当にツウがしたいのかな?
薄いゴム手袋でお知りの穴に指を入れたら 先端まで来ている。

 又 雨の中へ出てトライ。
ツウを出したいのに 出せないでウロウロしてばかりのニッキー。
もう ずぶ濡れだ。

 ここで おかあさんは ため息と共に 昨日と今朝のニッキーの盗み食いのことを思い出した。
 それは 三角チーズの外側のアルミ。テーズルの上に片付けないで於いて置いたものを食べてしまったのだ。

 もしかしたら それが 腸のどこかに引っかかっているのかも。

 びろうな話で申し訳ないが おかあさんは 指を入れて 先端のツウを掻き出した。

 それで便意は治まったらしく居間はハウスで寝ている。
これで 約 1時間がつぶれた。あああ。
明日の朝 もし ツが出来なかったら クリニックへ行かなければ。
これは 本当の ニッキーの んんだめし だワン。

福島県への旅行

2012年09月05日 | 日記
福島県を旅する

 おかあさんは ここ7年くらい 磐梯 朝日 国立公園の中にある
ホテル グランデコに避暑に出かけている。
昨年も 「9月には 行こうね」と言っていたが おとうさんが約束をたがえて天国へ旅立ってしまったので 断念。
 今年は 都会の暑さを逃れて いい気分。
 ニッキーも知った所だけに グッド グッド かなと想ったら
おかあさんが温泉に言っている間にすっかり 混乱振りを発揮。珍しく ほえたり がりがりやったり 同行のMさんを困らせたそうだ。

 おかあさんは気心の知れた女性の同行者がいたので ものすごくラクチン。ニッキーも沢山遊んでもらって 楽しそう。

 このホテルは冬はスキー場に隣接していて賑わうらしい。
おかあさん達は どこにも出かけないで 広い芝生のロッキングチェアで楽しいおしゃべり。ニッキーは傍でうとうと。こんなぐうたらスタイルが
一番の骨や墨田。


 その後 南会津へ行った。
会津にはおかあさんが会いたいと願っていた大銀杏がある。今年は どうしても会いたくて
連れて行ってもらう。すると 周りの景色が以前と異なることに気付いた。

 周りに柵をめぐらして いかにも大切にしています といった風。
でも せっかくの自然が壊されて 無念。ちょっと つまんない。
樹高35メートル 根元の太さはどのくらいだろうか。
枝にはホッテントットの母親の乳房みたいなコブがいっぱい付いている。だから 乳銀杏 と呼ばれている。

 柵があると柵内に入っても 何となく後ろめたくて こそこそしている感じで落ち着かない。

 3.11の自信にもびくともしなかったが 根っこの補強でもしたのだろうか。

 ゆったりと会津の豊かな自然に溶け込んでいたのに 可愛そうな大木。


 さて 会津地方。放射能の影響は受けなかったが 客足がすっかり 遠のいたそうだ。これから
蕎麦の収穫が始まって 新蕎麦のシーズンになると賑わいが戻るかな。
会津のお蕎麦もおいしゅうございます。
 今年は大内塾で 蕎麦サラダ なるものを食べた。女性向き。新しい食べ方ね。
盲導犬は入れてあげないという店もあり まだまだ市民権を得ていない補助犬。交渉しようと想ったけれど あまりの暑さにうんざりして 入れる店へ。
大内宿のみなとやさん ありがとう。美味しいお蕎麦を食べさせるのに 知名度が低く 込んでいない。もったいないね。

ニッキーは暑さに参った。らしく バテ気味。
 こんな様子では 真夏の旅行は涼しい山か高原がいいようだわ。


 






 この暑さもあと1日で収まって行くとの報道だが 暑さ寒さも彼岸までよりも もっともっと 扱ったのが昨年。
今年もまだ気が抜けないぞ。

 又 来年 福島県に行く積りだが これは 積極的な支援になるかな。

おかあさんの摩訶不思議なアレルギー症状

2012年09月05日 | 日記
おかあさんの摩訶不思議なアレルギー症状

ニッキーのおとうさんは 結婚当初 おかあさんのことを こう 言っていた。

「僕の患者さんの中で 君が一番ひどいアレルギー患者だね。」と。

 そう おかあさんのりょうしんはなかなかのアレルギー症状の持ち主だった。だから おかあさんの姉も妹も
しっかりと同じ体質を受け継いでいる。

 さて この間の旅行での最後の日に スエーデン料理を食べさせるゲストハウスに宿泊した時のこと。おかあさんはうっかりと 食物アレルギーがあることを伝え忘れた。
10年前から それまで平気で食べていたいくつかの食品を食べると 耐え難い謂痙攣や発熱や欲せ木を発するようになってしまった。

 元々 海老のアレルギーはあったので  外で食事をする時は 気をつけていた。
今では アボカド プラスたまごの取り合わせやオマール海老のたぐいや近海の魚 
いさきや かますや 生の山芋 つまり とろろ など 結構多くの食品にアレルギー症状を呈するように
なってしまった。

自分でも不思議で信じられないが 今では 出来るだけ危険は避けるようにしている。

 ところが 今回 そのゲストハウスの前菜として アボカドの煮込み料理が出たのだった。おかあさんは これは食べられないといおうか言うまいか悩んだが
解析の楽しい雰囲気を壊すまいと想い  アボカド料理を食べてしまった。お腹も空いていたのでパックパク。
 それから コース料理がお魚料理が終わった頃 何だか 気分が悪くなってきて胃が異変を感じてきた。座っているのも辛くて
失礼と詫びて 洗面所へ行った。

 それから 頭から冷水を浴びたように汗が噴出して 目の前が昏くなった。

 暫くして 席に戻ったが もう 何も食べられない。

 人生 3度目の胃痙攣だ。

 横になっていると友人が様子を見に来てくれて背中を押してくれた。  
優しい友人の指圧で おかあさんの症状は軽快した。
漸く気分が落ち着いて元気が出た。

 ニッキーのお世話は友人達が代わってやってくれたので 大いに助かった。

 翌日 前菜の材料を聞いたら まさに おかあさんの最も避けなければならない 取り合わせだった。
アボカドに味付けでマヨネーズが入っていた。マヨネーズは卵を使っている。絶対に
食べてはいけなかったのだ。

今回のおかあさんの呈した症状は 食物のアナフィラキシー ショック なのかなあ。

 ゲストハウスにおかあさんのアレルギーのリストを出さなかったのは反省点。だが 食べないほうが良い食品が何かが分っていることは 有難いことではある。

 クワバラ クワバラ 
アレルギーなどが原因で 食べられないのか  わがままで食べないのか
 食わず嫌いであるかどうかは 他人には分らない。
自分で自分のことは責任を持って対処しなければ 結局は 周りの人に迷惑をかけることになる。
これからはもっと 気をつけよう。
それにしても 優しい友人が一緒だったので大いに助かった
感謝 感謝。





ニッキー通信 ぶロブ 再開です

2012年09月03日 | 日記
ブログ再開のお知らせ

 ほんんお1個のキーを間違えて押したために いつものブログの送信が不可能になった。
 その 間違いの原因は パソコンの原理を知らないことから発生。
 しかし 何人もの方から 本文が読めないとの問い合わせを受けて 初めてわかったおかあさん。
 いい加減に物事を済ませてはいけないのだ。反省

 ここ 数日 何だか忙しくて ニッキーのお世話もなおざり。そして その結果がニッキーの耳に現れた。
何だと想います?

 それは耳の汚れから来る臭い。今まで ニッキーのお耳のお掃除をほぼ 毎日 怠ったことが無かったのに しっかりと 奥まできれいにしなかったら 今日は 初めて クサーイ。。。

 もう 眠りに入っているのを 無理やりお掃除。明日 もっと きれいにするけれど その臭いに おかあさんは頭痛がしてきた。

 ダンスの発表会も終わったが今週はまだまだ忙しい。けれど しっかりとニッキーのほうを向いて あげよう。

 さて 下記に 長文になるが おとうさんの命日までの原稿を貼り付けるので
 時間のある方はごらんあれ。

 旅行から後のことは
明日以降書かせていただくことにしたい。

 そうそう 今日 電車から降りようと想ったら 出口に どうも 知的障害らしき方がいた。彼らの中には たとえ 盲導犬であろうと 怖くて 叫びだす人がいることおを
知っていたので 別の出口まで行こうとした。
 しかし 残念ながら 車両のつなぎ目のため 隣の車両へ行くのは無理。危険だ。
仕方なく 声を掛けながら 出口まで行った。
 その時 初めてニッキーの存在にきぢた彼は 大声をあげた。
 叫びながら 出口から 社内へと走って逃げた。
同行の母親らしき人が 大丈夫だと宥めていたが 聞く耳は持たなかったようだ。
おかあさんは どうすることも出来ずに ニッキーと電車を降りたが なんとも
気分が重かった。。
 
社内の乗客は何が起こったのかと驚いたことだろう。
こんなことも あるんだね。● 2012/08/18 雨 ののち 晴れ

お茶を飲んで行って下さい

 我家のの風呂場のシャワーヘッドが壊れた。夏休みがあけるのを待って 懇意にしている電気屋さんに電話。

その電気屋さんとは長い付き合いで 電球一個でも付けに来てくれる 有難い存在である。
 日中の暑い中を来てくれて 必要な物が何かをチェック。仕事は たった それだけで終わった。

 それで帰ってもらうには申し訳ないので 電気屋さんが熱いお茶が好きなのを思い出して 声がけ。
 すぐに お茶を入れた。そして 自分にも入れて 夏休み中の事などを話し田。

 「それでは」と立ち上がったので 挨拶をして 見送った。。

 さて それでは お茶碗を 洗おうかと思いテーブルを探ったが ない。
「あれ お茶碗は どこにあるの
????」。そこで 気が付いたおかあさん 入れただけで 台所に置いたまま 電気屋さんにお茶を差し上げなかったのだった。

 何としたことでしょう。
申し訳ないやら おかしいやら 恥ずかしいやら 。迂闊というよりも これは
完全に呆けだ と思うと 
遣る瀬無い思い出一杯になった。

これは 誤らなければと思い すぐに お店に電話をして 奥様に事情を話して 誤って欲しいと頼んだ。
 奥様は 優しいので 「私も同じ事をしますよ」なんて 
慰めてくださった。
 ニッキーは おかあさんは 又 何か 失敗をしたのね とあたふたしているおかあさんを眺めていた。

 こんな失敗は いえないから起こったことでは無い。しかし こんな失敗をすると おかあさんの神経は ピューとはじかれて 今後 同じ失敗はすまいとピリッとする。

 数日後に彼は納入に見えるので その時はおいしいお茶とお菓子を出してあげよう。

 さて 明日は おとうさんの一年祭だ。今日 遺影の入った写真のガラスと枠を きれいに研いた。
数年前に 彼の始めての歌の発表会で 「千の風になって」を歌った。明日行く教会のお墓に 彼の魂がとどまっているか どうか。
多分 失明してから自由に歩けなかった分を取り戻すべく 風になっって あちらこちらを吹き渡っているのではないかと思う。

銀漢や 幸福の味 知っている。  悠佳

銀漢とは 夜空に輝くお星様になってしまった男性を刺す季題。

●2012/08/19 晴れ

おとうさんの逝去から1年の記念祭

 今日も暑かったですね。
昨年の8月30日に おとうさんは天国へと旅立ちました。今日は それを記念して 礼拝をして頂き 食事をして 午後 暑い中を 教会のお墓に参りました。

 ニッキーも参ったのですが もう 一つ 違う意味で参ってしまった
ニッキー。
教会のお墓は三浦半島の先端部 標高50メートルの丘の上にあります。
算法を 林のような 山のような緑に囲まれているので 着いたときは 陰になっていました。
 しかし 地面に触ってみると 先ほどまで地面が燃えていたことが 分かりました。
ニッキーには先端を切った 靴を履かせていたので 大丈夫だと思ったけれど
ハ「アハア」といい続けていました。
早く 引き上げればよかったのだけれど ちょっと時間が掛かってしまった。
 帰る前に お茶を飲んで行こう とレストハウスに入ったら 可愛そうに ニッキーはダウンしてしまったのです。
 大好きな おいしいお水 も飲まない。 これは困ったと タオルを濡らして 保冷財を体に当て 靴を脱がしたら漸息をついた感じ。
それから ハーネスもゆるめて 足の裏を冷やしました。
歩かなかったら タンカ が必要だわ。そうなったらどうしましょう。
 暫く 休ませたら 立ち上がりましたので 良かった。
 車の中では あごと前胸部に冷たいタオルを当てました。

 帰宅後は お水も飲んで ご飯はいつものように食いつきガ良かったのでやれやれ。

 今年は 特別の日で無い限り 暑さの中での歩行はしなかった。その間 必ず 冷房の中で過ごしていたのが 暑さ負けをした原因かな。
それにしても 地面が熱いから靴を履かせるという単純な考えではいけないことが判明しました。
必要なくなったら すぐに脱がせる配慮が必要でした。

 今日の体験も 実際に起こってみないと分からない事でした。おとうさんが教えてくれたかしら。

 今日の記念祭は多くの教会の皆様にお世話になりました。
おとうさんの死が縁で おかあさん達に優しい人たちを招いてくれたことを感謝して  ありがとう といいました。


●2012/08/20 猛暑

事故現場を目撃

 昨日 海水浴で混雑する三浦海岸から 混雑を避けてくるまで帰宅途中 発生したばかりと思える事故現場に通りかかった。
 同乗者の説明によると 大型バイクが転がっていて その下にドライバーが倒れている。恐ろしいことに その人の首はあらぬ方を向いているとのこと。
まだ 警察も救急車も到着していない。 傍に3台の無人の車が停めてある。

 「自爆???。早く110番しなくちゃ。」。良く見ると 誰かが連絡をしている様子なので その場を離れた。
「あの人は身じろぎもしなかったから もう 死んでいるかも。」との話に声も出ない。


 毎年のことだが 8月には海や山 又 車が原因で 思わぬ不幸が発生する。
 熱中症で亡くなる人も後を絶たない。
いたましい限り。である。
 残された者はこれらの事例を聞いて 気を付けるほかない。



 
 今まで 身近な人々 自分の両親やおとうさんの両親の死に直面してきた。
 しかし 高齢になって 病を得た後での死亡だったので 病気の苦しみから逃れられて良かったね。と見送っていた。
その時は死 そのものを自分の身近なこととしては 考えなかった。

 昨年のおとうさんの急な死を経験して 人は必ず みんな 誰でも 死ぬのだと思い知ったのである。

 そうなると 死んで その後はどこへ行くのだろうと考えざるを得ない。
この問題をクリアしたおとうさんはさわやかな週末を送った。死んだら天国へ行けると信じた。
そして おかあさんがやってくるのを 首を長くして待っている。
こう 言っても おかあさんが 天国へ直行するかどうかは 分らないが。
 おとうさんが天国にいることを信じているおかあさん。
「寂しくなりましたね」 と言われるけれど  おとうさんの居場所? がわかっているおかあさんは心静かに最愛の人の死を受け入れられている。

 先ほど読んでいた小説に 姓死 不二 (しょうし ふじ)の言葉が出てきた。
仏教用語らしいが 生きることと 死ぬことは 同一線上にある切り離せないものらしい。

 いつかは来る死を いつも 心の片隅に於いて 残る人のために エンディング ノート を書き始めたおかあさん。子供がいないので 書くことが山ほどある。

 こんな事を書くからといって 決して おかあさんが暗く 
打ち沈んでいるわけではないのでご安心を
 
●2012年8月22日

風に色があるか 無いか

 夕方4時に家の前の道路に手の掌を当ててみたら まだ ニッキーが歩くには熱すぎる。
しかし 何となく 風がいろ無き風 いろなきかぜ。
色無き風とは俳句の世界で使う言葉で秋風を意味する。

 昨年の秋におかあさんが作った俳句。
窓全開 色無き風を 入れにけり がある。

 窓を一杯に開けて おとうさんが風になって戻ってきてくれないかなと願う気持ちを詠んだ。
 夏の風より ずっと風情があると想う。

 さておかあさんが入会している句誌 春光で自選句 という欄がある。
それは 快の主選や指導してくれる先生は口を出さないので 自分勝手に出せ出句すれば載せてもらえる。
そこで 今回は ニッキー という台で詠んだ。

ニッキーの頭でとんぼ一休み
ニッキーと吾はユニット良夜かな
気遣いの出来る犬なり菊日和

 うまくもなんともない句だが この中には
1は 愛らしいニッキーの姿 2は パートナーとしてのニッキーに対するおかあさんの信頼感 3には 人間より優れたところを沢山持っている盲導犬への憧憬がこめてある。そのように詠んでいただければ幸いである。

夕方 涼しくなった頃  ニッキーは珍しく外へ出たいような様子。それでは トイレがてら 生協へ買い物に行こうと外出。日曜日以来の
2012/08/24 猛暑 最高に暑い

夜の洗濯で 朝日の強い紫外線をシャットアウト

 今 洗濯機が ガタガタ動いている。まあ 1軒屋だから出来ることだが 最近 おかあさんは 夜 洗濯をしている。午前中とはいえ 強烈な朝日で これ以上肌は焼きたくないので 夜 干す。
今晩も 雨は降りそうもない。 干していても心配ない。。

 それにしても たった 一人なのに多い洗濯物。
いやになる。

 仕事用のパジャマを洗うのに8キログラム配流大きい洗濯機だ。
昨日も洗ったのに 又 結構入っているではないか。
 タオルとTシャツが多いかな。

 ある ガイドヘルパーさんの家では家族が毎日 バスタオルを出すそうだ。家族
4人だから タオルだけでも毎日。 考えただけでもすごい洗濯物の量だ。
彼女以外は 3人の男性だから その他の衣類のことを考えると 大変だろうと想う。

 おかあさんが 「いいかげんにしたらって 言わないの?」と聞いたら
「持ちつ持たれつだから...。」と答えた。
彼女はいいお母さんだと想うけれど もし おかあさんが彼女の立場なら 可也 ストレスとなりそう。
我家では 洗濯はおとうさんがしてくれていたことを想うと  有用な人材が
いなくなったものだ。

 この暑さで洗濯物は よく 乾くが女性にとっては 結構 重労働ではないかな。
今日 洗って 干して 明日 取り入れて 片付けると仕事は2日分に分散されるので 気分も楽になる。

さて 終わったようだわ。

●2012/08/26 猛暑
私達の正しい判断が動かす日本の閉塞状況


 今日 久しぶりに ニッキーと歩いて 外出した。家から駅まではタクシーを使い 
自由が丘まで問題なし。
自由が丘から 今日の 目的地までタクシーを使おうと想ったが 歩行者天国を理由に
タクシー乗り場が使えず その辺の車を拾うのだと言われた。
車がどこで拾えるか分らないし 灼熱の自由が丘の道でうろうろするわけにはいかない。
 仕方なく 歩くことに下。
 急いである手8分くらいだろうか 燃える道を急ぎ足。
 やっと 到着したと想ったら  ニッキーはグッタリしている。ダウンだ。今日は
保冷財と濡れたタオルを用意していたので 体を冷やした。部屋には冷房があるので 
濡れたタオルを体に掛けておくと呼吸の荒さが取れた。楽な湯に思える。
 帰りには すっかり 元気になったと想ったが 
 帰宅後も足の裏や耳や脇の下 や股の間がいつもより熱い。おまけに 普段は乗りたがらないペット用の金属板の上で寝転がっている。

 8月に入ってから あまりの日中の暑さに負けて ニッキーを冷房の効いた部屋で
留守番をさせていた。
そのために 昨年より 弱い身体になってしまったのかな。
 困ったなあ。

明日から裏磐梯の方に出かけるそれに 9月2日のおかあさんの社交ダンスの発表会まで行き着く暇も無いから ニッキーも覚悟せよ。
1週間くらい ブログはお休みになるかな。
 さて 今日は 日本の明日を考えようというテーマでの集まりがあった。
 今の日本の政治 経済 社会保障 などの閉塞状況を正しい視点で見るための情報を入れたり 意見を聞いたり 。

 正しく物事を見るには 色々な立場のひとの話を聞いたり 本を読んだりしなければ 第二次世界大戦に引きずられていった当時の人々の二の舞になってしまい 恐ろしい怪獣に日本の将来を託すことになる。

 NHK 土曜日の大阪からの人気番組の川柳。にこんなのがあった。
「世界平和」というお題に初めて投稿した80台後半の女性は

 世界平和みるまであの世に行けません 

と詠んで選句された。
それを待っていたら いつまで経っても死ねないのではないかなと想うけれど 
望まなければ実現しないのは確かだ。
 戦争を体験した一人の高齢の女性でさえ 世界平和を望んでいるのに どうして 世の中の懸命な為政者が平和になるように物事を進められないのか とても 不思議だ。

 ニッキーのおかあさんとしては ニッキーも平和な素敵な国 日本に住まわせてあげたい。
子供を持つ人なら 誰しも  もう 少しまっとうな日本にならないかと歯がゆい思い出いることだろう。

 一人ひとりが真剣に考える時期に来ている。
私達の正しい判断が日本を変える。誰かがやってくれる日本ではなくなっているのだ。

話は違うが おかあさんがブログを発信するに当たってりようしているサイトは 時々間違えてキーを押すと 迷路に迷い込むシステムだ。
先日 又 ひまわりの迷路のように うろるおしたら バイパスしか通れなくなった。
そのせいかどうかは分らないが ブログが読めなくなったとの ご指摘を受けた。
来月はじめには修正していただくので お待ちください。

2012/08/30 猛暑

今日はおとうさんの命日

 今日 夕方 5時間半掛けて 会津から帰宅。最近 こんなに長く電車に乗ったことが無いのでちょっとげっそり。途中 上野駅の猛烈な暑さにうんざり。JRのホームに2分間立っていただけで 汗が噴出した。本当に 物凄い残暑。

 この暑さで3泊4日のたびのつけは大きく 帰宅後 倒れこんでしまったニッキー。
大好きな ご飯 と言っても起き上がらない。そんなに疲れてしまったか。暑かったのだね。
それからが 大変。 おかあさんは  33度にも上昇していた室温を下げるために 
家中の窓を開放して エアコンを着けて ニッキーを濡れたタオルにくるんで 保冷シートを当てたり  ああ 忙しい。

 熱中症までゆかなくても ぐったりと寝ているペットを冷やすには 濡らしたバスタオルで全身を来るんでエアコンを利かせたへやに寝かせるのが良さそう。
 ケーキ屋さんなどで入れてくれる保冷用のシートは数個をまとめてシール付きのビニール袋に入れて冷凍しておくと 外出時や冷やしたい時に広い部分を冷やすことが出来る。
又 外出時は その袋に 濡らしたタオルを入れて持っていると 人間にも役立つ。
 今まで ここまですることは無かったので 今年の暑さはニッキーにもひどく応えるようだ。

 夜 興奮して 何だかおかしな行動をして はあはあ 言っていた。
おかあさんは あまりにしつこいので 珍しく きつっくしかったら ちょっとしおしおしていた。
 その後 知らん顔おしていたら 疲れて寝てしまった。

 日ごろ おかあさんと二人で静かに生活しているのに
大勢の方と関わりあったので ちょっと混乱したかな。

 さて 今日はニッキーとおかあさんが愛していたおとうさんが天国へ旅立ってから 1年になる。
 早いような そうでないような。毎日 天国へ電波を送っているので そう 離れている感じがしない。
 ニッキーは時々 おとうさんスリッパをくわえて振り回している。
 8月30日はおかあさんにとっても ニッキーにとっても 特別な日だ。